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2013年2月23日 (土)

世に棲む日日(一)/司馬遼太郎

Photo ある夏のことである。その日格別に暑く、野は燃えるようであった。暑い日は松陰は大きな百姓笠をかぶらされた。この日もそうであったが、しかし暑さで顔じゅうが汗でぬはえか濡れ、その汗のねばりに蝿がたかってたまらなくかゆかった。松陰はつい手をあげて掻いた。これが文之進の目にとまった。折濫がはじまった。この日の折濫はとくにすさまじく、
 「それでも侍の子か」
 と声をあげるなり松陰をなぐりたおし、起きあがるとまたなぐり、ついに庭の前の崖へむかってつきとばした。松陰は崖からころがりおち、切り株に横腹を打って気絶した。(中略)
 玉木文之進は、兵学のほか、経書や歴史、馬術、剣術もおしえる。しかしそういう学問や技術よりも、
--侍とはなにか。
 ということを力まかせにこの幼い者にたたきこんでゆくというのが、かれの教育方針であるらしかった。
 玉木文之進によれば、侍の定義は公のためにつくすものであるという以外にない、ということが持説であり、極端に私情を排した。学問を学ぶことは公のためにつくす自分をつくるためであり、そのため読書中に頬のかゆさを掻くということすら私情である、というのである。
 「痒みは私。掻くことは私の満足。それをゆるせば長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になる。だからなぐるのだ」
 という。肉体を殴りつけることによって恐怖させ、そういう人間の本然の情(つまり私利私欲)を幼いうちからつみとるか封じこんでしまおう、というのがかれのやりかたであった。

吉田松陰は5歳から18歳までの間、玉木文之進から教育を受けた。

彼は「侍は作るものだ。生まれるものではない」という意味のことを絶えず言っていたという。

しかし、この教え方、現代であれば完全に体罰である。

玉木は現代であれば体罰教師である。

玉木の教え方は極端であったにしても、当時はこのような教育が当たり前だったのだろう。

むしろ、このような形でしか侍は作れないという共通の認識があったのかもしれない。

確かに昔から「身体で覚える」ということはよく言われる。

そして事実、体罰が「身体で覚える」ことに効果的であったことは事実であろう。

やはり、人間、体罰による身体の痛みは忘れないもの。

体罰必要論がいまだに根強いのもこのようなことから来ているのであろう。

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