指揮官と参謀/半藤一利
このミッドウェイ海戦ほど、過去の名声とか栄光といったものが役立たず、新しい時代に適応できたものが勝利者となることを、見事に示した戦いはない。新しい時代は虚名ではなく、実力あるものの手によってひらかれる。南雲はその選択と決断において指揮官として不適格であり、補佐すべき草鹿もまた、流動する戦局に対応するためにはあまりに不動の信念の持ち主でありすぎた。
なぜこんなことが起きたのか。日本海軍の人事序列に「軍令承行令」というものがある。そこに原因がもとめられる。
これは別名ハンモック番号ともいい、兵科将校を主計、機関などほかの兵種将校の上位におき、また兵科将校でも序列がきちんときめられ、抜擢人事は大佐どまり、将官は先任序列に従う、というもの。つまり人物よりも成績、現在の実力よりも過去の軍歴がものをいうシステムだった。
これは硬直化した人事がいかに組織をダメにするのかの典型例である。
当時、大佐以下の先任序列は、考課表というものがありこれによって毎年変った。
緻密な考課表システムと、海軍兵学校卒業成績にもとづくきちんとした序列制度は平時の海軍にあってはまことに有効だった。
これにより、同じ階級、また海兵同期といえども厳正に格差づけられた。
このためにその椅子に少々不適任のものが坐ることがある。
しかし、平時はそれでも十分であった。
チームとしての団結が強く、先輩後輩の規律をよく守り、黙々として与えられた任務に精進することを、海軍は最高の徳目としていたからである。
下級のものはごく素朴に、善意をもって、上級のものに肩入れし押しあげていった。
ちょうど、高度成長期は日本の企業の年功序列がうまく回っていたのと同じである。
しかし、戦時はそのような人事は組織の硬直化を招く。
ミッドウェイ海戦で、新たに編成する第一航空艦隊に、航空にまったく無知の南雲中将をあてたのは、ハンモック番号にしばられた硬直した人事と評するほかはない。
もちろん、この人事のみがミッドウェイ海戦の敗北の原因とは言えないが、少なくともその一因であろう。
今、日本の多くの企業が置かれている状況は、少なくとも平時ではない。
では、人事はどうなっているのだろうか。
もし、昔ながらの内向きな序列制度を維持しているとしたら、その組織はかなりヤバイと言えるだろう。
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