プロセスにこそ価値がある/村山昇
将棋で数々のタイトルを勝ち取っている羽生善治さんは次のように言います。
「同じ情熱、同じ気力、同じモチベーションで持続することができる人が、一番才能がある人じゃないかと思っているのです。奨励会の若い人たちを見ていると、手が見えると言うのですが、一つの場面でパッと発想が閃く人がたくさんいるのです。しかし、だからといって、そういう人たちが全員プロになれるかというと、意外にそうでもないのです。逆に、そういう一瞬の閃きとかきらめきのある人よりも、見た目にはゆっくりしていて、シャープさはさほど感じられないが、でも確実にステップを上げていく人、ずっと同じスタンスで将棋に取り組むことができる人のほうが結果として上に来ている」──羽生善治・今北純一『定跡からビジョンへ』(文藝春秋)
これは結局、一つのことを飽きることなくやり続けられる才能が最も重要であるという指摘です。なぜなら、その才能は他のもろもろの才能をも伸ばし、中長期にわたって自分を想う方向へ導いていくおおもとになるものだから。
仕事は最終的には結果を求めるものである。
どんなにがんばっても結果が出なければ売り上げや利益には結びつかない。
そのため、「結果がすべて」という考え方をする人が多い。
一方、プロセスが大事だ、という考え方をする人もいる。
ただ、いろんな人の話を聞いたり、書かれた本を読んでみると、成績のあまり芳しくないひとに限って「結果がすべて」という考え方をする人が多いように感じる。
結果を出している人は意外と「プロセスが大事」だという。
「しっかりとしたプロセスを踏んでいさえすれば必ず結果はでる」と。
上記抜き書きは羽生善治氏の言葉だが、やはりプロセスの重要性を説いている。
ただ、「同じ情熱、同じ気力、同じモチベーションで持続すること」など簡単にできることではない。
逆に言えば、このレベルでプロセスが持続できているのであれば、結果は自ずから出るのだろう。
羽生氏が言った言葉のなかで「持続」という言葉は重要である。
同じ続けることでも、「持続」と「惰性」はまったく違う。
「持続」とは、「今日よりは明日、今年よりは来年」と坂道を一歩ずつ上ること。
一方、「惰性」は坂道を漫然と転がること。
人は傾斜の負荷に逆らって上っていくときに、いろいろな力がつく。
坂の傾斜に身を任せてただ転がっているだけでは、力がつくどころか、あらぬ方向へ落ちていってしまう。
続けることは大事だが、どのようなレベルで続けるかを考えるべきなのだろう。
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