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2013年4月の30件の記事

2013年4月30日 (火)

弾言/小飼弾

Photo  どうやって知識を見つけ、自分のものにしていくかを完全に一般化できた人はいないでしょう。しかし、こうすればいいということは言えなくても、こうすればダメになるという具体例は挙げられます。
 まず、「テレビを見るな」ということです。負け組の定義は「テレビを消せない人」。これは弾言してしまいましょう。
 厳密には、「テレビをだらだら見るな」ですね。情報に対して受け身であることは、絶対にダメ。テレビ番組の都合を、発信者のペースで、そしてあなたの時間を消費して受け取る仕組みになっています。「タダより高いものはない」という言葉がこれほど当てはまるものは現代社会において他にありません。

ここで著者は、テレビを見ることを否定しているのではない。

問題にしているのは情報に対する姿勢である。

今、情報は世の中にあふれている。

テレビもそうだし、インターネットもそうだろう。

わからないことがあれば、グーグルの検索エンジンにかければだいたいのこは分かる。

別の言葉で言えば、情報の垂れ流し状態である。

放っておいても情報は入ってくる。

ただ、その情報は厳選された情報ではない。

しかも断片的な情報である。

その結果、どうなるか?

わかったつもりになる。

これが一番怖い。

情報であれ知識であれ、体系化されたものでなければ実際の場面では使えない。

ではそのようなものをどのくらい持っているのだろうか。

おそらくわずかである。

哲学者ソクラテスは「無知の知」と言った。

自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い、という意味である。

まずこの事実を知ることが第一ではないだろうか。

2013年4月29日 (月)

止まらない世界/田村耕太郎

Photo  オランダは「稼ぐ農業」を実践することによって、農業を強くしている。食料自給率を上げるためにはトン当たり利益の少ない飼料や穀物を作らねばならない。それらでは利幅は薄く農家は儲からない。オランダはチーズや肉、トマトやパプリカ、マッシュルーム、そしてイチゴにという単位面積当たりの利幅が高く、農家が潤う品目に特化した。結果的に、自給率は14%まで落ちたが、付加価値ベースでは世界最高水準の農業を実践している。

本書で言っていることは、「今世界はチャンスであふれている、日本人よ、もっと世界に目を向けよう」ということ。

中でも農業についての記述が印象に残った。

農業の問題は、最近のTPP参加の問題で浮き彫りになった。

TPP参加について今も農協は強行に反対している。

関税が撤廃されたら日本の農業は壊滅する、と。

でも、本当にそうなのか?

そこで参考になるのは他国の事例である。

ここではオランダの例をあげている。

オランダは、国際的に農業で稼ぐ上で、日本以上に不利な条件が随分ある。

まず国土面積は日本の5分の1しかない。

次に農業者の数は43万人で日本の7分の1以下の規模。

低温で日照時間にも恵まれない。

人件費も高い。

パートタイム労働者の時給が日本円で2000円近くするという。

それでいて、強い農業を形づくっている。

農業輸出額は680億ドルでアメリカに次ぐ規模だ。

これは日本の30倍に相当する。

まさに「稼ぐ農業」を実践しているのである。

日本はなぜそれができないのか?

一言で言えば守られすぎている、ということ。

いまだかつて、規制に守られ続けて、成長した業界は皆無である。

ビジネスの世界では、勝ち目のある分野に自社の資源を集中する「選択と集中」は当たり前のことである。

ところが、農業の世界では、そのようなことすらも非常識と考える人が多い。

今回のTPP参加をきっかけに、真剣に考えるべきではないだろうか。

2013年4月28日 (日)

夢をかなえるゾウ/水野敬也

Photo  自分が本当に満たされたい、豊かになりたい、欲しいものを手に入れたい、ずっとずっとそうしていきたいと思たら、変わらなあかん。ええか?自分の中に足りんと感じてることがあって、そこを何かで埋めようとするんやのうて、自分は充分に満たされている、自分は幸せやから、他人の中に足りないもんを見つけ、そこに愛を注いでやる。この状態になってこそ、自分が欲しいと思ってた、お金と名声、それらのすべてが自然な形で手に入るんや。だってそうやろ?自分らは、お金も、名声も、地位も、名誉も、自分で手に入れる思てるかも分からんけど、ちゃうで。むしろ逆やで。お金は他人がお前にくれるもんやろ。名声は、他人がお前を認めたからくれるもんやろ。全部、他人がお前に与えてくれるもんなんや。

夢を叶えるためにはどうすればよいのか?

本書はその問いかけ対する答えをストーリー形式で述べている。

掲載されていることの多くは古今東西の成功者の言葉やエピソードで占められている。

たとえば、イチローは試合後、他の選手が帰っても、神聖な商売道具である自分のグラブをみがいていた、

ロックフェラーは、まだ若い頃、全然お金持ちでないころから収入の一割を寄付し続けていた、

松下幸之助は誰よりも早く会社に行って、仕事する前にまずトイレ掃除をしていた、等々

世の成功者に共通する要素を紹介している。

上記もその中の一つ。

自分がもし豊かになりたい、欲しいものを手に入れたいと思うのであれば、他人の必要に目をとめ、それを満たさなければならない、と。

確かに成功者の多くは、他人の必要を満たしたために、人から認められ成功を手に入れたといってもよい。

逆に自分で成功を手に入れようと頑張れば頑張るほど、成功からは遠ざかってしまう。

おそらく、このようなちょっとした視点の違いが成功と失敗を分けるのであろう。

2013年4月27日 (土)

間抜けの構造/ビートたけし

Photo 映画でも3Dが流行っているけど、これを奥行きという〝間〟を埋めちゃうことになる。立体を具体的に説明しようとして、かえって立体的に感じなくなる。本物というか現実に近づけりゃ近いほど、粗も見えてくる。平面だけだったら想像力が働くけど、3Dだとそれを殺いでしまう。やっばりある程度〝間〟がないとダメなんだけど、なんか人間というのは、技術の進歩とともにその〝間〟を埋めようとするよね。ちょっと病気じゃないかと思うくらい。
 ラーメンの味を説明すればするほど、聞いている方はまずく感じるのと同じ。(中略)レポーターが説明すればするほど、客は離れていくものなんだ。
 映画も同じで、ある部分の基礎的なことだけ教えてあげれば、あと観ている方が自分の心地いいように受け止めればいい。あまり〝間〟を埋めちゃうとかえって意味を限定しちゃうし、オセロみたいに白黒はっきりさせない方がいいんだ。

お笑いの世界であっても、映画の世界であっても、スポーツの世界であっても一番大事なのは〝間〟であると著者は述べる。

例えば〝間〟の悪いお笑い芸人は最悪だと。

お笑い芸人という顔と映画監督という顔をもっている著者であるだけに、その分野についての記述は非常に説得力がある。

ここでは映画における〝間〟の重要性について述べている。

映画は観ている人に如何に想像させるかが大事なのだが、そのために必要なのは〝間〟だと。

〝間〟があることによって観る人は様々な想像をめぐらす。

ところが最近の3Dを駆使した映画は、その重要な〝間〟の部分を全部埋めてしまっている。

それによって、かえってリアリティを失ってしまっているのだ、と。

これは確かにその通りだ。

3D映画を観ていて、何とも言えないストレスを感じるのはそのようなことがあるからなのだろう。

特に最近は全ての面で〝間〟がなくなってしまっているのではないだろうか。

2013年4月26日 (金)

