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2012年2月14日 (火)

決断できない日本/ケビン・メア

Znp14   政治とは本来、ぶつかりあう価値を調整し、利害のせめぎ合いにぎりぎりの折り合いをつけて、最終的な決断を下す営みですが、日本の政治エリートはいつの間にか、そうした本来の仕事を棚上げする傾向が出てきた。決断しなければ、責任を取る必要がないからです。責任を取りたくないために決断しないという悪しき文化は、現代日本の政治社会の深刻な病巣となっていると言わざるをえません。
  「和をもって貴しとなす」
  この聖徳太子の筆になるという言葉は、正しい決定を下すためには党利党略を乗り越え、互いに敬意をもって議論を進め、より高い叡智にたどり着こうという、日本の政治文化の優れた点として米欧で紹介されてきました。ところが、かっては長所だった日本の「和の文化」はこのところ、「過剰なコンセンサス社会」に堕落してしまい、その弊害は目に余るようになっています。

決められない民主主義、最近の日本の代名詞のようになってきた。

東北大震災以降、特にその点が目に余るようになってきた。

最近の年金問題のゴタゴタも、見ていて情けなくなる。

「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の言葉も、「和を重んずるが故に、何も決めないほうがよい」という風に、意味が変わってきているように感じる。

どうしてこんな国になってしまったのか?

歴史を振り返ってみると、決して日本人は決断力の劣っている民族ではない。

優れた決断の故に、危機を救ったリーダーは、いくらでもいる。

「決められない」というのは、日本人のDNAというより、最近かかってしまった病だと思った方がよい。

もしかしたら、政治や行政のシステムに問題があるのかもしれない。

だったらシステムを変えればよい。

どうも日本人は間違った民主主義を身につけてしまったようだ。

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