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2013年1月の30件の記事

2013年1月31日 (木)

僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。/出雲充

9784478021828 鈴木に「こういうわけで、ずっと仙豆を探してるんだけど、ないんだよね」と話したところ、鈴木は「仙豆ですか?そんなものはありませんよ。あれはマンガだけの話でしょう」ときっぱりと言う。それを聞いてがっくりきた僕が、
 「やっぱりそうか。仙豆なんて夢の食品、現実にあるわけないよなあ・・・・・・」
 と諦めムードでつぶやいたところ、鈴木は何ということもなくあっさりとこう言った。
 「でも、ミドリムシなら仙豆に近いんじゃないですか。植物と動物の間の生き物ですから」
 ミドリムシ、という言葉を聞いた瞬間、僕は雷に打たれるような衝撃を受けた。もちろん自分もミドリムシという微細藻類について名前は知っていた。中学の理科の教科書で写真も見ている。だがその瞬間まで、ミドリムシが仙豆になりうる存在であるとは、まったく考えもしなかった。

本書の著者、出雲氏は、2012年に東証マザーズに上場したベンチャー企業、ユーグレナの創業者。

どんなに順調に見える起業であっても、全て順調というわけにはいかない。

幾多の壁を乗り越えて初めて成功を味わう事ができるもの。

そして、そのためには「絶対に成功させてやる」という折れない心が必要になる。

出雲氏の場合、それを支えたのは強烈な原体験ではなかったかと思う。

まだ出雲氏が学生だったころ、世界から栄養失調をなくす計画を真剣に考えていたという。

あるときから思うようになったのが、「地球のどこかに仙豆のような食べ物があったらいいのにな」ということだった。

「仙豆」というのは、『ドラゴンボール』に登場する食べ物。

1粒食べればそれで10日間は何も食べずに飢えをしのげ、どんなに体が傷ついていても、一瞬で完璧に回復するという魔法の食べ物。

そんな夢のような食べ物が「あったらいいな」と思っていたのが、ミドリムシに出会ったとき、「これだ」と思ったという。

ミドリムシは植物と動物の両方の性質を持っているので、両方の栄養素を作ることができる。

ミドリムシを大量生産し食料資源化ができれば、将来、日本に食料危機があったとしても、輸入食料に頼らずに必須栄養素を賄うことができる。

「将来、必ず地球温暖化が大きな問題となる」ということが言われ始めていて、そうなったときはミドリムシにCO2を減らしてもらうことができる。

はるか5億年前からCO2を吸収してきたミドリムシは、高等植物よりも圧倒的にCO2の処理能力が高いので、森林が減少した分の酸素の生産を補うことが可能になる。

さらに、世界人口は爆発的に増えることが予測されているが、ミドリムシを増産することで、地球環境を維持しつつ、世界の人々は健康に暮らすことができるかもしれない。

と、このようにすごいポテンシャルを持っているミドリムシなのだが、問題は誰も培養に成功した人がいないということだった。

出雲氏の戦いは、この培養を成功させるための戦いだったといっても過言ではない。

やがて奇跡的にミドリムシの培養に成功した出雲氏はついに東証マザーズへの上場を成し遂げる。

こんなベンチャーがもっと出てくれば日本はもっと元気になるのではないだろうか。

2013年1月30日 (水)

ビッグデータの衝撃/城田真琴

A55747391ba50982a6710a0fc05af898 企業が分析力を生かしきれないのは、実は分析手法とも、データの量とも、分析技術とも関係がない。(中略)つまり分析重視への転換を妨げるのは、企業でごく普通にみられる次のような症状である。
・『ウチでは昔からこうしてきた』という『常識』が幅をきかせ、その正当性が検証されない。
・経営陣がデータや事実の裏づけのない意思決定をしても、批判されない。むしろヒラメキ型のリーダーの方がもてはやされる。
・分析のスキルを備え、データの山から宝を掘り出そうとする人間がいない。何も思いつかないとき仕方なくやるのが分析だとされ、しかも専門知識をもたない人間が取り組んでいる。
・『そのアイデアはよいか悪いか』よりも『それをいったのは誰か』が問題にされる。

膨大なデータを分析し、価値ある洞察や知見を得ようとする取り組みは「ビッグデータ」と呼ばれ、注目を集めている。

ビッグデータとは、既存の一般的な技術では管理するのが困難な大量のデータ群である。

ビッグデータの活用という点で、長い歴史を持つのがアマゾンに代表されるイーコマース企業。

アマゾンで本を買うと、大量の購買履歴をもとにしたデータ分析により「この商品を買った人はこんな商品も買っています」と表示される。

従来は、このようなことは経験豊富な販売員が行なっていたのだが、これをコンピュータが自動でできるようにしたという点で非常に画期的なものである。

将来予測を行うためには、膨大なデータから有用なルールやパターンを発見する必要があるがこれはIT抜きには考えられないこと。

逆に言えば、ITの進化があって初めてビッグデータの有効利用が叫ばれるようになったといえる。

ビックデータの活用という面では、まだまだ入り口のところに立っているにすぎない。

そして、この宝の山を掘り起こすのに、一番の障害になるのが、上記抜き書きに記されたようなことである。

『ウチでは昔からこうしてきた』という『常識』や『それをいったのは誰か』が問題とされる組織、

そのような組織風土が一番の障害になってくるような気がする。

技術の壁を乗り越える前に組織の壁を乗り越える必要があるということであろう。

2013年1月29日 (火)

歴史小説の読み方/会田雄次

20224_100522662_m しかし、司馬氏はその意味において、歴史小説に本当に目覚めたのだ。氏は「なぜ歴史小説を書くのか」という問いに対して「人間を見たいからだ」といっているが、氏のその見る目は「信長」以前と以後とでは明らかに見方が異なる。極言すれば、かつては氏はその自在なる想像力によって自分好みの人間類型を対象に与え、歴史の中を泳がせていたにすぎない。坂本竜馬しかり、斎藤道三しかり、山内容堂を描いた『酔って候』さえしかりである。それらは小説として無類の面白さを持つが、「歴史」としては大胆にすぎる。従って信長にぶつかって、氏は史料を読む楽しさ、歴史解釈の面白さ、そして氏のいう「完結した人生」を見る面白さに目覚めたのではないか。それこそ歴史家としての司馬遷の感じた面白さに通じるものを感得したのではなかろうか。

本書では、歴史小説の著名な作家5名が取り上げられている。

司馬遼太郎、海音寺潮五郎、新田次郎、子母澤寛、吉川英治。

その中で、司馬遼太郎、新田次郎、吉川英治の著作は読んだことがあるが、後の二人は読んだことがない。

なので、その二人についてはいまいちピンと来ない部分があったが、特に司馬遼太郎についての評論は、ナルホドと頷ける部分があった。

歴史小説とよく似たものに時代小説というものがある。

両者とも歴史を題材としているのだが、時代小説はあまり史実にこだわらず、歴史を背景として展開するフィクションだと言える。

フィクションが大部分なので、その分自由度がある。

それに対して歴史小説は、おおむね史実に沿ったストーリーで、歴史上の事件や人物を描いた小説。

中に専門の歴史家と同じレベルでキチンとした時代考証のもとに書かれているものもある。

そして歴史家では描ききれない部分が歴史小説によって描かれていることもある。

司馬氏は歴史小説家として世に知られている。

しかし、最初からそうだったわけではなく、小説家としてスタートした時点では時代小説に近い描き方をしている。

坂本竜馬や斎藤道三も当時無名だっただけに資料がそれ程揃っているわけではない。

ということは、資料がない部分については作者の想像力を働かせて書いていたということ。

つまりフィクションの部分が多く占められていたと言える。

ところが、織田信長を書くということになるとそうはいかない。

信長は時代を動かした中心人物であるだけに資料は膨大にある。

その分、歴史に忠実に描こうとすればするほど、作者の想像力を働かせる部分は少なくなってくる。

司馬遼太郎は、信長にぶつかったとき、初めて本物の歴史小説家になったと言えるのかもしれない。

その道のプロと言われる人が、よく「あの仕事で自分は一皮むけた」という話しをすることがあるが、司馬氏にとってはまさに信長との出会いがそうであったと言えるのではないだろうか。

2013年1月28日 (月)