日本の景気は賃金が決める/吉本佳生

206660_01_1_2l  結論は、すでに提示していました。〝男・大・正・長〟と〝女・小・非・短〟のあいだでの賃金格差--男女間の賃金格差、企業規模の大小による賃金格差、正規・非正規などの雇用形態による賃金格差、勤続年数の長短による賃金格差が、消費不況の大きな原因のひとつです。国際的にみて、日本でのこれらの格差はかなり大きく、そんな賃金格差があるなかで賃金デフレが起きたことで、日本全体での賃金格差が広がり、それが消費不況をよりいっそう深刻にしてきたのでした。

今のアベノミクスが成功するかどうかは、企業の賃金がアップするかどうかにかかっているといっても過言ではない。

ただし、全員一律に上げればいいのかというと、そうではない。

大事なのは日本独特の賃金の支払い方が消費不況をより深刻にしているという認識をしっかりと持つ事。

著者はそのことを〝男・大・正・長〟と〝女・小・非・短〟の間での賃金格差、という表現で表している。

つまり、男女間の賃金格差、

企業規模の大小による賃金格差、

正規・非正規などの雇用形態による賃金格差、

勤続年数の長短と年齢による賃金格差が消費不況の元凶だと述べている。

確かに、企業の人事コンサルをしていると、このことを痛切に感じる。

よく関与先企業の社員の賃金をプロット図にすることがある。

すると、まさにこのアンバランスが浮き彫りになる。

しかもこの賃金格差について会社は社員に合理的な説明ができない。

同じ仕事をしていながら、男女間、勤続年数、年齢によって違いがある。

仮に同じ仕事を男性社員と女性社員がしていたとする。

女性社員から「なぜ彼は私と同じ仕事をしているのに給料が高いんですか?」と質問されたら、どう答えるのだろうか?

まさか「彼は男だから」とは言えないだろう。

おそらく合理的な説明のできる企業はないであろう。

昨日のニュースでファーストリテイリングが世界同一賃金を導入するということが報じられた。

企業のグローバル化が進む中、今後、このような流れは徐々に出てくるかもしれない。

同じ仕事、同じ貢献度であれば給料も同じ、この当たり前ことを実現することは景気回復にもプラスになるのではないだろうか。

2013年4月25日 (木)

現場力の教科書/遠藤功

9784334037031  ビジョンや競争戦略を指し示すだけでは、厳しいグローバル競争に打ち勝つのはますます難しくなってきています。新興国からは日本企業を凌駕する規模の大きな競争相手が出現し、日本企業に対して「追いつけ、追い越せ」と熾烈な同質競争を仕掛けてきます。
たとえ独自の競争戦略を打ち出しても、それがユニークであればあるほど、模倣しようとする競争相手が出現します。たとえば、有望な新事業を開発したり、斬新な商品を生み出しても、特許などでそれを守らない限り、それに追随しようとする動きが必ず現れます。
もちろん、誰よりも先駆けて行うことによる「先行者メリット」はありますが、逆に先行者が苦労して手掛けた新事業や新商品を、追随者がいとも簡単に模倣してキャッチアップする、さらには追い抜くという事例も数多くあります。
 つまり、ビジョンや競争戦略という要素だけで、持続的な差別化や優位性構築を実現するのは、ますます難しくなっているのです。

今、書店の経済ビジネス書コーナーを見ると、アベノミクス関連本であふれている。

擁護論、反対論、慎重論と様々だが、いずれにしても、企業経営をする上で大事なことは、そのようなことに一喜一憂して振り回されることなく、しっかりと足腰を鍛え、筋肉質の組織を構築することではないだろうか。

さて、本書の著者はこの厳しい競争に勝ち抜くための「現場力」の必要性を説いている。

そして「現場力」とは「オペレーション」である、とも述べている。

経営を単純化してとらえると、「ビジョン」「競争戦略」「オペレーション」という3つの要素で成り立っていると言える。

まず企業経営者は「ビジョン」を明確に示さなければならない。

「自分たちはなぜ存在するのか?」という「Why」を明らかにし、働く人たちが共感し、ワクワクするようなビジョンを経営者が掲げることは経営の出発点と言えよう。

しかし、ビジョンだけでは競争に打ち勝つことはできない。

他社と差別化するためには「競争戦略」がなければならない。

企業は常に競争にさらされている。

そして激しい競争に勝ち抜くためには、自分たちの強みは何かを明らかにし、環境変化に適応し、勝ち目のある分野に、自社の「ヒト」「モノ」「カネ」という経営資源を投入する必要がある。

その方向性を打ち出すのが競争戦略である。

ところが、今の時代、戦略だけでは差別化することは難しい。

一昔前であれば、斬新なビジネスモデルを構築すれば数年間は競争優位を保つことができた。

それが今では、そのビジネスモデルが斬新で画期的であればあるほど、すぐに競合他社が真似をしてくる。

しかもその期間は数カ月単位である。

そこでオペレーションが重要になってくる。

オペレーションとは何か?

日常的なルーチン業務のことだと捉えている人が多いが、そうではない。

軍事用語としてのオペレーションは作戦実行、すなわち生死を賭けたバトルを意味する。

また病院では人の命を救うための手術をオペレーションと呼んでいる。

つまり、オペレーションとは「命を賭けた戦い」なのだ。

戦争や病院で、オペレーションが弱かったり稚拙であれば、間違いなく死者や犠牲者が出る。戦にも負けてしまうだろう。

企業経営も同様である。

オペレーションが弱い企業は、戦略を結果に結びつけることができず、多くの犠牲を払わなくてはならない。

熾烈な競争を勝ち抜くことなどできはしない。

ではそのオペレーションを担っているのは誰か?言うまでもなく、それは「現場」である。

企業の現場こそが、経営戦略を日々の業務に落とし込み、粘り強くそれを実行することによって、経営戦略は実現され、結果に結びつけることができるのである。

経営戦略を絵に描いた餅にしないためにも、今こそ、この現場力に目を向ける必要がある。

2013年4月24日 (水)

心眼力/野口嘉則

Photo  ここで必要なのが、〝心眼力〟です。
 心眼力とは、「心の目で真実を見る力」です。
 松下幸之助さんは、仕事でミスを連発する社員に対しても、「素晴らしい存在。偉大な人」という見方で見ました。肉眼に映るその社員の姿に振り回されていたら、とてもそんな見方はできませんね。まさに心の目で、その人の本質を見ておられたのです。

心眼力とは、心の眼で真実を見る力のこと。

肉眼で見える現実がすべて真実であるとは限らない。

真実は目に見える現実の内側や背後にあることが多い。

そしてそれらは通常、ちょっと見ただけではわからない。

だから、その隠された真実を見極めるための心眼力が必要になる。

松下幸之助は、社員の誰に対しても、「ああ、この人は素晴らしい存在なんや、偉大な力をもった人なんや」という見方をしたという。

その見方こそが、たくさんの優秀な人材を育成した秘訣だったのではなかろうか。

私たちの心には、認めたものを現実化する力がある。

心の底で認めたものを現実に引き寄せる力がある。

だからこそ、自分の周囲の人たちを認めることが非常に重要になる。

その心眼力が松下幸之助にはあった。

名経営者と言われた所以であろう。

2013年4月23日 (火)

君は本当に出世したくないのか?/尾崎弘之

Photo では、いったい「組織の中で働く」とは、どういうことだろうか。
 もちろん、一口に働くといっても、会社によって、職種によって、あるいは時代によって、場所によってその内容はさまざまである。したがって簡単にまとめることはできないわけだが、一つだけ間違いなく言えることがある。
 それは組織の中で働いて、自分の夢を実現させたり、あるいは充実した人生を送りたいと思うのであれば、「出世」をとりあえず目指さなくてはならない、ということである。あえて断定するならば、「出世なくして、人生の幸せはない」。このことをここでまず強調しておきたい。

