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2012年4月 1日 (日)

この情報はこう読め/岡庭昇

Fax   事実はひとつしかないが、真実は無数に存在しうるのである。ただ、“わたし”を欠落させた、擬制としての客観主義が、新聞・テレビのニュースのスタイルである、という日本的な状況が、党派的な“真実”をあたかも動かし難い事実のように見せてしまうことこそが、問題なのだ。およそ“わたし”の存在しない報告というものは、ほんらい存在しない。あらゆる情報は、それが表現されたものであるかぎり、かならずなんらかの“わたし”を前提にした創造であり、純客観的な“像”などというものはありえない。
 純客観的な“像”こそ、わたしが批判し続けてきたニュージャーナリズムの錯覚である。もとは、この錯覚は、新聞の三人称・客観・中立報道というウソに発している。“わたし”が──“わたし”が立っている立場が──生んだ像にほかならないのに、“わたし”の責任を負おうとはしないため、かえってはなはだしい偏向になってしまう。マスコミ文体の、この倒錯は、よく記憶しておく必要がある。

基本的に客観報道というものはあり得ない。

報道する記者には、それぞれの立場、考え方、価値観といったものがあるもの。

そして、そのようなフィルターを通して見た事実を記事に書く。

当然、その書かれた記事はフィルターを通っているので、客観的ではあり得ない。

それを客観報道と言ってしまうので問題が起こる。

そもそも人間は主観的にしか物事をみれないのであるから、むしろ自分の立ち位置を明確にして記事を書いてもらった方が、読む方は迷わない。

たとえば著者がはっきりしている一冊の本であれば、読者は著者がどういう考え方をし、どのような見方をする人であるのか、ということをある程度知った上で、それを前提に本を読む。

そのため、本に書いてあることを鵜呑みにはしない。

「ナルホド、この著者はこういうふうに考えたんだ」と自分で判断できる。

ところが、新聞記事やテレビ報道で「これが事実なんです」と、あたかも客観的な報道であるかのごとく報じられると、正直判断に迷ってしまう。

このあたりに、マスコミの奢りがあるのではないだろうか。

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