一流の品格、三流どまりの品格/山崎武也
この世では、どんなものにも利用価値がある。毒でさえも、使い方によっては、効果的な薬となる。自分にとってはマイナスのものであると思っても、どこかにプラスになる要素が潜んでいるはずだ。そこに目をつけて、そこを自分に有利な方向へと解釈し誘導していくのだ。
そうすれば、はじめは毒であると思ったものも薬へと変えていくことができる。
仕事の場合は、普通の人には「しない」という選択肢はない。そうなると、つきあっていかざるをえない対象である。いつまでも嫌々ながらつきあっていたのでは、「仕事と仲よくする」ことはできない。
会社で一日に八時間過ごすとしたら、怠けていても一所懸命にはたらいても、同じ八時間が過ぎていく。怠けるとなると、周囲の人たちにわからないようにとか詰問されないようにとか、いろいろと余分な神経を使わなくてはならない。時間が早く過ぎていくことのみを願っている。それは束縛された時間以外の何物でもない。
それよりも、嫌だと思う仕事でも、正面からぶつかってみる。仕事とつきあう時間が長くなればなるほど、その仕事とは仲よくなる。慣れてくるのだ。そうなると、徐々に嫌悪感もなくなり抵抗感もなくなってくる。愛着さえも芽生えてくるはずだその仕事が好きになったのである。
一生、好きな仕事をして食べていければ最高。
誰もがそう考える。
しかし、そうならないのが人生。
特にサラリーマンの場合、組織の論理の中で仕事を割り振られるわけだから、当然やりたくない仕事をやることも多くなる。
その場合、サラリーマンには「やらない」という選択肢はない。
だったら、嫌々ながらやるより、いっそのことその仕事と仲よくなり、好きになろう、と著者は言う。
これはハードパンチャーと試合をすることになったボクサーの戦法と似ている。
これはボクシングの中継を見ているとき、テレビの解説者が言っていたことなのだが、
ハードパンチャーと戦うとき、アウトボクシングに徹し、逃げ回るという戦法もある。
しかし、それでもいつかはつかまってしまう。
仮にKOされなくても、勝つことはできない。
それだったら、むしろ懐に飛び込んでみる。
そうすれば、ハードパンチャーであってもフルスイングのパンチは打てなくなる。
逆に、こちらのパンチの当たる確率は高くなる。
勝利が転がり込むかもしれない。
そんなことを言っていた。
嫌な仕事に向き合うのも、これと似ているのではないだろうか。
どうせ嫌な仕事ならば、開き直って全力でぶつかってみる。
全力でやれば良い結果も出るもの。
成果が上がればいやな仕事も楽しくなる。
仕事の幅も広がる。
よいサイクルが廻るようになる。
一流と三流の差は、こんなところに表れるのかもしれない。
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