凡人が一流になるルール/齋藤孝
次々に斬新なアイデアを打ち出してきたフォードだが、発想の源は、いったいどこにあったのだろうか。フォードは、自分はたった一つのアイデアにずっとこだわってきたという。
「このアイデアは、些細で、誰でも思いつきそうなものだったが、それを発展させることが私のつとめとなったのである。小型で、丈夫で、シンプルな自動車を安価につくり、しかも、その製造にあたって高賃金を支払おうというアイデアである」(「藁のハンドル」)
実際は斬新なアイデアを数多く世に送り出してきたのに、だれでも思いつく一つのアイデアに愚直にこだわってきたというフォードの回顧に首を傾げる人もいるだろう。
その違和感も、日本語の「アイデア」と英語の「idea」の違いを考えれば解消するはずだ。
日本語では、ちょっとした思いつきや具体的な工夫を「アイデア」と呼ぶ。しかし、英語の「idea」は少しニュアンスが違う。思いつきや着想という意味もあるが、一方で理想や理念という意味も持つ。フォードが指していたのは後者の意味合いを含むアイデアであり、企業の存在理由となる考え(コンセプト)に近い。
日本語の「アイデア」と英語の「idea」は違う。
ナルホド、と思ってしまった。
フォードのideaは、だれでも買える自動車を大量に作り、人々の暮らしを豊かにすることだった。
これが木の幹ならば、食肉工場からフォード方式を思いついたり、労働者の賃金を上げて未来の消費を生み出したりといった、個別のアイデアは、木に実った果実。
フォードはひたすら幹を太く育てることで、これらの果実を実らせたということであろう。
なかなか新しいアイデアがでてこない、と、苦しむことがある。
こんなときは、幹となるコンセプト、つまり「idea」に立ち返ることが必要なのではないだろうか。
一見遠回り感じても、そのほうが結果的には良いアイデアが生まれるのかれしれない。
もちろん、そのためにはまず幹となるideaを明確にする必要がある。
「自分は何のために、今、この仕事をしているのか?」
こんなことを考え、はっきりとした言葉にすることが必要なのではないだろうか。
フォードのideaは、社会に大変革をもたらす壮大なものだった。
私のような凡人には、そんなideaは生まれてこないだろうが、自分なりに、等身大のideaはあるはずだ。
これを考え言葉にすることは決して無駄なことではない。
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