« 勇気の出る経営学/米倉誠一郎 | トップページ | 「攘夷」と「護憲」/井沢元彦 »

2012年1月25日 (水)

不安の力/五木寛之

_   いま、不安はこれまでになかったほどの社会的現象としてひろまっている。それは、逆の見かたをすれば、〈人間らしさ〉の最後の砦が守られているということにほかならないと思います。不安を感じるのは、人間がまだ〈人間らしさ〉を失っていない、という希望に通じていることだ。ぼくはそんなふうに考えています。
  ぼくたちはみな不安を抱えている。不安に苦しんでいる。そんななかでは、不安を抱えていることが人間らしいのだ、と頭を切り替えたほうがいい。自分が不安を感じ、ときにはパニックに陥ったりするのも、自分が人間らしい柔らかいやさしいこころを持っているからだ、と考えかたを変えてみる。むしろ、不安を肯定的に受けとめて、不安とどう共生していくか、ということを考えてみたらどうでしょうか。
  不安を感じるこころというのは、人間の自由を求めるこころであり、やさしさであり、愛の深さであり、感受性の豊かさです。その不安をどんなふうに希望に転化させていくか、ということを考えるべきなのです。
  ですから、あえて言えば、不安は希望の土台です。不安を感じることが、人間が人間としてあるということの出発点なのです。

今、多くの人が不安の中で生きている。

不景気、失業、そして政治に対する不信感、ITなどの技術革新のスピードについていけず、取り残されることへの恐れもあるだろう。

あるいは、うつ病やパニック症候群というようなこころの病気になってしまい、心療内科に通っている人もいる。

若い人たちは若い人たちなりに大きな不安を抱え、年配の人たちは、年配の人たちなりの大きな不安を抱えている。

企業は企業で、グローバル・スタンダードというような大きな枠組みのなかで、円高に苦しめられ、生き残りに必死だ。

しかし五木氏は、これはとても正常な反応だと言う。

今の不安の時代には、こころに不安を抱えているということが、むしろ正常な反応。

なぜなら、私たちが今、生きているこの世界のありかた自体が、人間に不安を与えるよう歪んだ構造になってきているから。

環境そのものがいま病んでいるから。

たとえば、日常的に口にしている食べ物にしても、これを食べたら危険だ、と警告を発するような本がひろく読まれている。

それは、放射能に汚染された食物や、遺伝子組み換え作物や、残留農薬や、食品添加物などに不安を感じている人がいかに多いか、ということ。

食べ物だけではない。

空気や水に対しても不安がある。

水道の水はいっさい飲まない、必ずミネラルウォーターを飲むという人もいる。

それだけでなく、外出する際には玄関の鍵を三つかけないと不安だという人もいる。

マンションなどで、ピッキングと呼ばれる空き巣の被害が急増しているためだ。

つまり、正常な感覚を持っていれば、不安を感じて当たり前の世界で、今、私たちは生きているのである。

だから、ここは発想を変えて「不安を感じることが、人間が人間としてあるということの出発点」と考えるべきだ。

不安を打ち消そうとするのでなく、不安と共生する。

このように考えた方が、生きるのが楽になるのではないだろうか。

« 勇気の出る経営学/米倉誠一郎 | トップページ | 「攘夷」と「護憲」/井沢元彦 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 不安の力/五木寛之:

« 勇気の出る経営学/米倉誠一郎 | トップページ | 「攘夷」と「護憲」/井沢元彦 »