理屈はいつも死んでいる/高原慶一朗
自分探し症候群とでもいうべき傾向ですが、しかしはっきりいえば、この世に天職などというものは存在しません。初めから、その人に適した仕事なんかないのです。
天職や適職というのは、目の前の仕事にひたむきに全力投球しているうちに自然に見出すもの。あらかじめ存在するものでなく、少しずつ形成していくものなのです。(中略)
その意味で、天職というのは「後ろにできる道」なのです。歩く前方にあらかじめできている道筋ではなく、歩いたのち振り返って、ああ、これが自分の歩むべき道であったのだと事後確認する。
それがほんとうの天職であり、適職であると思うのです。歩き出す前に見出すものでなく、歩いているうちにおのずと近づいていくものなのです。
ですから、若い人が働き出す前から、自分に合った仕事がないと悩むことは、ほとんど意味がなく、いくら探しても見つからないのは当然なのです。
では、どうしたらいいのか。その仕事が自分に向いているかどうか、そういうことわきはとりあえず脇にどけて、否も応もなく、いまいるその場所で、目の前のすべきことに全力投球してみることです。
こんなことは三時間も辛抱できないと思ったら、そこで踏ん張って、なんとか三日がんばってみる。三日がんばったら、三週間辛抱してみる。三週間がんばったら三カ月。三カ月辛抱したら三年・・・・・。
そうして、日々の仕事のなかで苦しさや無力感を味わい、乗り越えがたい高い壁に触れているうちに、しだいに仕事のおもしろさ、楽しさがわかってきて、ほんとうに自分のやりたいことがだんだんと浮かび上がってくるのです。
仕事は多かれ少なかれ、すべてミスマッチです。初めから百パーセントマッチしている仕事など存在しません。だからまず、仕事を自分に合わせようとするのではなく、仕事に自分を合わせる努力をしてみることが大事。そのうえにこそ天職は構築されるのです。
私の天職はいまの職業です。しかし、これからまた、別の新しい仕事に出合うかもしれません。自分のすべてを投げ込んで惜しくない、価値ある何かに明日にもめぐり合うかもしれない。七十歳を過ぎたいまでも、私はそう思っています。
つまり、働くこと、それ自体が永遠の自分探しであり、仕事をするというのは、生涯をかけて自分の可能性を更新しつづけていくことなのです。
『天職というのは「後ろにできる道」』
これは至言である。
天職とはまさにそのようなもの。
「青い鳥症候群」というのがある。
チルチル、ミチルは、幸せの「青い鳥」を探しに旅をしたが見つからず、がっかりして家に帰ったら、「青い鳥」は家で飼っていたキジバトだったことを知るという物語がある。
同様に、自分にあった天職は何だろうと探し回った挙句、ふと立ち止まって考えてみたら、今やっている仕事、または元々やっていた仕事がそうだった、といったもの。
しかし、「青い鳥症候群」だったらまだよい。
何故なら、回り道をしたものの、最後にはこれが自分の天職だったんだ、と気づけるのだから。
問題は、一生自分の天職を探し回り、何も見つけることができずに一生を終えること。
そうならないためには、今、目の前の仕事を全力でやってみること。
何故なら、『天職というのは「後ろにできる道」』なのだから。
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