「出世したくない」という若手社員が増えてきているという。

かつてエコノミックアニマルと言われ、新卒一括採用、ヨーイドンで皆が課長の椅子、部長の椅子を目指して出世競争していた頃の日本人と比べると、えらい違いである。

かつての日本人も異常だが、今の若者も問題がある。

この根本にあるのは「組織の中で働く」ということの意味が理解できていないことにあると著者は言う。

「出世したくない」理由としてよく上がるのは、「自由がなくなる」というもの。

しかし、これは全く間違っている。

というより、理解の仕方が浅い。

組織の中では、その最下層は一番自由度が少ない。

どの企業でも下っぱは言われたことをやることしか求められない。

もし自由に仕事をしたいと思うなら、出世することである。

企業の中で出世をする、つまり組織の階段を上るということは、それだけその人の「自由」が増すことに他ならない。

組織は上にいくほど自由度、裁量度が大きくなる。

もし、最大の自由を得ようと思うなら、企業であれば社長になることである。

そうすれば最大の自由を得ることができる。

では出世するためにはどうすれば良いのか?

それは、良い評価を得なければならない。

評価がイヤだと言ったところで、評価されなければ組織の階段を上にいくことはできない。

では良い評価を得るためにはどうすれば良いのか。

それは誰が見てもわかるような成果を上げることである。

そうすれば評価される。

これは当たり前の話しである。

しかし、これが若者に通じなくなってしまったところに今の企業が抱える最大の問題がある。

2013年4月22日 (月)

本当は謎がない「幕末維新史」/八幡和郎

9784797371185 幕府でも老中の田沼意次は重商主義政策をとるなど、当時としては正しい方向へ舵を切ろうとしたが、田沼を失脚させて老中になった松平定信は、なんと反対に寛政の改革(一七八七〜九三)で商工業の発展や商品作物の普及、それに人口の都市への移動などを抑えようとした。
 つまり、GDPを下げれば、米からの年貢に頼っていても、対GDP租税負担率は下がらないだろうという逆転したお笑い的発想の奇策だった。(中略)
つまり、経済を発展させず、生活水準を向上しようとしなければ、これまで通り封建体制は維持でき、民衆も生きていけるという、「生かさぬよう、殺さぬよう」という家康の理想を無理矢理にでも守ろうというものだった。

歴史の本を読む場合、歴史の教訓を現代に如何に生かすか、という観点で読むことが多い。

その場合大事なことは、歴史上の事実を美化することなく、ありのままを見るということである。

ここでは松平定信の寛政の改革のことについて述べている。

武士も農民も生活を切り詰めて支出を減らす、

米以外はリスクが大きく税も取りにくいのでできるだけ作らせない、

民衆に貯蓄や食糧の備蓄を義務的に行なわせ、場合によってはそのために資金を強制的に貸して藩が利子を稼ぐ、といったもの。

これは現代で言えば緊縮財政である。

この定信の改革理念は、幕末期に至るまで幕政の基本政策として堅持される。

結果、経済は発展せず国民の生活水準も上がらなかった。

江戸時代は鎖国していたから独立が守れた、江戸時代はエコロジー環境先進国だった、風紀が乱れていなかった、教育水準が高かった、などという人もいるが、

実際は、鎖国のために時代遅れの火縄銃しかなかったので幕末期に危うく植民地にされかかった、

物がなかったのでなんでも徹底利用しただけ、山も禿げ山だらけだった、

身分が固定されていたので競争がなかっただけ、武士は九九もできず庶民も漢字の読み書きがほとんどできなかった、というのが江戸時代の真実である。

結局は黒船という外圧によってしか日本は変わらなかった。

内向きの政策はこの国の発展に寄与しないという何よりの教訓ではなかろうか。

2013年4月21日 (日)

暴力団/溝口敦

Photo 暴力団対策法は衆参両院とも満場一致で可決して成立し、一九九二年三月から施行されました。
 どういう法律なのかというと、暴力団の存在を認めた上で、用心棒代の取り立てや地上げなど、組員が手を出すいくつかの経済行為に中止命令を出し、抗争が発生した場合には、組事務所を使用させないこともあり得るという法律です。(中略)
 暴力団に詳しい三井義広弁護士(前日本弁護士連合会民事介入暴力対策委員長)はこう言っています。
「犯罪を専門とする組織が日本で法的に許容されていること自体がおかしい。壊滅、壊滅と五〇年近く言い立てながら、いっこうに壊滅しないことのおかしさにいい加減気づいてもいいんじゃないですか」
 暴力団という組織犯罪集団の存在を認める法律を持っているのは、世界の中で日本だけなのです。

一般市民にはあまり馴染みのない暴力団の世界。

多くの人にとって暴力団とは映画や小説の世界のお話だろう。

しかし、何か事件があるとその背後に暴力団が絡んでいることは多い。

野球賭博や八百長相撲等も背後に暴力団が絡んでいる。

暴力団も稼いでいかなければその組織を維持できないわけで、当然そのための活動をする。

シノギと言われるその活動は覚醒剤の売買、恐喝、賭博、ノミ行為等。

いずれも違法行為である。

民間の企業というのは表の顔で、実態は暴力団の集団ということもある。

解体屋や産廃処分業者に多いという。

いずれにしても暴力団を根絶することに越したことはない。

多くの人はそう考えているはずだ。

ではなぜそれができないのか。

日本には22の指定暴力団がある。

ところが法律はその存在を認めている。

認めた上でその活動を制限しようとしている。

しかし、どうして法律でその存在そのものを禁止することができないのか。

そんな法律があるのは日本だけだということを知ってますますその思いを強くした。

2013年4月20日 (土)

稼いでいる人が20代からしてきたこと/西山昭彦、八代比呂美、高橋かのん

Photo 人には、仕事を「楽しんでやっている人」と「嫌々やらされている人」とがいる。楽しんでいる人は、自分が主役で、仕事や会社はわき役に過ぎない。
 一方、やらされている人は、会社や仕事が主役で、自分は使われていると思っている。
 もし、仕事が面白くない、やりがいがない、と思うなら、一度自分のことを振り返ってみてほしい。自分は何か会社に対して提案をしたか、今の仕事について改善策を考え、それを実行しようとしたことがあるか、と。
 自分はいつも会社の言いなりでつまらない、下っ端だから何も言う権利がない、と思っているとしたら、少し考え方を変えてみよう。 自分で何かを提案し、その提案を実現するために自分で行動するようになったら、そのときはあなたが主役になる。提案によって、職場の環境がよくなったら、すごい達成感を得られるはずだ。そうすると、仕事はがぜん面白くなる。主役は自分で変えられるのだ。

日本的人事制度の特徴は、年功序列、終身雇用だと昔から言われてきた。

今もこれが中心であることに変わりないのだが、今後これが大きく変わってくる可能性がある。

理由の一つは、企業のグローバル化、

そしてもう一つは、実質65歳定年制時代の到来である。

これまで日本的人事制度を守ってきた会社も、65歳まで雇用を維持することを義務化されたとなると、これまでのように定年まで賃金を上げ続けることはできなくなるのは目に見えている。