あなたを天才にするスマートノート/岡田斗司夫

9784163735702 遺書を書く段になってカーネギーは考え込んでしまいました。「死にたいぐらい悩んでいるんだから、さぞかし自分には深い悩みが多いんだろう。いったいいくつぐらいあるんだ?」
 わかんなくなっちゃったカーネギーは、黄色い便せんと鉛筆を持ち出し、思い つく問題や悩みをすべて書きだしたそうです。
 当時、カーネギーは「世界で一番忙しい男」と言われていました。
 仕事だけでなく、家族関係を含めると、悩みは絶対に何百もあるに違いない。ひょっとしたら1000 個ぐらいあるんじゃないか?
 ところが、箇条書きにしてみると60 ぐらい書いたところで、鉛筆がピタリと止まったそうです。
 思い出して考えて、とりあえず「もっと悩みはあるはずだ」と些細な問題まで書き出します。しかし、あんなにたくさんあると思っていた悩みは、結局70いくつぐらいしかなかったのです。(中略)
 悩みを書ききった瞬間、今夜中に解決できることはほとんどどないことに気がつきました。
 カーネギーは悩みを書いた便せんを、問題ごとにちぎってカードみたいにし、それを仕分けし始めました。
「明日できること」
「来週以降に着手できること」
「来月でも間に合うもの」
「解決できないこと」
 という 4つの山に分けて、その4つ目の山はそのままくず箱に入れてしまいました。
 残った3つの山、自分の悩みを書いた便せんの切れ端をカーネギーは大事に机の引き出しにしまい、そのまま彼は奥さんと夕食へと出かけたそうです。
 もうすっかり、拳銃や自殺のことなど忘れて。

当時世界一忙しい男といわれた鉄工王カーネギーの話し。

このエピソードが何を示しているかというと、「悩む」ことと「考える」こととは違うということ。

多くの人は悩んでいることと考えていることとを混同している。

悩んでいることを考えていることだと錯覚している。

悩んでいる状態とは、同じ思いが頭の中をグルグル回っている状態。

そこには抜け道はない。

そこから脱けるためには、その頭の中で浮遊しているものを文字に落とし込むことである。

そこから初めて考えるという行為が生まれる。

本書で言っていることもそういうことで、つまり頭の中にあるものを毎日文字に落とし込め、ということ。

そうすれば、頭の中が整理され、頭の中で化学反応が起こり、新しい発想が生まれるようになるということ。

本書で著者が勧める方法をそのままやってもいいし、困難であれば無理にやる必要はないと考える。

大事なことは、そして本質的なことは、何らかの形で一日に一回、自分の頭の中にあるものを文字に落とし込む行為を継続することが大事だということである。

それだけで新しい自分を発見できるのではないだろうか。

2013年1月27日 (日)

解決する力/猪瀬直樹

41vrr9rudal__aa278_pikin4bottomri_2 その大命題に沿って彼らがまず取り組んだのが、日米開戦のシミュレーションだった。いま、米国と戦争したら、日本は勝てるのか。それぞれが所属する組織から第一級の資料を持ち寄った〝ベスト・アンド・ブライテスト〟たちの結論は、「緒戦は優勢ながら、徐々に国力の差が顕在化、やがてソ連が参戦し、開戦三~四年で日本は敗れる」というものだった。原爆投下以外は、ほぼ正確に太平洋戦争の帰趨を言い当てたのだ。(中略)
 「昭和20 年の敗戦」ではなく、「昭和16年の敗戦」と本のタイトルにつけた意味を、理解いただけたと思う。この時点で、日本の必敗が明確なデータの裏づけをもって予測されていた。問題は、にもかかわらず本物の内閣がこれを無視し、その結果シミュレーション通りの敗北を喫することになったことだ。真珠湾攻撃は、その年の十二月八日。すでに開戦に向けた準備が着々と進むなか、せっかくの提言も「時すでに遅し」だったのである。

本書の著者、猪瀬氏には『昭和16年夏の敗戦』という著書がある。

その本の中で、太平洋戦争開戦の年の4月に時の帝国政府が立ち上げた「総力戦研究所」について書いている。

それは各省庁のエリート官僚をはじめとして、陸軍大尉、海軍少佐、さらには民間人も含め、総勢30名の精鋭を集めて横断的に組織されていた。

何のためにそんな組織をつくったのかというと、国家戦略の策定である。

その中で様々なシミュレーションをした結果、日米開戦前に、既にこの戦争は負けるとの結論が出たという。

ところが、結局、その結論は内閣には受け入れられず、日本は開戦に踏み切る。

このエピソードは、国家にとって戦略とそれを生かす組織が如何に大事か、ということを教えてくれる。

仮に、開戦直前ではなく、昭和初期の段階でこうした組織がつくられ、「日本はどうあるべきか」を本気で議論し、仮想敵国米国と一戦交えた場合のシミュレーションを重ねていたらどうだったろうか。

無謀で無益な戦争に打って出ることはなかったかもしれない。

また、戦略を立ててもそれを生かす組織を作ることも大事だ。

最初から、結論ありきではなく、仮に自分たちに不都合なシミュレーション結果が出たとしても、それを真摯に受け止め、方針をリセットする位の柔軟性がなくてはならない。

これは戦前の話しだが、問題は今も事の本質は全く変わっていないということ。

それは過去の話だと、記憶に蓋をすることはできない。

この国に国家戦略が欠けているのは、いま現在も全く同じである。

2013年1月26日 (土)

生き方/稲盛和夫

41xdt53gvl__aa278_pikin4bottomright しかし私は、土地を右から左へ動かすだけで多大な利益が発生するなんて、そんなうまい話があるはずがない。あるとすれば、それはあぶく銭であり浮利にすぎない。簡単に手に入るお金は簡単に逃げていくものだ。そう思っていたので、投資の話はみんな断ってしまいました。「額に汗して自分で稼いだお金だけが、ほんとうの〝利益〟なのだ」
 私にはそんなきわめて単純な信念がありました。それは、人間として正しいことを貫くという原理原則に基づいたものでした。ですから巨額の投資利益のことを聞いても、「欲張ってはならない」と自戒することはあっても、それに心を動かされることはなかったのです。
 このように、損をしてでも守るべき哲学、苦を承知で引き受けられる覚悟、それが自分 の中にあるかどうか。それこそが本物の生き方ができるかどうか、成功の果実を得ることができるかどうかの分水嶺になるのではないでしょうか。

京セラやKDDIを創業し、最近は日航の再建に尽力した稲盛氏。

本書はその現代の名経営者の「生きる哲学」を記したもの。

全体を貫くのは、愚直なまでに正しく真っ直ぐに生きることにこだわる姿勢である。

経営者は利益を出すことによって評価される存在であるだけに、これは簡単なようで難しいことである。

たとえば、上記のバブルの頃のエピソード。

日本経済はいまだにバブルの後遺症から抜け出せていないが、それは、当時、多くの企業がわれ先にと不動産の投機に走ったことによる。

土地を所有し転売するだけで、その資産価値がどんどん上がっていく。

その値上がりを見込んで銀行から巨額のお金を借り、それをまた不動産投資につぎ込む。

こういうことを多くの企業がやっていたし、銀行もそのことをあおっていた。

そのころの風潮は、本業以外で儲けてそれを基に更に大きな投資をして会社を大きくしていく経営者が先見の明のある優れた経営者であるという見方すらされていた。

つまり日本中がバブルの熱に犯されていたのである。

そんな中、稲盛氏はそのようなものには一切手を出さなかったという。

結果的にそれは正しい判断だったわけだが、そんなことは後から言えること。

大多数の企業がやっている中で、ひとり、逆のことをやるのは簡単なことではない。

稲盛氏は当時のことを振り返り、「額に汗して自分で稼いだお金だけが、ほんとうの〝利益〟なのだ」というきわめて単純な信念があったからだと記している。

長い目で見れば、確固たる哲学に基づいて起こした行動は、けっして損にはならない。

一時的には損に見えても、やがてかならず「利」となって戻ってくるし、大きく道を誤ることもない。

稲盛氏のエピソードはそのことを教えてくれる。

2013年1月25日 (金)

「応援したくなる企業」の時代/博報堂ブランドデザイン

41xfwb3ondl__aa278_pikin4bottomrigh 博報堂生活総合研究所が2009年に興味深い調査をしている。「これまで常識だとか、当たり前だとか思っていたが、あらためてよく考えると変だなと疑問に思うこと」を、全国の15~69歳の男女3340人に聞いたところ、世の中には「そもそもどうして」と思えるものが数多く存在することがわかった。たとえば、つぎのようなことだ。
・そもそも、会社でネクタイをするのはどうして?
・そもそも、昼休みはなぜ12~13時に決まっているの?
・そもそも、なぜ1日3食なの?
・そもそも、会社が新卒の社員しか採らないのはどうして?
・そもそも、会社の休暇日数が少ないのはなぜ?
・そもそも、役所や銀行はなぜ土日に休むの?
・そもそも、携帯電話はなぜ多機能なの?みんなそんなに使わないのに・・・・・・。

