« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月の31件の記事

2013年3月31日 (日)

日記の魔力/表三郎

51zlvmztxxl_ss500_  一昔前までの脳科学では、脳の神経細胞(ニューロン)は大人になってからは減る一方で、決して増えることはないと言われていた。
 だが、その後の研究で、大人になってからもニューロンは日々生み出されていることがわかってきている。
 新しく生まれたニューロンは、他のニューロンと連係するために突起を伸ばし、その先端部にシナプスをつくる。このシナプスにおいて神経伝達物質が行き交うことによって、脳は様々な働きをこなしている。
 つまり、脳は大人になってからも日々つくり替えられているのだ。
 しかもこの新生ニューロンの数は、年齢ではなく、ストレスの量で変わるというのだ。
 もちろん、ストレスが少なく、感動の多い生活をしている人の方が、新生ニューロンの数は多くなる。

近年の脳科学の進歩によって、脳に関する様々なことがわかってきた。

中には、それまでの常識を覆す内容のものが解明された例もある。

その中の一つに、「脳は大人になってからも日々つくり替えられている」というものがある。

そして、新生ニューロンの数は、年齢ではなく、ストレスの量で変わるということ。

これから超高齢化社会を迎える日本にとっては、歓迎すべき情報である。

さて、本書で著者は日々日記をつけることを勧めている。

その日記というのは一般に考えられているものとは異なり、「行動の記録」をパソコンでつけるというもの。

そうすることによって脳が軽くなる、つまり脳にかかるストレスが軽減される。

結果として数多くのニューロンが生まれ、そこから伸びた突起が互いに結びつき、新たなネットワークを形成するようになる。

つまりパソコン日記に記憶作業を委任し、脳の回路の負担が軽くなったために、ストレスが減り、脳の活動が活性化する、というもの。

これは一度試してみてもよいのではないだろうか。

負担がかからない程度で。

2013年3月30日 (土)

もーイヤだ、こんな会社辞めてやる!/山崎修

510bafzg19l_ss500__3  「自分の仕事がつまらない」と言っている人の話をよく聞いてみると、「自分の仕事だ」という実感が乏しい様子がうかがえます。他人ごとで、愛着が持てずにいるから、大事にできないのです。
 それでは、「自分の仕事」と思うためには、何が必要でしょうか? 私は、「わずかでもいいから自己表現が入っていること」だと考えています。
 書類をコピーして綴じる、という仕事でも、コピー機のガラスをきれいに掃除して、鮮明に写るように気配りをし、ピタッとそろえて同じ位置できちんと綴じる。 そして原稿は元の状態に戻して返す。
 これらのことがよどみなくできれば、「お茶くみ、コピー取り」とバカにされる仕事でも、「日本一のコピー取り」と自負していくことができます。
 書類をパソコンで作成する仕事でも、文字遣い、レイアウト、書体の大きさと使い分けにきちんと気を配れば、「キミの作った書類は、いつも読みやすいね。今度、ぼくのも頼むよ」と評価されることでしょう。

新卒社員の3割が3年以内に辞めるという。

理由は「自分の考えている仕事ではなかった」「仕事が面白くない」「この会社では将来が見えない」等、様々。

そもそも最初から何もわからない新人に、大事な仕事をやらせるわけがない。

新人に最初に回ってくるのは、雑用や補助的な仕事である。

今の時期であれば、お花見の場所取りなんかをやらせる会社もある。

しかし、だからといって、せっかく苦労して就職したのに、すぐに見切りをつけてしまうのはあまりにモッタイナイ。

では何が問題なのだろう。

著者は、大事なことは「得意技」と「等身大」であると述べている。

たとえば、同じ職場でも、つまらなさそうに仕事をしている人がいる一方で、楽しんで仕事をしている人がいる。

その人たちを観察してみると、仕事で無理をすることが少なく、小さくても自分の得意なことを生かしている。

つまり、「得意技」を持っている。

但し、「得意技」といった場合、なにか大それたことを考えがちだが、それではうまくいかないことが多い。

それだと、仕事に自分を合わせようとして背伸びをしたり、無理に身をかがめようとしなければならない。

そこに無理があるので続かない。

無理なく続ける為には、仕事が身の丈に合っていることが重要。

つまり「等身大」であるということ。

そのためにはまず、目の前の仕事に自分なりの一工夫を加え、それによって「自己表現」すること。

「自己表現」というと、オリジナリティのことだと思っている人がいるが、そうではない。

「自分がこの仕事を全力でやったら、どういうものになるか」が自己表現であり、妙なオリジナリティは「自己顕示欲」の表れでしかない。

そうなると、自己表現のできない仕事はほとんど存在しなくなるのではないだろうか。

要は、面白い仕事を求めるのではなく、工夫して目の前の仕事を面白くすることである。

2013年3月29日 (金)

日本が世界一「貧しい」国である件について/谷本真由美

51zb7vdsykl__aa278_pikin4bottomrigh 私はこういう人達を「クレクレ詐欺」と呼んでいます。貰えるのが当たり前で、自分は何もしないからです。
 私は日本の問題の多くは、この「人任せ」と「クレクレ詐欺」が蔓延していることが根本にある気がしてならないのです。つまり、自発性のなさ、主体性のなさ、発想力のなさ、です。人任せで独自性がないからこそ、世界をあっと言わせるような斬新なサービスや商品が企業から生み出されない気がしますし、政府がやっていることも外国の政策の劣化コピーです。

著者は元国連職員で現在ロンドン在住している。

そこから見た日本は、「かわいそうな国」であると述べる。

特に日本人は何でも人任せ、自分で考えようとしない、と。

世の中がうまくいっていて、安定している時代には「人任せ」でも良かったのかもしれない。

昔、クレイジーキャッツの植木等が歌った歌詞に「サラリーマンは、気楽な稼業と来たもんだ」というものがあった。

しかし、今後、サラリーマンは必ずしも気楽な稼業ではなくなるかもしれない。

今、国会で、正社員の解雇規制を緩和する法律が議論されている。

そもそも、日本ほど正社員が守られている国はない。

しかし、この規制の副作用が社会の隅々にあらわれてきている。

そうなると、今後はサラリーマンも本当の意味で自立することが求められることだろう。

これからは、個人の能力や個性が問われ、自発的に何かやる人が欲しい物を得られる時代になるかもしれない。

今時流に乗っている会社や研究を見ていればわかるが、求められているのは、独自性のある付加価値を生み出す人である。

言われたことを繰り返すだけの人、付加価値を生み出せない人の仕事はなくなるかもしれない。

2013年3月28日 (木)

ずっとやりたかったことを、やりなさい。/ジュリア・キャメロン

Photo  心を一つの部屋として考えてみよう。その部屋の中に、私たちは人生、神、可能なことと可能ではないことについての、すべての考えを保管している。部屋にはドアがあって、少しだけ開いたすき間から、外のまばゆい光がほの見えている。まばゆい光の中には、たくさんの新しいアイディアがあるが、あまりに奇抜に思えるので、外に締め出したままにしている。私たちにとって心地のよい考えはすべて、部屋の中にある。
 創造性が回復されていない普通の状態では、奇妙なことや恐ろしいことを聞いたとたん、私たちはノブをつかんでドアを素早く閉めてしまう。

