私たちも不登校だった/江川紹子
傍から見ていると決して効率はよくないけれど、今の恭子自身は、自分が歩んできた道も悪くはないと、思っている。
「ゆっくり歩いていくのもいいな、と。車だったら、そこらへんで咲いている花が見えないけれど、歩いていたらいろんなモノが見えてくると思うんですよ」
今でも自殺を図ったり、実際に命を落とす十代がいる。そういう人たちに何か言ってあげたいことはない?そう水を向けると、彼女はゆっくり言葉を探しながら、こう語った
「死にたい時って、さみしいのよ。自分が歩いている道には先がないんじゃないかっていうのと、誰も私のそばにいないという、この二つが大きいんじゃないかな。はたから見ていると、そんなに絶望的な状況とは思わなくても、本人にとってはそうなの。
でも、悩んでいる最中は分からなかったけど、道がないとか誰もいてくれないというのは、自分の心の中で作っているイメージなのよね。道は作っていくもんだし、人は誰か探せばいるもんだし。だから、とりあえず誰かに話してみること……かな」
自殺未遂の後、恭子は「これからの道」という題の、生きていくことへの不安と希望が入り交じった作文を書いている。
〈人生という名の道を歩きだして、約十五年十ヵ月。どうにか歩けるようになってきた。(中略) これから先のことは見当もつかない。五年後、十年後に私はどうしているだろう。明日のことすらわからないんだもの。迷子になっているかもしれない。もう歩いていないかもしれない〉〈私の夢。保母になりたい。そして、児童福祉関係の仕事につきたい。(中略)この夢、私にはあわないかもしれないし、なれないかもしれない。これから歩いていくうちに、また気が変わるかもしれない。だけど、とりあえず今の夢。大きな夢。そのまえにしなけりやいけないことがある。まず高校を卒業しなけりゃなんない。大学受験。短大までは行きたいな。それぞれがひとつの夢。一歩先が夢。ともかく前を見て、歩き続けたい。もう五年は歩いていたい。あと十年間歩き続けられたら満足だと思う。
五年後、私は二十歳。何をしているだろう。どんな道を歩いているかしら。十年後、二十五歳余り。どうなっているだろう。戻ることの出来ない、人生という名の道。一歩先も霧中。見えない。回り道したって、寄り道したって、それが私の道なんだから・・・・・・無駄足じゃないと思う。よく分からないことばかりだし、後悔することもあるかもしれないけれど……私は、やっぱりむつかしいけど、小さな夢を見続けながら、大きな夢にむかって歩いていこうと思う〉
本書は「東京シューレ」という不登校児のケアセンター出身の8人の社会人をインタビューしてまとめたもの。
8人の方のインタビュー当時の立場は、旅行代理店支店長代理、二級建築士、高齢者ホームヘルパー、団体職員、主婦、料理人、放送大学生、社会福祉士。
上記のその中の一人、社会福祉士をしている元不登校の女性へのインタビューの内容の一部。
彼女は中学生の時、不登校になり、その後何度も自殺未遂を繰り返している。
私たちの生きている社会の中には、最短距離で頂点まで登り詰めるようないわゆるエリートと呼ばれる人たちもいれば、亀のような足どりで、一歩一歩、歩んでいる人もいる。
両者とも大切な社会の構成員の一人である。
傍から見たらイライラするようなゆっくりした足どりで歩んでいる人であっても、その人なりに人生を味わい、夢をもって一歩一歩前に進んでいるとしたら、それも人生かなと思う。
少なくとも、そのような人の居場所がある社会であるべきだと思う。
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