世の中には、改めて考えてみると、変だなと思うことが意外と多いものである。

そのためには、「そもそも」と問いかけてみることが大切。

「そもそも、会社でネクタイをするのはどうして?」から、クールビズの発想が生まれるかもしれない。

「そもそも、携帯電話はなぜ多機能なの?」に疑問を持てば、シンプルな携帯電話が生まれるかもしれない。

つまり、ちょっと視点を変えてみれば、意外な発想やビジネスチャンスの種がゴロゴロ転がっているということである。

「そもそも発想」を持ち、現状の前提に疑問を持ち続けることが、これからの時代にはとても大切なことではないだろうか。

2013年1月24日 (木)

新しい市場のつくりかた/三宅秀道

412o5mzcrdl__aa278_pikin4bottomrigh あまりにも有名なエピソードを例に挙げます。戦争直後の浜松で、町工場の名物親父社長が、闇市に買い出しに行く奥さんのために、旧軍の遺した通信機用のエンジンを自転車につけてあげた。おかげで奥さんは、頑張って自転車をこがなくても楽に買い出しに行けるようになった。それを見たご近所の人たちも欲しがったので、人を雇ってもう少し手広く商売にした。この奥さんが本田さちさんで、ご主人が宗一郎さんです。世界のホンダも、最初はここから始まったわけです。
 この話の面白さは、「バタバタ」と呼ばれたこの原動機付き自転車の最初のモデルが、通信機用の小型エンジンや湯たんぽの燃料タンクを使っていたという、既存の技術の寄せ集めと転用であって、さほどの技術革新というほどのことではないということです。しかしこれがユニークなのは、「女性でも扱える小型人工動力輸送機関」として、日本の家庭生活を変革するインパクトを持ち、それがちょうど当時の日本社会が望んでいた新しいライフスタイルだったということです。つまり、文化の新開発、革新だったのです。

このエピソードは、今の日本企業の課題を端的に示している。

新聞の経済面やビジネス雑誌には「ものづくり」という言葉が頻繁に登場する。

「日本の産業はすごい技術が支えている」という記述がやたら目につく。

日本の強みがものづくりであること、確かにこれは正しい。

ただ、問題は、日本がいまだにこのような技術神話から抜け出せていないところ。

日本がいまの状態から脱け出すためには、仮にそれが正しかったとしても、一旦それを忘れ去ることが必要。

そうしないと、「技術的な差別化」のことばかりが議論の対象になってしまう。

どんな技術も、なんらかの用途に結びついて価値を産まないうちは、技術者の単なるプライドにすぎない。

その技術が本当に価値あるものとなるためには、それを必要とするライフスタイルや文化が必要になる。

今、多くの企業に求められているのは、世界に今までになかった、新しい文化やライフスタイルを創造する力である。

自分達がもっている技術を必要とする新しい市場と顧客の創造である。

しかし、これは何も新しい概念はない。

はるか以前から、ドラッカーは企業の使命とは「顧客の創造」である、と言っている。

技術をより高めるために必要なのは問題解決能力、

しかし、新しいライフスタイルや文化を創り出し、新しい市場や顧客を創造するために必要なのは問題発見・設定能力である。

人々が普段の生活の中で、何を求めているのかを発見しそれをカタチにする能力である。

日本人は与えられた問題を解決する能力は優れている。

しかし、何もないところから問題を発見する能力はそうでもない。

むしろ、苦手科目と言える。

しかし、今こそ、この苦手科目克服に真剣に取り組むべきだ。

日本はその創造性を、問題の解決ではなく、問題の発見・設定に向ける時代が来たということが言えるのかもしれない。

2013年1月23日 (水)

小説 盛田昭夫学校(下)/江波戸哲夫

51ic6kwuyl__aa278_pikin4bottomright 国内営業を担当するソニー商事も、TC事業部を統括する大賀も「録音機能のつかない再生だけの機械が売れるはずはない」という常識から離れることはなかった。それどころかソニー商事では調査会社に頼んで「録音機能がないテープレコーダーがいかに売れないか」という資料を作って盛田を断念させようという動きさえみせた。
 そうした意見が耳に入ると盛田はたちまちこれをなぎ払う熱弁を振るった。
 この製品は人類史上初めての音楽の楽しみ方を実現するんだ。人類史上初めてのものをどうやって調査会社が調べられるんだ。これは若者たちに熱病のように流行する可能性があるんだ。いや、そうさせなきゃいかんのだ」「カーステレオだって再生機能だけで、よく売れているじゃないか。そんな先入観を持っていて、よくソニーにいられるな。

革新的な新しい商品やサービスは、世に送り出されたとき初めてその価値を人々に知らしめ、人々の暮らしの中に大きな場所を獲得する。

それ以前には誰にも価値が分からないから、当然、市場調査の結果にもあらわれない。

ここに市場調査の限界がある。

代表的なものがスティーブ・ジョブズ健在なりしころのアップルのiPod、iPhone、iPadであり、もっと遡れば、ソニーのウォークマンであろう。

ソニーのウォークマンはどのようにして世に送り出されたのか。

本書を読んでみて分かることは、自由闊達な社風のあった当時のソニーでさえ、ウォークマンの商品化には反対論が大部分であったということである。

その中で当時会長だった盛田だけが強烈に商品化を訴える。

最後には、「初回の3万台がもし売れなかったら、私が責任をとって会長を辞めます」とまでいう。

これが世界中で大ヒットし、ソニーの代名詞にまでなってしまった。

このエピソードは何を示しているのか。

それは、会社という組織は基本的には保守的であるということ。

特にある程度成長してしまった組織は、どうしても守りに入ってしまう。

新しい発想やアイデアをつぶしてしまうことが往々にしてある。

社員の中にはよいアイデアを持っている者も中にはいるものである。

それをつぶさずにうまく引き上げ、商品やサービスというカタチにすることである。

それが可能な組織づくりが、今、多くの企業で求められているのではないだろうか。

2013年1月22日 (火)

小説 盛田昭夫学校(上)/江波戸哲夫

51th23txytl__aa278_pikin4bottomrigh ブローバー社の若いマネジャーは盛田の言葉を聞いて信じられないという顔をした。
 「10万台もの大口注文を断るのか」
 彼は手を替え品を替え盛田を口説こうとしたが、盛田は揺らがなかった。とうとう彼は感情を害してこういった。「わが社は50年かかって、ブローバーという広く世に知られたブランドを確立したのですよ。それを利用しないのは愚かなことだ。この広いアメリカで誰も知らないSONYなんてブランドが売れると思っているのか」
 このとき盛田は後に伝説として語り継がれるようになる台詞で反論した。「50年前には、貴社のブランドも、いまのSONYと同様、誰も知らなかったでしょう。わが社はいまその50年の第一歩を踏み出そうとしているのです。50年後にはSONYも貴社に負けない有名ブランドになっているでしょう」
マネジャーは肩をすくめ、もう盛田を説得しようとはしなかった。

SONYというブランド名が生まれてまもなく、盛田はトランジスタラジオの売り込みにアメリカ中を飛び回っていた。

やがて、苦労の甲斐あって、アメリカのブローバー社からの引き合いがある。

ブローバー社を訪れた盛田に、若いマネージャーは「御社のトランジスタラジオは完璧です。2年間で10万台、買う契約を結びたい」ともちかける。

「そんなに大量に買ってくれるのか」と喜んだのも束の間、盛田はその次の言葉に衝撃を受ける。

「ただし、ブランドは当社のものをつけてもらいます」

半信半疑の期待感にたちまち冷水が浴びせられる。

その申し出は盛田の世界戦略とまったく相容れないものだった。

東通工をフィリップスに並ぶ世界企業にするために、知恵を絞ってSONYというブランド名を生み出したのに、

ブローバーの名前で売られるのでは、その努力が水の泡となる。

盛田は即断は避けてホテルに戻り、本社に電報を打つ。

「断るのはもったいなし、注文を受けよ」と直ぐに返事がくる。

しかし、盛田はホテルの部屋で悩み抜いた挙句、断ると心を決める。

当時のSONYの台所事情を考えると、喉から手が出るほど欲しい契約だったにちがいない。

その契約を盛田は独断で断った。

振り返れば、この決断とスピリットがあったからこそ、世界のSONYが生まれたと言ってもよい。

まだ今ほどブランドの価値が重要視されていなかった中での盛田の決断は、先見の明があったといってよいだろう。

2013年1月21日 (月)

