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2013年1月 5日 (土)

竜馬がゆく(四)/司馬遼太郎

Photo 勝は、竜馬を育てている。いわば、
 勝大学といってよかった。学長は勝、学生は竜馬ただ一人である。
 教授陣は、勝の知友たちであった。
 越前福井藩の老公松平春獄
 幕臣大久保一翁
 それに、この熊本藩の横井小楠。
 移動大学といっていい。
 竜馬自身が勝の紹介状をもって、福井へ行ったり、江戸へ行ったり、大坂で会ったりする「大学」である。
 勝の紹介状はいつも、
 「この者、真に大丈夫なれば」
 という文句になっている。「男いっぴきである。将来、英傑になるであろう。いろいろ教えてやってもらいたい」
 というような意味が、言外にある。
 勝学長以下教授陣の特色は、当節流行の単純な攘夷主義でない、ということであった。
 積極的開国論者といっていい。
 当時一般の思潮を図式的にいえば、
 佐幕=開国主義
 勤王=攘夷主義
 というものであった。
 が、勝大学の教授たちは、「勤王開国論」ともいうべきもので、単なる佐幕家や勤王家とまるでちがう点は、世界観をもっていることであった。
 世界状勢のなかから日本のおかれている位置を知り、どうすべきか、を考えている派である。当時の日本では、これに勝の妹むこの佐久間象山を加えて、数人にすぎない少数派であったといっていい。
 竜馬は、いわゆる維新の志士たちとは、まるでちがったコースをすすんでいる。
 この一介の剣客あがりが、「思想人」として外国の政治思想学者からでさえ研究されるようになったのは、勝大学のおかげといっていい。

人生は出会いで決まるという言葉がある。

人生のある時期に、考え方や生き方に決定的な影響を与える出会いを経験することによって、人はいく倍にも成長する。

竜馬にとってそれは勝海舟との出会いであろう。

竜馬は勝と出会うことによって、これまでとは違った人物との出会いへと導かれていく。

勝大学といってもよいこのコースによって、それまで竜馬の頭の中でモヤモヤしていたものがはっきりとした形になっていく。

竜馬の言動に一本筋が通ってきたのは、これがきっかけであったように感じる。

いわゆるブレなくなったのである。

この後の竜馬は他の志士たちとは明らかに違った歩みをするようになる。

このことから言えることは、人を育てるためには、意図的に育つ環境を提供する必要がある、ということ。

多くの場合、人は勝手に育つのではない、

これだという人材を見つけたら、それを「人財」にするための環境を提供する必要がある。

一人で勝手に育ったように見える竜馬でさえも、そうやって育てられたのだから。

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