ノマドと社畜/谷本真由美
日本のノマド志望の若者たちは、やたらと交流会や共同スペースで「なれ合い」たがりますが、実務に入ると作業はひとりでやる孤独なものです。孤独に耐えられない人は、ノマドにはなれません。なれ合いが大好きだったり、人に助けてもらうのが当たり前と思っていたり、自分に対する厳しさがない人は、ノマドになるのは無理だと思った方がいいでしょう。
新しいスタイルの働き方としてノマドワークが注目されている。
特に若者がこのような働き方を志向する傾向が強いが、著者はこれに対し警鐘をならす。
ノマド(nomad)はもともとギリシャ語が起源の言葉で、「遊牧民」という意味。
他者の管理を受けることなく、さまざまな場所で、本人の裁量に応じて「自由に働く」ことから、定住地を持たない遊牧民のように、働く場所を自由に選択するという意味でこの名がついた。
ノマドの分かりやすいイメージは、包丁一本持って全国を渡り歩く板前や、カンナを持って渡り歩く大工さんたち。
彼らは会社に守られないため、プロ意識は非常に高いものがある。
腕が良ければどこでも仕事はあるし、口下手であろうが仕事の声はかかる。
つまり、ノマドワーカーになるということは、スキルや専門性の高い人はどんどん稼げるようになり、そうでない人は低賃金で働かざるを得ない、という「激烈な格差社会」を意味する。
ノマド的働き方が広がれば、日本の新卒一括採用のような仕組みはなくなっていくことが予想される。
採用の基準となるのは、その人の学歴や年齢ではなく「売り物になる」技術なり知識になるからである。
これは大多数の日本人にとっては脅威であり、特に若者には過酷な環境になることを意味する。
だから、若者がこのノマドワークを志向している理由がわからない。
なぜなら、ノマドワークは「売り物になる」技術や知識を持っていない若者にとって最も不利になる働き方だから。
そしてノマドワークに最も必要なのは孤独に耐えられるかどうかということ。
今の動向を見ていると、交流会等に参加したり、やたら群れたがる若者が多い。
これではスタート地点から既にその資質がないということを証明していると言っても良い。
少なくともノマドワークによりバラ色の未来が開けるという言い方はやめるべきだろう。
現実はそんなに甘くないということである。
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