ノマドと社畜/谷本真由美

41ofmbs9vl__aa278_pikin4bottomright 日本のノマド志望の若者たちは、やたらと交流会や共同スペースで「なれ合い」たがりますが、実務に入ると作業はひとりでやる孤独なものです。孤独に耐えられない人は、ノマドにはなれません。なれ合いが大好きだったり、人に助けてもらうのが当たり前と思っていたり、自分に対する厳しさがない人は、ノマドになるのは無理だと思った方がいいでしょう。

新しいスタイルの働き方としてノマドワークが注目されている。

特に若者がこのような働き方を志向する傾向が強いが、著者はこれに対し警鐘をならす。

ノマド(nomad)はもともとギリシャ語が起源の言葉で、「遊牧民」という意味。

他者の管理を受けることなく、さまざまな場所で、本人の裁量に応じて「自由に働く」ことから、定住地を持たない遊牧民のように、働く場所を自由に選択するという意味でこの名がついた。

ノマドの分かりやすいイメージは、包丁一本持って全国を渡り歩く板前や、カンナを持って渡り歩く大工さんたち。

彼らは会社に守られないため、プロ意識は非常に高いものがある。

腕が良ければどこでも仕事はあるし、口下手であろうが仕事の声はかかる。

つまり、ノマドワーカーになるということは、スキルや専門性の高い人はどんどん稼げるようになり、そうでない人は低賃金で働かざるを得ない、という「激烈な格差社会」を意味する。

ノマド的働き方が広がれば、日本の新卒一括採用のような仕組みはなくなっていくことが予想される。

採用の基準となるのは、その人の学歴や年齢ではなく「売り物になる」技術なり知識になるからである。

これは大多数の日本人にとっては脅威であり、特に若者には過酷な環境になることを意味する。

だから、若者がこのノマドワークを志向している理由がわからない。

なぜなら、ノマドワークは「売り物になる」技術や知識を持っていない若者にとって最も不利になる働き方だから。

そしてノマドワークに最も必要なのは孤独に耐えられるかどうかということ。

今の動向を見ていると、交流会等に参加したり、やたら群れたがる若者が多い。

これではスタート地点から既にその資質がないということを証明していると言っても良い。

少なくともノマドワークによりバラ色の未来が開けるという言い方はやめるべきだろう。

現実はそんなに甘くないということである。

2013年1月20日 (日)

象徴の設計/松本清張

512mubiezxl__aa278_pikin4bottomrigh 明治15年1月4日、宮中御座ノ間に大臣、参議並びに諸官がならんでいる前で、大山参議兼陸軍卿は天皇から勅諭を受けた。有朋は、その横に侍立していたが、肥った大山が巻物を両手で受取った瞬間、彼の眼は感情が一時にこみ上がって潤んできた。
 これで軍隊は天皇に直結し、天皇は幕藩時代の君主の位置にあって、殉死的な「忠義」を強制することができる。かたちの上では、天皇が軍隊を私兵的に直接指揮するのである。統帥権の発生であった。これによって初めて参謀本部長が、陸軍卿の上奏を経ずして、直接天皇に単独発言する意義が充実したのである。

陸軍卿山県有朋は近衛兵が反乱騒動を起した竹橋事件にショックを受ける。

事態を重く見た有朋は、軍のより一層の近代化を進めるため、軍人の軍人たる心構え、すなわち「軍人勅諭」を作るよう西周に命じる。

特に問題にしたのは、西洋には精神の拠り所としてキリスト教の「神」があるのだが、日本にはその対象が曖昧であるという点であった。

そこで有朋が考えたのは、天皇を西洋のキリスト教の「神」に替わるものとするというものだった。

そして天皇を兵卒の忠義信仰の対象とするなら、この関係を直接的な結びにしなければならない。

そこにおいて初めて中間の「政府」が消失して「天皇」に対する「恩」の観念が生れる。

直接的な従属関係を形成するには、天皇を軍隊の直接上官のかたちにしなければならない。

これが「統帥権」の基礎となる考え方となる。

通常、「軍」は「政府」の決定・命令のもとに動くものだが、「統帥権」では「天皇」と「軍」を直接結びつけ、「政府」と同列に置く。

歴史を振り返ると、この「統帥権」が軍の暴走を招く大きな要因となっている。

どうして日本特有の「統帥権」という考え方が発生したのか?

そのルーツを知る意味では、非常に参考になる本である。

2013年1月19日 (土)

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて(下)/北康利

51ft2z9io3l__sl500_aa300_ できあがった「憲法改正草案要綱」はその後法文化の作業が加えられ、昭和21年4月17日、「憲法改正草案」として発表される。
 国会に上程された際、与野党問わず多くの議員が無念のあまり嗚咽を漏らしたという。自国の憲法を議決するのに国会議員が涙を流したというのは、世界中でおそらくわが国だけだ。そして日本人は、彼らが抱いた悔しさを今ではすっかり忘れ果ててしまっている。
 吉田がこの憲法をどう思っていたかを知ることのできるエピソードがある。
 新憲法下での第一回総選挙の際、国務大臣の金森徳次郎とともに高知入りした彼は、首相歓迎会に出席した。彼の揮毫嫌いはつとに知られていたので誰も色紙を出さなかったが、相当酒が入っていたこともあって隣で色紙を書いている金森に、「ちょっと色紙を貸してごらん」と手を出すと、さらさらっと何やら書いてそばにいた西村直己高知県知事にぽんと渡した。思わぬ珍事に西村は大喜びである。
 早速手にとってみると、そこには〈新憲法 たなのダルマも赤面し 素淮〉と書かれていた。今回の新憲法はあまりに屈辱的で、思わずダルマも恥ずかしがるような代物だと言っているのだ。〝素淮〟は、イニシャルのSYをもじってつけた彼の号である。

日本国憲法は米国の占領下で作られた。

しかも日本人の手によってではなく、GHQによって作られた。

草案が国会に上程されたとき、国会議員が無念のあまり嗚咽を漏らしたというのもよくかる。

そしてそれ以降、今に至るまで改正されていない。

しかもこれを記念した憲法記念日まである。

他国の作った憲法を後生大事にし、しかもその記念日まで設けてお祝いしている、この感覚。

オメデタイ国民である。

これでは自立できるわけがない。

本来なら、独立国家になったら直ぐにでも改正したとしてもおかしくない。

現に、同じ敗戦国でもドイツは58回も改正している。

もうそろそろ真剣に議論してもよいのではないだろうか。

今の日本人の中で、憲法を変えて戦争をしようなどと考えている者はほとんどいないのだから。

2013年1月18日 (金)

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて(上)/北康利

51pxxouarol__sl500_aa300_ サンフランシスコ講和条約締結は、まさに吉田の命をかけた努力の結晶だった。しかし、わが国に独立が戻った日に彼らが感じた震えるような感動を、現代の我々は共有していない。そこにわが国の悲劇がある。
 国家を支えていくのは自分たちだという意識を国民がしっかり持っていなければ、〝国民主権〟など絵にかいた餅である。講和条約は国民が主権を負うにふさわしい〝成熟〟を手に入れる通過儀礼となるはずだったのだが、国民は成人になりきれないまま、今に至っている。

吉田茂というと「ワンマン宰相」「バカヤロー解散」という言葉が思い浮かぶ。

この「ワンマン」というあだ名はマスコミがつけたように思われているが、実はそうではないという。

この言葉は彼が経済復興と早期独立を目指して戦い続けた相手であるGHQ民政局の連中が、「政府は吉田一人で、あとはあってもなきが如しだ」という意味で「ワンマン」と呼び始めたのだそうだ。

交渉相手がそのように言ったのだからホンモノのワンマンである。

サンフランシスコ講和条約は、おそらくワンマンである吉田だからこそ成し遂げることのできたという面が多分にある。

もし、吉田首相が日本特有の調整型リーダーだったらどうだったろう。

みんなの意見を偏りなく聞くと言えば、聞こえはよいが、

その結果、何も決められない、ということになったのではなかろうか。

その意味ではサンフランシスコ講和条約締結は吉田茂というワンマン宰相ならではの功績と言えよう。

しかし、せっかく勝ち取った国家の独立というもの、

日本人はどのくらいその意味を深く考えているのだろうか。

アメリカには独立記念日がある、

お隣の国、韓国にも独立記念日がある。

では日本はどうなのか?

