岡本太郎の仕事論/平野暁臣
みんな先生のことをスーパーマンのように思っているみたいだけど、冗談じゃない。岡本太郎は生まれたときから岡本太郎だったわけじゃない。決意して、覚悟して、岡本太郎になったの。太郎さんだって、ほんとうは、弱い、普通の男の子。だけど、歯を食いしばって、最期まで岡本太郎をやり通した。きっと辛かったと思う。でも、けっして弱音を吐かなかったし、それを誰にも見せなかった。そこがすごい。だから愛おしい。そんなことも知らないで、みんな“先生は天才だから”とか“われわれ凡人にはとてもとても……”なんて言っている。それを聞くたびに、“甘ったれるな!”と蹴飛ばしてやりたくなる。
上記は岡本太郎の秘書、岡本敏子の言葉。
生涯一匹狼を通した岡本太郎にはひとりだけ戦友がいた。
ともに闘うことを許したただ一人の人間、それが岡本敏子である。
立場は秘書で、戸籍上は養女、実質的には妻だった女性だ。
半世紀にわたって太郎と伴走し、24時間行動をともにした公私にわたるパートナーだった。
敏子は秘書として仕事の交通整理をするだけでなく、すべての制作現場に立ち会い、編集者だった経験を生かして太郎の著作を次々と送り出した。
ノートと鉛筆を肌身離さず持ち歩き、太郎の口から放たれる言葉を一言漏らさず書き留めた。
大量にある著作も口述筆記でつくられた。
敏子は太郎専属の編集者だった。
これほど有能な秘書はそうはいない。
それだけではない。
敏子は太郎のモチベーションをかきたて続けた。
作品をつくるたびに「すごい、先生!すてき!次はなにを見せてくださるの?」と飛び上がって喜んだ。
褒めるのではない。無条件に喜ぶだけだ。
それがどれだけ太郎の力になったことか。
創造的な仕事をする者はみな孤独と不安のなかで生きている。
オレはこのままでいいのか、オレに才能はあるのか、オレはもうダメなんじゃないか……。
口には出さずとも、常にそうした恐怖と隣り合わせで闘っている。
太郎だって例外ではなかったはずだ。
無邪気に喜ぶ敏子を見て、自信がわき上がってきたことだろう。
天才と呼ばれた岡本太郎だが、本当の姿を知っていたのは敏子だけだったのかもしれない。
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