まさにサラリーマンのサバイバル時代の到来である。

そう考えると、雇われる側の意識改革も必要になってくる。

特に、本書で述べているように、20代から「稼ぐ力」を養っておく必要がある。

本書では「稼ぐ人」と「稼げない人」を様々な角度から比較している。

その中で、共通して言えるのは、稼ぐ人は環境のせいにしないということ。

ここでいう環境とは会社、上司、与えられた仕事等のことを意味する。

特に新人の頃は、仕事は上司から与えられることがほとんど。

しかもあまり面白くない仕事を与えられることが多い。

問題はそのようなとき、これをどのように受け止めるかである。

あくまでもその与えられた仕事に主体的に取り組むことである。

そうすることによって「やらされ感」がなくなり、仕事が面白くなってくる。

そんな一つ一つの地道な積み重ねが大切なのではないだろうか。

2013年4月19日 (金)

スーパーフリーエージェントスタイル/与沢翼

517bbpi1zel__aa278_pikin4bottomrigh 本当に成功したいなら、成功しない自分はありえないことを前提に、「今この瞬間にできることをやる」「未来を先取って体験する」という行動を続ければ、行動自体があなたの潜在意識を強烈に変革して顕在意識と一致させることができる。
 お金がないうちから高級ホテルに泊まり、ダイエットに成功する前からレベルの高い異性を狙い、出版が決まる前から本を書き始めると潜在意識はどうなるか? 「私は高級住宅に住み、素敵な恋人がいて、本を出版できるようなすごい人間なんだ」というふうに、よい意味での勘違いを起こす。すると力まず自然と、高級住宅に住めるだけの経済力や素敵な異性を獲得できるだけのパワー、本を出せるだけの知識を身につけることができるのである。

多くの成功したビジネスマンは潜在意識の重要性を説く。

著者によると、潜在意識を成長させるには2つの方法があるという。

1つ目は、言葉で自分に暗示をかける方法。

本や教材を勉強したり、セミナーを聞いたりして、文字や言葉、聴覚から成功者の考え方を浴びて、自分に暗示をかける。

2つ目は、行動で自分に暗示をかけること。

つまり成功した自分をイメージして、成功したら当然とるであろう行動を、先取りして、今行動するということ。

すると潜在意識の方が勘違いをしてくれる、という。

著者によると、顕在意識が本当の自分だと思うのは間違いで、潜在意識こそが本当の自分だという。

成功できる人のエネルギー値が高いのは、潜在意識が成功を完璧にイメージできており、それを達成したかのように行動するから。

努力しても中々結果がでない人は、このようなアプローチをしてみても良いかもしれない。

2013年4月18日 (木)

ビジネスマンのための「行動観察」入門/松波晴人

Photo  コナン・ドイルの有名な小説の主人公である名探偵シャーロック・ホームズは、その優れた観察眼で、ワトソンの思いもよらぬことに気付き、その気付きから事件を解決することができる。そのシャーロック・ホームズの有名な言葉がある。それまでワトソンが何度も昇り降りしてきた階段について、ホームズが訊ねた場面の一節である。

 君は観察(observe)をしていない。ただ見ている(see)だけだ。私が言いたいのは、観察するのと見るのとは全然違う、ということだ。(『シャーロック・ホームズの冒険』より筆者訳。

 あなたも、「見る」だけでなく、ぜひホームズのように「観察」をしてほしい。

本書の主題、「行動観察」とは「経験」を科学する手法である。

これまで科学の対象となっていなかった「経験」を科学することによって、様々なイノベーションを起こし、付加価値の創造と生産性の向上をもたらそうとする試みである。

例えば優秀な営業マンとダメ営業マンとはどこが違うのか。

単なるやる気の違いではない。

「経験」が違うのである。

もっと具体的にいえば、経験によって習得した行動が違うのである。

だったら、優秀な営業マンの行動を観察し分析することによって、ポイントとなる行動を明確にし、それを真似すれば誰もが優秀な営業マンになれるのではないか?

そのような試みが行動科学である。

ここで問題となるのは「見る」という行為である。

普通の人は、ただ見ている(see)だけの行動を、行動科学では観察(observe)する。

次に、人間工学や心理学など、人間に関する知見を駆使して「観察」した人間の行動を「分析」する。

そして実態とその分析をもとに「改善」する。

これが行動科学である。

まだ一般化されていないが、大きな可能性を秘めた手法ではないだろうか。

いろんな場面で活用できそうだ。

2013年4月17日 (水)

聖書に隠された成功法則/松島修

76313041  一般の成功法則は、「自己実現するためにはどうしたらよいか」を語るものが多いでしょう。それゆえ自己啓発という言葉があります。この視点には一見、何も問題がないように見えます。しかし、この最初の一歩から大きな間違いがあります。
 聖書が教えるもっとも確実に、そして簡単に成功する秘訣、それは「自己実現」ではなく、「神実現」なのです。(中略)
 自己実現の問題点は、「今の私は、まだ自分が望むステイタス(地位・存在価値)に達していないから、そこにたどり着くために頑張ろう」という概念が潜在的に潜んでいることです。時には明確にそう主張しているものもあります。

本書が他の成功本と違うのは聖書を中心においているという点である。

私自身、聖書を信じるクリスチャンなので、著者の主張には共感できる部分が多かった。

特に「自己実現」の陥る落とし穴についてはその通りである。

自己実現といった場合、その人のセルフイメージは、まず根本的に低いところにあり、そこから「這い上がる」というイメージである。

自分のステイタスを非常に低く受け止め、そこから「這い上がる」というイメージを持たされてしまった思考パターンは問題である。

なぜなら、多くの失敗の原因は、低すぎるセルフイメージにあることが多いからだ。

まずスタートの部分から間違っているのである。

対して、聖書の与えるセルフイメージは非常に高いところにある。

「人は、それぞれ目的をもって神によって創造された」

「人は、神に似せて作られた最高傑作である」

「人は、神から愛されている」

これらが聖書が与えてくれるセルフイメージである。

自分のことを、神が創造された最高傑作だと意識する人と、望まれず偶然生まれてきた価値のない存在だと意識する人とでは、天と地ほどの差がある。

ただいたずらに頑張ろうとせず、まず正しいセルフイメージをもつことから始めたらどうだろうか。

そうすれば生きることがもっと楽になるはずだ。

2013年4月16日 (火)

ウケる!トーク術/田中イデア

9784845617555  相手をトークで笑わせたいと思っているときに、「面白い話があった!」という出だしは、非常に危険です!「面白い」基準というのは、人によって違いますよね? 自分が面白いと思うことが、必ずしも他人にとって面白いこととは限りません。最初にこの言葉を付けてしまうと、笑いのハードルがかなり上がってしまい、だれもが大爆笑するような話じゃないと、笑いを取ることはできないでしょう。 この出だしだと、そこそこ面白い程度では、「そんなに面白くない」という印象になってしまいます。聞き手を過度に期待させてはいけないのです!