終戦(敗戦)記念日はあるが独立記念日はない。

日本には、戦後独立国家としての地位を取り戻した日がある。

敗戦後、占領下におかれていたわが国は、1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ講和条約により、ふたたび独立国家としての地位をとりもどした。

日本人はこのことをもっと深く心に留め、その意味を考えるべきだ。

日本がいまだに独立国家としての体をなしていないのも、このようなところにあるのではないだろうか。

2013年1月17日 (木)

強い会社の教科書/小山昇

32830014 京都が栄えたのは、政治の世界の横に、「先斗町(歓楽街)」があったから。新宿が栄えたのは、都庁の横に、「歌舞伎町(歓楽街)」があったから。つくば学園都市が栄えたのは、土浦という「歓楽街」があったからです。あまりに潔癖すぎると、人に親しまれず孤立してしまう。「水清ければ魚棲まず」「人至って賢ければ友なし」は、真実です。
 武蔵野の社員は、賞与をもらった際、奥さんに全額手渡す社員は、その後、出世していません。総務では、賞与袋を1000円で売っています。社員は新しい袋を買って、金額を書き換えて、奥さんに渡す。
 賞与が50万円だったら、20万円を抜き取り、「30万円」と書き換えてから渡す。そして、抜き取った20万円を部下との懇親のために使う。これが正しい賞与の使い方です。

本書の著者は武蔵野の小山社長。

非常に個性的な社長だ。

本書に書いてあることも、中小企業ならではの経営手法であり、大企業とは一線を画す。

たとえば、こんなことを言っている。

「社長の仕事とは正しくなくてもいいから、早く決定すること」

「良い会社というものはありませんし、悪い会社というのもありません。良い社長と悪い社長がいるだけです」

「経営者意識とは、社員に株を持たせることではなく、個人的に損をさせること」

いずれも、中小企業ならではのことであり、また本音でズバリと言っている。

中でも「賞与をもらった際、奥さんに全額手渡す社員は、その後、出世していません」という言葉、

意外と本質的な部分を掴んでいるのではないだろうか。

確かに一生懸命ガンバッテ稼いだ賞与を全部奥さんに渡す以外にないのであればやる気も失せてしまうというもの。

なんとこの会社では賞与額の偽装を手伝っているという。

偽装用の賞与袋も総務で売っている。

少し遊び心があり、また社員のやる気をくすぐるやり方である。

大企業には真似できないやり方だが、これくらいのことをやらなければ中小企業は生き残っていけないのかもしれない。

2013年1月16日 (水)

イマジネーション/赤川次郎

33497462 小説とか映画とかドラマとか、ああいうものが、現実の役に立たないのに……そうですよね、別に小説を読んだからといって、大学受験に合格するのでも何でもないわけですから、現実の役にはたいして立たない。それなのに、なぜ、ああいうものがいつまでも作り続けられてくるか。だいたい恋愛小説なんていうのは、何百年も昔から同じようなことを繰り返して書かれてきているわけですが、それが、今なお読まれ、また書かれている、というのは、それを読むことによって、読み手が想像力を育てることができる。
 つまり、自分が見える範囲、自分が接することのできる人間というのは、非常に限られた部分でしかないわけです。どんなに頑張ったって、地球上の一億人と知り合い になることはできません。ほんとにごく限られた何千人かの人としか接する機会はおそらくないと思いますけれども、たとえ接することがなくても、自分と違う場所、違う時代に生きた人間であっても、そこに生きて、何を考えて、何を感じていたか、ということを想像することができたら、自分の人生というのは、たいへん豊かなものになっていきます。

本書は人気作家、赤川次郎氏のエッセイ。

赤川氏のミステリーは、比較的軽い感じのものが多いのだが、本書は極めて真面目に書かれている。

この箇所では、タイトルの通り、人が生きていく上でイマジネーションがいかに大事かを説いている。

おそらくこのことは、著者が作家を生業としているだけに、自分の仕事の意味を問い続けた一つの答えなのではないだろうか。

なるほど、小説は書かれている内容自体はフィクションである。

実用書やノウハウものと違い、たくさん読んだからといって、実生活に直接役に立つわけではない。

では、小説を読むのは単に自分が楽しむためだけなのか?

そうではない、

それによって私達は疑似体験をすることができる。

自分とは違った時代、国、境遇に生きた人の人生に思いを巡らせ、想像の上であっても様々な体験をすることができる。

つまりイマジネーションが豊かになる。

これが一番大事なこと。

考えてみたら、今起こっている様々な問題、

最近で言えば、教師の体罰の問題。

もし、あの教師にもっと豊かな想像力があったなら、

人の痛みを自らのものとすることができたなら、

あのような悲劇は起こらなかったのではないだろうか。

ところがテレビは相も変わらずワンパターンの報道をしている。

ここからのテレビメディアを中心とした展開はほぼパターン化されている。

まず当事者である教師、校長、学校、教育委員会へのバッシング、

そして体罰の是非論へ・・・

しかし、結局、根本問題の解決には至らない。

何かが間違っている。

法律で規制することは確かに必要だが、この問題こそ、人間の想像力の問題である。

おそらくこの問題は、体罰が良いか悪いかという問題ではない。

むしろ、現代に生きる多くの人の想像力が恐ろしく劣化してきているということの副作用といえるもの。

そして、本離れが今後ますます進むとしたら、これからの社会は非常に生き辛いものになっていくのではないだろうか。

2013年1月15日 (火)

テレビの大罪/和田秀樹

610378 敵でなかったら味方、満点でなかったら0点、善人でなかったら悪人、薬でなかったら毒で、その中間はないという発想を「二分割思考」と言います。この世には白か黒しかなく、グレーは存在しないという伝え方はテレビの特徴的な手法です。(中略)
 精神医学や認知心理学では、二分割思考というのは最悪の考え方とされ、認知療法という心の治療においても、もっとも避けるべきこととされています。二分割思考が心に悪いという話は、前著『人生の軌道修正』でも取り上げました。
 周囲の人を敵か味方だけに分けて考える人は、自分の味方だと信用していた人がちょっと自分の批判をしただけで、「あいつは敵になった」と失望してしまいます。物事をオール・オア・ナッシングで受け止めてしまう人ほどうつになりやすく、うつになった後も悪化して、自殺してしまいやすいのです。

テレビというメディアの特徴として、どうしても物事を単純化して伝える形になってしまうという点がある。

やはり広告収入が収入源である以上、視聴率がほしい。

となると、まず観てもらえる番組をつくる必要がある。

視聴者は多くの場合、複雑に入り組んだ難しい話しを好まない。

できれば物事を単純化して伝えてほしいと思う。

勧善懲悪のような世界、黒白がはっきりしている伝え方、

このようなものが好まれる。

ところが今の世の中、黒白がはっきりしているような物事はそう多くはない。

大部分は、いろんな要素が入り組んで、見方によっては黒にもなり白にもなる、グレーゾーンの問題。

それをあえて単純化しようとするのがテレビというメディア。

当然、伝える情報量や質にも限界がある。

見る側がそのようなテレビの特徴をよく分かってみるのであれば問題ないのだが、

多くの人は、テレビで語られていることは本当のことだと思って観ている。

かつて大宅壮一がテレビにより「一億総白痴化」が進むと批評した。

今の世界、ますますその傾向が強くなってきているような気がする。

2013年1月14日 (月)

僕がアップルで学んだこと/松井博

51mztpzyuxl__aa278_pikin4bottomrigh スティーブが復帰する前のアップルは何の責任も問われない、悪い意味で「自由」な会社でした。当時もいまと同様に創造性溢れる面白い製品がどんどん生まれていました。ところがいまほど練れていない製品ばかりなのです。売れない製品を出したところで別に責任を問われませんから、ちょっと面白そうなら文化祭の出し物ぐらいの雰囲気で製品化してしまいます。
 ロクに責任を問われないため誰もキチンと最後までフォローしません。結局出す製品はどれもこれも問題だらけでした。あまりに自由すぎるので誰も責任感を持たず、みんな会社をうまく利用することばかり考えていて、普通に仕事を回してゆくことさえできていませんでした。
 スティーブはこのアナーキーとも呼べる状態に「責任」を持ち込んだのです。私はちょうどそのころに東京で管理職に抜擢されたのですが、来日した上司に「いいか、お前は選挙で選ばれたんじゃないんだ。お前はこのグループの独裁者になるんだぞ」と言われたのをよく覚えています。私は部署の独裁者になれる代わりに東京発の失敗に対して全責任を取らされる立場になりました。つまり独裁という自由の代償は重大な責任というわけです。

著者が言うには、スティーブ・ジョブズが復帰してからのアップルというのは、ちょうど誰も勉強しない底辺高校が東大合格者を続々と生み出す受験校になったぐらいの変化があったという。

