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2012年9月23日 (日)

映画は父を殺すためにある/島田裕巳

Photo 若者が大人になっていく過程を描いたアメリカの青春映画においては、父親という存在が重要な役割を果たしている。一方では、厳格で権威のある父親が登場し、子どもを抑圧するが、その一方では、堕落しただらしのない父親が登場し、息子の反発をかう。しかし、どちらにしても、息子は父親との確執に苦しみ、父親をのりこえていかなければならない点では共通している。『フィールド・オブ・ドリームス』や『スター・ウォーズ』のことを考えてみても、アメリカ映画では、父親をのりこえること、つまりは、父殺しを果たすことが重要な意味を持っている。主人公の若者が通過儀礼を果たし、自己を確立していくためには、父殺しが不可欠なのである。

刺激的なタイトルの本だが、要は人が自立したひとりの大人として成長するには「父殺し」いう通過儀礼が不可欠だということ。

「父殺し」といっても実際に父親を殺すということではなく、大きく立ちはだかる父という壁を乗り越えることを意味する。

フロンティアスピリットを高く評価するアメリカの社会においては、個人は自立した生き方を強く求められる。

西部劇に登場する孤独なさすらいのカウボーイは、自立した個人の典型だともいえる。

そのカウボーイが家庭を持ったときには、家族を外敵から守る強い父親であることを求められる。

そういった家庭に生まれた息子は、父親のようにたくましい自立した男に成長していかなければならない。

しかし、現実にはさまざまな矛盾が生じる。

父親があまりに厳格で、自分の思い通りに育てようとして、息子の自立を妨げることもある。

あるいは、だらしない父親で、息子のモデルになりえないこともある。

スター・ウォーズなどは、この父と息子の関係性がそのまま当てはまるようなストーリー展開になっている。

人はどのようにして父親を乗り越え、自立したひとりの大人として成長してゆくのか、

映画をこのような視点で見ていくのも面白いものだ。

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