CEO仕事術/吉越浩一郎
日本における成果主義は何が間違っているのか。
それは、「成果主義」と言いながら、実際には社員に「ノルマ」を押しつけるだけになっている点だろう。会社の都合で決めた数値目標を掲げて「これを達成しろ」と命じるだけでいいなら、経営者は楽なものである。そこには「マネジメント」と呼べるほどの手間も工夫も不要だから、素人にでもできるに違いない。
本来は目標を、段階を設定しながら達成していき、そのあいだに着々と成果を上げるための仕組み・環境づくりを、会社をあげてしていかないといけない。(中略)
そもそも経営とは、会社が大きな成果を生み出すための「仕組み」を作り上げる作業であるのに、日本の経営ではそこが欠落しているケースが多いのだから、生産性が落ちるのは当然だ。いまや、一人当たりのGDP(国内総生産)でシンガポールにも負けている。
それではシンガポールのビジネスマンが「ガンバリズム」で血眼になって働いているかといえば、決してそんなことはない。実際は残業もほとんどなく、実に効率よく「成果」を上げている。経営者が、そういう「仕組み」を作り上げているからである。
日本では、成果主義の評判があまりよくない。
かつての年功序列型の賃金体系が見直され、成果主義を導入した企業も多くあるが、「やはり日本人には合わない」「個人主義に走ってしまう」「短期志向になってしまう」といった不満が聞こえてくる。
中には、内容も深く理解しようとせず、「成果主義」という言葉そのものに拒否反応を示す人もいる。
私は様々な企業で人事制度を導入する支援をしているが、はっきりと言えることは、これは成果主義そのものがいけないわけではないということ。
多くの場合、成果主義に対する思い込みや誤解から来ている。
もし、成果主義が社員に達成すべき目標を与え、その達成度合いに応じて給料の差をつける制度だと考えている人がいたとしたら、それはあまりにも理解が浅い。
それは単なるノルマ主義である。
馬の鼻面にニンジンをぶら下げれば、馬は一生懸命走るだろう、という仮説に基づくものが成果主義だと考えているとしたらそれは大きな誤解である。
人間、そんなに単純なものではない。
与えたノルマを達成すれば○、達成できなければ×というやり方は、一見すると「成果主義」に基づいているように思える。
しかし、ただ目標を与えて「頑張れ!」と社員の尻を叩くのは、単なる「根性主義」だ。
いわば助走なしで無理やり「ここまでジャンプしろ」と命じているようなもの。
誰もそんな会社で働こうとは思わないだろう。
「ここまで跳べ」と、ややストレッチした目標を与えた上で、その目標を達成するための「プロセス」まで含めて支援する仕組みが成果主義である。
言葉を換えて言えば、成果主義とは、経営者と社員が一体となって成果を上げる仕組みである。
日本はいまさら年功序列に逆戻りすることはできない環境にある。
その意味でも、日本人もそろそろ頭を切り替えた方がよい。
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