スティーブが成し遂げたこと、それは従業員を仕事へと駆り立てる環境づくりだった。

それが功を奏し、やがて社員たちが変わり始め、ヒット商品が出始め、またそれが社員に自信とやる気を与え 会社が大きく変わっていった。

アップルには自由な雰囲気がある反面、意外なほど厳格な部分がある。

秘密厳守などは信じられないくらい厳格で、違反したらその日のうちに解雇されるばかりか、訴えられるケースさえある。

また上司からの業務命令は絶対で「右向け右」と言われたら右を向かないと辞めさせられると言っても大げさではない。

トップダウン的な色彩が極めて強い組織である。

そして、組織の責任者には強大な権力を与え、同時に責任も問うというやり方である。

でもこのスティーブの手法、倒産寸前の会社に対して最も効果的なやり方である。

倒産寸前の会社に共通するのは、責任が曖昧になり無法地帯化してしまっているということ。

そこに規律と責任感を再構築することによって組織は息を吹き返す。

これは多くの業績不振企業にも通用するやり方ではないだろうか。

2013年1月13日 (日)

「言霊の国」解体新書/井沢元彦

Books ところが、日本ではそれができない。「日本が負ける」などと口にしたら、どうなるか?
 山本七平氏の表現を借りれば「それをほんのすこしほのめかしただけで、軍部のお先棒かつぎの議員が『戦争で兵士がお国のために死をして戦っているのに、ナニゴトダーッ』という。
 すると担当大臣は『政府も国民も総力をあげて戦っているときに、こういうことを発表するとはまことに不謹慎、私自身も憤慨している……』というと議員席から『責任をトレーッ』というヤジがとび、同時に『そんなことを発表するのは非国民の敗戦主義者だ』ということになる」(『ある異常体験者の偏見』文藝春秋刊)
ということになる。

日本人は独特の思考回路をもっている。

たとえば戦争中「この戦争は負けるかもしれない」などと言えば、

「そんな縁起でもないことを」と言われ、非国民とされる。

そして戦争に負けると「お前があんなことを言ったから負けたんだ」となる。

一個人が「意見」を言うことと、実際に起こった「結果」とは何の因果関係もないはず。

ところが、日本人の思考回路はそうはなっていない。

これを著者は「言霊」だと述べる。

実は日本人の平和論というのがほとんどこれだ。

つまり、日本人というのは、南無阿弥陀仏と言えば極楽へ行けるように、平和、平和と口にすれば、それで平和が実現すると思っている。

しかし、それは間違いである。

もし平和な国にしたければ、具体的に行動しなければ絶対実現しない。

その中には、軍隊を持つことも選択肢の一つとして当然入ってくる。

当たり前のことである。

しかし、そんなことを言おうものなら、「軍隊という言葉を使うから戦争になる」非難される。

自衛隊を国防軍にしよう、などと言えば、マスコミまでが右翼だと非難する。

議論することすらも許されない。

そんなことを言っていたら、シミュレーションすらもできない。

シミュレーションする場合、最悪の事態を想定して策を練るわけだから、

当然、起こってほしくないことを口にする。

それが許されないとしたらまともな議論はまず不可能。

平和という言葉を唱えていれば平和になる、

間違っても戦争という言葉を使ってはいけない、

そんな言葉を使ったら本当に戦争になってしまう、

いまだにこれに似たような報道をマスコミがするところに大きな問題を感じる。

2013年1月12日 (土)

財務省のマインドコントロール/江田憲司

9784344021587 政治家にとって、予算査定権より恐ろしい「財務省の権力の源泉」、それは「国税の査察権」です。政治家はすねに傷を持っている人が多く、表向きは絶対に認めないにしても、税の査察権には隠然たる影響力があります。私も「大蔵改革」を進めている時に、国税の査察におびえてコロッと寝返る政治家の姿を見せつけられたものです。
ですから、財務省にとって 国税査察権を財務省から分離・独立させるようなことは絶対に許せません。

日本人は財務省にマインドコントロールされている。

これが江田氏の主張である。

財務省は国の借金がもうすぐ1000兆円に達する、このままいけばギリシャのように破綻する、という。

でも、そんなことを言っていたら、世界のトヨタであっても19兆円の負債があるのだから危ないということになってしまう。

そうならないのは、同時に30兆円の資産があるから。

つまり、現状を客観的に見るためには、バランスシートの右側(貸方)だけをみるのでなく、左側(借方)も見る必要がある、と。

江田氏はこれ以外にも様々な数字を上げて主張しているが、それなりの説得力をもっている。

問題はこのような数字が財務省や政治家、マスコミからもほんとど出てこないということ。

財務省が流す一方的なデータばかりが世の中に出回っている。

専門知識のない国民はそれをそのまま信じてしまっている。

だから、これが財務省のマインドコントロールだと。

でも、どうしてこうも政治家は財務省の言いなりになってしまうのか。

その一つの原因は江田氏がいうように「国税査察権」かもしれない。

世の権力者は、ほぼ例外なくスネにキズをもっている。

清廉潔白な政治家など、そうはいないものである。

そうである以上、財務省から「国税査察権」を取り上げない限り、財務省のマインドコントロールは続くのでないだろうか。

2013年1月11日 (金)

iPhone vs. アンドロイド/夏野剛

Thumbnailimage_11602 さて、ケータイ端末メーカーは、いまさら「ものづくり」だけでよいのか?というのがわたしの問いだ。他のプレイヤーがすでに実現している「ものづくり」から「しかけづくり」へのパラダイムシフトが、メーカーにも求められているというのがその答えだ。

日本の強みの一つは「ものづくり」であることは明らかである。

ところがここに落とし穴がある。

今はものづくりだけで差別化することが非常に困難になってきている。

「ものづくり」プラスアルファが必要になってきている。

著者はこのことを「しかけづくり」と表現している。

たとえば、アップルとグーグル。

新聞などを見ると、この2社が競合しているいう印象だが、そのビジネスモデルをみてみると、必ずしもそうは言えないということが言える。

アップルはiOSを基盤として、様々なデバイスとサービス、そしてコンテンツを提供して垂直統合を図り、一種のiWorldとも言うべき世界を築き上げている。

アップルが囲い込んでいるユーザーはアップル製品に対するロイヤリティが非常に高い。

逆に言えば、少々競合製品より価格が高くても、長くアップルの製品とサービスを使い続けてくれる優良顧客だ。

アップルは市場の一角を占めるこの優良顧客を囲い込んでおくことで、他社とのシェア争いとは距離を置くポジションをとることに成功している。

一方、グーグルはどうなのか。

グーグルのコアコンピタンスは検索連動型広告にある。

その露出場所をいかに増やすかが至上命題。

モバイル端末向けのアンドロイド、パソコン向けのChromeOSを無料に提供しているが、この分野で儲けようとは考えていない。

これらを他社が利用し、結果として広告の表示機会が増えれば良いという考え方である。

つまりアップル、グーグル共に「どこで儲けるか」を明確にし、その「しかけ」を構築している。

「ものづくり」から「しかけづくり」へ

重要なキーワードである。

2013年1月10日 (木)

昭和・戦争・失敗の本質/半藤一利

32314150 ところで、小林龍夫氏の調べによれば、当時の日米の国力差はつぎのごとし。
「昭和十年において、鋼鉄の生産高は米国の3464万トンに対して日本は480万トン、原油生産高は米国の1億3491万トンに対して日本は27万トン(国際連盟統計年報)。昭和九年の国民所得を比較すれば、総額では米国の1676億円に対して日本は112億円、一人当たり所得では米国の1412円に対して日本は165円である(総理府統計局調)」
 これでなお海軍は建艦競争恐るるに足らずと豪語し、国民もまたそれを信じたのである。世論がときに〝衆愚〟となることがよくわかる話である。

なぜ、日本は対米戦争に突入したのか?

軍部の独走があの悲劇的戦争を招いた。

よく聞く話しである。

でも、よくよく考えるとそれも少し変な話しである。

ではあの当時の内閣が平和主義者ばかりだったら、戦争には突入しなかったのか?

