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2012年3月 9日 (金)

器に非ず/清水一行

Znp37 「うん。ずいぶんよく働いてきたと思っている」神山の胸に黒い不安の雲が、むくむくと沸き上がった。
「そんなことわかってるさ。だけどね、おれがどうしてあんたを社長にしないか、その理由をあんたわかっているの?どうもわかっていないらしいな。そんな感じがするんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「どうなんだい」
「理由なんて、じゃなにかあるのか」
  神山の胸が激しく締めつけられるようだった。五十島がつぎになにを言い出すかである。
「やっぱりそうなんだ、おまえさんはなにもわかってねえ」
「おれを嫌っているんだろう」
「ばかなこと言うな。そんなこと理由にならんよ」
「じゃなんだ」
  いまさらそんな理由など聞きたくなかったが、五十島に潮笑されている感じが口惜しかった。神山は五十島とはあらゆる点で対等であった。対等以上に神山は振る舞ってきた。
「わかっているだろう。おれはね、F1でシリーズ優勝できるようなクルマを、本州モーターズでつくりたい。それだけだよ」
「なに?・・・・・・」
「本州モーターズって会社は、昔もいまもこれから先も、おれが欲しがっているクルマをつくるための会社なんだ。おれ、一応はオーナーとかなんとか言われてるからな。それくらいのことは言わせてくれよ。おれが本当につくりたいと思っているクルマ、それができたらそれは間違いなくうんと売れるしさ、本州モーターズは世界一の自動車会社になっちゃうんだ。そうだろう。そういうふうにこれから先も会社をやっていきたいと思ってる。二十四年も一緒に仕事をしてきたんだから、おれのこの気持ち、わかってくれると思うけどね」
「・・・・・・・・・・」
「だってそうだろう。あんたじゃエンジンはつくれない。あんたをおれの後釜に据えないっていうのは、それだけなんだ。それ以外になんてなにもないよ。嫌いだとか好きだとか、女子ども相手じゃないんだ」
  おでこに皺を寄せ、五十島は手ぶりをまじえて神山に言った。
  ばかやろうと、神山は胸で思いきり怒鳴った。おれを社長にしないそんなはっきりした理由があったなら、もっと早く、こだわりのないように言えばいいのだ。神山は声に出して本当に怒鳴りたかった。情けなかったし、だが一方では改めて言葉がないくらいの、奇妙な安堵を感じていた。

本書に登場する本州モーターズのモデルは本田技研工業であり、社長の五十島は本田宗一郎、副社長の神山は藤沢武夫がモデルとなっている。

第一次石油危機の最中、ショッキングなニュースが人々を驚かせた。

ソニーと並ぶ戦後日本企業のエース、本田技研工業の社長と副社長が、そろって退陣を表明したのである。

社長の本田宗一郎は六十七歳、副社長の藤沢武夫は六十三歳。経営者としてはこれからが適齢期という年齢での突然の退陣表明だった。

人々は「後進に道をゆずるため」という発表を信じ、その引け際の見事さに惜しみない拍手をおくった。

ところが、一人だけ、その「引け際の美学」を信じなかった男がいた。

それが本書の著者、清水一行である。

藤沢武夫のような人物が、手を伸ばせば届くところまできている社長の椅子を、そんなに簡単にあきらめられるはずがない。

にもかかわらずあっさりと辞めてしまった背景には、なにかよほどの事情が隠されているに違いないというカンが働き取材を重ね、この小説を書いたという。

それだけに、登場人物の名前こそ実名ではないが、そこに書かれていることはほぼ事実に近い。

上記は、神山と五十島が最後の対話をする場面。

そこで五十島ははっきりと神山を社長にしない理由を述べる。

「本州モーターズって会社は、昔もいまもこれから先も、おれが欲しがっているクルマをつくるための会社なんだ。」「あんたじゃエンジンはつくれない。」

たったこれだけの理由。

しかし、決定的な理由。

それだけに神山も妙に納得してしまう。

つまり神山では「本州モーターズのDNAは残せない」ということなのだろう。

一見、非合理的のように聞こえるが、しかし、本質をついている。

今、多くの会社がおかしくなってしまったのは、会社のDNAを大事にしてこなかったからではないだろうか。

会社には「らしさ」というものがある。

そして、その「らしさ」を大事にしない会社は結局は永続できないということであろう。

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