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2012年12月の31件の記事

2012年12月31日 (月)

「借金1000兆円」に騙されるな!/高橋洋一

41oispsg5l__sl160_ 世界に通用している常識では、経済学は数学の才能に秀でた人間が研究する。経済学は、文系、理系と分かれていないが、理系に近い感覚だ。バーナンキ議長自身も、高校時代は数学が得意だったという。
 一方日本では、経済学部は文系の一角であり、理系の人間はまず進学しない。東大では、文系で数学のできる人間は少ない。(中略)
 数学を知らず、定義もなく「破綻」「暴落」という言葉を使ってしまう識者と、それを疑いもなく受け入れてたれ流してしまうマスコミ。そして国民は、その被害者にさせられる。文系経済学の弊害は大きい。

「日本の債務残高はGDPの2倍を超えた、このままでは日本は破綻する」、「このままではギリシャの二の舞」という記事が新聞の紙面を賑わす。

本当に日本は破綻するのだろうか?

素人の私達には皆目見当もつかない。

「マスコミが言っているのだからそうなのだろう」としか言えない。

ところが、著者は日本の識者やマスコミの言っていることには何の根拠もないと述べる。

そもそも何をもってして「破綻」とか「暴落」というのか?

まずその定義があまりにも曖昧。

根拠となる数字を示されて初めてその主張の証明ができるのだが、そのような識者は日本の場合、ほとんどいない。

著者によると、今のとこ日本が破綻する可能性はほとんどないという。

例えば、日本の債務残高は2011年12月の時点で958兆6385億円だというが、これには日本の資産約650兆円は一切考慮されていない。

これを考慮に入れれば日本の債務の対GDP比は正味70%と言ってよい。

普通、債務残高を考えるときにはグロス(量)ではなく、ネット(正味)で考えなければならない。

IMFもネットの数字に注目している。

そう考えると、日本だけのローカルルールによって議論が行なわれているということが分かる。

それよりもっと大事なことはデフレから脱却すること。

これが日本の最優先課題。

そのためにはどうすればいいのか?

政府がインフレ目標を決め、日銀がマネーを供給すること。

かつてバーナンキ議長が「日銀はケチャップを買えばいい」と言い、何でもいいからマネーを供給すればいいではないかと主張していたが、日銀は分かっている人から見ればそのくらいもどかしい銀行なのだろう。

そう考えると、安倍新政権の政策は今のところ間違ってはいないように感じる。

2012年12月30日 (日)

官僚の反逆/中野剛志

41nlqlwqtel__sl500_aa300_ 自由民主政治というものは、多様性を重視し議論を尊重するものであるから、その過程は複雑で分かりにくく、また何を決めるにしても時間がかかる。誤解を恐れずに言えば、自由民主政治とは、本質的に透明ではなく効率的でもなく、そして迅速性に欠ける統治形態なのである。しかも、自由民主政治は、ある規範を共有し同じ言語で議論する人々を前提としているのだから、グローバルにもなり得ない
 透明、効率的、迅速、そしてグローバルであり得るのは、「だれかれの区別をせずに」「計算可能な規則」に従って自動機械のように運営される官僚制的支配であって、自由民主政治ではない。自由民主政治は本質的にナショナルである。

最近、中央集権の打破とか脱官僚という言葉がよく出てくる。

だが、そもそも官僚とはどのような存在なのだろうか。

官僚とは非人格的没主観的目的によって動く存在。

つまり個人的な考え方や目的は排し、上から与えられた客観的基準によって動く。

客観的であるためには定量化・数値化した目的が必要になる。

このような要素をもっている組織、これが官僚制。

そしてこれはマクドナルドの経営スタイルと共通する。

マクドナルドは「効率性」「計算可能性」「予測可能性」「支配」の4つの特徴をもつ経営スタイルのおかげで大成功を収め、今や世界中に店舗が広がっている。

つまりマクドナルド化とは市場に適用された官僚制化だった。

グローバル化イコール官僚制化である。

さらに官僚制化は大衆化とも共通する。

大衆は自分の考えを持たない。

みんなと同じであることを求め、少数者を排除する。

それはまるで甘やかされて慢心した子供と同じ。

親の庇護の元で育ったため、世の中への甘い見方があり、現状に安住する。

これが大衆というものである。

そしてこれは官僚と全く同じ。

官僚は自分の意見を持たない。

つまりグローバル化、大衆化、官僚制化、これらは自分の意見を持たず、客観的な基準を求め、効率、迅速、支配、画一を求めることで共通する。

著者は、今、日本でこのような流れができつつあると警告する。

確かに今の世論をみても、何かの弾みで一方方向に極端に流れてしまい、異なる意見を排除したりバッシングしたりする傾向が非常に強い。

これは危険な傾向である。

そもそも民主主義とは効率の悪いものである。

多様な意見を持つ者同士が粘り強く議論を重ね一つ一つ決めていく。

時間がかかって当たり前なのである。

しかし、これを避けては自由な民主国家は成立しない。

私達は、とかく効率性を求めてしまいがちだが、そこに危険な落とし穴があることを考える必要がある、ということであろう。

2012年12月29日 (土)

検察崩壊/郷原信郎

51v7on2kfl__aa278_pikin4bottomright 私の視点をお話しします。日本で、歴史的な政権交代が二〇〇九年にありました。日本の場合は大統領制でなく、衆議院で一番多く議席をとった政党の代表が総理になるという形をとりますから、あの時点で、もし西松建設事件での検察捜査がなかったら、民主党が政権をとった段階で、おそらく小沢代表が総理になっていたのは間違いないと思います。それが喜ばしいことか小沢氏が好きか嫌いかという問題は全く別として、民主主義の下で、選挙で民主党が選ばれた以上、代表の小沢氏が総理になるというのが当然です。
 ところが、検察の捜査によってそれが阻まれてしまった。しかも、この検察の捜査自体に非常に大きな問題があったということになると、これは私の見方からすれば、クーデターです。

本書は元検事の郷原氏と小川敏夫前法務大臣、石川知裕衆院議員、大坪弘道元特捜部長、八木啓代氏ら4人との対談によって構成されている。

上記は対談の中で八木氏が語った内容。

郷原氏はこの4人との対談の内容を総括して「検察の正義」が崩壊したと述べている。

大阪地検の「郵便不正事件」における証拠改ざん事件など、普通では考えられない事件。

何しろ無実の人間を、自分たちの描いたシナリオ通りに有罪に持ち込もうとしているのだから。

挙げ句の果て、都合の悪い証拠は出さず、証拠を改ざんする。

まさに正義の崩壊である。

特に小沢氏の西松建設事件を取り上げ、その危険性を述べている。

日本の検察の起訴有罪率は99.7パーセント。

世界的にみれば信じられないほど高い。

だから、検察に起訴された時点で、世間は「こいつは何かやっているに違いない」と思ってしまう。

もし検察の側で都合の悪い人物がいたとすると、起訴すればよい。

そうすれば社会的に葬られてしまう。

検察のクーデターだという表現も大げさではない。

民主主義が踏みにじられた問題である。

これが許容されるということになると、検察はこれから気に入らない政治家に対していくらでも起訴立件を試みることによって本当に、思い通りに政治を動かすことができる。

逆に政治家の方も、それを恐ろしいと思ってしまうと、絶対、検察に逆らうことができなくなってしまう。

これは恐ろしいことである。

ただ、これは今に始まったことではなく、検察庁という組織の成立以来、ずっと行なわれてきたこと。

最近になって、これらが表面化してきたということで、これを契機によい方向に向かうのでは、と思いたいものだ。

2012年12月28日 (金)

新版 戦略PR/本田哲也

51yrlo4zsdl__aa278_pikin4bottomrigh 「空気」とは、こういうものだ。その場にいる人々の多くが、暗黙のうちに共有している情報や意識の集合体。本物の空気と同様で、普段は誰も意識することなどないし、目で見たり手で掴んだりすることもできない。しかし、その匂いや熱さ、風向きは、意識を鋭敏にすれば誰もが感じることができる。そんな存在だ。

モノが売れなくなっている。

また企業の発信する情報が消費者になかなか伝わらなくなってきている。

その原因は二つあると著者はいう。

一つは、量のハードル

もう一つが、質のハードルだ。

量のハードルとは、現代は情報が溢れかえっているということ。

企業が伝えたい商品の情報は消費者が受け取る情報総量の何万分の一にしかすぎない。

質のハードルとは、企業が伝えたいことの中身を見る目が厳しくなっている、ということ。

特に日本の消費者の商品を見る目は厳しい。

そしてそんな時代には「戦略PR」が必要だと主張する。

「戦略PR」とは何か?