何か面白い話があって相手にそのことを伝えたいとき、

つい「実は面白い話があったんだけど」と言ってしまいがち。

しかし、笑いのプロである著者によると、それは笑いのハードルを上げる言葉だということ。

確かに考えてみたら確かにそうだ。

相手を笑わそうとするとき「面白い話がある」とわざわざ断って話すことはない。

前置きなしに面白い話をした方がはるかに効果的であろう。

また他の箇所で「一般的におかしなことを言うときは、真顔で話すのが基本」だとも著者は述べている。

これなども素人は逆のことをやっていることが多い。

どんな世界でもそうなのだか、プロとアマの違いはこんな些細なところにあらわれるのであろう。

2013年4月15日 (月)

あなたの宝はどこにある?/ラッセル・コンウェル

51ubt2eoyyl_ss500_  なぜ、あの店は繁盛しているのでしょう?なぜ、あの製品は売れているのでしょう?
 理由は簡単です。人々が求めるものを作ったり、売ったりしているからです。そして、人々が求めないものは売ろうとしないからです。
 いいですか、ビジネス、専門職、家事、そのほかのことに関しても、成功の秘訣は、とにかく需要を把握することです。人々が何も求めているのかを知ることから始めなくてはいけません。そしてそれができたら、もっと需要が高いところに全力を注ぐことです。

本書で書かれていることは、ごくごく当たり前のこと。

しかし、この当たり前のことを実行しているのはわずかな人であろう。

例えば、ここで書いてあるような、

「人々が求めるものを作ったり、売ったりする」

「人々が求めていないものは売ろうとしない」

ということ。

すごくシンプルなことだが、特に後半の「人々が求めていないものは売ろうとしない」をどれだけの企業が実践しているだろうか。

むしろ、どんな形でさえ、売れさえすればラッキーだと思っていないだろうか。

おそらくここに書いてあるように心底思っている企業や企業経営者は、100社の内、1社か2社だろう。

そして、そのように心底思える企業がブランドを築きあげる。

シンプルなことほど実行するのは難しいものだ。

2013年4月14日 (日)

たった2分で、やる気を上げる本。/千田琢哉

Photo  世の中は「検討」という言葉を使う頻度によって見事に序列ができている。
 人の上に立つ人間は「検討」という言葉を滅多に使わずに、その場で決断しながら次々と夢を実現させていく。
 人に使われる側の人間は「検討」という言葉に埋め尽くされて、何も成し遂げられない惨めな人生で終わる。

お役人が「検討します」と言ったら、それは「何もやらない」という意味だと聞いたことがある。

商談でも「検討します」と言う言葉が相手から出てきたら、これは断り文句だと考えたほうがよい。

仕事がら、様々な経営者と話すことがあるのだが、業績のよい会社の社長は決断が早い。

「検討」という言葉は滅多に使わない。

即断即決が身についている。

一方、業績の悪い会社の社長は「検討」という言葉を滅多やたらに使う。

決断の遅い人は、まず「検討」という言葉を使わないことから始めたらどうだろう。

まず言葉から変える、という手法は意外と効果的だ。

「検討という言葉は、チャンスが今、目の前にあるのに一瞬で遠ざけてしまう、恐ろしい悪魔の言葉だ」と著者は述べているが、全くその通りだと思う。

2013年4月13日 (土)

奮い立たせてくれる科学者の言葉90/夏川賀央

Photo  大脳新皮質が高度の発達した人間は、放っておいても自発的な知的好奇心を持つ動物だと言うことだ。だから、本来は子どもたちは勉強が好きなはずなのだ。それが勉強嫌いになったというのは、教育方法に何か大きな欠陥があるということに他ならない。 ~河合雅雄『子どもと自然』より

本書では90の科学者の言葉を紹介している。

何れも、偉大な業績を上げた科学者の言葉であるだけに、様々な気づきを与えてくれる。

上記は、その中の一つ、サルの研究で世界的な権威となった河合雅雄博士の言葉。

博士はもともと「人を知る」ために「サルの研究」を始めたという。

そして現実に、その研究は大きなことを教えてくれる。

たとえばチンパンジーは、勉強することが大好きだということ。

同じ図形を探すような問題を解かせていくと、最初はエサ目当てだったのが、そのうち知的好奇心に目覚めて、どんどん難しい問題に挑むようになっていく。

ところが強制されるようになると、「自由を求める心」が反発を生み出し、嫌がるようになる。

人間も全く同じである。

人間も、もともとは探究心に満ち溢れているはず。

ところが強制されるようになると、勉強することを嫌がるようになる。

これが積み重なると、勉強が嫌いになる。

これは自分の経験に照らしみてもそうである。

今でも覚えているのは、中高生時代、歴史が大嫌いだったということ。

歴史年代を丸覚えさせられるのが、苦痛でたまらなかった。

しかし、大人となった今、歴史には非常に興味があり、それに関する本もよく読む。

おそらくそういう人がたくさんいるのではないだろうか。

一番好奇心が旺盛な子供時代、勉強を強制されることによって勉強嫌いになってしまったとしたら、それは人生における大きな損失である。

今のような変化の激しい時代、自らのキャリアのためにも一生勉強しなければならないと言われている。

そんな中、勉強嫌いにさせられたということの損失は計り知れない。

本書で紹介する科学者の中で強制されて研究した人は1人もいない。

難しいテーマであろうとも、その探求自体が面白くて努力を続けた人ばかりである。

偉大な研究や発見もそこから生まれたといっても良い。

2013年4月12日 (金)

なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?/山口揚平

41qeeogpjxl_aa278_pikin4bottomright  では、両者の命運を分けたのはなんだったのか?それは、ピカソのほうが「お金とは何か?」に興味を持ち、深く理解していた、という点ではなかったか。というのも、ピカソがお金の本質を見抜く類まれなセンスを持っていたことがうかがえる逸話が、数多く残されているのである。
 特に、自分の絵を販売することに関しては天才的で、ピカソは新しい絵を描き上げると、なじみの画商を数十人呼んで展覧会を開き、作品を描いた背景や意図を細かく説いたという。絵が素晴らしいのは前提だ。だが人は、作品という「モノ」にお金を払うのではない。その「物語」を買うのだ、と彼は知っていた。そして、たくさんの画商が集まれば、自然に競争原理が働き、作品の値段も吊り上がる。ピカソは、自分の作品の〝価値を価格に変える方法〟、今でいえば〝マネタイズ〟の方法をよく知っていたのだと思う。

ゴッホとピカソ、誰もが知っている天才画家だが、その生涯は対照的だった。

ゴッホは、多くの職を転々としながら苦労して画家となったものの、極貧の生活を送る。

弟テオの理解と援助のもとで創作活動を続けることができたが、その2000点にものぼる作品のうち、生前に売れた絵はわずか1点のみだった。

一方、ピカソは、その卓越した画才もさることながら、経済的にも恵まれた生涯を送っている。

91歳で生涯を閉じたピカソが、手元に遺した作品は7万点を数えた。

それに、数カ所の住居や、複数のシャトー、莫大な現金等々を加えると、ピカソの遺産の評価額は、日本円にして約7500億円にのぼったという。

同じように優れた才能をもった画家でありながら、どうして生前ピカソは恵まれ、ゴッホは恵まれなかったのだろうか。

それは、ピカソのほうが「お金とは何か?」という本質を見抜いていたからではなかったか、と、著者は述べている。

でも、これはほかのことにも置き換えて考えることができる。

たとえば、過去、日本の製造業の多くは「良い商品を作れば売れる」と堅く信じていた。

しかし、その「モノづくり信仰」が過剰品質を招き、日本企業の敗北を決定づけた。

それはちょうど、「良い作品を作りさえすれば」と一途に思い、ファンタジーの世界に生きていたゴッホとよく似ている。

もっとも、ゴッホとピカソの生涯、個人的にはゴッホの生涯により惹かれるのだが・・・。

2013年4月11日 (木)

組織の思考が止まるとき/郷原信郎

Photo  アメリカ型の違法行為は、一言でいえば「ムシ型」(害虫型)だ。ハエとか蚊のようなムシと同じように、小さくても自分の意思で動いている。個人の利益が目的で、個人の意思で行われる違法行為を、ムシ型の違法行為と呼んでいる。そういう違法行為というのは通常単発的で、対処方法も単純だ。個人の意思で、個人の利益のために行っているので、その個人に厳しいペナルティを科して思い知らせればいい。虫に対して殺虫剤を撒くのと同じことだ。
 一方、日本の違法行為の多くは「カビ型」だ。個人の利益ではなく、組織の利益が目的で、組織の中の一定のポストに就くと、好むと好まざるとにかかわらず、そういう違法行為に手を染めざるを得ないというところに特徴がある。多くの場合、違法行為が継続的・恒常的に行われ、拡がりを持っている。その背景に何らかの構造的な要因があるからだ。

