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2012年6月21日 (木)

日本軍のインテリジェンス/小谷賢

4062583860 この種の問題で有名なのは、台湾沖航空戦における戦果誤認であろう。台湾沖航空戦とは1944年10月12日から16日まで行われた日米間の航空戦であり、この戦いで日本側航空戦力は大打撃を被ったわけであるが、大本営は現場からの報告をそのまま鵜呑みにしてしまい、空母19隻(本作戦に参加した米空母は17隻)、戦艦4隻を撃沈、撃破と発表、日本中を勝利に沸かせたのであった。もしこの戦果が本当であれば、西太平洋における米空母部隊はほとんど壊滅したことになるが、実際に撃沈された空母は1隻もなく、この過大な戦果は現場の未熟な搭乗員の報告と、それを受け取る指揮官が確認作業を怠ったことによるものであった。
 これに対して特情部の通信傍受記録や戦況報告によると、敵空母、戦艦はともに健在であることが明らかであった。さすがに第二航空艦隊司令長官、福留繁中将をはじめとする中央の幕僚たちはそこまでの大戦果を真に受けていなかったが、それでも空母4、5隻は撃沈したと考えていたようであり、そのような判断から引き続き、日米の艦隊決戦と位置づけられていた捷一号作戦を発動、その結果、日本海軍はレイテ沖で壊滅的な損害を被ることになるのである(中略)
 このような作戦部と情報部の意見の相違は、終戦が近づくにつれてピークに達する。作戦部は台湾沖航空戦に見られたような前線部隊からの過大な戦果を基に日本に侵攻してくる米軍の戦力をはじき出し、情報部は通信情報や米側の公開情報を基にインテリジェンスを生産していたため、つねに情報部の判断は作戦部よりも米軍の規模を大目に見積もることになる。しかし情報部の情勢判断は、軍の士気に影響するという理由から受諾されなかった。
 また情報部が、神風特攻隊による戦果報告などを控えめに算出すると 作戦参謀からは以下のような批判が出てくる。
 情報部の奴等は、作戦の現場にいたわけでもなく、戦果の実際を見たのでもないのに、作戦部隊の報告を無視するような戦果を云々するのはけしからん。

これはいわゆる「大本営発表」と言われるもの。

「太平洋戦争で、日本は情報戦に破れたのだ」とよく言われる。

たとえば、日本が完敗し米国が大勝を博した典型的な例としてミッドウェイ海戦がある。

米国海軍は日本側の暗号通信を傍受し解読して、日本軍の作戦計画の全容を事前に知り尽くして待ち伏せ攻撃をかけた。

これに対して、日本側は敵の所在も全くつかめぬままに猪突猛進し、米軍に翻弄されるのみであった。

これによって、太平洋の戦局は米国側有利へと転じて行く。

山本五十六連合艦隊司令長官の戦死もまた、日本海軍の暗号を解読した米軍の待ち伏せ攻撃によるものであった。

ただ、日本軍は情報収集を全くしていなかったわけではない。

むしろ太平洋戦争当時、日本は暗号解読など優れたインフォメーション解読能力を持っていた。

ではなぜ日本軍は情報戦に敗れたか。

著者は、一つの原因として作戦と情報の機能の分離がなされていなかったことにある、としている。

日本軍においては、作戦と情報の機能が明白に分化されなかった。

情報部の立場の弱さが作戦部による情報の政治化を容易にしてしまった。

情報部は日本陸海軍の指揮命令系統の中で、非常に弱い立場にあった。

また陸海軍の組織においては、情報と作戦・政策間の境界が曖昧であった。

作戦部門が自分たちで情報を扱い出すことによって、情報部の存在意義を否定してしまうことになってしまった。

そこに問題がある。

日本軍最大の弱点はインテリジェンス意識の欠如にあった。

そして、これは現在も全く変わっていない。

情報の軽視、歪曲、政治的利用は今も様々な形で存在する。

「大本営発表」は今も行われている。

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