プロ野球にとって正義とは何か/手束仁
落合は、もしかしたら時代の流れに対して早すぎた監督就任だったのかもしれない。それが監督としての仕事を完遂したにもかかわらず、その評価を「会社」から100パーセント満足した形で得られなかった原因ともいえるのではないか。
昨年のシーズン途中の落合監督解任劇は、多くの人が「なぜ?」と思ったことだろう。
就任8年間でリーグ優勝4回、日本一1回。
采配を振るったすべてのシーズンでAクラス以上という文句のない実績。
しかも優勝を果たしたシーズンに周囲の目から見ても不可解な監督解任。
結局は、本書のサブテーマとなっている「プロの流儀」vs「会社の論理」という構図が表面に出た結果ではなかったのだろうか。
プロ野球球団は親会社から見れば、単なる宣伝の手段なのかもしれない。
マスコミへの露出が増え、人気が上がり、観客が増え、結果として親会社の新聞の販売部数が増えればそれで良い。
極端に言えば、無理に優勝しなくても良いのである。
これが親会社の本音の部分であろう。
しかし、少なくとも優勝するために監督として招聘された落合としては、あくまでも勝利を最優先させるのは当たり前のこと。
すべてはチームを優勝させるために考え行動するのが監督というもの。
それが優勝させた結果、解任ではやはり筋が通っていないように感じるのは普通の感覚だと思う。
落合監督になって中日の観客動員数が減り、中スポの販売部数が減ったというが、それも落合監督だけに原因があったのかどうか、真偽のほどはわからない。
特に、落合監督が解任後出した著書「采配」がベストセラーになったことから考えても、隠れたファンは随分いたのでは、ということが推測される。
確かにプロ野球は、親会社から見れば宣伝の一手段なのかもしれないが、プロスポーツという勝負の世界に会社の論理を持ち込むのはやはり問題があるような気がする。
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