日本の違法行為は「カビ型」だとはよく言ったものだ。

ということは、対症療法ではだめだということ。

それをやるとモグラたたき状態になる。

根本問題を解決しないかぎり、ますます広がっていくかもしれない。

カビ型違法行為に対する対処方法はムシ型とは異なる。

カビに対して殺虫剤を撒いても意味がない。

カビを局所的につまんでゴミ箱に捨てても、また生えてくる。

カビを退治しようと思えば、まず、カビがどこまで広がっているのか、カビの広がり全体を明らかにして、すべて取り除く。

その上で、なぜカビが生えたのか。「汚れ」が原因なのか、「湿気」が原因なのか、その原因を突き止めて取り除く。

それによってカビをなくすことができる。

ところが日本では、違法行為が明らかになると、それだけを局所的に取り上げて叩くというムシ型と同じような対応をしてきた。

これでは問題は根本的に解決できない。

場合によっては、ムシ型の方法を行っていると、かえってカビが拡散してしまって、その毒を全体にまき散らすことになる。

著者は、そもそもコンプライアンスを「法令遵守」ととらえるところからが間違いだという。

コンプライアンスの本来の意味は「社会の要請に応えること」

ただ、アメリカのような多民族国家では、「社会の要請に応えること」イコール「法令遵守」となったという背景がある。

この考え方を日本にそのまま持ってきてもうまくいくはずがない。

もし日本でコンプライアンスを徹底しようとするのであれば、その背景となっている環境要因に目を向けることが必要。

その事業活動を取り巻く環境、例えば法令に基づく制度、業界の構造、社会構造等。

そういったものが背景になって、長期間にわたって違法行為がシステム化し、恒常化するような状況になっている時がある。

その場合、そういう環境自体に対しても問題意識を持って、環境をなんとかして変えていくという努力をすることが必要。

そうでなければ、本当の意味で組織が「社会の要請に応えていく」というコンプライアンスを実現することはできない。

それにしても、多くの人はコンプライアンスの意味を「法令遵守」と、とらえているのではないだろうか。

ここからすでにボタンのかけ違えが始まっているということである。

2013年4月10日 (水)

ネットと愛国/安田浩一

Photo  ネット掲示板などを通じて「愛国」や「反朝鮮」「反シナ」「反サヨク」を呼びかける者たちは、一般的にネット右翼と呼称される。朝から晩までパソコンや携帯にかじりつき、「朝鮮人は死ね」などと必死に書き込む者たちの存在は、ネットが一般化した90年代以降、急速に目立つようになった。当初こそこのネット右翼は、いわば変形型の「オタク」に位置づけられていた。匿名性を盾に差別的な言辞を繰り返す様から、攻撃的な引きこもりと揶揄されることもある。
 一方、今世紀に入った頃から、そうしたネット右翼のなかにも、キーボードを連打するだけでは飽き足らず、リアルな「連帯と団結」を目指す動きが活発化した。あくまでもネットを利用して情報収集、交流、呼びかけをおこないながら、「闘いの場」をネットの外にも広げたのだ。
 米田言うところの「ネット掲示板で、保守的な意識をもって〝活動〟してきた人たち」が、すべてそこに当てはまるとは言えないが、このネット右翼なる〝資源〟がなければ在特会も存在しなかったであろう。
 ちなみに米田は、ネット言論が大きく〝右に振れた〟要因として「日韓ワールドカップ」と「小泉訪朝」の2つをあげた。いずれも2002年の出来事である。なかでもワールドカップは「ネット言論におけるエポックメーキングだった」とまで断言した。

この数年間で会員数を急速に増やしている在特会という右翼の団体がある。

発足時の会員数は500名。

当初の目標とされていた会員数1万名はわずか4年間で達成している。

この種の団体としては急成長を遂げたといって良いだろう。

では、なぜ、在特会は短期間で急速に会員数を増やしていったのか?

在特会広報局長の米田隆司によると、「日韓ワールドカップ」と「小泉訪朝」の2つ、中でもワールドカップは「ネット言論におけるエポックメーキングだった」とまで断言している。

日韓両国による共催という形でおこなわれたワールドカップが残したものは、韓国に対する失望と嫌悪だった、と。

数々のラフプレー、サポーターによる日本選手へのブーイングなど、本当にすさまじかった。

韓国国民の品格を疑いだした日本人は多くいた。

それまでは韓国に親近感を持っていた人ですら『ワールドカップで目が覚めた』と、一気に嫌韓感情を膨らませたケースも多い。

当時の「2ちゃんねる」では、韓国選手やサポーターの一挙手一投足をあげつらったスレッドが乱立、いわゆる「祭り」状態となっていた。

韓国側のナショナリズムに煽られ、日本人の一部もまた、眠っていたナショナリズムが刺激された側面もあった。

たしかに韓国側サポーターのなかには極度に政治的な者もいた。

日本が負ければ喜び、日本が勝てば日の丸を踏み潰すといった韓国側サポーターの姿に、憤慨した日本人も少なくはなかった。

その憤りを手軽に表明できるのが、ネットの世界だった。

ネットは間違いなく、ナショナリズム高揚をもたらす酵母菌の役割を果たした。

つまりナショナリズムを刺激された日本人にとってネットは格好のツールとなったということ。

ネットであれば表の顔と裏の顔を上手に使い分けることができる。

普段は善良な普通の日本人の顔をもっているが、いったんネットの世界に入ると過激な言葉を繰り出す。

事実、著者が何人かの在特会の会員と会って話してみたところ、おとなしい普通の人が大部分だったとのこと。

今や、ネットというバーチャルな世界は、無視することの出来ないほど強い影響力を持ち始めたということではないだろうか。

2013年4月 9日 (火)

必ず覚える!1分間アウトプット勉強法/齋藤孝

41k0yhlfgyl__ss500_ まさに「一分間アウトプット勉強法」のポイントはここにある。自らの欲望を刺激しつつ勉強に励む。そのために魅力的な「問い」を立てる。それが優れたアウトプットを生み、自分の知識として身につくとともに人からも「すごい」と言われる。だからますます欲望が刺激される。この好循環が実現すれば、もはや勉強は〝一生の友〟となるだろう。

本書で述べていることは極めて単純。

アウトプットを前提に本を読む。

本を読む前に、魅力的な質問を用意し、本を読んで得たものを1分間でアウトプットせよ、ということ。

これは非常に理に適っている。

私自身も、著者が言っていることをそのまま実践しているわけではないが、

一日一回、これと似たようなことを実践している。

確かに効果がある。

もうこのブログを書くようになって3年になる。

よく続いているものだと自分でも思う。

2013年4月 8日 (月)

沈まぬ太陽(五)/山崎豊子

51evscx2dvl_ss500_  御巣鷹山事故後、総理の意向で、国見が会長に就任してからは、社内の綱紀が粛正され、腐敗は一掃されるかのように見えた。だが、長年巣喰った魑魅魍魎は、人事の公正、組合統合、財務面の乱脈をも正そうとした国見に対し、面従腹背で、会長追い出しを謀った。
 国会でドルの十年先物予約による膨大な損失が追及されるや、〝閣議決定〟によって、経営責任を問わずと、幕引きされてしまったのだ。一国の最高意思決定機関である閣議で、半官半民とはいえ、一企業の問題を取り上げ、幕引きを図るとは、国民を蔑ろにし、畏れを知らぬ行為と云わずして何であろうか。
 恩地の脳裡に、ニューヨークのブロンクス動物園で見た「鏡の間」が甦って来た。その鏡に映る人間こそ、この地球上で最も危険で獰猛な動物であるという痛烈な警告であった。
 国民航空にはびこる権謀術数、私利私欲の集団は、まさに、その警告通りの輩である。国見を辞任に追い込んだのも、再び自分をアフリカへ追いやるのも、この獰猛なものたちによる仕業であった。

