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2012年2月 8日 (水)

技術の伝え方/畑村洋太郎

Znp19  有名な古典落語で「目黒のさんま」という話があります。
あるとき目黒に鷹狩りに出かけた殿様は、立ち寄った茶屋でさんまをはじめて食べます。当時、さんまは庶民しか食さないものでしたが、旬の時期は脂がのっていて、ただ焼いただけでもその味は絶品です。はじめてさんまを食べた殿様はその味が忘れられず、お城に帰った後に家来にさんまを出すように命じます。しかし、お城の料理方は殿様が食べるのだからと気を利かしてさんまの脂を抜き、食べやすく骨抜きして蒸し焼き状態で出します。当然そんなさんまは食べてもおいしくないので、興ざめした殿様に「さんまは目黒にかぎる」と言わしめるというのが話のオチです。
  いきなり「目黒のさんま」の話を持ち出したのは、多くの技術伝達の現場で、この話に似たことが起こっているからです。
  「目黒のさんま」の中でさんまを調理した料理方がやったことは、技術を伝えるときに伝達者が犯しやすい間違いと同じです。本人は「食べやすく」(わかりやすく)と配慮をしているつもりですが、そのことがさんまを「おいしくないもの」(つまらないもの)にしているのです。さんまをこのような魅力のないものにしてしまったのは、さんまが持っていた脂などの旨味の属性を必要以上に落としてしまったことにあります。
  技術を伝える現場で、伝達者が犯しやすい間違いとは、「わかりやすいためには客観的でなくてはいけない」と思うあまり、話自体を整理しすぎてつまらないものにして、結果として伝わらないものにしてしまうことです。私にはそれが「客観という名のお化け」に振り回されているように見えます。

技術を部下や後輩に伝えるというのは難しいものである。

しかし、分かりやすく伝えようとするあまり、その技術に込めた思いのような部分が伝わらず、味気ないものになってしまうということはよくある。

通常、一つの技術を身につけ一人前になるためには何年もの年月を要する。

年月の積み重ねがあれば、当然、その技術に対する愛着やこだわり、場合によっては執着心というものが生じる。

だから、よい技術者は、その人独自のこだわりや執着心を持っているものである。

そしてその人を技術者たらしめているものも、実はその思いの部分であることが多い。

これらは、極めて主観的なもの。

世の中の多くの人は、主観は悪、客観は善というイメージを持ちがちである。

しかし、本当にそうなのだろうか。

これが極端な方向に進んでいくと、誰かになにかを伝えるときには、まわりの誰もが理解できる言葉で、事実しか話してはいけないということになってしまう。

そもそも、客観とはなんだろうか。

客観というのは実際には「外から見る」という程度の意味しかない。

極論すれば、この世に客観というものは存在しない。

ある技術に対する見方は十人十色なので、フィルターが違えば違うものに見えるのは当然。

それでいてこれらはどれも事実なのだから、逃げを打たず、遠慮をせずに自分にとっての事実である主観をそのまま語ればよい。

その方が相手の興味を引き、伝わりやすくなるのではないだろうか。

もっとも、思いの部分ばかりが強すぎで、伝えるスキルがまったくないのも問題なのだが。

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