一言で言えば「空気」をつくる手法。

消費者を「買いたい気分」にさせる「空気」

商品を売るためにつくりだす「空気」

そして「空気」とは人々が暗黙のうちに共有する情報の集合体である。

PRを「宣伝」と捉えている人は多い。

PRとは、本来はパブリック・リレーションズ(Public Relations)の略。

直訳すれば、「公的な(=Public)関係性(=Relations)」という意味。

仮に企業だったら、消費者はもちろん、株主や取引先企業、従業員、メディアや専門家といった利害関係者たちと良い関係を築き、それを維持するということになる。

だから例えば、レコード会社が株主総会で、自社レーベルに所属する歌手のミニライブを開くのもPRだし、テーマパークが「県民の日」に限り、地域住民の入園料を割り引くのもPR。

また、企業が自社の環境保護活動を消費者にアピールし、イメージアップを図るのもPRだといえる。

要は、「自分の良さを宣伝する」だけでなく、「周囲との関係をいい感じにする」ことで、企業や組織がその目的を達成していく。

PRはそんな考え方である。

それを戦略的に行なってゆき「空気」をつくりだしていく。

その成功例が「サントリーのハイボール」や「ビリーズブートキャンプ」。

どちらも「空気」を戦略的に創り出しヒットに結びつけている。

つまり日本独特の「空気」というものを、単にそれに読むのでなく、戦略的に創り出すことが必要だということである。

日本独特の「空気」を肯定的に捉え、それを戦略的につくりだしていく、という著者の考え方は非常に印象に残った。

2012年12月27日 (木)

検事失格/市川寛

41xecis1xpl__aa278_pikin4bottomrigh 僕はとうとう、被疑者が一言も話していないのに、勝手に作文を調書にし、署名をもぎとってしまった。
 新任時代のけん銃不法所持事件でも後味の悪い自白調書をとっていたが、徳島地検での「自白調書」はそれとは比べものにならない代物だ。なぜなら、正真正銘の作文だったのだから。
 いわば僕はこのとき、それまで撃てなかった鉄砲を初めて撃って被疑者をしとめてしまったようなものだ。
 だが、僕はこうして被疑者をしとめたことでついに「検事」になった。検察庁が求めるところの検事に改造されたのだ。 受験生時代から「ダイバージョンを実践することこそ検事の務めだ」と理想に燃えていた僕と完全に決別した瞬間だった。

冤罪はどのようにしてつくられるのか。

そこには検察庁という組織のもつ問題と無関係ではない。

日本は刑事裁判有罪率99%だという。

逆に言えばその裁判に関わる検事は、検察庁の面子にかけて被疑者を有罪にしようとするということ。

それこそあらゆる手を使って。

もし万が一無罪にでもなったら、それは検察庁の面子が潰されたことになり、許されないこと。

よく「疑わしきは罰せず」が原則だというが、検事は最初からクロだと思って被疑者を問い詰める。

自白の強要など当たり前、

時には一言もしゃべっていない被疑者の自白を検事が作文し著名させる。

冤罪が生まれる理由がここにある。

本書は元検事の実名告白である。

理想に燃えて就いた検事という職。

その理想が組織の力によってどんどん狂わされていく。

そしてやがて一線を超えてしまう。

著者はそのことを生々しく語っている。

でも、おそらくこれは氷山の一角なのだろう。

恐ろしい世界である。

2012年12月26日 (水)

ビジネス寓話50選/博報堂ブランドデザイン

Photo 昔々、ひとりの木こりが材木屋に仕事を探しに行った。給金はよく、仕事の条件もさらによかったので、木こりはそこでしっかり役に立とうと決心した。
 最初の日、親方のところへ挨拶に向かうと、親方は斧を1本手渡して森の一角を割り当てた。男はやる気満々で森に向かい、その日1日で18本の木を切り倒したのだった。
 「よくやったな」親方は言った。「この調子で頼むぞ」
 その言葉に励まされて、翌日はもっと頑張ろうと早めに床に入った。
 翌朝は誰よりも早く起きて森へ向かった。ところがその日は努力も虚しく15本が精一杯だった。
 「疲れているに違いない」そう考えた木こりはその日、日暮れとともに寝ることにした。
 夜明けがくると、18本の記録を超えてやるぞ、と心に決めて床を出た。ところがその日は18本どころかその半分も切り倒せなかった。
 次の日は7本、そのまた次の日は5本、そして最後には夕方になっても2本目の木と格闘していた。
 なんと言われるだろうとびくびくしながらも、木こりは親方に正直に報告して、これでも力の限りやっているのです、と誓った。
 親方は彼にこう訊ねた。「最後に斧を研いだのはいつだ?」
 「斧を研ぐ? 研いでいる時間はありやせんでした。木を切るのに精一杯です」

本書は、ビジネスに関係ある寓話50が収められている。

物語力という言葉がある。

同じ内容のことであっても物語という形で語った方がよりよく相手に伝わる。

単なるロジックで構築された言葉だけだと伝えきれない部分が、物語で伝えることにより、その欠けた部分を埋めることができる。

人は相手の言葉が頭で分かっただけでは動かない。

その言葉がおなかの中に落ち納得しないと動かない。

そのために物語で語る力を養うべきだ。

上記は本書の50ある寓話の中の一つ。

ここで言いたい事は、

「時間がない」といいながら「斧を研ぐ」ことを怠っていたらますます効率が悪くなり時間を無駄にしてしまうことになる。

ここは立ち止まってしっかりと「斧を研ぐ」必要がある、ということ。

つまり、「時間がない」「忙しい」からこそ、ここは立ち止まって「斧を研ぐ」つまり自己研鑽し自分の能力や生産性を高める努力をする必要がある、という教訓である。

これなど、そのまま研修の場で使えそうな話材である。

2012年12月25日 (火)

心にしみる31の物語/小倉広

51wpnwvkv9l__aa278_pikin4bottomrigh 人が本質的に変わるとき。劇的に成長する時は必ず「心技体」だ。
 しかし、最初に「心」が変わることは難しい。それを実現するには、みっちりと時間をかけ、深く深く心の奥底に働きかけるプロセスが必要だと僕は思う。上司からアドバイスをされたり、本を読んだからといって、そう簡単に「心」が変わることはありえない。そんなときは「体技心」の方が現実的だ。まずは部下に体を動かさせる。型を覚えさせる。言われた通りやってみるように部下を導くのだ。その後に、その動作を通じて、奥底に眠る「心」に気づかせる。柔道家が道場に入るとき、一礼をする。その動作を何千回と繰り返した後に初めて、その「心」に気づいていく。そのプロセスを部下に踏ませるのだ。
 時間はかかるものの、その方が現実的ではないか。

「心が変われば行動が変わる」という言葉がある。

まったくその通りである。

ところが、その通りにいかない現実がある。

その場合、逆の発想をすることが大事。

つまり、行動を変えることにより心を変えるというやり方。

言うなれば、逆アプローチである。

一方が変われば、必ずもう一方にも影響を及ぼす。

これをうまく利用することだ。

「悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか」

どちらも正しい。

このくらい心と体は密接な関係がある。

企業経営は社員の行動を変えてナンボというところがある。

社員の行動が変わらなければ何も生み出すことはできない。

だったらまず行動を変えるというアプローチをすることである。

「行動が変われば心が変わる」

これもまた真実である。

2012年12月24日 (月)

素人の顧客の意見は聞くな/永江一石

41vs2iktrzl__aa278_pikin4bottomrigh ジョブズの語録より
◆消費者に、何が欲しいかを聞いてそれを与えるだけではいけない。
◆製品をデザインするのはとても難しい。多くの場合、人は形にして見せて貰うまで自分は何が欲しいのかわからないものだ。

 素人 = ノーアイデア なのである。
 できたものについてあれこれは言えるが、存在してないモノに対しては意見を期待しても意味が無い。(中略)
 本当の商品企画というものは、独善的に「ユーザーに思いつかないような斬新なコンセプト」が閃めくような人しかできないということです。

アップルの創始者、スティーブ・ジョブズはマーケティングは行なわなかったという。

またやったとしても、その結果を信じなかった。

むしろ、自分のつくりたいものをつくった。

そこから革新的なiPodやiPhoneが生まれた。

そのことから考えると、従来型のマーケティングには限界があるということであろう。

マーケティングを簡単に言うならば、①仮説を立てる②実践する③結果を解析する④それを元に再仮説を立てる、の繰り返しを延々としていくだけのもの。

これで経験値を積み、次々と再仮説からブラッシュアップして次に活かす。

これだけのこと。

おそらく大部分の企業がこの通りのことを行なっていることだろう。

ただ、問題はこのようなプロセスの基につくられるものは、ほとんど似通ったものになってしまうということ。

これでは他社と差別化できない。

また、顧客に感動を与えるようなものはできない。

この部分がマーケティングの限界なのだろう。

では、この壁を超えるにはどうすればよいのだろう。

ジョブズのような天才にはそれができた。

では、天才ではない凡人には何もできないのか?

