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2012年5月 3日 (木)

御手洗冨士夫「強いニッポン」

Photo 私の好きな言葉に「Whatever is, is reasonable」というのがある。
「いま存在するものには、いかなるものでも存在理由がある」という意味だ。この言葉の通り、いま、どこかの国で存在している物事は、すべてに存在理由がある。日本の価値観や実情からみると、とんでもないことで、「全くムダ、間違っている」と思うことでも、その国では存在理由があるのだ。まず、その点から理解しなければならない。日本的な文化や伝統の物差しだけで否定するのではなく、比較文化論的にそれを吸収し、現地を日本流に直すのではなく、自分から現地流に動ける人間になる。
これも、「真の国際人」の条件である。

「グローバルスタンダード」ということが盛んに叫ばれるようになってきた。

しかし、だからと言って、日本の社会の価値観や文化などを無視し、例えば米国流の仕組みを無理やり入れようとすれば、混乱を起こすだけだ。

もちろん、アメリカにも参考にすべき点は数多くある。

特に民主主義の考え方はアメリカのほうが断然進んでおり、日本はまだまだ幼稚だ。

ただ、たとえば、日米の経営手法を比較して優劣を論じることなど、不毛だ。

よく「ここは日本なのでアメリカのようなやり方は合わない」とアメリカ式をすべて否定する人がいるが、これなどその典型例。

これは日米のどちらが優れているという問題ではない。

経営は合理性を追求するものだが、それはいっさいのムダを省き、最高の効率を求めることに尽きる。

そのうえで、米国では米国社会に合った経営をすべきだし、日本では日本の社会に合った経営をすればよい。

そもそも経営には、グローバルな部分とローカルな部分があるのではないだろうか。

技術、科学、などは世界標準で動くが、人心にかかわることはローカルな問題だ。

そこでは、その国の文化や慣習に合わせることが、最も合理的だ。

日本人の大半にはいまでも企業に対する帰属意識があるし、企業内労組も経営と協調関係にある。

ほとんどの企業で続く終身雇用も、労使の信頼関係や社員の忠誠心を支えている。

そうした信頼関係があるから、社内のコミュニケーションもよくなる。

しかも、長い間勤めるので、「会社に悪いことをしてはいけない」という自制心が、新入社員のときから働く。

これらは明らかに米国とは違うし、もちろん中国とも違う。

そして、これら日本独自の企業への帰属意識や終身雇用、労使の協調関係は、それらが生まれた歴史的背景というものがある。

それを「グローバルスタンダード」という言葉で論じても意味がない。

それらは、それなりの存在理由があるのである。

大事なことは、頭からものごとを否定するのではなく、御手洗氏が言っているように、「いま存在するものには、いかなるものでも存在理由がある」と考えることでなないだろうか。

そこから、新しい解が生まれるような気がする。

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