ミカドの肖像/猪瀬直樹
「東京は世界一の大都会で、無数の人間がひしめきあってあくせく働き、同じく無数の車がせわしげにクルクル走り回っています。ところがその真ん中に、濠と森に囲まれたなにもない場所があるんですね。そのなかは空虚そのものです。日本ではすべてが、あたかも、この空虚なシンボルの周りを回転しているかのようです。おそらく日本人にとって、この空虚な中心があるかぎり、生活は緑につつまれ、清水に恵まれ、が可能なのでしょう」
とても、的確な分析だと感心して聞いていました。日本人は世界中から非難されるほど働きつづけますが、それは、あなた(グレゴリー)の指摘する空虚な中心があるせいなのだろうと思うのです。しかし、その空虚な中心と、同じ比重でそれに対応したものがきっと心のなかにあるのです。
「えっ? どこにあるとおっしゃいましたか」
日本人の心のなかに、東京のど真ん中にあるのと同じ空虚があるのですよ。
1980年代に結成されたロックバンド〝MIKADO〟のグレゴリー・ツェルキンスキーは、日本の印象をこう語っていたという。
これは意外と、日本人の本質をついているかもしれない。
たまに日本を訪れた外国人が日本を見た印象が、日本で生まれ日本で育った日本人よりも、日本についての俯瞰的像を描くことに優れている場合がある。
特に日本人にとって天皇の存在は、わかっているようでわからない。
一様、象徴天皇という位置づけにはなっているのだが、それが意味することはイマイチわからない。
天皇は、われわれ日本人にとってどんな存在であり、どんな影響を及ぼしているのだろうか。
たとえば政治家が行う政策は、何らかの形で日常生活に影響を及ぼす。
今日衆院本会議で可決した消費増税法案などは、どんなに政治に関心がなくても私たちの日常生活に増税として形で影響を及ぼす。
ところが普通の日本人にとって、天皇という存在は、自分の日常生活とは全く関係ないところに存在する。
だから、日常生活とまったく関わりのない天皇について関心のないほうがむしろ自然であろう。
では、天皇は私たち日本人にとって全く無関係であり、無影響なのであろうか。
ところが、ある外国人には私たち日本人の活動が、あたかも「空虚な中心」の周りをクルクルと、とにかく忙しそうに走り回っているように見えたという。
おそらく問題の所在は、天皇について関心があるとかないとか、ふだん気にかけているとかいないとか、そういうことではないのだろう。
欧米の大部分の国は、キリスト教という精神的基盤がある。
彼らの国づくりは、それに基づいているところが多分にある。
そんなことが常識として存在する彼らにとって、日本人が特定の宗教をもたないにもかかわらず、あたかも何かの規範が存在するがごとく規律がとれているのは不思議でしょうがないのではないだろうか。
そして、その基盤となっているのが天皇の存在だと考えるのは、当然の論理の帰結なのかもしれない。
そして、それは、もしかしたら、日本人も気づいていない本質をついているのかもしれない。
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