それが問題だ。

多くの日本企業が直面している問題もこれではないだろうか。

2012年12月23日 (日)

見通す力/池上彰

Photo 「見通す力」は、占いのようなものではありません。
 誰にでも手に入る情報をいくつも集め、その中から信頼できるものを選んでいく過程で、次第に身につく力です。
 将来を見通していく作業は、いってみれば、おいしい料理のつくり方に似ています。
何をつくるか決めた後、普通は食材を、特別な店ではなく、近くのスーパーマーケットやコンビニなどで買いますよね。そのとき、店頭に並んだ食材の中から、新鮮で傷みの少ないものを選ぶはずです。選んだ食材は、つくる料理に合わせて適当な大きさに切り、食材の味を引き出すように煮たり妙めたり、調味料を使ったりします。できた料理は、おいしそうに見える皿に盛りつけて、完成です。
 一方、将来を見通すための作業は、次のような流れからなっています。

見通すテーマを決める→情報を集める→情報を選別する→仮説を立てる→仮説を検証する→仮説が間違っていた場合、もう一度仮説を立て直す→その仮説を検証する

池上氏は、先日の衆議院選の特番でキャスターをつとめていたが、他のキャスターの報道とは一味違っており非常に興味深かった。

視聴者がふと疑問に思う事柄をわかりやすく解説していて、改めて、分かっているつもりになっていることがあまりにも多いことに気づかされた。

いつも思うのが、あのような深い知識をどのようにして得ているのだろうということである。

本書は、池上氏が普段どのように情報に接し、それを自分のものにしているのかを述べている。

将来を見通すというと、何か特別な情報源があるように考えてしまいがちだが、

池上氏の場合、そのようなものはないということ。

新聞、雑誌、書籍という、誰もが接することのできる情報を基に、それを整理し、仮説を立て、将来を見通す、ということ。

つまり昔から確立されているスタンダードなやり方を徹底してやっているということである。

逆に言えば、誰もが真似できそうな基本的なことを徹底してやっいるところに、非凡さがあるのだろう。

2012年12月22日 (土)

グーグル ネット覇者の真実/スティーブン・レヴィ

51rlso5c5sl__aa278_pikin4bottomrigh 私が目撃したのは、常に期待どおりの成果を出せなくても、創造的な秩序の破壊を楽しんでいる企業の姿だ。2人の創業者の目標は最初から、人工知能を使って人間の能力を拡張することであり、グーグルをそのための手段と考えていた。その夢の実現のために、巨大な企業を築く必要があったのだ。
 と同時に、なるべく小回りが利き、権威に否定的で、誰の指図も受ける必要のない新興企業の気ままさを維持しようとした。

スタンフォード大学で博士課程に在籍していたラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンによって設立されたグーグル。

「人類が使うすべての情報を集め整理する」という壮大な目的を持って設立された。

基本的にはインターネット上での検索エンジンを開発・運営する会社である。

やがて、このテクノージーで世界を変えてしまった。

今や、グーグルの検索エンジンのお世話になっていない人はほとんどいないであろう。

日本ではヤフーの方が利用者は多いが、ヤフーの検索を利用しているように思っていても、それはグーグルが提供したもの。

他のウェブサイトと違い、グーグルのホームページは至ってシンプル。

普通、ホームページのトップの面は、様々なメニューを所狭しと配置するものだが、グーグルのは白いスペースが多く、検索語を入力する検索ボックスと、その下に二つのボタンがあるだけ。

ひとつは通常の検索ボタン、もうひとつには「I'm Feeling Lucky」と表記されている。

これこそ、グーグルの性能に対する驚くべき自信の表れなのだろう。

このボタンから、世界中の情報にたどり着くことができる。

本書は、グーグルの設立から現在に至るまで、著者のインタビューした内容を中心に述べられている。

創業が1998年だから、まだ14年しか経っていないことになる。

順風満帆にみえるが、プライバシー問題、中国撤退騒動、独占禁止法違反容疑等、様々な危機にも直面し乗り越えてきている。

その歩みを一言で表すならば「創造的な秩序の破壊を楽しんでいる企業の姿」である。

今や巨大企業に成長したグーグルが今後どのような動きをしていくのか、本書を読んでますます興味が沸いてきた。

2012年12月21日 (金)

日本語は本当に「非論理的」か/桜井邦朋

41bbciup32l__sl160_ 「思う」という表現で、私が最も驚いたのは、わが国の国家としての存立のための基本法ともいうべき「日本国憲法」の前文の中に出てくるものである。
 前文の終わり近くに、英文の表現で次のような文が出てくる。
 We desire to occupy an honored place in aim international society・・・
 これが、日本国憲法の前文の日本語による表現では、次のようになっている。
 「……名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは……」
 英文のdesire to occupyの部分が、「占めたいと思ふ」と翻訳されているのである。わが国の憲法の草案は元々、当時の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)で作成され、それを骨子に、現行の日本国憲法が成文化されたのだから、先のように日本文に翻訳したのは、この成文化に当時尽くした個人か、その任に当たった数人であると推測される。
 この憲法前文の件の個所で、英文の表現では、占めたいと“望む”、あるいは。“希望する(desire)”となっており、“思ふ”という単語はどこにもない。ここに用いられている“思ふ”は、願望を表現しているのだと解してよいので、“望む”、あるいは、“希求する”といった表現を和らげるために、“占めたいと思ふ”という表現にしたのではないか、というのが私の見方である。

私たちはよく「思う」という言葉を使う。

スポーツ選手が試合前に「相手は強いと“思う”ので、しっかり戦わなければならないと“思います”」、「がんばりたいと“思います”」と、やたら「思う」という言葉を使う。

テレビのアナウンサーも「これから番組をはじめたいと“思います”」と、「思う」という言葉を頻繁に使う。

しかし、これほど曖昧な言葉もない。

逆に考えれば、「思う」という言葉は非常に便利な言葉だとも言える。

辞書を引いてみると、「思う」という言葉には13通りの用法があるという。

①考える②懸念に関わる表現③見なす④信じる⑤予期⑥回想⑦感じる⑧希望⑨誤認⑩つもり⑪怪しむ⑫想像⑬念願、

英語であれば、それぞれ違う言葉があるのだが、日本人はそれらを全て「思う」と表現してしまう。

つまり「思う」という言葉は非常に便利な言葉である反面、日本人から論理的に考えることを奪ってしまっている。

自分はこう「考える」のか、「見なす」のか、「信じる」のか、「予期する」のか?

英語であれば用途に応じて言葉を使い分ける必要があるのに、日本語では「思う」という言葉を使えばすんでしまう。

そしてなんと、憲法の前文に、本来「希む」と表現すべきところを「思ふ」という言葉が使われているという。

日本人が論理性を身につけるためには、まず「思う」という言葉を使わないことから始めるべき、という著者の主張は、一理ある。

2012年12月20日 (木)

結果は「行動する前」に8割決まる/金田博之

8 新しい環境で、初速を上げて早く結果を出すことは、きわめて大切です。
 元サッカー選手の中田英寿さんは、1998年にイタリアのサッカープロリーグ・セリエAのデビュー戦で、2得点という大活躍を見せました。中田さんは、このゴールにより、日本人ということで冷ややかに見られていた評価を一転させ、信頼を集めるようになり、彼のキャリアの礎を築きました。
 ビジネスの世界においても、サッカーの世界と同様に、短期で結果を出すことはとても重要です。

本書はグローバルIT企業で、世界上位2%に6年連続で選出されるなど、第一線で活躍する著者が、世界中の仕事のできる人たちと仕事するなか修得したノウハウをまとめたもの。

グローバルな世界で結果を出す人は何が違うのか?

