ビジネスは「非言語」で動く/博報堂ブランドデザイン
心理学者の吉本武史氏は、勘を「身体的な経験やノウハウがありながら言語化できないもの」だと定義している。つまり、一見すると根拠がないように見えても、実際には非言語領域にたしかな根拠を持っているのだ。なぜだかわからないが胸騒ぎがしたり、この方針で進めるとおそらく失敗するだろうと感じたりするときには、無意識の部分で過去の経験や知識が探索され、無意識の部分で判断を下しているのである。 そこがわかると、経営者が直感や勘をことさら重要視するのにもうなずけるのではないか。
企業にはさまざまな事情が複雑に絡み合っているし、市場にもまたいくつもの要因が複合的に入り組んでいる。そのすべてを言語化し、論理的に分析して、合理的な判断を下すのはまず不可能に近い。
仕事柄、私は多くの企業の経営者と話をすることが多い。
また、そのために経営者の書いた本を読むことも多い。
そこで共通して言えることは「直感」や「勘」という一見、非合理的、非科学的なことを重視する人が多いということ。
経営が合理性を追求するものだとすると、明らかに矛盾しているように感じる。
ところが、最近はそのことにもある程度の合理性があるのではないかと思うようになってきた。
そもそも「直感」とか「勘」とはなんだろうか。
上記抜き書きによると「身体的な経験やノウハウがありながら言語化できないもの」だという。
つまり、言語化して説明することができないだけで、明確な理由や原因があるものということ。
非科学的でもないし、非合理的でもないのである。
ハーバードビジネススクールのザルトマン教授によれば、人間が言語化して意識できる情報は5パーセント、残りの95パーセントは言語化されない、と言われている。
つまり、人間は、どうして自分が行動したのか説明ができないことがほとんどであるということ。
では説明できないのは、何も原因や理由がないのか?
そうではない、ちゃんとした根拠があるのである。
ただ、言葉で説明できないだけ。
これが「直感」や「勘」の正体である。
だとしたら、もっと「直感」や「勘」を信じて大胆に行動してもいいのかも知れない。
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