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2012年12月21日 (金)

日本語は本当に「非論理的」か/桜井邦朋

41bbciup32l__sl160_ 「思う」という表現で、私が最も驚いたのは、わが国の国家としての存立のための基本法ともいうべき「日本国憲法」の前文の中に出てくるものである。
 前文の終わり近くに、英文の表現で次のような文が出てくる。
 We desire to occupy an honored place in aim international society・・・
 これが、日本国憲法の前文の日本語による表現では、次のようになっている。
 「……名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは……」
 英文のdesire to occupyの部分が、「占めたいと思ふ」と翻訳されているのである。わが国の憲法の草案は元々、当時の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)で作成され、それを骨子に、現行の日本国憲法が成文化されたのだから、先のように日本文に翻訳したのは、この成文化に当時尽くした個人か、その任に当たった数人であると推測される。
 この憲法前文の件の個所で、英文の表現では、占めたいと“望む”、あるいは。“希望する(desire)”となっており、“思ふ”という単語はどこにもない。ここに用いられている“思ふ”は、願望を表現しているのだと解してよいので、“望む”、あるいは、“希求する”といった表現を和らげるために、“占めたいと思ふ”という表現にしたのではないか、というのが私の見方である。

私たちはよく「思う」という言葉を使う。

スポーツ選手が試合前に「相手は強いと“思う”ので、しっかり戦わなければならないと“思います”」、「がんばりたいと“思います”」と、やたら「思う」という言葉を使う。

テレビのアナウンサーも「これから番組をはじめたいと“思います”」と、「思う」という言葉を頻繁に使う。

しかし、これほど曖昧な言葉もない。

逆に考えれば、「思う」という言葉は非常に便利な言葉だとも言える。

辞書を引いてみると、「思う」という言葉には13通りの用法があるという。

①考える②懸念に関わる表現③見なす④信じる⑤予期⑥回想⑦感じる⑧希望⑨誤認⑩つもり⑪怪しむ⑫想像⑬念願、

英語であれば、それぞれ違う言葉があるのだが、日本人はそれらを全て「思う」と表現してしまう。

つまり「思う」という言葉は非常に便利な言葉である反面、日本人から論理的に考えることを奪ってしまっている。

自分はこう「考える」のか、「見なす」のか、「信じる」のか、「予期する」のか?

英語であれば用途に応じて言葉を使い分ける必要があるのに、日本語では「思う」という言葉を使えばすんでしまう。

そしてなんと、憲法の前文に、本来「希む」と表現すべきところを「思ふ」という言葉が使われているという。

日本人が論理性を身につけるためには、まず「思う」という言葉を使わないことから始めるべき、という著者の主張は、一理ある。

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