一つは「初速」の違い。

海外と日本のスピードを比べたときに驚いたのが「初速」だという。

海外では、何か決まったことを実行し、それを軌道に乗せて最初に何らかの結果を出すまでの初速が非常に速い。

物事に取りかかってはじめの段階で目に見える結果をだしてしまえば、後の仕事が非常に楽になる。

後はある程度自分のペースで仕事を進めることができるようになる。

始めに結果を出せば、周りも巻き込みやすくなる。

全てがうまく回るようになる。

つまり強いプレッシャーの中で結果を出す方法を知っているというのである。

確かに日本人の仕事の仕方は、コツコツ取り組んで最終的に結果を出すというスタイルが多いのではないだろうか。

たとえて言えば、日本は長距離走、海外は短距離走、

これが海外との決定的な違いなのだろう。

本書ではこのような、著者が海外で学んだ結果を出すためのコツがその他にも多く紹介されている。

仕事のできる人というのは、このような結果を出すコツを複数修得している人だといえよう。

2012年12月19日 (水)

ザ・ラストバンカー/西川善文

Photo リーダーシップとは、直面する難題から逃げないことである。
 リーダーが逃げないから部下も逃げないし、前のめりで戦う。経営の責任者とはそういうものではないだろうか。遅滞なくスピード感を持って決断する。それは時に本当の意味でトップダウンであったろうし、時には部下たちが周到に根回しした案件を私がスパッと決断したものでもあったろう。それを「西川の独断」と評す人たちがいたが、私にすれば決断の現場の実態を何も知らない人の批判に思えてしかたがなかった。

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、小泉郵政改革等、数々の厳しい現場に立ち会った西川氏の回想録である。

一貫してあるのは「破綻処理と再建」というキーワードである。

破綻処理にも再建にも当然ながら痛みを伴う。

痛みを伴わない破綻処理や再建があるというのならば、それは論理矛盾というものだ。

痛みが伴わないのであれば経営が破綻することなどあり得ないからである。

傷んだ企業の傷んだ事業と傷んだ資産を建て直すとは、雇用と事業をどこまで守るべきなのかを痛みを持って決断することである。

と同時に、どんなに非難を浴びようが、切るべきものは切るという大胆さと非情さが必要になってくる。

西川氏の回想録を読むと、リーダーシップとは何か?ということをいやがおうにも考えさせられる。

2012年12月18日 (火)

世界は日本サッカーをどう報じたか/木崎伸也

Photo オランダ戦が終わった直後、ドイツ国営放送のアナウンサーが、日本の選手たちの表情に食いついた。
「何てことでしょう。何ということでしょう!日本は負けたにもかかわらず、選手たちは負けたという顔をしていません!」

ことサッカーに関する限り、日本は後進国である。

確かに近年、ワールドカップに連続して出場するようになり、アジアにおいてはやっと強豪国の仲間入りを果たしたが、

サッカー選手や組織の質と量、サッカー文化の成熟度やファンの見る目等をみてみると、先進国とはとても言えない。

本書は、前回の南アフリカワールドカップに出場した日本代表チームを世界のサッカー先進国はどう見たかを述べたもの。

日本代表の岡田監督は当初、ベスト4を目標に掲げていた。

一方、日本のファンやマスコミの大方の予想は予選突破も危ういというものだった。

ところが、いざふたを開けてみると、予選リーグを2勝1敗で突破し、決勝トーナメント1回戦で敗退となった。

この結果に対し、「感動をありがとう」と日本のファンやマスコミは概ね好意的だった。

では世界のサッカー先進国は日本代表チームをどのように評価したのか?

ドイツのマスコミは予選リーグ1回戦の対カメルーン戦を「今回のワールドカップのワーストマッチ」と評し、

決勝トーナメント1回戦の対パラグアイ戦に至っては、スペインのアナウンサーは「視聴者のみなさんに、こんなひどい試合をお見せしたことを謝りたい」と実況したという。

随分と違うものだ。

でもこれが世界の日本サッカーに対する評価なのだろう。

特に昔から言われていることではあるが、日本の決定力不足は深刻だ。

ドイツにはこんな格言があるという。

「死んだ屍の上を、歩いて越えていけるか」

想像するだけで、恐ろしい。

だが、とても強烈な言い回しだ。

戦いに勝つには、屍を踏みつけて進んでいくほどの覚悟が必要だ、という意味である。

ドイツの伝説のFWたちは、それを共通して持っているとかつて浦和レッズでプレーしたブッフバルトは断言する。

それに対して、日本人はゴールへのこだわりが足りないと、ブッフバルトは浦和を率いているときに感じたという。

サーカーが点を取るスポーツである以上、やはりこの点が一番の違いなのだろう。

2012年12月17日 (月)

ワーク・シフト/リンダ グラットン

96958a96889de6e4e5e2e2e2e0e2e0ebe2e〈第一のシフト〉は、一つの企業の中でしか通用しない技能で満足せず、高度な専門技能を磨き、ほかの多くの人たちから自分を差別化するために「自分ブランド」を築くこと。

〈第二のシフト〉は、難しい課題に取り組むうえで頼りになる少人数の盟友グループと、イノベーションの源泉となるバラエティに富んだ大勢の知り合いのネットワーク、そしてストレスを和らげるための打算のない友人関係という、三種類の人的ネットワークをはぐくむこと。

〈第三のシフト〉は、大量消費主義を脱却し、家庭や趣味、社会貢献などの面で充実した創造的経験をすることを重んじる生き方に転換すること。

未来の世界で私たちはどんな働き方をしているのだろうか?

多くの人がこのことを考えている。

この問いに応えるような形で書かれたのが本書である。

2025年に私たちはどんな働き方をしているのだろうか?

また、どんな働き方をする必要があるのだろうか?

著者は働き方を変える3つのシフトが起こるという。

第一に、「ゼネラリスト」から「連続スペシャリスト」へのシフト。

世界の五〇億人がインターネットにアクセスし、つながり合う世界が出現すれば、ゼネラリストの時代が幕を下ろすことは明らか。

それに代わって訪れる新しい時代には、専門技能の連続的習得を通じて、自分の価値を高めていかなくてはならない。

未来にどういう技能と能力が評価されるかを知り、その分野で高度な技能を磨くと同時に、状況に応じて柔軟に専門分野を変えることが求められる。

また、個人の差別化がますます難しくなるなかで、セルフマーケティングをおこなって自分を売り込み、自分の技量を証明する材料を確立する必要性も高まってくる。

第二に、「孤独な競争」から「みんなでイノベーション」へのシフト。

私たちは、職業生活とキャリアを成功させる土台が個人主義と競争原理であるという常識を問い直すべきだ。

私たちがいつも時間に追われ、孤独を感じる傾向がさらに強まれば、人間同士の結びつき、コラボレーション、人的ネットワークの重要性がきわめて大きくなる。

難しい仕事に取り組むときに力になってくれる人たちも重要だし、斬新なアイデアの源になりうる多様性のあるコミュニティも重要だ。

活力を補給し、精神のバランスを保つためには、親密で、温かく、愛情のある人間関係も欠かせない。

バーチャル化がますます進む世界では、そういう人間関係が当たり前に存在するわけではない。

そのような人間関係は、意識的に形づくっていかなくてはならなくなる。

第三に、「金儲けと消費」から「価値ある経験」へのシフト。

私たちは、どういう職業人生が幸せかという常識を問い直すべきだ。

これまでの常識どおり、貪欲に大量のモノを消費し続けることが幸せなのか。

それとも、そうしたライフスタイルが代償をともなうことを明確に認識したうえで、質の高い経験と人生のバランスを重んじる姿勢に転換するほうが幸せなのか。

このことを自らに真剣に問うことが必要だ、と。

本書で言っていることを要約すればこのようなことなのだが、いずれにしても、今後働き方が大きく変わってくることは確かなことだろう。

そして、私たちのすべきことはこれを先取りして、今何をなすべきかを察知し、アクションをおこすことではないだろうか。

2012年12月16日 (日)