人は誰もが創造性を持っている、

ただ、多くの人は心にタガをはめ、創造性をとじ込めてしまっている。

もし、この心のタガを外し、創造性を解き放つことが出来れば、人の可能性はもっと広がるはず。

本書でいっていることは、このようなことである。

そして、創造性の回復のために、著者は二つのツールを紹介している。

一つはモーニング・ページ、

もう一つは、アーティスト・デート。

モーニング・ページとは、毎朝、3ページほど、意識の流れをありのままつづった手書きの文章を書くということ。

何でもよいので、とにかく書くことが大事だという。

そしてアーティスト・デートとは、自分の中にある創造的な心を育む為に、週2時間ほど、自分の内なるアーティストとデートするということ。

とにかく時間をかけることが大事で、それによって最初は子供であった内なるアーティストがだんだん成長していく。

そして著者は、その為の12週間のレッスンを紹介している。

これらをすべてやるのはかなりハードルが高いことにように感じるが、

そこまでしなくても、自分の中には創造性にあふれたアーティストの子供がいるのだということを信じるだけでも、人の生き方はずいぶんと変わってくるのではないだろうか。

大事なことは自分の可能性を自らつぶしてしまわないことである。

2013年3月27日 (水)

学校ではあつかえない世界史

9784309495699 第二次世界大戦期のイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニは、「血のみが歴史を前進させる」といった勇ましいセリフとは裏腹に、相当に神経質で臆病な面を持っていた。
 まず、ムッソリーニは、香水に対する極度のアレルギー症だったことが知られている。香水の香りやエーテルのにおいをかぐと、失神してしまったのである。好色なムッソリーニは、その生涯を通じて数々の女たちとベッドをともにしたが、相手を選ぶときの第一条件は香水をつけていないことだったという。
 また、ムッソリーニは、戦場で倒した相手の死体をみて嘔吐してしまうほどの小心者でもあった。指導者になってからの彼は、「開いた雨傘」を極端に嫌ったが、その理由は、傘の陰から暗殺者に狙われはしないかとつねにビクビクしていたからである。

本書は歴史上の人物の様々な隠れたエピソードを紹介している。

中でも興味深いのは、独裁者と呼ばれる人物はほぼ例外なくコンプレックスの塊であったということ。

上記のムッソリーニ然り、ヒトラー然り、ナポレオン然り、である。

逆に言えば、そのようなコンプレックスがエネルギーとなって強烈なリーダーシップを発揮させたとも言える。

願わくば、そのエネルギーが正しい方向で発揮されれば尚よかったのだが・・・

2013年3月26日 (火)

ミッションからはじめよう!/並木裕太

9784799311370 一般的にビジネスなどで成功しているのは、ミッション、ロジック、リアライズの三つを全て持っている人です。
 残念ながら他界してしまいましたが、アップルのスティーブ・ジョブズも、じつはこの三つを持っていました。
 「誰もがコンピューターを使えるようにし世界に変革をもたらす」というミッションを非常に強く持っていたことはよく知られていますが、新製品を発表するときの、あの練りに練った効果的なプレゼンには、どうすれば人々がまだ見たことのないもの、使ったことのないものの便利さ、楽しさを理解し、それをほしいと思うのかを徹底的に洞察し、工夫を重ねた相当のロジックが感じられます。(中略)
 もちろん、ジョブズにはリアライズもあります。かれがペプシの社長のジョン・スカイリーを引き抜いた際には、毎週、飛行機で通って口説き落としたといいます。そのときの口説き文句も有名です。
 「あなたは残りの人生を砂糖水を売って過ごすのですか?世界を変えるチャンスを手にしたくはないのですか?」

事業に成功するためには「ミッション」「ロジック」「リアライズ」の3つが必要だと著者は言う。

そして、本書では、そのための方法論について述べている。

中でも本書のタイトルにもなっている「ミッション」は、核となる考え方であるだけに、一番重要であろう。

ミッションとは自分たちの目指す姿や提供する価値を定義したもので、全ての判断基準となるもの。

これをしっかりを作り込んでメンバーと共有することが大事。

ただ、多くの企業活動はこのミッションなしに行なわれているのが現実。

または、それが共有されずにいる。

そのため短期志向に陥り、目先の売上の数字に追われ、社員はどんどん疲弊してゆく。

やはり個人も会社もミッションをしっかりと持ち、そこから個人や事業を建て直していくことが大事ではないだろうか。

2013年3月25日 (月)

JAL再生の真実/町田徹

Photo ナショナルフラッグ・キャリアと言えば、どこか華やかなイメージがつきまとうが、破綻までのJALのコスト管理は「親方日の丸」的な「どんぶり勘定」と言った方が実態にあっていた。現場には、費用とか収支とかいう概念がすっぽりと抜け落ちていた。評価、判断の基準が存在せず、採算の合わない団体客であっても、たくさんの契約をとってくればお手柄になるといった不合理な話しが蔓延していたらしい。人員削減の上積みとアメーバ経営の導入によって、JALの現場の収支は劇的に改善していった。この地道な努力は一年以上にわたって継続された。

本書は、JALの破綻までの道筋と再生に至るまでをレポートしたもの。

どうしてJALは破綻したのか、それは破綻すべくして破綻したと言ってよい。

外部からの批判を受け入れない内向きの組織、

「政府がウチを潰せるわけがない」という傲慢さ、

実態より負債を少なくみせる「お化粧決算」と、どんぶり勘定の収支管理、

経営層と対立を繰り返す6つもある労組、

親方日の丸、危機感のまったくない組織、

これだけのものが揃えば潰れないほうがおかしい。

そして、ついに破綻する。

その後の再生への道は、一言で言えば企業経営の基本に立ち返ったということ。

稲盛氏が導入したアメーバ経営とは、組織を細かく分割して小グループに分け、収支を管理することにある。

「収入」「費用」等を細かく記入し、一日毎の収支が把握できるようにする。

そして1万円単位で当初計画と実績のズレを追究し、即座に対応を求める。

これを地道に継続することによって、再生していったという。

ある意味、企業経営の基本であるが、いかにこれが大事かということを示している。

2013年3月24日 (日)

成功はすべてコンセプトから始まる/木谷哲夫

Photo  出来たときのことを考えると、ワクワクする。実現すれば、良いことが続いていくはず。達成できるまではいろいろな困難があるかもしれないけど、何とか頑張ってみよう。そういう気持ちにさせる、将来のあるべき姿が「コンセプト」です。(中略)
 いったい「コンセプト」とは何でしょうか?
 それは「自分が実現したいことの包括的なイメージ」です。もし実現すれば、ワクワクする「あるべき将来像」であり、自分が本気になり、心の底からコミットできるものです。

ある目的の為にチームが形成されたとき、まず最初に行うのがコンセプト作りである。

または、リーダーがコンセプトをみんなに示すこともある。

いずれにしてもコンセプトは活動に不可欠なものである。

これがうまくいくと、その後の活動がスムーズに進行する。

様々な困難な問題に直面したときにも、立ち返るべきコンセプトが明確だと、その壁を乗り越えることができる。

コンセプトとはこの位大事なものである。

にも関わらず、多くの活動ではこれが不明確であることが多い。

また、重要視されていないこともある。

時間がもったいないと、すぐに作業にはいってしまうことがある。

その結果どうなってしまうのか。

多くの場合、忙しく動き回っているにも関わらず、達成感が全くないということが起こる。

チームはバラバラになる。

最後は空中分解のような形で終わってしまうことすらもある。

特にリーダーにとって、コンセプトを作るスキルは必須のものではないだろうか。

2013年3月23日 (土)

教え上手/有田和正

Photo ユダヤの知恵は子どもに魚を与えず、魚の捕り方を教えるといいます。人を教え、育てる方法もそうであるべきです。つまり、即効性のある答えをすぐに教えるのではなく、その答えを自分で導き出せる考える力を養うことです。答えばかりをたくさん教わっている人に、問う力を備えることはできません。
 ですから、教え惜しみは教え上手の重要な条件であり、百ます計算のように答えをすぐに求めない、答えをすぐに与えない。それよりも考えるプロセスをたっぷりとる。そこに人を教え、育てるときの重点はあるべきです。

