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2013年1月16日 (水)

イマジネーション/赤川次郎

33497462 小説とか映画とかドラマとか、ああいうものが、現実の役に立たないのに……そうですよね、別に小説を読んだからといって、大学受験に合格するのでも何でもないわけですから、現実の役にはたいして立たない。それなのに、なぜ、ああいうものがいつまでも作り続けられてくるか。だいたい恋愛小説なんていうのは、何百年も昔から同じようなことを繰り返して書かれてきているわけですが、それが、今なお読まれ、また書かれている、というのは、それを読むことによって、読み手が想像力を育てることができる。
 つまり、自分が見える範囲、自分が接することのできる人間というのは、非常に限られた部分でしかないわけです。どんなに頑張ったって、地球上の一億人と知り合い になることはできません。ほんとにごく限られた何千人かの人としか接する機会はおそらくないと思いますけれども、たとえ接することがなくても、自分と違う場所、違う時代に生きた人間であっても、そこに生きて、何を考えて、何を感じていたか、ということを想像することができたら、自分の人生というのは、たいへん豊かなものになっていきます。

本書は人気作家、赤川次郎氏のエッセイ。

赤川氏のミステリーは、比較的軽い感じのものが多いのだが、本書は極めて真面目に書かれている。

この箇所では、タイトルの通り、人が生きていく上でイマジネーションがいかに大事かを説いている。

おそらくこのことは、著者が作家を生業としているだけに、自分の仕事の意味を問い続けた一つの答えなのではないだろうか。

なるほど、小説は書かれている内容自体はフィクションである。

実用書やノウハウものと違い、たくさん読んだからといって、実生活に直接役に立つわけではない。

では、小説を読むのは単に自分が楽しむためだけなのか?

そうではない、

それによって私達は疑似体験をすることができる。

自分とは違った時代、国、境遇に生きた人の人生に思いを巡らせ、想像の上であっても様々な体験をすることができる。

つまりイマジネーションが豊かになる。

これが一番大事なこと。

考えてみたら、今起こっている様々な問題、

最近で言えば、教師の体罰の問題。

もし、あの教師にもっと豊かな想像力があったなら、

人の痛みを自らのものとすることができたなら、

あのような悲劇は起こらなかったのではないだろうか。

ところがテレビは相も変わらずワンパターンの報道をしている。

ここからのテレビメディアを中心とした展開はほぼパターン化されている。

まず当事者である教師、校長、学校、教育委員会へのバッシング、

そして体罰の是非論へ・・・

しかし、結局、根本問題の解決には至らない。

何かが間違っている。

法律で規制することは確かに必要だが、この問題こそ、人間の想像力の問題である。

おそらくこの問題は、体罰が良いか悪いかという問題ではない。

むしろ、現代に生きる多くの人の想像力が恐ろしく劣化してきているということの副作用といえるもの。

そして、本離れが今後ますます進むとしたら、これからの社会は非常に生き辛いものになっていくのではないだろうか。

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