陰の季節/横山秀夫

9784167659011 「なあ、部長の現役の頃ってどんなだったんだ?」
「凄かったよ」
「何が?」
「全部さ」
「スーパーマンか」
「まあ──」
 お前ら警務の連中にはわからんだろうが、のところを飛ばして、前島は続けた。
「例えばこうだ──犯人は現場に戻らない」
「なんだそれ、部長の台詞か」
「ああ」
「戻るんだろう、現場に?」
「いや、実際戻らねえんだ。過去十年ぐらいのを調べてみたら、どいつも犯行現場には寄りついてねえ」
「へえ、それで一同、びっくりってわけか」
「そういうことじゃねえんだよ」
 前島は少しむきになった。
「普通に刑事ドラマ見て育ってりゃ、お前が言ったみたいに、ホシは現場に戻る習性があるって思い込むわけよ。じゃあ、実際にヤマ踏んだらどうするよ? 現場なんざ戻らねえよ。パクられると思うからな。わかるだろ?」
「ああ」
「部長は暗にそれを言ってるわけよ。デカ部屋で後生大事に引き継がれてきた金言だって時効ってもんがある。きょうび、デカや鑑識のネタなんてな、俺たちの想像以上に娑婆にタレ流しになってんだ。デカよりデカの知恵を持ってるホシもいる。要は、デカが、俺はデカでございって自惚れを捨てる。そこからホンモンのデカが生まれてくる、ってな」

横山秀夫の短編だが、非常に面白かった。

警察組織のことが詳しく描かれており、特に天下りとはどのような形で行なわれるのかが描かれていて参考になる面も多い。

中でも興味深いのは、その事件解決のカギが「犯人は現場に戻ってくる」というこのこれまでの刑事の常識を覆すことにあった、というもの。

この元刑事は「犯人は現場に戻らない」という仮説をもとに犯人を追い詰めていく。

常識を疑うことから問題解決の糸口が見えてくる。

つまり、私たちが様々な問題を解決しようとするとき、壁になるのは「常識」というもの。

「常識」はある面、思考停止を助長する。

聖域を設けてしまうのである。

これなど、ビジネスの現場にそのまま当てはまるのではないだろうか。

2012年12月15日 (土)

虚構の大義/五味川純平

Bgs12660 大体、日本の用兵家は、小兵力をもって敵の大兵力を撃破または拮抗し得ることを戦術の妙とする、心得ちがいが多かったといえる。織田信長の桶狭間が讃美される所以である。大兵力を迅速に集中して敵の小兵力を破るのが戦理であるにもかかわらず、鶏を割くに何ぞ牛刀を用いんや、といって嗤うのだ。この兵術思想が、しばしば、兵力の逐次投入という最も拙劣な、結果的には最も不経済な戦争指導に陥ることになる。

本書は、元関東軍の兵士だった著者が、自らの戦争体験をベースに書いたもの。

軍隊がいかに理不尽な組織であるかが生々しく書かれている。

そして、犠牲になるのはいつも第一線の兵隊たち。

著者の経験によると、兵隊たちが戦闘を好んだことはないという。

戦闘を好むのは、後方の司令部にいる作戦参謀だけ。

彼らにとって戦闘は、作戦を立てて将棋の駒を動かすのにひとしい。

敗けても、作戦参謀が死ぬようなことはめったにない。

勝てば勲章もの。

その次が、高級指揮官から下級指揮官の順。

戦闘がなければ勲章はもらえない。

勲章は出世への招待券。

だが、兵隊となると、そうはいかない。

武勲をたてておだてられたところでたかが知れている。

吉報が来る前に弾丸が飛んでくる。

死ぬのは戦闘を好む順番とは大体逆なのである。

そして、その軍事作戦は、過去の成功体験に基づいている。

確かに歴史をひもといてみると、信長の桶狭間の戦いなど、小兵力をもって敵の大兵力を撃破したことがある。

しかし、それはあくまでレアケースであって、作戦を立てる場合には、まず何よりも人数や兵器の量をもって敵を圧倒することが基本的な考え方であろう。

合理性のかけらもないというのが実感である。

そして、戦後半世紀以上が経過した現在も、この体質はそのまま引き継がれているような気がする。

2012年12月14日 (金)

撤退の本質/森田松太郎、杉之尾宣生

Photo 蛇の目ミシンと比較してみると、ブラザーが事務用機器の生産に転進したのは慧眼だと思います。仮に、メインのミシンにこだわり事業の主力を事務用機器に転進していなければ、今日の姿はなかったでしょう。先を見る目の確かさを感じます。ブラザー工業は計画的に事業の展開を実施しています。進み方は大変堅実で、ミシンで鍛えた技術の延長線で事務機に進出し、プリンティングを中心にオフィス用事務機に狙いをつけ開発しています。

私が子供の頃、ブラザー、蛇の目、と言えばミシンのメーカーだった。

でも、今、ブラザーからミシンを想像する人は若い人の中にはあまりいないのではないだろうか。

今や、ブラザーと言えばファックスやプリンターといったオフィス用事務機のメーカーであり、グローバルな事業展開をしている。

一方、蛇の目ミシンは、明らかに遅れをとってしまったと言えよう。

「会社の寿命30年説」というのがある。

これは会社が30年で駄目になるというのではなく、会社の主力事業は30年ぐらいで衰退する傾向があるということ。

世の中の変化を見通す力がなければ変化についていけず、事業は困難に遭遇し極端には事業から撤退、転進の時期を失い没落する。

人は過去の成功体験を忘れられないものである。

しかし、それにこだわっていると、撤退のタイミングを失してしまうことになる。

今の日本の大手家電メーカーがまさにそれではないだろうか。

撤退の時期を誤るとあっと言う間に存亡の危機に陥るということである。

そして会社は絶えず将来の変化を洞察しその対策を立てていく必要があるということ。

また、現在好調の会社であっても、将来も好調であるという保証はないというのもまた事実である。

2012年12月13日 (木)

ネット帝国主義と日本の敗北/岸博幸

Photo ネット上では、コンテンツ・レイヤーに位置するマスメディアやコンテンツ企業がプラットフォーム・レイヤーのネット企業に搾取され、同時にプラットフォーム・レイヤー上は米国ネット企業の帝国主義的な世界展開による一人勝ちという状態になっています。今起きているのは、米国ネット企業による世界のマスメディアやコンテンツ企業の搾取と、その結果としてのジャーナリズムや文化の衰退なのです。
 悪く言えば、米国ネット企業による世界のネットのコンテンツ・レイヤーとプラットフォーム・レイヤーの植民地化です。

グーグルやアマゾンなど、今やこれらのネットを利用しない日はないくらい日常生活に入り込んできている。

これは米国ネット企業による植民地化である、と著者は警告する。

陰謀というのは言い過ぎだろうが、私たちが知らないうちにネットなしには生活できないくらい、その思考や生活習慣が支配されてしまっていることは確かなようだ。

特に一番危惧されることは、ネットが浸透することにより、質のよいジャーナリズムが衰退してしまうのではないかということ。

今やネットを通してタダで新聞記事を読むことができるようになってきた。

もちろん、それは新聞記事の一部ではあるが、それであっても、日常生活に困らない位の情報は得ることができる。

これがひいては新聞販売部数の減少を招くであろうことは容易に想像できる。

新聞社の経営がくるしくなれば当然取材にお金をかけることができなくなる。

そしてやがてはこれらの要素が重なって質のよいジャーナリズムは衰退していく。

十分に考えられることである。

そして著者がもう一つ危惧していることは、日本のコンテンツ産業の衰退を招くのではないかということ。

近年、日本の強みとして見直されてきたものに、マンガやアニメ、日本の伝統文化といったソフトの部分がある。

国際政治の世界には「ソフトパワー」という概念がある。

武力や経済力といった相手国を押し倒す力である「ハードパワー」に対峙する概念で、

周りの国を自国のファン、味方にすることによって、国際合意の形成などで有利な立場に立つという、相手国を引き込む力を意味する。

ハードパワーは強くないけれどソフトパワーが強い国の典型例はイタリアである。

GDPは世界第7位で欧州の中では英独仏より下位と、経済力は他の先進国ほど強くないが、ローマ文明やルネッサンス文化の発祥の地、食文化の高さなど、文化の力が高く評価されている。

それ故に重要な先進国の一つとして認知され続けている。

経済力がこれから低下する日本が目指すべきは、イダリアのようにソフトパワーが強い国ではないだろうか。

ところがネットはこれらコンテンツさえもタダにしてしまう危険性がある。

これは日本にとって由々しき問題である、

と、これらが著者の主張である。

ただ、私自身の認識としては、そうは言っても時計の針をもとに戻すことはできないわけだから、むしろネットをうまく利用して、自らの価値を高めるようなモデルを創造することの方が大切ではないかと感じている。

もちろん、具体的に「これだ」という案があるわけではないのだが。

2012年12月12日 (水)