著者は、50年近く教育の第一線で活躍した教育界のカリスマ。

教え上手のポイントは「いかに教えないか」にあるという。

答えをすぐには教えず、自分の頭で考えさせる。

結論を急がず、即答を要求せず、ゆっくり考えさせる。

あえて大事なポイントを隠してヒントだけ与える。

わざとあいまいなことや間違ったことを提示して、固定観念や既成概念に揺さぶりをかける。

このように「自ら考えさせる」ことで、教わる側の人を深い思考の中へと誘導していく。

結局人は、自分で気づいたこと、考え出したことしか自分のものにならないということであろう。

これは対象が子どもであろうが、大人であろうが、共通して言えることではないだろうか。

私自身、企業研修の講師として立つことも多いので、多くの気づきを与えられた。

2013年3月22日 (金)

ブルーオーシャンとコーポレートブランド/藤田勉

201674_01_1_2l  日本企業がレッド・オーシャンから脱出できない最大の理由が、リーダーシップの問題であると考えられる。日夜必死に戦っている現場からは、撤退するという意見は出しにくい。「自らをリストラしてくれ」と言うに等しいからである。典型的なレッド・オーシャンから早期に撤退し、この状況を解決しうるのは、最高指揮官のみである。

レッド・オーシャンとは多くの会社が生き残りをかけて死にものぐるいの戦いをしている市場。

お互いが血で血を洗うような戦いをすることによって、海の色が真っ赤に染まることから、レッド・オーシャンと呼ぶ。

対するブルー・オーシャンとは、競合が存在しない大海原で自由に航海をすることができるというイメージ。

競合が存在しないということで、ブルー・オーシャンと呼ぶ。

そして日本の多くの企業はレッド・オーシャンで断末魔の苦しみを味わっている。

著者は、レッド・オーシャンから脱出できない理由はリーダーシップの問題であると述べる。

確かに、市場から撤退するという決断は強いリーダーシップがなければできない。

しかも、その決断が遅ければ遅いほど、出血多量となり、企業は再起不能の状態まで追い込まれる。

今、ソニー、パナソニック、シャープと言った名だたる家電メーカーが苦しんでいる。

これら3社に共通していえるのは、もはやコモディティー化した事業からの撤退が遅れたことにある。

または同じ事業をするにしても価格競争以外の新たな競争軸を打ち出すことができなかったから。

巨額の赤字を計上していても、事業から撤退するのは、日本企業にとって至難の業である。

投資した金額が大きい場合、早期の撤退にはかなり強力なリーダーシップが必要である。

しかし、時間が経つと、多くの人が撤退に賛成するため、強力なリーダーシップは不要である。

このため、その企業の経営自体が危機に陥るか、誰もが諦めるまで、撤退は実行されないことが少なくない。

労使協調型で、かつ強いリーダーシップを好まない「日本的経営」は、リストラを嫌う。

そのため、撤退の判断を苦手とする日本企業が少なくない。

結果として、個々の業種、生産品目で競争企業数が多く、過当競争気味になり、そして収益性が低下する。

今、アベノクスクで経済が元気になる兆しがある。

この流れにうまく乗れるかどうか、問題はやはりリーダーシップであろう。

2013年3月21日 (木)

社長復活/板倉雄一郎

Isbn9784569809236 ある革新的なアイデアを思いついたとき、同じようなアイデアを思いつく人は、恐らく世界に1万人はいる。
 アイデアを思いついた人の中で・・・・・
 大部分は、アイデアを思いついたことだけに満足し、その可能性に気がつかない。
 内1000人は、ブログやSNSを通じてアイデアをシェアし、少々の賞賛に満足する。
 内100人ぐらいは、アイデアを事業化する可能性を探る。
 内30人ぐらいは、具現化にたどりつくが、多くはアイデアに起因しない原因で失敗する。
 残った10人ぐらいが成功の島にたどり着くが、小銭程度で当初の夢を売り払う。
 最期に3人ぐらいが成功の島を手に入れる。
 成功の島を手に入れた3人とそれ以外の決定的な違いは、
 事業を遂行しようとする起業家の【意思】の違いに他ならない。

本書の著者板倉氏は、起業家として一度は成功したものの、その後倒産の憂き目にあい、どん底を味わい、再び起業したという経歴の持ち主。

ここでは、起業家として成功するには何が大事かということを述べている。

ただ単に革新的なアイデアを思いつくだけではダメ、

それを具現化させ、いくつもの壁を乗り越え、小さな成功で満足せず、成功を手に入れるまでチャレンジし続ける強い意思をもつことだと。

かなりハードルが高い。

確かに、多くの起業家の書いた本を読んでいつも感じるのは、普通の人とは明らかに違った感覚を持っているということ。

特に感じるのは、強烈な成功への意思を持っているということである。

恐らくそのようなものがあるからこそ、様々な困難を乗り越えることができるのであろう。

ただ、日本人の中にこのような人はどのくらいいるのだろう。

ほとんどの日本人は、程々で満足してしまうのではないだろうか。

さらに、日本は一度起業に失敗した人が、再チャレンジすることはむずかしい国。

そのことは日本の起業する人の数に如実にあらわれている。

さらに一度起業に失敗し、再チャレンジする人となるともっと少ない。

その意味では、板倉氏は異例と言えるかもしれない。

でも、このような人がどんどんあらわれてくるようにならないと、本当の意味で日本が活性化したことにはならないのかもしれない。

2013年3月20日 (水)

若者のホンネ/香山リカ

419gmwlucrl__sx230_ 精神医学の領域では、1970年代から「仕事となると本気を出せないが、ボランティアや趣味となると生き生きとがんばれる」というタイプの人たちが存在し、少しずつ増えているという現象が注目されていた。
 精神医学者の笠原嘉氏は、こういった傾向の背後に「正業不安」という心理を見ている。「仕事となると怖じ気づき、本気に取り組むことができないが、副業や課外活動となると全力投球できる」という人たちは、自分が評価されることをどこかで恐れている。
 だからこそ、仕事の場では「本気は出していないし」という態度を取り、ボランティアや趣味のように「これはあくまで本業じゃなくて遊びだから」と自分やまわりに言い訳ができるような場面だと、逆に一生懸命に取り組むことができるわけだ。もちろん、彼らはそういった課外活動を本業にした瞬間、今度はそちらに真剣に向き合うことができなくなり、休みがちになったり手を抜いたりしてしまう。

本書は、精神科医香山氏の現代若者論である。

「最近の若者は・・・」という言葉は、古くは古代エジプトの壁画にも書かれていたということなので、いつの時代でも世代間ギャップはあったのだろう。

確かに40代50代になれば、自分が若者であった頃のことは忘れてしまい、今の若者が頼りなく見えるもの。

そこで、自分の若いころのことは棚上げして、「最近の若者は」という言葉が、ついつい口をついて出てくる。

ただ、そのようなことはあるとしても、事実として、昭和に生まれた人間と、平成生まれの人間とは、生まれた時代が違うわけだから、同じであるわけがない。

やはり生まれた時代を背負っているものである。

例えば、上記の「正業不安」という心理、

これは確かにある。

仕事の場でも「まだまだ自分の力はこんなもんじゃない」と、どこかに逃げ道を用意している。

そして趣味に走る。

本気で仕事に向き合おうとしない。

つまり「あなたの実力はこんなもの」と評価されることに対する恐れがとこかにあるのである。

精神医学の領域では、1970年代から、このような現象が注目されていた、ということだが、

今やそのような若者が増殖し市民権を得るようになってきたということではないだろうか。

2013年3月19日 (火)

