発信力 頭のいい人のサバイバル術/樋口裕一
自分探しという言葉がある。私はこの言葉にかなりの抵抗を感じる。この言葉には、まるで自分というのがどこかに手付かずに存在しているかのように感じられるからだ。
だが、言うまでもないことだが、自分というのは、どこかに転がっているようなものではない。日々、作っていくべきものだ。毎日していることが、だんだんと自分になっていく。 つまり、毎日の行動によって自分の価値観がだんだんと固まっていく。そうして、自分が成り立っていく。
もちろん、時に自分の幅を広げ、狭い価値観から抜け出すために、旅行に出たり、未知の人と出会ったりする必要がある。だが、それも、どこかにある自分にひょつくりと出くわすのではなく、そうすることによって、新しい自分を広げるためなのだ。(中略)
自分というのは、このように日々作られていくものだ。そうだとすれば、少しでも意識的に自分を形作ったらどうだろう。
自然に任せ、だんだんと自分の好みではない自分になっていくよりも、意識的に自分を好みの形に合わせていくほうが、うまい方法だと言えるだろう。
自分作りは一つのボディビルディングに近い。自分の肉体を理想の形にするために、意識的に自分を作るように、自分の精神を形作っていく。もちろん、その通りになることは難しいが、少しでもそれに近づこうとする。そうするべきだろう。
樋口氏は、ここで、「自分探し」ではなく「自分作り」をすべきだと勧めている。
これは理にかなった考え方である。
個が確立していない段階でただ単に自分探しの旅に出ても、「自分」を探し出すことはできないのは目に見えている。
それより、「自分はこんな人間になりたい」、「こんな生き方をしたい」と目標(仮説)を立て、それに向かって、かけているものを一つひとつ築き上げていく、
ちょうど、ボディビルダーが鏡をみて、自分のかけているところをしっかりとつかみ、計画的に肉体改造をするように。
こんなイメージの「自分作り」をすることを勧めている。
そうすれば仮に、当初立てた仮説が間違っていたとしても、何かが残る。
それは、場合によっては後々かけがえのない財産になるかもしれない。
何しろ、今は変化の激しい時代。
この先何が起こるか分からないのだから。
だったら、発想を変え、「自分探し」から「自分作り」への転換を図ってみてはどうだろう。
その方がより後悔の少ない人生を送れると思うのだが。
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