そうか、もう君はいないのか/城山三郎

41ppjjxtfal__sl500_aa300_ 私は、復員してからずっと、ひょっとすると今に至るまで、「はげしく人生が終り、別の生を生きている」という思いに捉われていた。自分を廃墟のように感じていたが、そんな余生に似た人生の中で、私にとって、たしかなものとは何であろうか、とぼんやり考えはじめた。はげしく生き、そして死んでしまった者たちに代って、私は、何ができ、どう生きればいいのだろう。私は大義の呪縛からいかにして自分自身を回復して行けるのだろうか。
 やがて私は、そうした問いかけに対して、小説という形で答えようと決めた。

本書は、作家城山三郎の妻との出会いから死別までをしるしたもの。

著者は人生の中で、二つの大きな喪失感を体験している。

一つは、終戦を迎え、多くの仲間を戦争で失い、自分だけが生き残ったことに対する喪失感、

もう一つは長年連れ添った妻を亡くしたという喪失感である。

前者は、小説家として生きていこうというエネルギーに転化された。

復員以来の虚脱の果てに、軍隊経験とは何であったか、「大義」とは何か、「組織と個人」とは何か、それを自分なりに咀嚼して、一篇だけでも書き残したい、

そんな一心から文学を志した、と述べている。

確かに城山氏の作品は「大義」とか「組織と個人」の問題を問うものが多い。

つまり、終戦の体験は、城山氏の小説家としての原体験となっているようだ。

しかし、妻との死別は城山氏から書く気力を奪っていった。

そう娘さんがあとがきで述べている。

それほど城山氏にとって妻とは大きな存在だったのだろう。

2012年12月11日 (火)

コンサルタントの読書術/大石哲之

51n56jbcpfl__aa278_pikin4bottomrigh 思い切って目的とする1つのノウハウだけ身につける。他のことは惜しいけれども今回は捨てる。1冊の本から多くを学ばない。
 これは裏返すと、本は全て読んではいけないということです。
「本を頭から全部読もうとせず、目的に沿った部分を早く見つけて、そこを中心に把握する」「把握したら、本の他の部分は捨ててしまって、さっさと目的を実践に移す」ということです。

仕事柄、本を読むということは欠かせない。

如何に読書を仕事の成果に結びつけるか、ということは永遠のテーマといってもよい。

その意味で、「○○の読書術」なる本があると、目を通してみたくなってしまう。

本書も、タイトルに惹かれて読んでみたものだが、書いてある内容は、ほぼ予想した通りのもの。

読書は目的によって読み方は自ずと違ってくる。

楽しむための読書も当然あってよいと思う。

私自身も小説の類の本を読む場合は、大抵このような目的のためのものである。

また、これは全く無駄ではないと思っている。

いわばハンドルのアソビの部分である。

しかし、アソビの部分ばかりでもよくないので、直接仕事の結びつけようとして読む本もある。

その場合、大切なのは目的である。

つまり、「何のためのこの本を読むのか」ということ。

これを明確にし、その目的に合致した部分だけを集中的に読む。

他の部分は流して読む程度。

これについては、著者が言っていることとほぼ同じである。

つまり「選択と集中」である。

これは仕事にも通ずる考え方である。

つまり、コンサルタントの仕事の仕方は、まず全体を俯瞰して、狙いを絞って集中して掘り下げる、といったもの。

そして、掘り下げ方は、仮説検証型で行なう。

読書はこの訓練にもなっている。

そして大事なことはインプットした内容を如何に効果的にアウトプットに結びつけるかということではないだろうか。

2012年12月10日 (月)

これだけ!PDCA/川原慎也

9784799101308「“当たり前”のことが“当たり前”にできる」「基本を徹底する」。
 このような話を様々なところで耳にしますが、そもそもの“当たり前”や“基本”のレベルを高めていくことが重要なのです。
 周囲が、「それはなかなか難しい」「それはレベルが高い」と感じるようなことまでを“当たり前”にしてしまえば、どこにも負けない、強いチームになるわけです。

「当たり前のことを当たり前にやる」

よく聞く言葉である。

特にその道のプロと言われる人がよくこの言葉を使う。

しかし、そもそも、一流と言われる人の「当たり前」のレベルと普通の人の「当たり前」のレベルとは違うのでは、という疑問がある。

つまり、一流の人が「当たり前」としていることは、普通の人にとっては相当頑張らないとできないことでは、ということ。

しかし、逆に考えることもできる。

そもそもどうして彼らは一流になれたのか。

それは普段から「当たり前」のことを「当たり前」にすることに取り組んできたから。

その内に「当たり前」のレベルが段々上がっていったということではないだろうか。

普段からPDCAサイクルを回す、つまり計画を立て、実行し、評価し、改善する。

これはいわば当たり前のこと。

これを着実にやれば、必ずレベルは上がっていく。

結局、PDCAサイクルを回すとは、こういうことではないだろうか。

2012年12月 9日 (日)

ハケン芸人/田中イデア

9784594064587「……それで、どうすれば相づち力がつくの?」
「教師、褒める親やね!」
「教師、褒める親? 何それ?」
「相づちパターンの語呂合わせやねん!」
「どういうこと?」
「『教師、褒める親』の『教』は共感、『師』は質問、『褒める』はそのままで褒める、『親』の『お』は驚く、『や』はやめるや。俺が考えてん! どう?」

本書は、幻の芸人、ポックリ小林が問題を抱えた会社に派遣され、ダメ社員を再生させてゆく、といった物語。

主人公の指導の対象は、無気力な若手社員、不倫中のアラサーOL、空回りの熱中上司を3か月で一流のビジネスマンに生まれ変わらせていく。

彼らの問題はなんだったのか?

一言で言えば、対人関係能力の欠如である。

本書では、そこに元お笑い芸人が派遣されダメ人材を再生させていくという設定になっている。

なぜ、お笑い芸人なのか?

それはお笑い芸人は対人関係においてはプロだから。

まず、お笑い芸人は収録や開演などの「時間を厳守」する。

スタッフや出演者に対して「きちんとした挨拶」をする。

さらに、番組内でも「空気を読みつつ前に出る」ことや、共演者のトークを「うまくフォローする」ことなど現代社会を生き抜くうえで必要とされる技術を数多く兼ね備えている。

つまり芸人たちのテクニックはそのままビジネスマンに応用可能なのである。

逆に言えば、このような本が出るほどに、今、多くの会社で対人関係能力の欠如している社員の扱いに苦労しているという現実があるということではないだろうか。

2012年12月 8日 (土)

ブレないリーダー/武田斉紀

9784904899168 ではなぜ福知山線の脱線事故は起こってしまったのでしょうか。
 安全が第一であることは、運転手だってわかっていたはずです。同社の企業理念を知らない一般の人にだってわかります。公共交通機関が最優先すべきことは安全以外にありません。つまり……。彼が安全を最優先することを何かが邪魔していたと考えるべきです。
 それはすなわち同社のリーダーたち、トップである社長、そして彼の上司たちがブレていたからです。企業理念では「安全第一」を掲げていながら、普段は「安全も大切だが、定時運行を優先しろ!」と現場で安全を預かるメンバーたちに伝えていたのです。
 言葉で直接的にかどうかはわかりませんが、叱ること、反省文を書かせることで現場の運転手が、いざというときに「安全」を優先することを邪魔していたのです。

リーダーに求められることの一つに「ブレない」ことがある。

では「ブレる」とはどういう状態のことを指すのだろう。

言っていることがコロコロ変わる、朝令暮改、などはその代表例だろうが、

一番の問題はやはり言行不一致ということであろう。

言っていることとやっていることが違う、

これほどリーダーの信頼を損ねることはない。

ではどうして言行不一致になってしまうのだろう?

