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2013年1月 4日 (金)

竜馬がゆく(三)/司馬遼太郎

Photo「坂本様は、いったい、佐幕人でありますか、それとも、尊王攘夷のために命をお捨てなされようとしているお方でありますか」
「へへ」
 竜馬は、チョウサイ坊のようにわらっている。
「日本人です」
「にっぼん人?」
 さな子は妙な顔をした。そんなものは実在しないのである。
 すくなくとも幕末には、日本人は実在しなかった。
 志士と名のつく者は、佐幕人か、神秘的勤王主義者か、あるいはこれとは別の分類でいえば、薩摩人、長州人、土佐人、幕臣、諸藩の士、公卿、といったように、それぞれが属している団体の立場や、主義に属し、それらを通してしかものを考えず、それによって行動した。
 薩摩の大久保一蔵、西郷隆盛、長州の高杉晋作、桂小五郎といった連中も、ついにはその所属藩の立場を超越できなかった。つまり、薩摩人、長州人であった。
 幕末で、日本人は坂本竜馬だけだったといわれる。

人はどうしても思考の枠組みの中でしかものごとを考えられない。

幕末の志士たちにとっての思考の枠組みとは、所属する藩であった。

これを超えて発想する者はいなかった。

所属藩を中心に考えたのでは薩長連合や大政奉還という発想は決して出てこないであろう。

竜馬が幕末の世であれほどの活躍ができたのは、所属藩を超えた「日本」という枠組みで物事を考え発想できたからであろう。

「器の大きさ」という言葉がある。

私達がどのような枠組みで物事を考えているのかを表す言葉。

それが人物としての大きさや奥行きにつながる。

「自分」を中心にしか発想できない人物は、その程度の「器」

「家族」「会社」「地域社会」「日本」・・・

それぞれが自分の「器」となる。

私は何を中心に発想しているのだろうか?

自分に問いかけてみる必要がある。

なぜなら、それが自分の「器」なのだから。

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