政治家の品格、有権者の品格/金美齢

4179b4o56fl__sl500_aa300_ 一寸先は闇の政界で国のために働き、さらにギリギリの交渉や駆け引きを行なう外交、国際政治の修羅場を乗り切るには、人を見極める力が不可欠である。そして人間の本性は、究極の選択を迫られたときに初めて現れる。
 誰が本物で誰が偽者か、誰が本当の自分の友人か。英語では、「フレンド・イン・ニード・イズ・フレンド・イン・ディード」というフレーズがある。
 小泉氏は2001年9月11日に発生した同時多発テロの後、すぐにアメリカへ飛び、ブッシュ大統領に対して「I stand by you」と言った。イラク戦争の開戦についても、真っ先にアメリカ支持を表明した。メディアは対米追従だと批判したが、私は重要な意味を持つ行動、発言だったと思う。しかも「I stand by you」、「Stand  by U.S.A」という言い方は、彼がアメリカ映画好きだから、とっさに映画のセリフに引っかけたフレーズが出てくる。「9・11」はアメリカにとって最大の窮地であった。自分が一番困っているときに手を差し伸べ、「あなたの味方です。一緒に戦いましょう」と言ってくれる人が本物の友人である。

小泉首相といえば、「郵政民営化」「ワンフレーズポリテック」「小泉劇場」という言葉が思い浮かぶ。

良きにつけ悪しきにつけ、国民的人気のある政治家であった。

また、かつてないほど強固な日米関係を築き上げたことは評価してもよいだろう。

そして、その関係はブッシュ大統領との個人的な関係によるところが大きかったといってよい。

ではどのようにして個人的な関係を築き上げたのか。

金氏は、小泉氏と首相になる前に対談したことがあり、その経験を本書で述べている。

そのときの印象は、とにかく話題が豊富な人物であったということ。

政治家でありながら、オペラ、映画、狂言、歌舞伎、オペラ鑑賞、エルビス・プレスリーと、非常に話題が豊富。

おそらく政治とか関係ないこれらの知識がブッシュ大統領と親交を深める上で一役買ったのではないだろうか。

いわゆる政治のことしか知らない人物は政治家としても大したことはできないということが言えるのかもしれない。

最近、教養という言葉はあまり言われなくなったような気がするが、リーダーになによりも必要なのは教養なのではないだろうか。

2013年3月18日 (月)

国難/石破茂

473702 これを身近な例に置き換えて考えてみましょう。
 あなたには山田さんという仲良しの友達がいたとします。もしあなたが強盗に襲われたことが山田さんの耳に入ったら、山田さんは助けに来てくれるでしょう。もちろん、山田さんがやられたら、あなたは助けに行くはずです。友達ですから、当然です。
 しかし、あなたにはそれが出来ないのです。山田さんが危害を加えられているのを見ながらこう言うしかありません。「山田くん、きみは大変な目にあっているけど僕は助けに行けないんだ。ごめんね、家の掟でそういうふうに決まっているから。でも、僕がやられたら助けに来て」。
 おそらく山田さんは、あなたを本当の友達とは思ってくれないでしょう。
 国と国でも同じことです。お互いに守り合うことで信頼関係が築けるのではないでしょうか。いざというときに助けに来てくれない国と、いったい誰が仲良くしたいと思うでしょうか。

本書は著者は自民党幹事長の石破茂氏。

ここでは集団的自衛権のことを説明している。

世界では集団的自衛権は常識である。

集団的自衛権を行使できるかどうかは、国際法によって厳格に定められている。

しかし、唯一例外的に日本ではそうはいかない。

現在の政府の解釈では、国際法によって定められている諸々の条件をクリアしたとしても、日本は集団的自衛権を使うことができないとされている。

厳密に言えば、権利は保有しているが、公使はできないというもの。

だから、日米安保があっても、日本が他国から攻撃を受ければ米国は動くが、米国が攻撃を受けても日本は動かないということになる。

これで本当に同盟関係が成立するのか、米国は本気で日本を守ってくれるのか、という議論がおこるのは当たり前のことである。

誰だって死にたくないし、戦争だってしたくはない。

でも、命をかけてでも守らなければならないものがこの世の中にはあるのだ、という価値観を日本人も持つべきではないだろうか。

2013年3月17日 (日)

勝負哲学/岡田武史、羽生善治

Photo あと一歩に手をぬかない、細部をおろそかにしないチームは必ず強いチームです。そういうチームには「隙がない」からです。
 私はACミランやユベントス、マンチェスターといった強豪チームの練習にもたくさん参加してきましたが、強いチームは練習の空気からして違っています。ワイワイとにぎやかで冗談もいうし、笑顔も絶えないけど、練習それ自体の雰囲気はとても引き締まったものなのです。ちょっとでもいい加減なプレーをすると仲間から批判の声が噴出する。そういう明るい緊張感みたいなものがあるんです。要するに、隙がない、隙をみせない。どこの国でも、優勝するのはそうしたチームです。
 練習だけじゃなく、ロッカールームなんかを見ても、そのチームがどんなチームであるかがわかります。強いチームはロッカールームもちゃんと整理整頓されていて隙がありません。

「神は細部に宿る」という言葉があるが、ここではまさにこのことを言っている。

「細部をおろそかにしないチームは必ず強いチーム」

「強いチームはロッカールームもちゃんと整理整頓されていて隙がない」

一見、整理整頓と勝敗とは関係ないように思えるが、実はそうではない。

確かに、考えてみたら、勝敗を左右するのは細部ではないだろうか。

サッカーでも、局面での一つ一つの判断の良否が勝敗を決める。

「あと一歩が足りなかった」とか

「あの時、あのスペースにパスを出していたら」とか

「あの場面ではパスではなくドリブルだろう」とか

結局、試合後に反省としてあげられるのは細部である。

そして強いチームは、その細部をおろそかにしない。

徹底して細部にこだわる。

細部においても隙をみせない、これが強いチーム。

逆に、弱いチームは細部だからということでおろそかにする。

その僅かな差が勝敗を決める。

それがロッカールームの整理整頓という形にもあらわれるのであろう。

そして、これはサッカーのチームだけなく、多くの組織に当てはまる。

私がかかわっている中小企業をみても、整理整頓や挨拶がキチンとできている企業は業績がよいものだ。

強い組織なのか弱い組織なのか、それはちょっとしたことの違いなのではないだろうか。

2013年3月16日 (土)

日本防衛論/中野剛志

Photo そもそも、中国の成長モデルは持続不可能なものだった。中国は、賃金上昇を抑えて競争力を維持し、国内消費を抑えて投資に偏重し、輸出主導の成長を追求した。そして素材や中間財を輸入し、加工・組み立てした最終製品を欧米に輸出し、稼いだ貿易黒字は国内に還元せず、海外投資に向けた。中国の輸出はGDP(国内総生産)の三割近くを占めた。
 しかし、この成長モデルは、一方的に輸入する巨大な消費市場がなければ成り立たない。それがアメリカであった。だが、アメリカの消費が旺盛であったのは、住宅バブルのおかげに過ぎなかった。日本をはじめとするアジアの中間財輸出国や資源輸出国は、中国への輸出で潤っていたが、それは中国の成長というよりは、中国の輸出先であるアメリカの住宅バブルのおかげだったのである。したがって、アメリカの住宅バブルが崩壊し08年のリーマン・ショックで欧米が深刻な不況になれば、当然の帰結として、中国そしてアジアの成長も終わってしまうのである。