あの当時、日本の世論は「米国なにするものぞ、戦争すべき」だった。

マスコミもそれをあおっていた。

何人もの宰相が暗殺されている。

たとえ、内閣が平和主義者ばかりだったとして、その世論に押し切られることはなかっただろうか。

そう考えると、どうも本質は別のところにありそうである。

たとえば、一つの考え方としてこのようなことは言えないだろうか。

それは、軍部が戦争のプロの集まりではなかったということ。

軍部とは戦争のプロの集まりであるはずだ。

もし軍部が戦争のプロの集まりであったなら、おそらく勝てない戦争はしないはず。

プロは勝てない戦いは決してしない。

僅かであっても勝てる可能性がなければ、戦うという選択肢は選ばない。

それがプロというもの。

上記に記されている日米の軍事力の差をみてみると、勝てる可能性はゼロである。

つまり当時の軍部は素人の集まりだったということ。

そして、日本を戦争に突き進ませたのは、当時の「空気」だった、ということがいえるのではないだろうか。

問題は、それは今もまったく同じだということ。

日本は多くの場合、えたいのしれない「空気」が動かしているという現実がある。

2013年1月 9日 (水)

竜馬がゆく(八)/司馬遼太郎

Photo「坂本さァ」
 と、西郷は猪首を竜馬にねじまげた。縁側にいた竜馬は、それに応じて西郷のほうへ上体をまげた。
「え?」
 という顔を竜馬はしている。西郷はいった。
「この表を拝見すると、当然土州から出る尊兄の名が見あたらんが、どぎゃンしもしたかの」
「わしの名が?」
 竜馬はいった。陸奥が竜馬の顔を観察すると、近視の目をひどくほそめている。意外なことをきくといった表情である。
「わしァ、出ませんぜ」
と、いきなりいった。
「あれは、きらいでな」
 なにが、と西郷が問いかけると、竜馬は、
「窮屈な役人がさ」
 といった。
「窮屈な役人にならずに、お前さァは何バしなはる」
「左様さ」
 竜馬はやおら身を起こした。このさきが、陸奥が終生わすれえぬせりふになった。
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
 陸奥がのちのちまで人に語ったところによると、このときの竜馬こそ、西郷より二枚も三枚も大人物のように思われた、という。

晩節を汚す、という言葉がある。

偉大な政治家や優れた経営者であっても、引き際を間違ったことによって、それまでの功績を台無しにしてしまうことがよくある。

歴史をみてみると、こんな偉人は掃いて捨てるほどいる。

それほど一度握った権力はなかなか手放せないものなのである。

その意味で竜馬の引き際は見事としか言いようがない。

大政奉還がいよいよ実現し、竜馬は西郷に新しい政府の役人表の腹案を見せる。

ところがこそに薩長同盟や大政奉還の最大の功労者であった竜馬の名前がない。

権力に執着しない竜馬の姿がこそにある。

普通の人にはなかなか真似のできることではないが、

こんなところに竜馬が時代を超えて高い人気を誇る理由があるのだろう。

本書のあとがきで著者、司馬遼太郎はこのよう締めくくっている。

 坂本竜馬は維新史の奇蹟、といわれる。
 たしかに、そうであったろう。同時代に活躍したいわゆる英雄、豪傑どもは、その時代的制約によって、いくらかの類型にわけることができる。型やぶりといわれた長州の高杉晋作でさえ、それは性格であって、思想までは型破りではなかった。
 竜馬だけが、型破りである。
 この型は、幕末維新に生きた幾千人の志士たちのなかで、一人も類例をみない。日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか。

非常に印象にのこる言葉である。

2013年1月 8日 (火)

竜馬がゆく(七)/司馬遼太郎

Photo「論などはやらぬ」
 竜馬は議論というものの効力をあまり信じていない。議論などで人を屈服させたところで、しょせんはその場かぎりということが多い。
「利だ」
「リ?」
「利が、世の中を動かしている。おれはまず九州諸藩連盟の商社を下関につくる」
 と、その構想を説明した。
 得意の株式会社論であった。
 まず薩長を発起人として二、三の雄藩にはたらきかける。どの藩も財政にこまりぬいているからよろこんで加入するだろう。
 大どころが入れば、他の中小藩も、あらそって加盟を求めてくる。
「説きまわる心配などはないのさ。むこうから操みあうようにしてやってくる」
「なるほど」
「時勢は利によって動くものだ。議論によってはうごかぬ」

竜馬は理想主義者のように見えて、実は徹底したリアリストでもある。

時勢は何によって動くのか、それは「利」である。

こう断言している。

この場合の「利」とは「経済」という意味である。

経済が時代の底をゆり動かし、政治がそれについてゆく。

竜馬は、奇妙なカンでそう歴史の原理を身につけていた。

「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるが、実際には人は食べなければ生きてゆけない。

これが現実である。

逆に言えば理想主義だけでは世の中を変えることはできないということであろう。

2013年1月 7日 (月)

竜馬がゆく(六)/司馬遼太郎

Photo 竜馬という若者は、その難事を最後の段階ではただひとりで担当した。
 すでに薩長は、歩みよっている。竜馬のいう、「小野小町の雨乞いも歌の霊験によったものではない。きょうは降る、という見込みをつけて小町は歌を詠んだ。見込みをつけるということが肝要である」という理論どおり、すでに歩み寄りの見込みはついている。
 あとは、感情の処理だけである。
 桂の感情は果然硬化し、席をはらって帰国しようとした。薩摩側も、なお藩の体面と威厳のために黙している。
 この段階で竜馬は西郷に、
 「長州が可哀そうではないか」
 と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。
 あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。
 奇妙といっていい。
 これで薩長連合は成立した。

上記は、薩長連合が成立した瞬間の記述。

著者によると、当時、薩長連合というのは、竜馬の独創的構想ではなく、すでに薩長以外の志士たちの間での常識になっていたという。

薩摩と長州が手をにぎれば幕府は倒れる、というのは、誰もが思っていた。

ただし、誰一人それが実現するとは思っていなかった。

それを竜馬は実際にそのために動き、ほとんど一人で実現させてしまった。

おそらく竜馬の非凡さはこんなところにあるのだろう。

「こんなことができたらいいなぁ」

「これがあったらいいなぁ」

多くの人がこんなことを考える。

しかし、具体的に「あったらいいなぁ」の実現のために、行動に移すことのできる人は百人に一人であろう。

当時、「もし薩摩と長州が手をにぎれば」とは多くの人が思っていた。

しかし、それは両者の過去の歴史をみれば不可能のことのように思えた。

人間は感情で動くものである。

理知的に見える人であっても結局は感情によって物事を決め、判断するものである。

そして両者の感情的なしこりはかなり根深いものがあった。

しかし、この場面で竜馬は「感情」ではなく、「理」によって動く。

竜馬は自分の感情をうち殺し、極めて理知的にことをすすめている。

それによって薩長連合が成立した。

竜馬は人一杯感情豊かな人物であった。

しかし、感情的ではなかった。

「感情豊か」であることと「感情的」であること、

よく似た言葉だが全く違う。

竜馬の言動がこのことを示している。

2013年1月 6日 (日)

竜馬がゆく(五)/司馬遼太郎

Photo 高杉は、革命家としての天才は、おそらく幕末随一であったであろう。
 幕末には、竜馬をはじめ、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)など、雲のごとく人物が出たが、かれらは革命期以外の時代に出ても使いみちのある男どもだが、高杉晋作は、革命以外には使いみちがないほどの天才であった。
 もし平和な時代に高杉がうまれていれば、飲んだくれの蕩児として近親縁者の厄介者になったまま、世を終えたかもしれない。
 政治、軍事の才がある。
 それも革命期の政治、軍事で、それ以前やそれ以後の日本では役にたたない。
 いわば、明治維新をおこすためにうまれてきたような男であった。

幕末は、竜馬以外にも多くの優れた人物が登場する。

「和を以て尊しとす」という言葉に象徴される、調整型リーダーが日本の特徴だとしたら、戦国時代や幕末には、それとは異質のリーダーが出てきている。

中でも高杉晋作は特異だったと著者は述べている。

高杉は革命期の政治、軍事以外役に立たない人物ということで特異性がある。

おそらく平時であれば、高杉のようなリーダーは出てくることはなかったと考えられる。

いやむしろ、「出る杭は打たれる」の言葉のごとく、頭角をあらわす前につぶされていたであろう。

幕末という時代が高杉というリーダーを輩出したと言ってもよい。

時代が変わり目には高杉のような特異な人物があらわれる。

その意味では、今の日本も、時代の曲がり角に来ているのではないだろうか。

今のこの時代だけに通用するリーダーで出てきても不思議ではない。

2013年1月 5日 (土)

竜馬がゆく(四)/司馬遼太郎

Photo 勝は、竜馬を育てている。いわば、
 勝大学といってよかった。学長は勝、学生は竜馬ただ一人である。
 教授陣は、勝の知友たちであった。
 越前福井藩の老公松平春獄
 幕臣大久保一翁
 それに、この熊本藩の横井小楠。
 移動大学といっていい。
 竜馬自身が勝の紹介状をもって、福井へ行ったり、江戸へ行ったり、大坂で会ったりする「大学」である。
 勝の紹介状はいつも、
 「この者、真に大丈夫なれば」
 という文句になっている。「男いっぴきである。将来、英傑になるであろう。いろいろ教えてやってもらいたい」
 というような意味が、言外にある。
 勝学長以下教授陣の特色は、当節流行の単純な攘夷主義でない、ということであった。
 積極的開国論者といっていい。
 当時一般の思潮を図式的にいえば、
 佐幕=開国主義
 勤王=攘夷主義
 というものであった。
 が、勝大学の教授たちは、「勤王開国論」ともいうべきもので、単なる佐幕家や勤王家とまるでちがう点は、世界観をもっていることであった。
 世界状勢のなかから日本のおかれている位置を知り、どうすべきか、を考えている派である。当時の日本では、これに勝の妹むこの佐久間象山を加えて、数人にすぎない少数派であったといっていい。
 竜馬は、いわゆる維新の志士たちとは、まるでちがったコースをすすんでいる。
 この一介の剣客あがりが、「思想人」として外国の政治思想学者からでさえ研究されるようになったのは、勝大学のおかげといっていい。

