日本の戦争/田原総一郎
この日、ルーズベルトとハルは長時間話し合った。ルーズベルトが「日本に奇襲攻撃をやらせたほうが、アメリカの世論を燃え上がらせるのに都合がよいのではないか」と問うと、ハルは全面的に同調した。結局、「暫定協定案」を捨てて「平和解決要綱」(いわゆるハル・ノート)を日本側に手渡すことになった。(中略)
もっともハルは「二六日の提案はけっして最後通牒ではなかった」(上下両院真珠湾調査委員会)と証言しているが、「ハル・ノート」を野村、来栖に渡した翌二月二七日にはマーシャル参謀総長から、フィリピン、ハワイの陸軍部隊に「日本の敵対行動がいつ起こるやもしれない」と警戒命令が発せられ、海軍作戦部長は太平洋艦隊とアジア艦隊に「日米交渉はすでに終わった」、つまり事実上戦争状態に入ったと宣言している。ルーズベルトもハルも、ひたすら日本が第一弾をうち、アメリカ国民の「日本をやっつけよ」との声が爆発するのを待っていたわけだ。
第二次世界大戦における日米の戦争は、日本軍の真珠湾奇襲攻撃で始まった。
ルーズベルトは、日本の開戦通知が攻撃が始まって1時間後だったことから、この奇襲を「だまし討ち」と議会演説やラジオ放送でまくし立て、アメリカの世論を誘導する。
しかし中には、あれはルーズベルトが日本がそうするように仕向けたのだ、という歴史家もいる。
本当のことは正直、わからない。
ルーズベルトとその周辺のごく一部の人たちしか知り得ない事柄である。
そして、彼らは、その歴史の真実を墓場までもっていってしまった。
もはや、証言する人は誰もいない。
ただ、歴史には表と裏が必ずあるもの。
一般に伝えられている表の歴史と、ごく一部の人たちしか知らずに時間の経過とともに闇に葬られてしまう類の裏の歴史というものが。
これが歴史の面白さでもある。
まあ、たまにはこんなことに思いを馳せるのもよいのではないだろうか。
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