この日航をモデルにした小説のラストはハッピーエンドではない。

主人公の恩地は再びアフリカへ追いやられ、国見会長は辞任に追い込まれる。

労働組合や内部抗争や粉飾会計の問題も放置されたまま。

事故後も、ドルの十年先物予約を続け、膨大な為替差損を出しながら、〝閣議決定〟によって、経営責任を問わずという政治決着をつける。

これは、企業倫理の欠如であり、事故に対する贖罪の意識の希薄さは言語に絶する。

何とも言えない後味の悪さが残る。

しかし、これが作者のねらいなのかもしれない。

ここで引用されているニューヨークのブロンクス動物園内の「鏡の間」にすべてが象徴されているのではないだろうか。

ブロンクス動物園のマウンテン・ゴリラとオランウータン舎の間に、鉄格子をはめ込んだ檻がある。

その鏡の前に立つと、自分の姿が映しだされる。

そして、その檻の上にこのように記されている。

「THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD(世界で最も危険な動物)」

それが「鏡の間」である。

地球上で最も危険な動物こそ、この鏡に映っている人間であると。

何という痛烈な皮肉であろうか。

権謀術数をめぐらせ、私利私欲に群がる獰猛で、醜悪な人間の姿。

作者が一番描きたかったことなのかもしれない。

2013年4月 7日 (日)

沈まぬ太陽(四)/山崎豊子

51jqlryxml_ss500_ 「会長、今まで、コックピットにいらしたそうでございますね」
 随行して来ている川野秘書課長が、ビジネスクラスの席から飛んで来た。
「狭い中で、乗員には迷惑だったかもしれないが、いろいろ勉強させて貰ったよ」
「迷惑どころか、きっと意気に感じていますよ、歴代の社長でコックピットを覗いた方はいらっしゃらないそうですから」
 出発までにさんざん聞かされていたが、国見には信じられなかった。航空会社は飛行機に客を乗せることで、経営が成りたっている。さしずめ関西紡績で云えば、各地の綿紡、合繊工場を視察し、技術レベルを確め、従業員を犒うことと同じであった。扉一枚、開ければ出来ることを、行わない会社は、やはり異常であった。

時の総理大臣から国民航空再建のため三顧の礼で財界から迎えられ会長に就いた国見(モデルは鐘紡会長だった伊藤淳二)

これなどは、政府が破綻した日航立て直しの為に、関西財界を代表する稲盛和夫・京セラ名誉会長に委ねたこととそっくり重なる。

会長に就任した国見が最初に行ったのは現場を回り現場の社員の声を聞くということだった。

自ら進んで航空機の整備の様子を見学し、整備士に直接質問する。

飛行中のコックピットに入れてもらい、パイロットの仕事ぶりを体感しようとする。

多くの優れた経営者は現場を大事にし、現場の声を積極的に聞こうとする。

これは言わば経営の王道とも言えること。

現場を知らずして経営など出来るわけがない。

ところが、歴代の国民航空の経営者はこれを全く行っていなかったという。

やっていたのは、もはやお家芸とさえいえる派閥抗争。

やがてこの力は、新会長を追い出す方向で働く。

最後には、国見会長は辞めざるを得ない状況まで追い込まれる。

結局、経営破綻というところまでいかなければ、この組織は変われなかったということであろう。

2013年4月 6日 (土)

沈まぬ太陽(三)/山崎豊子

51fgyjhwexl_ss500_ 「次に、会社の分裂労務政策が、事故の背景である点について申し述べます」
 傍聴席の人々は、意外な事の成り行きに顔を見合せた。
「ご承知のように昭和四十五年、機長管理職制度が、会社の労務政策として実施されました。世界にも例のない制度です。その結果、会社の方針に忠実であることが自分の保身術となり、おかしいと思うことも口に出して云えなくなりました。(中略)
 ここで重要なのは、国民航空労組が、会社の労務政策によって二つに分裂させられ、会社によって組織された会社に忠実な組合が、安全運航をチェックする機能を果せなかったという点です。例えば燃料の削減、部品の削減、人員削減など安全に反することばかりが行われて来ました。現場の整備員は完全に整備して出発させたいと思っても〝部品がない、時間がない、人手がない〟という状況もあった。 乗員の職場でも、機長が管理職であるため、会社に対してものを云うことが出来ず、組合員である副操縦士、航空機関士との間に、垣根があったことは事実です。
 この事故を考える場合、会社のとって来た分裂労務政策と、その結果の営利優先、監督官庁もそれを許して来た点に言及せずして原因究明を行うことは、片手落ちと云わざるを得ません。この点に関し、再調査が必要と考えます」
 営利優先の会社の体質を、赤裸々に述べ、公述を終えた。

国民航空は航空史上最大のジャンボ機墜落事故を起こす。

犠牲者は520名。

当然、国会の場でも事故原因を追及される。

問題は、現場の声が経営トップに届かない企業体質である。

コストや効率性ばかりが強調され、安全を求める現場の声が全く経営に反映されていない。

証言では、国民航空労組が、会社の労務政策によって二つに分裂させられ、会社によって組織された会社に忠実な組合が、安全運航をチェックする機能を果せなかったという点が述べられている。

では、労組がきちんと機能すれば事故は防げたのか。

それも違うような気がする。

労組の活動があまりにも過激になりすぎると、経営はうまくいかなくなる。

日本の中で、企業内労組がない企業はいくらでもある。

その中でも顧客第一主義を徹底している企業も多く存在する。

要は経営者の姿勢である。

労組がなくても、経営者に聞く耳があれば、現場の声は聞こえるはずである。

経営者に安全を第一にしようという姿勢があれば、たとえ労組がなくても安全は確保されるはずである。

この小説で描かれている国民航空は、経営者も管理職も社員も、みんな上しか見ていない。

経営者はお役所や議員の言動ばかりを気にしている。

管理職は自分の出世と保身のことしか考えていない。

社員は上司から気に入られることばかり考えている。

ヒラメ社員の集団である。

事故は起こるべくして起こったと言わざるを得ない。

2013年4月 5日 (金)

沈まぬ太陽(二)/山崎豊子

51rebmpd6zl_ss500_ 「残念ながら、国民航空はものが云えない職場と云われるほど、労使関係は正常ではありません。アンケートにも、95パーセントの乗員が『安全の基礎となる労使関係が非常に気になる』と答えています。
 その大きな原因は、国民航空には多くの不当労働行為があるからです。昭和40年に、乗員組合には4名が解雇されましたが、この問題について会社は、裁判所あるいは労働委員会で、すでに21回も解雇無効の判決あるいは命令を受けているにもかかわらず、単に裁判を取り下げただけで、解雇事件の全面的な解決には至っておりません。」

国民航空はインドなどで立て続けに飛行機事故を起こす。

この事故が契機となり衆議院で特別委員会が開かれる。

上記は、国民航空のパイロットである参考人の証言。

この証言からも伺えるように、この半官半民の航空会社の労使関係はかなり問題がある。

というより、本書を読んでいると、この第2巻まで、ほとんど労使関係の記述で占められている。

自分の出世のことしか考えていない経営層と、対立を繰り返す労働組合。

それぞれが自らの権利と既得権を主張する。

そこには「顧客」という視点が全く出てこない。

仕事柄、普段は使用者側に立って考えることが多いのだが、それにしたって、この会社の労使関係は問題がありすぎる。

この後、520名の犠牲者を出す前代未聞の大事故を起こすわけだが、明らかにこれは人災だと言えよう。

この企業の体質と事故を起こすまでの経緯、東電とよく似ている。

2013年4月 4日 (木)

