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2012年10月15日 (月)

死体は切なく語る/上野正彦

Photo  「闘病中はあれほど痛がり苦しんだのに、死に顔は穏やかだったですよ」
 と家族が安堵の顔を浮かべながら話すことがあるが、厳密には穏やかなわけではない。たしかに残された家族は救われた思いになるだろうが、それは単なる死後に起こる筋肉の動作にほかならないからだ。
 死亡して神経系統が麻痺すると、筋肉の緊張が解けるので、苦しんだ顔も、悲しい顔も、笑った顔も、普通の穏やかな顔になる、そういう体の仕組みになっているのだ。
 それが穏やかな死に顔の医学的な意味だ。

著者は三十年にわたる監察医時代、二万体にも及ぶ検死を行ったという。

法医学は、映画のフィルムを逆回転していくようなものだ、と言う。

考古学と法医学はよく似ている。

考古学は、発見された土器とか鉄器、石器といったものから古代の生活状態を推理する。

同様に、法医学は、死体から、生きているときの状態と、どのようにして死に至ったかを推理する。

死体を見たとき、監察医は、感情を抜きにしてあくまで医学的な見地で分析する。

だから「穏やかな死に顔」も医学的には筋肉の現象の一つとなる。

ただ、家族が愛する肉親の死に立ち会ったとき、死に顔が穏やかだったというのは、せめてもの慰め。

何となく救われたような気持ちになるのは人の常ではないだろうか。

確かに、医学的な見地からいえば、これは神経系統が麻痺し筋肉の緊張が解けた結果の現象。

でも、それだったら尚更、神様は人の命を召されるとき、周りの人の悲しみが和らぐように、そのように人を創られたのだと思いたい。

人は誰もが死ぬのだから。

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