「弱い」日本の「強がる」男たち/宮本政於
役所における「なんとなくみんなで集まり、仕事場で酒盛りがはじまる」雰囲気とか「みんな同じでありましょう」という考えは、錯覚を共有させるための儀式である。さらに、集団としての最大公約数となる会話にどっぷり浸かるということは、「みんな同じ」でありたいという集団ヒステリー的症状から抜け出させないための手法でもあるのだ。
この「なんとなくみんなで集まり、仕事場で酒盛りがはじまる」雰囲気が、定時に退庁することを著しくむずかしくしている原因である。帰りたいと思っている人も、こうした無言の圧力がのしかかってくると、なかなか行動できなくなってしまうのだ。そこで、無言の圧力を言葉に表現してみよう。
「オレたちは何も好き好んで残って、つまらない話にあいづちを打っているのではない。まわりが自己犠牲の態度を示すのはよいことだ、そう言っているから、どうでもいいような話につき合っているのだ。
だれもこんなつまらない会話につき合いたいと思うわけがない。早く帰ったほうがよいに決まっている。でもそこを我慢することで集団としての一枚岩とすることができる。それが、お前は我慢の一つもしないで、早く帰ってしまう。自分勝手もはなはだしい。自分の時間を満喫しようとするなんて、けしからん」
これが日本的集団主義の真髄なのだ。でも集団にどっぷり浸かっていると、集団主義の問題点を見ることはできない。いや問題点が見られないように、全員を錯覚の世界に引きずり込むのだ。
本書の著者、宮本氏は自らのことを「在日日本人」と言っている。
ニューヨークで長期間、精神分析の教育と医療にたずさわってきた宮本氏は友人の誘いで帰国し、厚生省の医系技官として働くことになる。
役人勤めをはじめた宮本氏は、アメリカの日本人ビジネスマンのようにカルチャーショックにあってしまったという。
問題は二つの点に集約されていた。
一つは残業、もう一つは長期休暇の問題。
たった二週間の休暇、しかも比較的ヒマな時期で仕事に支障を来さないようにとバックアップまでたのんでいても、長期休暇などとるべきではないと言われる。
重要な仕事が残っているわけでもないのに、みんなと一緒に残業するのが当然だという圧力をかけてくる。
その根底には、自らを犠牲にしてまで「滅私奉公」をする人が賞賛されるという日本独特の風土がある。
上記抜き書きは、定時の終業時間が過ぎると、仕事場で酒盛りが始まり、それからまた残業が深夜まで続いた、というお話。
夕方6時以降は仕事場が酒場に変わり、夜はお酒を飲みながら仕事をするのが当たり前、そういう習慣ぐらい驚いたものはなかったと述べている。
そう言えば、霞が関のビルは夜中まで明かりが灯っている。
「みんな夜遅くまで大変だな~」と思っていたら、これが実態だったとは。
お役所がこんな非効率的な働き方をしていて、一方でサービス残業撲滅をとなえても、なくならないはずである。
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