それは「何を大切にしながら、何を目指すか」が明確になっていないからだと著者はいう。

そしてブレないリーダーになるためには次の三つが大切だという。

一つ目は「自分は結局どうありたいのか」を突き詰めていくこと。

二つ目は、「自分は結局どうありたいのか」について素直になること。

三つ目は、メンバーの声をよく聞くこと。

あとはそこから導き出された自分の考えを「信念をもって真摯に」ブレることなく伝え続ければいい。

それがリーダーに最低限求められること、だと。

今、選挙戦の真っ只中だが、各党の党首にそのようなものがあるのだろうか。

よく見極める必要がある。

2012年12月 7日 (金)

日本のいちばん長い日/半藤一利

Photo 放送局警備に派遣された東部軍の参謀副長小沼治夫少将が、立会いのため第八スタジオに姿を消したとき、事件が突発した。あっという間のできごとであった。スタジオの外の廊下に、その将校は憑かれたように眼を天井の一角にすえて立っていた。この将校の挙動に不審を感じたのは、東部軍参謀(通信主任)鈴木重豊中佐である。不安感が強く働いて、そばによると、「いまから陛下の放送がはじまるのであるが、警備をいっそうきびしくするように」と鈴木参謀が、その将校に声をかけた。そのとたんであった、将校は軍刀の柄に手をかけると荒々しく叫んだ。
 「終戦の放送をさせてたまるか。奴らをぜんぶ叩ッ斬ってやる」そしてスタジオに乱入しようとした。鈴木参謀はとびかかった。彼の両腕を後ろからはがいじめにし、必死になって暴れる将校をおさえつけて、大声で憲兵を呼んだ。将校はなお抵抗をやめようとしなかった。
 「いいか。不穏なことをさらにするようなら、斬りすててもいい」わめきながら、その男は連行されていった.それは天皇放送直前の、瞬時にして終ったできごとであった。彼は二十人余の部下をひきいていたので、もしそれらがスタジオ(副)に乱入していたらと思うと、鈴木中佐は慄然とするものを感じた。

本書は、昭和20年8月14日午後1時から翌15日正午の玉音放送までの24時間を、時系列で詳細に記述したノンフィクションである。

終戦の当日、戦争継続を主張する一部の青年将校を中心としたクーデターがあった。

最終的にクーデターは失敗に終わったわけだが、そこにいたるまではそれこそ薄氷を踏むような危うさの連続であった。

第二次世界大戦は今の私たちから見れば、どう見ても勝ち目のない戦争。

被害を最小限にするために一日も早く戦争をやめるべきだと考えるわけだが、戦争の継続を主張する青年将校たちにとって、それは売国奴の考え方。

戦争終結が早ければ早いほど損害が少ないからというのも、唯物的戦争観でしかないと結論づけられてしまう。

彼らの考え方は「合理性」とは真逆の考え方である。

万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合をとげる、これが日本の国体の精華であると、彼らは確信していた。

彼らの考えるところでは、戦争はひとり軍人だけがするのではなく、君臣一如、全国民にて最後のひとりになるまで、遂行せねばならないはずのものであった。

国民の生命を助けるなどという理由で無条件降伏するということは、かえって国体を破壊することであり、すなわち革命的行為となると結論し、これを阻止することこそ、国体にもっとも忠なのである、と信じた。

「狂気」いってもよいが、彼らもまた時代の子。

あの時代が彼らをつくったのである。

2012年12月 6日 (木)

日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方/山本敏行

4d7b6657s いくら目の前に「おいしい仕事」があっても、社員をつぶしてしまう可能性のある無理な仕事なら請けないなど、会社の芯がブレなくなったおかげで、社員が安心して仕事できるようになったのです。
 もちろん、経営的には目の前のキャッシュが欲しいことも正直ありました。それでも自分たちのやり方を信じて、「利益ではなく社員第一」を貫きました。
 すると、こんな変化も出てくるようになったのです。これまで、指示を出されて行っていた業務を社員が自分たちで考え、工夫するようになりました。例えば、顧客からの問い合わせについての対応をパターン別にテンプレート化して、誰が対応してもお待たせせずに初動対応できるように改善。私が一方的に指示していた時には、自分のことでいっぱいいっぱいだった社員が、経営理念を決め、社員の話に耳を傾けるようになると、自分から会社をよくするための仕事をするようになったのです。
 その結果、顧客のクレームも減り、創造的な仕事をする時間が増えて社員のモチベーションも上がり、顧客からの評価もよくなるという好循環が発生。社員満足を第一にすることが顧客満足にもつながるようになっていきました。

本書の著者、山本氏が社長を勤めるECスタジオはリンクアンドモチベーションの組織診断で「社員満足度が高い会社」として2年連続で日本一に輝いている。

それが本書のタイトルにもなっているわけだが、他の会社とどこが違うのだろうか。

例えば、「社員第一」という方針。

これなど、多くの企業がこれと同じようなことをうたっている。

ところが、それらの企業が皆「社員満足度が高い会社」になっているかと言えば、そうではない。

どこが違うのか?

結局、それは「本気度」ではないだろうか。

多くの会社は表面上は「社員第一」をうたっておりながら、不況になれば平気で社員の首を切る。

そこには「覚悟」がない。

結局、「社員第一」がスローガンに終わってしまっている。

社員もそれを見抜いている。

だから何も変わらない。

単純なようだが、本気になって「社員第一」を貫くこと。

経営者がこのことでブレないこと。

これさえできれば、会社は変わっていくのだろう。

物事の本質は意外と単純なことが多いものである。

2012年12月 5日 (水)

人を束ねる/久米一正

1106152741 そのベースとなっているのは、日立製作所で大型コンピューターの営業として働いた経験だ。ビジネスマンとして学び、教わり、会得したことが、いま生きている。  普通のビジネスマンの仕事とプロサッカークラブのフロントの仕事に違いはない。扱う商品が違うだけで、やっていることは同じ。言い方を変えると、ビジネスマンとしての常識、仕事の手法、しきたりをしっかり身につけていないと、サッカー界でもいい仕事はできない。プロサッカー界には、そのへんがわかっていない人がいる。いくらサッカーに詳しくても、それだけではこの世界で生きていけない。

著者はJリーグのGMの仕事のベースはビジネスマン時代に身につけたという。

スポーツの世界とビジネスの世界、

一見、違う世界のように見えて、マネジメントの手法は全く同じだという。

そう言えば、ベストセラーとなった「もしドラ」も、そのことを題材にしたものだった。

スポーツの世界にビジネスの世界のマネジメントをとり入れたらどうなるのか?という物語であった。

確かに、どちらの世界も組織をマネジメントすることに大差ないのであろう。

むしろ、別物と考えて、そのよい点を取り入れようとしない姿勢の方が問題だ。

例えば、スポーツの世界ではいまだに名選手がそのまま監督になるケースが非常に多い。

野球や相撲はその傾向が強い。

特に相撲の世界は今だに「かわいがり」と称して暴力まがいのしごきをしている。

これなど一般社会で到底許されないことがスポーツの世界で行なわれている典型例。

閉鎖された社会でしか起こり得ないことである。

一方、サッカーは意外と選手時代は無名だった人が監督として成功している例が多い。

一つはライセンス制度の仕組みによるところが大きいように感じる。

たとえば日本サッカー協会はJリーグのトップチームの監督としてチームを指揮する場合「公認S級コーチ」資格取得を必須条件としている。

どんなに名選手であろうとも、一定の資格を取得していなければ監督にはなれない。

当然彼らは、組織のマネジメントやコーチング、カウンセリング等、一定の知識を持っている。

「俺についてこい」式の経験則一辺倒の指導ではないはずだ。

この違いはどこからくるのだろうか。

一つはそもそものリーグの成り立ちによるところがあるのではないだろうか。

著者もそうだが、Jリーグの初代会長、川淵氏もそれまでは長い間、古河電工でビジネスマンとして過ごしていた。

しかも川淵氏は仕事の面でもかなりの業績を上げ、将来の取締役候補だったという。

つまりある程度成功したビジネスマンがJリーグの仕組みをつくっていったということ。

またJリーグの前身、日本サッカーリーグもアマチュア主体のチームだった。

つまり普段ビジネスマンとして働いていた人が選手として活躍していた。

その人達が今Jリーグの組織の基礎を築いている。

それに比べ、野球や相撲は、それこそ、その世界しか知らない元選手が組織をつくっている。

そこには当然不合理で前近代的な仕組みも含まれる。

大事なことは、スポーツとビジネスの壁を取っ払い、お互い良いものは積極的に取り入れていくという姿勢ではないだろうか。

2012年12月 4日 (火)

中国がなくても、日本経済はまったく心配ない!/三橋貴明

4898316379 日本の輸出依存度は「高度成長期」からせいぜい10%程度しかなかった。日本は「輸出により」高度成長したという定説は、完全に間違いである。別に「輸出は高度成長に貢献しなかった」などの極論を言う気はないが、いずれにせよ日本の高度成長は旺盛な個人消費と公共投資、そしてそれらの需要に向け拡大した企業の設備投資により達成された。

尖閣問題を発端に中国で大規模な反日デモが起こって以来、多くの日本の企業は撤退するかどうかの判断を迫られていると聞く。

ここでいつも「中国なしで日本はやっていけるのか」ということが問題になる。

そして、この議論の前提は、日本は貿易立国だからというもの。

ところが、本書で著者は、日本は貿易立国ではないと断言する。

日本は貿易立国だという固定概念を多くの人が持っている。

しかし、数字の上で見てみると、高度成長期からバブル崩壊にかけ、日本の輸出依存度はおおむね12%前後で推移している。

国際比較をすれば、非常に低い割合である。

しかも、中国への輸出は日本のGDPの3%にも満たないのが現実である。

では何が日本の成長を支えたのか?

