下山の思想/五木寛之
私たちは山頂をきわめた。そして、次なる下山の過程にさしかかった。そして突然、激しい大雪崩に襲われた。下山の過程では、しばしばおこりうることだ。
そのなかから起ちあがらなければならない。そして歩み続けなければならない。しかし、目標はふたたび山頂をめざすことではないのではないか。
見事に下山する。安全に、そして優雅に。
そのめざす方向には、これまでとちがう新しい希望がある。それは何か。
登山は下山してはじめて完成する。
頂点にたどり着いたら次は下山しなければならない。
そして山は登るより下る方が難しい。
五木氏は今の日本のおかれた状況を下山にたとえている。
高度成長期、バブルと頂上を目指し、今回、東日本大震災を経験した日本は、今度は上手に下山しなければならない、と。
私はこのような主張が出るたびに複雑な心境になる。
確かに経済成長は人を本当に幸せにするのか、というと、必ずしもそうは言えない。
ブータンの例を見れば分かる、あの国の国民は95%が幸せと感じているではないか、と言う人もいる。
それに比べ、日本は毎年3万人が自殺している、これで幸せな国と言えるのか、と。
では、本当に日本はこれ以上、経済成長しなくてもいいのか?
成長を追わなくなったら、自殺は減るのか?
格差はなくなるのか?
みんなが幸せになるのか?
私にはどうしてもそうは思えない。
かつて、日本の子供たちは学力競争で疲弊し病んでいる、かわいそうだ、と「ゆとり教育」を導入した。
その結果、子供たちは幸せになったのか?
残念ながら、そうはならなかった。
今、学校の教育現場はいじめ、学級崩壊、学力低下等、問題山積である。
競争を放棄すれば幸せになるとは限らないのである。
同様に、日本が経済成長を目指さないと幸せになれるのかというと、私にはどうしてもそうは思えない。
ただ、同じ頂上を目指すにしても、その登り方はこれまでとはちがったやり方もあるかもしれない。
その点では、もっと柔軟に考えるべきだろう。
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