あの頃日本は強かった/拓植久慶
日露戦争における日本の頭脳は、誰が何と言おうと児玉源太郎大将ーー参謀次長である。
内相兼台湾総督の地位から、格下の参謀次長に就いたのは、ただロシアとの戦争に勝つため、という一言に尽きた。(中略)
児玉の立案した計画は、宮中での御前会議で一人の反対もなく、すんなりと承認されている。しかしながらより重要なのは、戦争が長期化した場合の対処方法であろう。児玉は早くもこの時点で、アメリカの調停を依頼すべき、と主張したのだった。(中略)
驚くべきことは、戦争指導に当たる児玉自身が、まだ一発も双方が銃火を交えないうちに、もう終戦を考えていた点だろう。後世の日本の軍人ーーとりわけ政治に絡んだ人たちには、全く見られない先見性であった。
日露戦争で日本がロシアに勝利したことは奇跡だと言われている。
日本は圧倒的な軍事力で勝ったわけではない。
もしあの戦争が長期化していれば日本は敗れたであろう。
児玉は明治38年3月の奉天会戦後、東京に帰って講和の進捗状況をたしかめに出かけている。
日本陸軍が満洲において限界点に達したのを、彼は百も承知していた。
日露戦争を通じて、児玉の戦略眼は多くの分野で発揮されれいるが、その最も顕著なものは、この和平工作を早い段階でスタートさせたことだと言える。
もし旅順での苦戦が明らかになってからだとしたら、後手を踏んだであろうと言われている。
この戦争に勝利したのは、「このタイミングを逃したら、もうチャンスは二度と来ない」という落としどころを正確に見極め、絶妙なタイミングで戦争を終結させたからに他ならない。
「最初から、この戦争をどのように終結させるかを考えて戦争をはじめる」
「始めるからには、終わらせなければならない」
このあたり前のことをきちんと考えられるかどうかであろう。
残念ながら、昭和の軍人にはそれがなかった。
だから、あんな無謀なことをしてしまった。
そして、今もそのように考えることのできる指導者は少ないのではなかろうか。
なるほど、今は軍事的な戦争が起こる可能性は小さい。
しかし、経済戦争は今後ますます激しくなってくるであろう。
その時、日本の指導者はちゃんと落としどころを見極めた交渉ができるだろうか。
「あの頃日本は強かった」、でも今はどうなのだろう?
歴史に学んでほしいものだ。
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