なぜ宗教は平和を妨げるのか/町田宗鳳
しかし、ほんとうに恐ろしいのは、〈狂い〉を核心に秘める宗教というよりも、それを利用しようとする人間の狂気じみた欲望である。いずれの宗教にも、自分たちは同じ神(真理)を信じる同胞であり、その神への忠誠を貫くために異教徒を、いかなる手段によってでも排除しなければならないと煽動するデマゴーグがいるものだ。
その人物あるいは組織のほんとうの動機は、まったく宗教的なものではなく、自己中心の権力志向にほかならない。自分たちの権力を防衛し、拡大するために、他人を誹謗中傷することに全力を傾ける。
極端な場合には、平然と大量殺人すらやってのける彼らこそ、本物の魔物であると言わざるを得ない。人間性の中の〈狂い〉が最悪の形で顕現してきたような人物には、宗教の中の〈狂い〉をわが身に引き寄せることのできる不思議な能力がそなわっているものである。
歴史が始まって以来、戦争のなかった日は一日たりとない。
必ず世界のどこかで戦争という名の紛争が起こっている。
そして、宗教に端を発した戦争が多いのもまた事実である。
しかし、宗教そのものは人と人との争いを勧めてはいない。
むしろ、ほとんどの宗教は愛や慈悲、赦しをうたっている。
では、どうして、そのような宗教が戦争の原因となってしまうのか。
著者は、厳密な意味でいえば、百パーセント純粋な宗教紛争は、まず一つも存在しないと思ってよいという。
むしろ、宗教を利用して、自らの目的を達成しようとする輩がいる、これが問題なんだ、と。
それらの紛争は、特定の人々によって宗教という衣装をまとわされているだけで、その衣装をはぎとってみれば、まったく別な姿が見えてくる。
宗教を利用しようとする者は、まずその正体を見せることがない。
誰よりも神に従順な信仰者の仮面をかぶっていたり、高邁な社会正義を唱える政治家であったりするから、大衆はそれと知らずに、彼らに鼓舞されるままに、武器をとって戦場に向かい、みずからの命さえ投げ出そうとする。
宗教を利用する者の仮面は、きわめて緻密につくられているから、その正体を見破ることは、そう容易なことではない。
そのような煽動者に従う者も、魔物に踊らされている自分の愚かな姿に気がつけば、誰も銃口を他者に向けたりはしない。
わからないから、盲目的に従うのである。
そう考えると、マスコミで報道されている世界中のニュースがいかに表面的なものであるかがわかる。
宗教戦争とよばれているものの背後にどのような力が働いているのか、そこを見ていく必要があるということであろう。
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