世界は今、「気候変動」「軍事」「国際政治」「エネルギー」「食糧」「自然災害」などのグローバル・リスクに直面していると著者は述べる。

これらのリスクが想定されているにもかかわらず、何か事がおこったら「想定外」と言うのは、単なる責任逃れにすぎない。

やはり想定されるリスクに対しては、十分な対策を練るべきだろう。

そして、今、大きな問題となっているものに中国リスクがある。

迫りくる中国のリスクに対応するためには、はっきりとした戦略と具体的な対策が必要だ。

中国は、先進諸国とは異なり、内需が拡大しにくい経済社会構造をもっている。

中国のGDPのうち、労働所得の占める割合が非常に低く、4割程度しかない。

労働所得の低さは、家計消費に悪影響を及ぼす。

実際、中国のGDPに占める家計消費の比率は35%以下しかない。

家計消費の割合が低ければ、景気刺激策を講じても、内需拡大の効果は限定的になる。

また、一人っ子政策の影響で、中国は近い将来、高齢化していく見込みである。

そしてこの高齢化が、成長を鈍化させることも明らか。

戦後の日本は、中所得国から高所得国への移行を成し遂げた。

70年代の世界不況を乗り切って、高度成長から安定成長へと転換することにも成功した。

しかし、同じ高度成長でも、今の中国とかつての日本とでは条件が大きく異なる。

ここに注意を払わなければ、中国が直面している問題の本質を見失うことになろう。

そして、今後、この大国とどう付き合っていくのか、大きな課題である。

この国のリーダーははっきりとした方向性を示すべきだろう。

2013年3月15日 (金)

「先延ばし」にしない技術/イ・ミンギュ

Photo「切実に願い、生き生きとイメージしさえすれば、夢がかなう」といったプラスの自己暗示は、実際には思ったより効果がなく、目標を達成するうえでかえって邪魔になることもある。
 心理学者のリエン・ファムは、ある大学生のグループに中間テストで高い点数を取った場面を「毎日生き生きとイメージしてごらん」と言って、そうでない大学生のグループと実際の中間テストの点数を比べてみた。研究の結果は予想を裏切るものだった。高い点数を取ったのは、イメージしなかった学生たちだったのだ。イメージした学生たちはかえって勉強時間も少なく、成績も低かった。
 実際、切実に願えば必ずかなうとか、生き生きとイメージすれば何でも実現するということを法則のように信じる人たちの中には、大失敗をした人が意外に多い。

「切実に願えばかなう」

「生き生きとイメージすれば夢が現実になる」

自己啓発書によく出てくるフレーズである。

ところが、これは間違っているという。

むしろ、生き生きとイメージしたことがマイナスに働くことすらあるという。

その理由は、著者の解説によると、自信過剰になって計画を膨らませすぎた結果、「計画誤信」を引き起こすため。

バラ色の未来をイメージしてばかりいる人たちは、成功を手にする前に、簡単に挫折してしまい、イメージの中に逃げ込む可能性が高い。

イメージの中に浸りきって、現実に適応できなくなってしまう。

理想のタイプにこだわって良縁を次々と断る人、

可能性のないビジネスにバラ色の幻想をいだいて財産をつぶす事業家、

一攫千金の夢におぼれて身を滅ぼすギャンブラー、

これらはみんなこの類い。

彼らはみんな、望むものを生き生きとイメージし、成就を心から願った。

しかし、それが全てだった。

これでは失敗して当たり前である。

やはり努力に勝るものはないということではないだろうか。

2013年3月14日 (木)

Think Simple/ケン・シーガル

175557_01_1_2l「1」は疑いもなく、人間が発明したもっとも単純な数字だ。単純だから子どもでもわかる。1から離れれば離れるほど、複雑になっていく。
 それが理由で、スティーブはiPhoneのボタンをひとつにすることにこだわり、多くの案を却下して、最終版にたどり着いた。iPhoneのシンプルさは、わざわざそれを使うまでもなく理解できる。ボタンがひとつだけという視覚的手がかりは、それだけでたくさんのことを物語っている。実際に、このひとつだけのボタンは、アップルが見せるシンプルさへの献身の象徴とも言えるものだ。

シンプルさは、アップルの原動力となっている。

そしてそのひとつの象徴が、iPadやiPhoneのたったひとつボタンである。

このことにジョブズ氏のシンプルさへのこだわりが端的にあらわれている。

たとえばiPhoneの多機能さを考えれば、ボタンはいくつあっても足りないくらい。

ところが、それら全てを削ぎ落とし、ボタンはひとつだけ。

ではこのひとつのボタンにはどんな機能を持たせているのか。

それは、そのボタンを押しさえすれば、元にもどることができるというもの。

間違った操作をしても、そのボタンを押しさえすれば、その前の状態に戻ることができる。

これは、使うものに安心感を与えると同時に、冒険心を与えてくれる。

アップルの商品を買ったとき、分厚いマニュアルはついていない。

だからマニュアルなしで、試行錯誤でいろんなやり方を試してみる。

うまくいったら、それでいいし、うまくいかなかったら、ボタンを押せばいい。

そうすれば、元に戻ることができる。

つまり、このひとつのボタンは、冒険心を持たせるための装置でもある。

良く考えたものだ。

でも、会社の組織にもこんなボタンに似たような機能があったらいいのに。

どんなことでもチャレンジして、間違ったら元に戻ることができる。

そしてまたチャレンジを繰り返す。

そんなボタンがあったなら、組織は活性化するだろうに。

たったひとつのボタンはこのようなことをも象徴するもののような気がする。

2013年3月13日 (水)

幕末入門/中村彰彦

Photo さらにいえば、奇兵隊イコール近代的軍隊のはじまり、と考えている人がまだいるようですが、このような認識は少し歴史を美化しすぎています。奇兵隊のなかでも武士階級の出身者とそれ以外の者たちの間には、袖章の相違などの身分差別が厳然とおこなわれていました。上役が平隊士たちの給金を五割もピンハネすることも、珍しくはありませんでした。
 歴史にはつねに、日の当たる部分と当たらない部分とが存在します。長州藩の幕末維新史にとって奇兵隊内の身分差別や暴動一件はもっとも暗い影の部分に相当し、一般にはあまり知られていないようです。
 ですがこのような光と影の部分をともに見つめないかぎり、歴史の真実には迫れないのではないでしょうか。

本書は、幕末で活躍した会津藩、新選組、長州藩、薩摩藩、土佐藩などのことが書かれている。

私自身は山口県人なので長州藩のことが一番興味があるわけだが、長州藩と言えば、吉田松陰、高杉晋作等がすぐに思い浮かぶ。

そして高杉晋作といえば奇兵隊が連想される。

ただ、このような歴史上の出来事や人物を見る場合、それを英雄伝や武勇伝という形で見ると、その中にある闇の部分を見落としてしまう危険がある。

特に歴史上の偉人は美化されがちである。

これは歴史を見る目を誤らせる。

私達は何のために歴史を学ぶのか。

確かに単純に楽しむためということもあっていいだろう。

しかし、何らかの教訓や法則のようなものを得ようとするならば、光の部分と同じくらい、闇の部分を見る必要がある。

いやむしろ闇の部分にこそ多く、得るものがある。

その意味では、多くの時代小説は人物を英雄として美化しすぎているような気がしている。

あくまで個人的な考えだが。

2013年3月12日 (火)

江戸300藩 殿様のその後/中山良昭

4195ireapl__sl500_aa300_ そこで、明治政府は旧藩主たちを東京に集めて、彼らを新体制の補完役として利用することを考えたのである。本来、明治維新を革命とするならば、大名家は消滅すべき存在なのだが、そこが、明治維新の不思議な部分である。旧体制の代表的存在の大名は抵抗勢力とはならず、むしろ近代日本の補佐的役割を果たしていく。
 維新直後には奥羽越列藩同盟に加わった藩は厳しい処分を受けているが、すぐにそれも解消され、多くの大名家が抱えていた借金は棒引きされ、旧石高の十分の一が無条件に支給されたのだから、旧大名家には不満はなかったはずだ。さらに、明治九年、士族と旧大名たちにそれまでの俸禄に代わって金禄公債が支給される。これは、一種の国債で、いわば退職金である。とりわけ旧大名は、この国債の利子だけで、ある程度の生活が維持されることが配慮された。その金額は一万石で一万円程度が基準だったようで、一万石の大名でも金利を五パーセントとして、それだけで庶民以上の生活ができたのだから、現在の価値からすれば少なくとも一億円以上(貨幣価値を換算するのは難しいが)となるだろう。

お殿様たちは、明治維新の後どうなったんだろう?

