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2012年10月26日 (金)

心にナイフをしのばせて/奥野修司

Photo「あいつをめちゃめちゃにしてやりたい」みゆきさんは、兄を殺したAが弁護士になっていると聞いたとき、ほとばしる憤懣を従妹の明子さんに涙で訴えた。みゆきさんにはめずらしく、半狂乱のようだったという。
 驚いた明子さんは電話口で必死になだめたが、みゆきさんの興奮はおさまらなかった。
一人の命を奪った少年が、国家から無償の教育を受け、少年院を退院したあとも最高学府にはいって人もうらやむ弁護士になった。一方のわが子を奪われた母親は、今や年金でかろうじてその日暮らしをしている。にもかかわらず、弁護士になったAは慰謝料すら払わず、平然としているのだ。みゆきさんでなくても釈然としない。
 「一人の命を奪いながら、国家から無償の教育を受け、知りたいことをいくらでも知ることができ、あったこともなかったことにできて、最高じゃないですか」みゆきさんは精一杯の皮肉を、涙とともに吐き出した。

1997年、兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生「少年A」による『酒鬼薔薇事件』は私たちに衝撃を与えた。

ところが、そこからさかのぼること28年、似たような事件が起こっている。

1969年春、横浜の高校で入学して間もない男子生徒が、同級生である「少年A」に首を切り落とされ、殺害されたという事件だ。

10年に及ぶ取材の結果、著者は驚くべき事実を発掘する。

殺された少年の母は、事件から1年半をほとんど布団の中で過ごし、事件を含めたすべての記憶を失っていた。

ところが犯人「少年A」はその後、大きな事務所を経営する弁護士として地方の名士となっていたのである。

彼は謝罪を求める被害者の母親や妹を拒絶する。

確かに、少年法第六十条に、〈少年のとき犯した罪により刑に処せられてその執行を受け終り、又は執行の免除を受けた者は、人の資格に関する法令の適用については、将来に向って刑の言渡を受けなかったものとみなす〉と定められている。

少年の犯罪は「前歴」となっても「前科」にはならない。

「前科」とは、刑事公判によって有罪判決を受けたことを意味し、犯行当時十五歳のAは、当時の少年法第二十条〈十六歳に満たない少年の事件については、これを検察官に送致することはできない〉という規定から、もとより刑事処分を科されることはなかった。

この条項によって、Aの過去につけられた殺人者という犯罪歴は、少年院を出た時点で漂白され、国家によって新たな人生の第一歩を約束されるのである。

しかし、間違ってはいけない。

国家によって「前科」は消されても、犯罪の事実は消えないのである。

そして、その犯罪によって息子を奪われた両親、兄を奪われた妹にとって、時間は「あの時」から止まったままだ。

少年の時に殺人を犯した「少年A」はその後、弁護士になった。

これをある人は、りっぱに「更生」したという。

しかし、被害者の心を置き去りにして自分だけのうのうと生きていくことが果たして更生といえるのだろうか?

読後、何かやるせない、釈然としない思いが残る一冊である。

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