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2012年5月22日 (火)

人の力を信じて世界へ/井上礼之

Photo 「自由」すなわち英語のフリーの語源はゲルマン語のプリーという言葉です。これは「自分の属するもの」という意味であり、心に染む同類と一緒にいたいと思う気持ち、自ら進んである所に帰属したいという気持ちです。すなわち、自由とは一面では確かに「個」あるいは「私」ですが、同時に「帰属」という面があって初めて本当の自由が存在するのです。人は一人では生きられない生き物。だから人間である以上、何らかの集団に帰属することを避けられない。むしろそうすることが最も自然です。個人主義や自由主義が確立していると思われている欧米社会でも、国家や家族、企業以外に多くの人が地域のコミュニティやボランティア団体や教会などの集団に帰属し、社会の隅々にわたって「帰属意識」が大切にされています。

「自由」と「帰属」とは反語としてとらえがちだが、そうではない。

むしろ、本当の「自由」を得るためには、何らかの集団への「帰属」が必要。

こう考えると、どうも日本人は「自由」を間違ってとらえているのでは?という疑問が沸いてくる。

今の日本人は、帰属意識が希薄になっている感を免れない。

国家への帰属意識が希薄になっているので、社会的にも様々な問題が起こるのではないだろうか。

企業への帰属意識が希薄になっているので、企業は競争力を失い、衰退の途をたどっているのではないだろうか。

そして、家族への帰属意識、これが希薄なので、家庭の崩壊が起こる。

そう考えると、「帰属」があって初めて「自由」を得ることができる、というのはよく分かる。

「人は一人では生きていけない」

当たり前のことだが、このことを忘れてしまった自由論は意味がないということだろう。


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