多くの人が持つ疑問である。

細川元総理が、関ヶ原の戦いなどで活躍した戦国大名・細川忠興の子孫であること位は知っているが、それ以外はほとんど分かっていない。

本書は、そのような疑問を持った著者が、お殿様の末裔が、明治、大正、昭和、平成の激動をどう生きたか、維新以後のドラマを克明に追ったもの。

そしてその結論は、「旧大名家は日本の近現代史形成の確かな一翼を担った存在だった」と言うこと。

旧大名の末裔は、教育、地方経済、政治、軍事、文化等、あらゆる面で活躍している。

そしてその出発点は、時の明治政府の計らいによる部分が大きい。

東西の革命の歴史を見てみると、旧権力者は、多くの場合、悲惨な運命をたどる。

処刑されたり、民衆の中でさらし者にされ、虐殺されたり、

新しく権力を握ったものにとって、旧権力者は抵抗勢力になってしまう可能性が高いことを考えると、当然の仕打ちだとも言える。

明治維新を革命だと考えると、日本は異例だとも言える。

しかし、そのことが、その優れた人材が後の世で活躍する場を広げることになり、それが日本の近代化の重要な役割を果たすことになったのだから、歴史とはおもしろいものである。

2013年3月11日 (月)

たった1日でチームを大変革する会議/永井祐介

1 なぜ、こんなレベルの高い目標が達成できたのでしょうか。
 近藤さんは言います。
 「もしこの目標が上司や会社のトップからおりてきたとしたら、現場の私たちは『ふーん』と言って自分の目標として捉えることが難しかったと思います。ところが永井さんの会議の手法では、あるプロセスを辿ってメンバー全員が意見を出し合い、知恵を絞り合ってこの目標を達成しようという結論に到達したので、主体性を持って仕事に取り組めたのです。時には自分たちでもこっぱずかしいようなチャレンジングな目標が生まれてしまうこともありますが、それも自分たちで作り上げたものだから納得できるのです」

会社には目標がある。

そして、会社目標を達成するために、現場の社員にも目標が与えられる。

通常、その目標は「これをやれ」という形でトップから現場におりてくる。

この時点で、社員は「やらされ感」いっぱいになる。

中には、その時点で、達成できなかったときの言い訳を考えている者もいる。

そして一生懸命目標達成のために頑張っているポーズをとる。

結局、期末になれば目標未達で終わる。

後は言い訳のオンパレード。

こんなことを繰り返している会社があまりにも多い。

何が間違っているのか?

それは目標設定の段階で間違っているのである。

目標に対する納得感がないので、こんなことがおこる。

では目標に納得感を持たせるためにはどうすれば良いのか?

それは、会社の目標設定に社員を参画させることである。

「やらされ感」から「自分たちが考えて立てた目標」という形に変えることである。

以前、日産のゴーン氏が「コミットメント」という言葉を盛んに使っていたことを思い出す。

コミットメントはどこから生まれるのか?

おそらくそれは「参画意識」からである。

本書は目標設定に社員を如何に参画させ、納得感を持たせるのか、ということが書かれている。

多くの会社に求められていることではないだろうか。

2013年3月10日 (日)

BQ(次代を生き抜く新しい能力)/林野宏

51mv3cjy8l__aa278_pikin4bottomright 市場の縮小期に入った現在、ビジネスは格闘技になりました。真剣勝負の世界で評価されるのは、結果を出した人だけです。
 アタマが良くていろいろなことを知っていたり、性格が良くてみんなに好かれる人であっても、結果をださなければアウト。もはや従来の成功法則は通用しないのです。
 私はこれからの時代、「BQ=ビジネス感度」の高い人材がビジネスで活躍すると考えています。

知性、理性・人間性、感性の中でこれまで重視されてきたのは知性と理性・人間性だった。

高品質で便利なサービスを生み出すために、高い知性とチームで協力して働く人間性が必要とされた。

今ももちろんこれらは必要とされるのだが、それだけでは勝ち抜くことができなくなった。

時代とともに消費者が求めるものが変わってきた。

今、消費者が求めているものは性能が優れたものであることは当たり前で、その上で感性に訴えかけるものである。

つまりBQが求められる時代になったということ。

BQはビジネスの能力を示す指標であり、次の式で示すことができる。

BQ=IQ(知性)×EQ(理性・人間性)×SQ(感性)

つまり知性だけでもダメ、理性・人間性だけでもダメ、もちろん感性だけでもダメ

要はこれらを掛け合わせたものが必要とされる、というのが著者の主張である。

確かにそうなのだろう。

そのような人材が必要なのは分かる。

ただ、問題は何人に一人がこのような人材になれるのだろうか、ということ。

少なくとも、私が普段接している中小企業の社員の中にこのような人材はいない。

また、これからもそのような人材があらわれるとは到底思えない。

だったら中小企業は生き残っていけないのか。

決してそんなことはない。

むしろ、中小企業に求められることは、このような優れた人材がいなくても生き残るにはどうすれば良いのか、逆の面から考え、対策を立て、実行することではないだろうか。

2013年3月 9日 (土)

40歳からの仕事術/山本真司

41b96sx8frl__sl500_aa300_ 勉強不足で事実を知らないでいるのはビジネスパーソンとして失格。重要な出来事については正確に、いつ・どこで・誰が・どうやって・何をした、という情報を持っているべきであり、そのために新聞、雑誌、書籍を読むことは欠かせない。しかしこれらには「解釈=意見」が色濃く反映されているケースが多い。解釈=意見を事実と誤認することには、警鐘を鳴らさないといけない。

今のような変化の激しい時代、多くのビジネスパーソンに求められているのは、不断の勉強。

今持っているスキルにあぐらをかいていたら、いつのまにか陳腐化してしまっていたということにもなりかねない時代である。

つまり一生勉強していかなければならない時代なのである。

でも、やみくもに勉強するのも効率がわるい。

どのように狙いを定めて勉強すればよいのか。

それに答えるような形で書かれたのが本書である。

本書は45歳になり自分の将来に悩みはじめた主人公が、元同期で今は独立したコンサルタントから教えを乞う、というストーリー仕立てになっている。

この中で、特に多くの人が陥ることとして、新聞、雑誌、書籍を読むときの落とし穴について語っている部分が印象に残った。

本を読むことによって知識や情報を得ることは大事なことである。

ただ問題は、多くの本は著者の意見が述べられているということ。

そしてその意見を事実であるかのように錯覚してしまうことがある。

これは有害であると著者は断言する。

つまり「事実は知るべきである、しかし意見は有害である」ということ。

本を読むことによって事実を知り、結論は自らの頭で考えて出すべきだということである。

確かにこれは多くの人が陥ることである。

つまり本に解答を求めるのである。

本に書かれている著者の考えと結論、つまり解答を鵜呑みにしてしまう。

これが一番危ない。

あくまで結論は自分の頭で考えて出すべきである。

私自身も、このことはひとつの戒めとしたい。

2013年3月 8日 (金)

