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2012年2月24日 (金)

使えるマキャベリ/内藤誼人

Znp17   一軍の指揮官は、一人であるべきである。指揮官が複数の人間に分散しているほど、有害なことはない。それなのに、現代(十六世紀)では、国家はこれとは反対のことを行っている。行政面にいたるまで、複数の人間にまかせるという有様だ。結果は、実害をともなわずにはすまない混乱である。ゆえに、わたしは断言する。同じ権限を与えて派遣するにしても、二人の優れた人物を派遣するよりも、一人の凡人を派遣したほうが、はるかに有益である、と(『政略論』)(中略)
  ミシガン州立大学のノーバート・カー博士は、75名の大学生を集めて、1人で、または2人でペアを組ませて、ポンプを使って空気入れを行う作業をやらせてみた。
  この実験では、350ミリリットルの空気を入れれば成功ランプがつくことになっていたのだが、1人きりで取り組んだ場合には、88・9パーセントの人が成功したという。それだけ頑張ったのだ。頼れる人がいないのなら、自分で頑張るしかない。
  ところが、ペアでやらせた場合には、75パーセントしか成功しなかったそうだ。ペアの人が一生懸命にやってくれれば、自分はそんなにマジメにやらなくてもよい、という意識が働いて、お互いに手を抜いてしまったのである

いわゆる集団的手抜きという現象。

これはあらゆる場面でみられる。

特に、日本人の場合、決定権者がはっきりせず、責任の所在があいまいということがよく起こる。

集団指導体制といえば聞こえはよいが、結局、誰も責任をとらない、誰も決めないということである。

逆に、今、企業の中でも業績が伸びている企業は、ワンマン経営者が君臨している場合が多い。

アップルのジョブズ氏がそうだったし、日本のユニクロの柳井氏やソフトバンクの孫氏もそうだ。

経営者の顔がはっきりと見える企業は決まって業績が良い。

逆に、業績の悪い企業は決まって経営者の顔が見えない。

そして、最も顕著なのは政治の世界。

日本の政治はトップの顔が見えない。

一様、トップとしての首相がいるのだが、誰もドジョウがリーダーシップをとっているとは思っていない。

典型的な集団指導体制である。

そして、結果として、何も決まらないということが起こる。

これがダメだということは、はるか五百年前にマキャベリが言っていることである。

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