人生は出会いで決まるという言葉がある。

人生のある時期に、考え方や生き方に決定的な影響を与える出会いを経験することによって、人はいく倍にも成長する。

竜馬にとってそれは勝海舟との出会いであろう。

竜馬は勝と出会うことによって、これまでとは違った人物との出会いへと導かれていく。

勝大学といってもよいこのコースによって、それまで竜馬の頭の中でモヤモヤしていたものがはっきりとした形になっていく。

竜馬の言動に一本筋が通ってきたのは、これがきっかけであったように感じる。

いわゆるブレなくなったのである。

この後の竜馬は他の志士たちとは明らかに違った歩みをするようになる。

このことから言えることは、人を育てるためには、意図的に育つ環境を提供する必要がある、ということ。

多くの場合、人は勝手に育つのではない、

これだという人材を見つけたら、それを「人財」にするための環境を提供する必要がある。

一人で勝手に育ったように見える竜馬でさえも、そうやって育てられたのだから。

2013年1月 4日 (金)

竜馬がゆく(三)/司馬遼太郎

Photo「坂本様は、いったい、佐幕人でありますか、それとも、尊王攘夷のために命をお捨てなされようとしているお方でありますか」
「へへ」
 竜馬は、チョウサイ坊のようにわらっている。
「日本人です」
「にっぼん人?」
 さな子は妙な顔をした。そんなものは実在しないのである。
 すくなくとも幕末には、日本人は実在しなかった。
 志士と名のつく者は、佐幕人か、神秘的勤王主義者か、あるいはこれとは別の分類でいえば、薩摩人、長州人、土佐人、幕臣、諸藩の士、公卿、といったように、それぞれが属している団体の立場や、主義に属し、それらを通してしかものを考えず、それによって行動した。
 薩摩の大久保一蔵、西郷隆盛、長州の高杉晋作、桂小五郎といった連中も、ついにはその所属藩の立場を超越できなかった。つまり、薩摩人、長州人であった。
 幕末で、日本人は坂本竜馬だけだったといわれる。

人はどうしても思考の枠組みの中でしかものごとを考えられない。

幕末の志士たちにとっての思考の枠組みとは、所属する藩であった。

これを超えて発想する者はいなかった。

所属藩を中心に考えたのでは薩長連合や大政奉還という発想は決して出てこないであろう。

竜馬が幕末の世であれほどの活躍ができたのは、所属藩を超えた「日本」という枠組みで物事を考え発想できたからであろう。

「器の大きさ」という言葉がある。

私達がどのような枠組みで物事を考えているのかを表す言葉。

それが人物としての大きさや奥行きにつながる。

「自分」を中心にしか発想できない人物は、その程度の「器」

「家族」「会社」「地域社会」「日本」・・・

それぞれが自分の「器」となる。

私は何を中心に発想しているのだろうか?

自分に問いかけてみる必要がある。

なぜなら、それが自分の「器」なのだから。

2013年1月 3日 (木)

竜馬がゆく(二)/司馬遼太郎

Photo この蘭学塾のふまじめな聴講生だったころ、竜馬にこんなはなしがある。
 ある日、師匠のねずみは、オランダの政体論についての一文を、逐条翻訳した。
 訳がおわるころ、いつもながら居眠ったような姿で膝小僧を抱いている竜馬が、急に顔をあげ、
 「いまの訳、間違うちよります」
 といった
 塾生は、みなおどろいた。蘭語の一語もおぼえようとしないこの剣術使いが、いきなり先生の誤訳を指摘したのである。
 師匠のねずみは、みるみる真赤になって、
 「どこが、間違うちょる」
 ときりかえした。竜馬は気の毒そうな顔をして、
 「間違うちょるから、間違うちょる。どこが間違うちょるかわからんが、ただずっと間違うちょる」
 「お前のいうことはわからん」
 「わからんことはない」
 「師匠を愚弄するか」
 「なかなか」
 竜馬は、こまったな、という顔つきで、
 「もう一度、よく原文を読んでくだされ」
 とたのんだ。
 が、何度もこのねずみの塾で、ねずみの粗末な蘭文和訳をきいているうちに、西洋の議会制度というものがわかったのだ。竜馬には「資治通鑑」のときもそうであったように、ものの大意を大づかみにつかみ、その本質をさぐりあてる才能がある。
 いまのねずみの翻訳では、竜馬がカンでさとった民主政体の本義からはずれているの
である。その点から誤訳を指摘したわけだ。

竜馬は本格的に学問に打ち込んだことはなく、深い知識があったわけではない、

しかし、物事の本質をさぐりあてる才能があった。

このエピソードはこのことを示している。

そもそも学問とはなんのためにやるのか。

物事の本質を掴むためではないだろうか。

ところが、多くの人は学問のための学問になってしまっている。

その結果、せいぜい知識が増えるくらい、

場合によっては自尊心や虚栄心ばかりが強くなったりという副作用がでたりする。

特に今の時代、百科事典的な知識はあまり必要ない。

せいぜいクイズ番組で有利になることくらい。

知りたいことがあれば、インターネットの検索でいくらでも探り当てることができる。

むしろ、今、必要なことは、そのような情報の洪水の中で、本質を掴むことである。

でも、竜馬はこのような本質をさぐりあてる能力をどのようにして自分のものにしたのだろう。

持って生まれたものなのか、それとも、何らかの経験から身につけたものなのか。

是非知りたいものだ。

2013年1月 2日 (水)

竜馬がゆく(一)/司馬遼太郎

Photo (どうも、こういう男はにが手だ)
 と思ったのは、口から出る言葉の一つ一つが人の意表をつくのだが、そのくせ、どの言葉も詭弁のようにみえて浮華では決してない。人をわなにかける言葉ではないのである。
自分の腹のなかでちゃんと温もりのできた言葉だからで、その言葉一つ一つが確信の入った重味がある。だまって聞いていると、その言葉の群れが、小五郎の耳から心にこころよいすわりで一つ一つ座ってゆくのである。
 (これはとほうもない大人物かもしれない)
 と小五郎も思った。
 むろん同じ言葉でも、他の者の口から出れば厭味にも胡乱臭げにもきこえる。ところがこの男の口から出ると、言葉の一つ一つがまるで毛皮のつややかな小動物でも一ぴき一ぴきとび出して来るようなふしぎな魅力がある。
 そのくせ、雄弁ではない。体全体がしゃべっているような納弁で、そのうえ、ひどい土佐なまりなのである。
 (こういうのを人物というのかもしれない。おなじ内容の言葉をしゃべっても、その人物の口から出ると、まるで魅力がちがってしまうことがある。人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ)

 

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」をなぜか読んでみたくなった。

20代の頃、一度読んだことのある歴史小説だが、あの頃とはまたちがった受け止め方となることだろう。

坂本竜馬という人物。

歴代人物の人気投票をすると必ずベスト5以内に入る。

なぜ、竜馬は日本人の心を掴むのか。

竜馬は様々な人物を動かして薩長同盟を成し遂げる。

竜馬が活動していたときの立場は、脱藩者。

権威や権力とは無関係。

ポジションパワーで人を動かすことはできないはず。

ということは、竜馬という人物そのものに、人を惹きつけるような魅力があったということであろう。

桂小五郎が竜馬とはじめて出会ったときの印象として、

「口から出る言葉の一つ一つが人の意表をつく」

「どの言葉も詭弁のようにみえて浮華では決してない」

「その言葉一つ一つが確信の入った重味がある」

「言葉の一つ一つがまるで毛皮のつややかな小動物でも一ぴき一ぴきとび出して来るようなふしぎな魅力がある」

「体全体がしゃべっているような納弁」

と、このように述べている。

一言で言えば「言葉に力がある」ということではないだろうか。

その人格からにじみ出るような言葉によって、人は動かされたのではないだろうか。

竜馬は決して雄弁ではない。

しかし、その言葉に力があった。

考えてみれば今の多くのリーダー、あまりに言葉が軽すぎる。

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