すごい会社のすごい考え方/夏川賀央

Photo ゲームが次世代となり、Wiiが登場するころには、ソニーのプレイステーション3とマイクロソフトのXbox360が市場を分け合いはじめました。そんな環境でWiiは圧倒的に売れているのですが、実のところ任天堂が技術で勝っていたということはないのです。なにせハイビジョンにも対応していませんし、プレイステーション3には、「ブルーレイ・ディスクが見られる」というメリットまであります。
 にもかかわらずWiiは圧勝した。これに寄与したのは、ご存知のようにゲーム機のコントローラーをテニスラケットのように振ったり、バットに見立てて打ったりという独特の操作方法にあります。

Wiiが発売された当時、テレビゲーム市場は飽和状態にあり、需要は頭打ちになっていた。

技術が進化し、あらゆることが可能になったデジタルの世界で、より多くを期待するニッチ化したファンの要望に応えるソフトを作り出すことが難しくなっていた。

ヒットするソフトもどんどん少なくなってきていた。

要するに市場自体が、「今までとまったく違うもの」でないと大ヒットとはなりえない状態だった。

任天堂Wiiの成功は、これまでの常識を打ち破り、新しい発想で、今までとまったく違うものを作り上げた結果である。

モノが売れなくなった。

よくそのような話しを聞く。

確かに、今、市場は飽和状態を迎えている。

単に性能が良いとか、安いということだけでは中々売れなくなってきている。

その意味で、任天堂のWiiのヒットはひとつのヒントを与えてくれる。

2013年3月 7日 (木)

アインシュタイン丸かじり/志村史夫

41rses69xyl__aa278_pikin4bottomrigh 科学の世界のみならず一般社会においても〝超スター〟であったアインシュタインを撮った写真は無数にあるが、その中で特に有名な写真の一つは、一九四七年に写真家のハルスマンが撮影した「懺悔するアインシュタイン」であろう。その撮影の時のことをハルスマンは次のように回想している。
 アインシュタインは私のカメラを見つめながら、突然、話し始めた。自分の方程式E=mc2とルーズベルト大統領にあてた手紙が、原爆を実現させ、自分の研究の結果が多くの人を死なせたことを残念に思っている。……この底抜けに人のいい、慈悲深い人が、自分の知恵を政治家に売り渡した結果、荒廃と死をもたらすモンスターの兵器を造ってしまったことをいかに悩んでいるかを全身に感じ取った。
 アインシュタインは黙り込んでしまった。そして悲しそうな眼つきだった。そこには尋問と自責があった。

アインシュタインの熱狂的ファンを自任する著者が、本書で知の巨人の魅力を語っている。

アインシュタインといえば相対性理論が思い浮かぶが、その理論がどのようなものであるか、私にはさっぱり分からない。

もちろん、本書でもその理論をわかりやすく説明してはいるのだが、それを読んでもやはりよく分からない。

ただ、私にとって興味があるのは、アインシュタインの理論ではなく、その生き方である。

第二次世界大戦当時、ドイツが原爆を開発することに脅威を覚え、ルーズベルト大統領に原爆の早期開発の必要性を訴える手紙をアインシュタインが書いたとされている。

実際には手紙を書いたのは彼の教え子の物理学者、レオ・シラードであり、アインシュタインはその手紙にサインをしただけなのだが、

それであっても、その手紙をきっかけとしてアメリカは原爆をつくった。

そして、その原爆が実際に使用されたのは、本来の使用目的であったドイツではなく、日本に対してであった。

上記はそれを知ったときのアインシュタインの様子である。

それにしても、自分の研究が平和目的ではなく、人を殺すために使われたことを知ったとき、彼の心境はどんなものだったのだろう。

2013年3月 6日 (水)

シニアシフトの衝撃/村田裕之

022603thumb208xauto22709 朝霧氏の経営哲学で、私が深く共感するのは、〝ビジネスは非合理の中に商機あり〟という考え方だ。たとえば、店を出すなら立地条件の悪いところに出せ、という。(中略)
「立地が悪いと店にお客が来るように経営者も従業員も頭を使わないといけない。来てくれるお客さんはありがたいから、従業員のサービスも自然によくなる。(中略)大半の経営者は店を出すときにはやるところ、儲かるところ、人出の多いところへ立地しようとするが、それじゃ努力しなくなるよ。努力するには悪い条件を選んだほうがいい」

これから超高齢化社会を迎えることが確実な日本。

これをチャンスと見るか、それとも危機ととらえるかによって、次のアクションは随分変わってくる。

普通に考えれば、これは危機であろう。

この国が高齢者ばかりになってしまえば、若い人の年金保険料の負担はますます重くなるだろうし、国の医療費負担も重くなる。

働く人は少なくなり、どこもかしこも労働力不足になる。

当然、活力はなくなり、経済は成長しない・・・等々、

次から次への悪いことが起こることが考えられる。

しかし、チャンスと考えればどうだろうか。

これをビジネスチャンスととらえ、次々に新しいビジネスモデルを創っていく。

そして今度はこのモデルを他国に売り、儲ける仕組みを創る・・・等々、

本書の著者、村田氏はシニアビジネスの第一人者。

当然、高齢化社会を大きなビジネスチャンスとしてとらえ、様々な例を紹介している。

要はこれからは発想の時代だということである。

2013年3月 5日 (火)

自責社員と他責社員/松本洋

Photo 私たちが提唱する「自責」とは、自分を責めてみじめな気持ちになることではなく、自分にも責任の一端があるのではないかと考え直すための仕組みです。
 そして「他責」で考えがちな現象に対して、「自責」の視点を持ち込んでみると、それまではしようがないと思いがちだったことに対して、驚くほど、自分ができたはずのことが見えてきます。

これまで多くの人と接してきて分かったことがある。

それは、年齢を重ねると共に成長していく人とそうでない人がいるということ。

そして、その違いは物事がうまくいったときと、うまくいかなかったときも最もよくあらわれる。

物事がうまくいったとき、成長しない人は全て自分の手柄だと思う。

成長する人は、他の人の支援があったからこそ、うまくいったのだと思う。

逆にうまくいかなかったとき、成長しない人は全て人のせいだと思う。

成長する人は、自分に根本原因があると思い、原因を究明しようとする。

ほんのちょっとした物事の受け止め方の違いだが、これを5年10年と積み重ねると、圧倒的な違いとなってあらわれる。

「自責」と「他責」

これが大きな差をもたらす。

物事の本質とは意外とシンプルなものである。

2013年3月 4日 (月)

企業参謀ノート「入門編」/大前研一

Photo 私がマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学していた頃、恩師のオグルビー教授にチョークを投げつけられて、大いに叱られた経験がある。教授から質問された私が、「では、ちょっと図書館で調べてきます」と答えたのがその原因だ。
 多くの日本人には「私がなぜそこまで叱られたか」がわからないだろうか。今から40年以上前の大前研一も同様だった。
 「なぜ図書館なんだ!この問題を私と君が解決できなかったら、世界中の誰が解決できる? ここは天下のMITだぞ。図書館に答えがあるような問題に取り組む場所じゃない!」とオグルビー教授は言い放った。

