なぜ取り調べにはカツ丼がでるのか?/中町綾子
ベタ、それは誰でも展開が読めるパターン化された言葉や行動のこと。ありきたり、つまらないといった否定的な意味で使われることが多い。しかし、実はベタとは笑いや感動を誰とでも共有できる、最強の共通言語なのです。
著者は、テレビドラマのベタな表現に注目する。
ベタな表現の推移を見ていくと、そこから時代が見えてくる、と。
例えば表題にもなっている、取り調べとカツ丼の組み合わせ。
劇中で、カツ丼は刑事の人情を表すシーンで用いられる。
戦後間もない日本では、人々の暮らしは貧しく、やむにやまれず罪を犯す者もいた。
長時間の取り調べで粘る容疑者に対して、刑事は「腹減ったろう」と出前のカツ丼を振る舞う。
刑事は、両親や子供を思ったやむにやまれずに犯した犯罪だったことに同情する。
「罪を憎んで人を憎まず」と言えば陳腐に聞こえるが、このシーンの根底には、罪を犯した者も同時代を生きる一人には変わりないという共感が示されている。
だから、この取り調べとカツ丼の組み合わせは、長い間、刑事ドラマのベタな表現の定番として何度も使われる。
私自身、記憶に残っているのは「太陽にほえろ」の中で露口茂の演じた「山さん」である。
劇中では、山さんが取り調べ中の容疑者に食事を与えるシーンが幾度となく描かれた。
やはり、それは時代を映していたのだろう。
しかし、90年代後半から2000年代にかけて、犯人に共感するだけでは解決しきれない事件が描かれるようになる。
それと同時に、事件を追う刑事のキャラクターや捜査の手法も変化を遂げていく。
「アンフェア」では味方すらも信じられないという、現代の人間不信が描かれている。
「相棒」では、情緒よりも論理、足で稼いだ情報よりも計算から導き出した証拠によって事件を解決していく刑事たちが描かれている。
彼らが容疑者にカツ丼を差し出したり、故郷に住む母親の話しを持ち出して泣き落としにかかる姿はちょっと想像できない。
彼らが信じるのは、論理的、科学的根拠のある背景や証拠である。
と、まあ、そんなことが書かれていた。
つまりテレビドラマで使われるベタな表現を追っかけていくと、そこから時代が見えてくるというのである。
私自身、テレビドラマはめったに見ないのだが、
これは、非常に面白い切り口だと思ってしまった。
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