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2012年5月28日 (月)

まともな人/養老孟司

Photo 個性のあるのは身体で、頭にあるのは共通性だ。それを私は年中いうが、ほとんどの人はポカンとしている。やっぱり個性とは、私だけの思い、私だけの考え、私だけの感情だと思っているのであろう。それならそう思っていればいい。そういう世界では、学習は反復練習だ、身につけることだ、という常識は消えてしまう。だって個性を伸ばすのだし、個性は頭のなかだから、頭のなかを伸ばすのだろうが。頭のなかをどうやって伸ばすのか。
 どうすればいいか、わからないはずである。私だってわからない。考えたことがない。

解剖学者の養老氏は、個性のあるのは身体で、頭にあるのは共通性だという。

説明を読んでナルホドと思ってしまった。

確かに身体には個性がある。

その人限りのもの、それはいくらでもある。

たとえば人の心臓はその人だけのものである。

それを他人に移植することはできる。

しかし実際には、免疫を抑制しなければ、決して定着しない。

身体はその心臓が「自分ではない」と、「だれにも教わらずに」知っているのである。

だから免疫系は、移植された心臓を追い出そうとする。

それを個性という。

でも、頭に個性があったら、どうなるか。

理屈であれ、感情であれ、その人だけのもの、その人しか考えない、その人しか感じない、そういうものが、頭の、つまり心の個性だとする。

そんなものがあったら、どうなる。

精神科に入院するしかないであろう。

皆が笑っているとき、一人だけ嘆き悲しんでいる。

その理由が納得できるものであるなら、つまり共感できるものであるなら、いい。

でも、そうでなければどうだろう。

病院に行った方がいいんじゃないですか、とだれでもいうであろう。

つまり、個性とはきわめて身体的なものということができる。

それを、ゆとり教育で「個性を伸ばす」なんて言い出したので、日本の教育がおかしくなってしまった。

個性が身体的なものであるのならば、反復学習をどんどんやればいいのである。

同じ反復学習をやっても、身体に個性がある以上、個性が死ぬようなことはない。

無理に個性を伸ばそうとしても意味がないということである。

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