大前氏の米国留学時のエピソードは日本型秀才の決定的な欠落を見事に言い当てている。

日本の頭のいい人とは、いわゆる学校秀才型である。

しかもその日本の学校ではいまだに記憶力が中心の教育が行なわれている。

米国のように学校教育の中でディベートやリーダーシップ、スピーチの演習を行なう学校は稀である。

そしてその学校秀才型の人材が、今度は、優秀ということで大企業に就職したり官僚になる。

やがて、その人たちが日本のトップに立ち、日本を動かす。

高度成長期はそれでもよかった。

米国に追いつけ追い越せで、はっきりとした目標があったから。

しかし、現代は、目標は自ら作らなければならない。

特に今後日本は、世界中のどの国も経験したことのない、超高齢化社会を真っ先に迎える。

それこそ、図書館に行っても答えの見つからない問題を突きつけられているのである。

自分の頭で考える。

これが今、多くの日本人に最も求められていることではないだろうか。

2013年3月 3日 (日)

「合理的思考」の教科書/中山健夫

Photo「スマートデバイスを使うことで、(ある)脳腫瘍のリスクは50%高まる」(相対リスクによる表現)
「スマートデバイスを使うことで、(ある)脳腫瘍のリスクは0.0005%高まる」(絶対リスクによる表現)
 この2つが指摘している科学的事実は全く同じです。しかし、相対値で示した場合と絶対値で示した場合では、受け手に与える印象が大きく変わります。数字の表現は恐いとも言えますし、不思議とも言えますね。

スマートデバイスを長時間装着していると、原因ははっきりしないが、聴神経腫瘍が50%も増えるという国際的な疫学研究が発表された、というのは本当の話しだという。

しかし事実であるだけに、この50%という数字には注意が必要。

どんな人にもある病気になる可能性を、疫学ではその病気のベースラインリスクと呼ぶ。

そして、聴神経腫瘍のベースラインリスクは0.001%、つまり10万人に1人と言われている。

一方、研究の結果、デバイスを使った場合の聴神経腫瘍のリスクは0.0015%だという。

すると、これをベースラインリスクで割ると50%高まるということになる。

ここでいう「50%」という数字はこのようにして導き出されている。

一方、絶対リスクはそれぞれの絶対値なので、0.001%と0.0015%で絶対リスク差を見ると、0.0005%になる。

つまり10万人に1人が1.5人になるというリスク。

両方、間違ってはいないのだが、その数字の与えるインパクトは全く違ってくる。

「10万人に1人が1.5人になる」と言われれば「大したことない」と思ってしまうし、

「リスクが50%高まる」と言われれば「やめておこう」ということになってしまう。

それに、一般の人はそれが相対リスクを表す数字なのか絶対リスクを表す数字なのか、そんなことは区別しない。

50%という数字そのものを漠然としたイメージで受け止めてしまう。

実はこのような数字は世の中にたくさんある。

場合によっては意図的にこれをうまく利用しているケースもある。

数字には全てバイアスがかかっていると思って接した方がよいのではないだろうか。

2013年3月 2日 (土)

数字のカラクリを見抜け!/吉本佳生

Photo 宝クジが発売されると、長い長い行列ができる宝クジ売り場があります。毎回必ず高額当籤が出る売り場として有名なところに並ぶ人たちは、だから、並んで買う価値は十分にあると考えているのでしょう。しかし、実際はとうでしょうか。
 そういった人が多いから、他の宝クジ売り場よりずっとずっと大量の宝クジが売れる。だから必然的に、高額当籤が出る可能性が大幅に高まる。人間の行動の歪みが、毎回高額当籤が出るという実績につながっているだけです。冷静に考えれば、どこの売り場で買っても、当籤確率は同じはずです。

「数字は嘘をつかない」という人がいる。

ところが、著者は「数字は嘘をつく」と述べる。

どのようにしてその数字を出したのか、そのデータ抽出の経緯をしっかり検証する必要があるという。

例えば失業率という数字がある。

日本は国際比較の上では低いとされている。

しかし、その失業率の出し方は各国まちまちである。

失業者というと、単に「働いていない人」と考えがちだが、それは間違っている。

子供や専業主婦や寝たきりの老人は、普通、職についていないが失業者ではない。

日本で失業者の定義は、15歳以上で、仕事についておらず、仕事があればすぐつくことができ、かつ仕事を探す活動をしている者、である。

当然、仕事を探す活動をしていない人は完全失業者には含まれない。

また、仕事を探すことを諦めてしまった人も含まれない。

ニートも含まれない。

また、日本では厳しい解雇規制のため、社内で干されて仕事を与えられない、いわゆる社内失業者がいるが、当然、それらの数字も入っていない。

とすると、日本の失業率が国際比較上低いからといって、それを鵜呑みにすると現実を見誤ってしまうことになる。

むしろ数字の裏を読む力が必要になってくる。

テレビや新聞では様々な数字が行き交う。

専門家と呼ばれる人たちも、自分の主張を裏付けるために、よく数字を使う。

大事なことはその数字の真偽を見極める目である。

2013年3月 1日 (金)

あなたの中の異常心理/岡田尊司

9784344982451 人間は、二面性を抱えた生き物である。誰でも影の部分をもっている。正しいことをしたい気持ちがあれば、それとは裏腹に、悪いことをしたい衝動も潜んでいる。それが人間である。その二面性を無視して、正しいことや善いことだけを求めると、おかしなことが起きてしまう。
 なぜ社会的地位もある人が、少女のスカートの中を覗いて捕まるのか。有名人が万引きや覚醒剤で逮捕されるのか。普通の母親がわが子を虐待死させてしまうのか。 こうした事件は、決して特別な人にだけ起きる特別な事件ではない。多くの人が、似たような危うさを、自分の中に抱えているのだ。

異常心理というと、特別な人のことを想像しがちだが、著者によると、そうではないという。

むしろ、普通の人がある状況の中で異常な行動を取る。

異常な症状とされるものにしても、それがすぐさま精神障害であるといえるような症状はほとんど存在しない。

どういう症状であれ、状況次第で一時的に健康な人にでも出現し得る。

正常と異常の境目は程度や頻度の差でしかない、という。

そして本書では、その題材として、様々な有名人の例をあげて説明している。

例えば三島由紀夫は強い完璧主義者であった。

一語一句ゆるがせにしないその完璧なまでの文体と、極めて完成度の高い作品からもそれをうかがうことができる。

その完璧主義はその性格やライフスタイルにも染みついていた。

どんなに仕事が立て込んでいても、締め切りを守らなかったことは一度もなかった。

そして、その完璧さは他にも向けられた。

例えば作曲家の黛敏郎とオペラの仕事をしたときのこと。

黛の作曲が締め切りに間に合わず、黛は詫びを入れ、上演時期の延期を申し出たが、三島はその作品の上演自体を取りやめた。

以降、三島は黛と絶縁したという。

完璧主義は両刃の剣である。

よい方に働けば、妥協のない作品にあらわれる。

しかし、悪い方に働けば、悲惨な結果になるかもしれない。

現に、その完璧主義は三島を自決という凄惨な最期へと追い詰めていく。

その他にも、ガンジーの潔癖主義、

ドストエフスキーのひがみ根性、

夏目漱石の被害妄想、

ユングやニーチェの過敏症、

ラッセルのナルシズム、等々、

このように、後世に残る偉大な業績を残した人の中には、異常さと紙一重という人が多い。

逆に言えば、異常さと紙一重の状態だったからこそ、それがある種のエネルギーとなって、作品を残したと考えられなくもない。

そして、忘れてならないのは、その異常さは普通の人の中にもあるということ。

何かの拍子に人は異常心理の世界に呑み込まれ、不可解な考えや行動にとらわれてしまう。

つまり人間とは二面性をもった生き物であるということである。

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »