これだけで「組織」は強くなる/渡邊美樹、野村克也
壁にぶつかったとき、「もうダメだ」と簡単に諦めるのか、それとも、「どうすれば突破できるだろう」と必死で考えるのか。一流と二流の違いは、まさにそこにあると思います。
成功のためには人一倍考え、人一倍努力すべきだという野村さんの御意見には、まったく同感です。
野村さんは、プロの世界で這い上がるために、二十四時間野球漬けになって努力されたとおっしゃっています。
一日は、誰にとっても二十四時間しかありません。遊んでも、酒を飲んでも、仕事や勉強をしても、二十四時間という一日の長さは変わらない。
仕事で一流になろうと思うなら、他のことに時間を割いている余裕はないはずです。「二十四時間野球漬け」くらいに、ひとつのことに集中しないといけない。
最近、「ワーク・ライフ・バランス(WLB)」という言葉をよく聞きます。
読んで字のごとく「仕事と生活の調和」のことで、「充実した生活が仕事における生産性を高め、仕事での充実感が生活の質をさらに高める」という考え方です。
このとおりに実現すれば、とてもすばらしいことだと思いますが、私は、人生には「ワーク=ライフ」となる時期も絶対に必要だと考えています。
最近、ワーク・ライフ・バランスということが、さかんに叫ばれるようになってきた。
確かに充実した生活があってはじめて良い仕事ができるというもの。
仕事のためにすべてを犠牲にして、結果、家族はバラバラ、本人も心身を病んでしまったということになったら悲劇。
「何のための仕事なのか」ということになってしまうだろう。
だが、私はこの言葉に違和感を感じるところがある。
もちろん、このことの趣旨は良く理解できるのだが、問題は最初からこれを守るべき規範のようにして働いて良いものだろうかという疑問である。
多くの「その道のプロ」と言われる人たちが、若かりし頃、寝る間も惜しんで働き、それこそ仕事漬けの日々だったことを語る。
少しは誇張も含まれていたとしても、プロになるためには、絶対量が必要だということは確か。
ところが、新卒で入社してすぐ、ワーク・ライフ・バランスを意識した働き方をして、その絶対量は確保できるのだろうか?
人生のある一定の期間、ワーク・ライフ・アンバランスでよいのでは、という気がしてならない。
これは暴論なのだろうか
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