沈まぬ太陽(一)/山崎豊子

517970bd5gl_ss500_ 「ところで君も予算室勤務が、足かけ三年になるね、そろそろ出る時間じゃないかな」
 軽い口調で、切り出した。
「ですが、組合の仕事で席を空けることが多かったので、上司や同僚に迷惑をかけた分、これから一生懸命、勉強しながら、頑張らねばと思っています」
「だけど、この半年、充分過ぎるほど、働いてくれたと思っている、実は転勤話があるのだ」
 柳は、痣のある右眉を動かして云った。恩地は内心、はっとしたが、
「せっかくですが、私は転勤したくありません、勉強しなければならないことが山ほどありますし、この仕事にやり甲斐を感じています」
「君がそう思っているのは勝手だが、会社はそう思っていないのだよ」
 いきなり、ばさりと切り捨てるように云った。恩地は返す言葉がなかった。
「まあ、世の中にはいろいろと、うるさいことを云う人がいるんだ、おとなしく従った方が、身のためだ」

国民航空(JALがモデル)に入社しエリート街道を歩むと思われた主人公の恩地元は、半ば強引な手法で労働組合の委員長に就任させられる。

委員長になった恩地は社内的に不平等であった様々な立場の社員の待遇改善の為に全力で会社側と団体交渉にあたり、社員の大半から支持される。

ところが委員長の任期を終えた恩地を待っていたのは、会社側の執拗な報復人事であった。

恩地は当時過酷な環境下にあったパキスタンのカラチへの赴任を命じられる。

更に、これはほんの手始め。

その後10年にもわたり過酷な環境下の海外赴任は続けられる。

本書はフィクションとされているが、内容の大部分は綿密な取材をもとにしるされており、事実に近い。

事実、恩地元のモデル、小倉寛太郎氏は約10年間の海外(カラチ、テヘラン、ナイロビ)での勤務を強いられている。

2010年、JALは経営破綻した。

企業がつぶれるのは外部要因ではなく内部要因によるとよく言われるが、この小説を読むと、そのことがよくわかる。

2013年4月 3日 (水)

嘘だらけの日米近現代史/倉山満

41xd6sfy8cl__aa278_pikin4bottomrigh 当時の言論人は、戦争が終わった後も日本とアメリカに喧嘩をさせようという大正・昭和初期以来のソ連の路線に忠実でした。まさに「死せるスターリン、戦後日本を踊らす」といったところでしょう。
 そこに、「アメリカに自国の安全を保障してもらっている」という問題がかかわります。独立後の日本政治は、自民党と社会党がそれぞれ米ソの代理人という情けない状況に陥ります。これは1955年に自社両党がそれぞれ合同・結党されたことから、五五年体制と呼ばれてます。
 この体制下の思想状況を二言でまとめてみましょう。
 
【通説】
自民党支持者はアメポチ。反米こそ進歩的。

 もちろん「アメポチ」という言葉こそありませんでしたが、当時の言論界の自称「進歩的文化人」の言論はこれより深いものはありません。ちなみに朝日新聞社や岩波書店から本を出せることが、当時の「進歩的文化人」の定義です。

まだ学生運動が盛んだったころ、その思想を先導したのは朝日ジャーナル、朝日新聞、岩波書店等左寄りのジャーナリズムであった。

そして、これらに寄稿したり論壇を張った人たちを「進歩的文化人」と称した。

その思想は安保闘争を頂点としていまもその流れは続いている。

この進歩的文化人の功罪についてはしっかりと検証することが必要であろう。

今、日本は右傾化してきたとよく言われる。

しかし、それまでがあまりにも左寄りになりすぎていたといえないだろうか。

近年の流れは、日本もやっと普通の国に近づいてきたといえるのかもしれない。

2013年4月 2日 (火)

今すぐ「言葉」をかえましょう/佐藤由紀

Photo  オリンピックのライフル射撃の金メダリスト、ラニー・バッシャムは、「自分は金メダルにふさわしい」というセルフイメージをもつことで、金メダルを本当に獲得しました。
 1972年のミュンヘンオリンピックで銀メダルを獲得した彼は、金メダルを目指すためにある行動を始めます。彼は「あながた金メダルに手が届いた、ほかの選手と違った理由はなんでしょうか?」と、2年間、1日平均5時間かけて金メダリストたちに直接インタビューしたのです。
 彼は次の1976年モントリオールでのオリンピックで見事金メダルを獲得するのですが、彼によると金メダリストの金メダル獲得とそれ以前との違いは「精神面が変わっただけ」だったそうです。
 その原動力となったのは「私は金メダルにふさわしい」というセルフイメージだったのです。

多くのスポーツ選手にとってオリンピックの金メダリストになるということは大目標。

金メダリストと銀メダリストは実力の上では紙一重の差であろう。

しかし、オリンピックから数年たっても人々が覚えているのは、金メダリストだけ。

銀メダリストなんかほとんどの人は覚えていない。

その意味では、金メダルと銀メダルは雲泥の差といえよう。

では、その差を生むのは何か。

それは「自分は金メダルにふさわしい」というセルフイメージを持てるかどうかの差だという。

では、そのセルフイメージはどうすれば作ることができるのか。

それは言葉を変えること。

いつも肯定的な言葉を使うこと。

言葉には力がある。

いい言葉を使うと、いいセルフイメージが作られる。

人間はセルフイメージ通りの行動をする。

そしてセルフイメージ通りの結果が出る。

いい人生を送りたいのであれば、まずは言葉を変え、それによってよいセルフイメージを持つこと。

シンプルだがとても大事なことである。

2013年4月 1日 (月)

14歳からの商い/渡邊美樹

51j4mg1xf9l_ss500_  採らない基準が1つあります。それは〝すぎる〟人です。
 例をあげましょう。面接にきたとき、「○○です!よろしくお願いします!」とやたら元気〝すぎる〟人。
「どうしても、この会社に入りたいのです。この会社しかないのです」という強引すぎる人。
 どんなことをいっても、「はいはいはい」と素直〝すぎる〟人。陽気〝すぎる〟のもいけません。
 それは、なぜか?〝すぎる〟人には必ずウソがあるからです。これも私のこれまでの経験からですが、〝すぎる〟人は自分をよく見せようとしすぎて、ウソの自分に疲れて、必ず息切れしてしまうのです。

ワタミ創業者、渡邊氏が中学生の質問に答える形で本書は書かれている。

ここでは「社員はどんなところを見て選んでいるか」という質問に対する渡邊氏の答え。

一つは「素直」であること。

もう一つは「明るい」ということ。

これは多くの経営者がよくいうことである。

面白いのは、採らない基準としてあげている「すぎる」人というもの。

「すぎる」とはどういうことか?

おそらくそこに「無理がある」「ウソがある」ということではなかろうか。

自分を採ってもらおうと、普段ではない自分を見せようとする。

そこには当然無理が生じる。

無理なことは続かない。

だから結局ウソになる。

おそらく渡邊氏は、創業以来、そのような人を何人も見てきたのだろう。

いや、それどころか、騙されてきたのだろう。

「すぎた」人は採らない、というのは、そのような経験から出てきた一つの教訓のような気がする。

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