それは個人消費である。

日本は第一次高度成長が始まった時点で、すでに個人消費がGDPの六割を占めていた。

その後、多少の上下変動はあるものの、日本の個人消費は常にGDPの六割前後で推移している。

日本の高度成長は、旺盛な個人消費や公共投資、それに輸出といった需要項目に対し、民間企業が設備投資を拡大することにより達成された。

すなわち、大方の日本国民の認識とは異なり、日本は高度成長開始時点ですでに「先進国型消費中心」の経済だった。

少なくとも、個人消費がGDPに占める割合が「着実」に減少していく、中国型投資依存経済とは全く異なる。

ちなみに、先進国の多くは個人消費がGDPの六割前後である。

唯一、アメリカのみが個人消費がGDPの七割に達している。

ある意味で、これこそが日中両国の高度成長の決定的な差異なのである。

だから、尖閣問題がこじれて、中国への輸出が全く駄目になっても、日本は全く問題ない、

むしろ、問題がこれから顕在化するのは中国だ、というのが著者の主張である。

著者の一連の著作の特徴は主張の裏付けとなる数字を明確にしているということ。

そして、全て数字で語っている。

それだけに説得力がある。

日本のマスコミの主張が一方的になりがちなだけに、本書を読むことによって丁度バランスがとれるのではないだろうか。

2012年12月 3日 (月)

岡本太郎の仕事論/平野暁臣

9784532261481 みんな先生のことをスーパーマンのように思っているみたいだけど、冗談じゃない。岡本太郎は生まれたときから岡本太郎だったわけじゃない。決意して、覚悟して、岡本太郎になったの。太郎さんだって、ほんとうは、弱い、普通の男の子。だけど、歯を食いしばって、最期まで岡本太郎をやり通した。きっと辛かったと思う。でも、けっして弱音を吐かなかったし、それを誰にも見せなかった。そこがすごい。だから愛おしい。そんなことも知らないで、みんな“先生は天才だから”とか“われわれ凡人にはとてもとても……”なんて言っている。それを聞くたびに、“甘ったれるな!”と蹴飛ばしてやりたくなる。

上記は岡本太郎の秘書、岡本敏子の言葉。

生涯一匹狼を通した岡本太郎にはひとりだけ戦友がいた。

ともに闘うことを許したただ一人の人間、それが岡本敏子である。

立場は秘書で、戸籍上は養女、実質的には妻だった女性だ。

半世紀にわたって太郎と伴走し、24時間行動をともにした公私にわたるパートナーだった。

敏子は秘書として仕事の交通整理をするだけでなく、すべての制作現場に立ち会い、編集者だった経験を生かして太郎の著作を次々と送り出した。

ノートと鉛筆を肌身離さず持ち歩き、太郎の口から放たれる言葉を一言漏らさず書き留めた。

大量にある著作も口述筆記でつくられた。

敏子は太郎専属の編集者だった。

これほど有能な秘書はそうはいない。

それだけではない。

敏子は太郎のモチベーションをかきたて続けた。

作品をつくるたびに「すごい、先生!すてき!次はなにを見せてくださるの?」と飛び上がって喜んだ。

褒めるのではない。無条件に喜ぶだけだ。

それがどれだけ太郎の力になったことか。

創造的な仕事をする者はみな孤独と不安のなかで生きている。

オレはこのままでいいのか、オレに才能はあるのか、オレはもうダメなんじゃないか……。

口には出さずとも、常にそうした恐怖と隣り合わせで闘っている。

太郎だって例外ではなかったはずだ。

無邪気に喜ぶ敏子を見て、自信がわき上がってきたことだろう。

天才と呼ばれた岡本太郎だが、本当の姿を知っていたのは敏子だけだったのかもしれない。

2012年12月 2日 (日)

パーソナル・プラットフォーム戦略/平野敦士カール

Image そもそも株式会社という制度自体、たった150年の歴史しかありません。毎日朝9時にオフィスに出社して8時間いれば給料がもらえるという時代は終わりました。これからは、オフィスがあって社員がいてというフレームは崩壊していくでしょう。
 現在、アメリカの労働人口の4人に1人は、インターネットを使って、自宅でひとりで働き、組織に所属せず、独立していると同時にさまざまな企業とつながってビジネスを行っている「フリージェント」と呼ばれる人々です。

今、ある一定年齢までは企業が、それを超えると国が年金で国民の収入を保障するという日本のモデルが、制度疲労を起こし始めているような気がする。

先日の改正高齢法では、65歳までの雇用の義務づけが明記された。

来年4月から施行される。

原則、本人が60歳以降も働くことを希望すれば、企業はそれを拒むことはできない。

勿論、これは年金の支給開始年齢の引き上げによる無収入期間が生じることへの対策なのだが、その負担を全部企業に押しつけた形だ。

でも、この制度が施行されても、今後、企業がこれまでと同じように新しい社員を雇用することができるのだろうか?

そして、これで本当に企業は競争力を保ち続けることができるのだろうか?

すごく疑問である。

そろそろ限界が見えてきているような気がする。

そもそも「働くこと」イコール、企業に雇ってもらうということではないはずだ。

既にアメリカでは、働く人の4人に1人は、自宅でひとりで働く「フリージェント」と呼ばれる人々だという。

日本もやがてはこのような形になるのではないだろうか。

いや、このような形にしていかなければ、日本は生き残っていけなくなってしまうのではないだろうか。

今日では個人でも、ITの普及によって、従来では考えられない位、低価格でビジネスを行なうことが可能になった。

これまで10人でやっていたことをパソコン1台でやることも可能になってきた。

本書で紹介するプラットフォーム戦略とは、「プラットフォーム」つまり「場」を創る経営戦略ということ。

ひとりでに、人や情報や知恵やお金が集まっくる「プラットフォーム」を創ることにより、自分ひとりでは思いも寄らなかったようなことが実現してしまうという戦略。

すなわち、「自分をプラットフォーム化する」というのは、自分自身を一企業に見立ててみるようなもの。

要はその「自分」という企業をどう育てていくかということであろう。

今後、社員の人生を会社が丸抱えする、という形は徐々になくなってくるのかれしれない。

2012年12月 1日 (土)

東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと/菅直人

Bt000019226900100101_tl 何しろ震災直後から、私のもとへは確かな情報がほとんど来なかった。こちらの指示も、現場で対応にあたっている人たちに本当に伝わっているのか分からない。何が伝わり何が伝わっていないのかも分からない。物事を判断するには、指示がしっかり当事者に伝わるか否かが大事だ。それが不明確だったので、直接確かめておきたかった。
 斑目委員長は現場を見て判断していたわけではない。福島第一原発へ行ったことはあるそうだが、何年も前の話だという。原子力安全・保安院もどこまで状況を把握しているのか、分からない。生の情報をいちばん持っているはずの東電も、現場から私に伝わるまで何人もが介入し、結局誰が判断しているのか、誰が責任者なのか、聞いても分からなかった。すべてが匿名性の中で行われていたが、吉田所長と会って、「やっと匿名で語らない人間と話しができた」という思いだった。

東電福島原発事故からもう一年半が経ったことになる。

今になって東電社内でのテレビ会議を撮影したVTRも公表されるようになってきているが、

改めて感じるのは、組織として全く機能していない東電の姿である。

特に現場の情報が意思決定をするトップに伝わらない。

現場を知らないお偉方が各々勝手に現場に口出しをする。

その指示命令も全く統一されていない。

そもそも、組織の誰が最終的な意思決定権者なのか、責任をとるのかが不明瞭。

現場は混乱する。

これが頻繁に起こっているのである。

組織として絶対やってはいけないこと、いわゆる禁じ手を次々に行なっている。

もはや組織の体をなしていない。

単なる烏合の集団である。

組織とは何なのか、を改めて考えさせられる。

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