組織の思考が止まるとき/郷原信郎
アメリカ型の違法行為は、一言でいえば「ムシ型」(害虫型)だ。ハエとか蚊のようなムシと同じように、小さくても自分の意思で動いている。個人の利益が目的で、個人の意思で行われる違法行為を、ムシ型の違法行為と呼んでいる。そういう違法行為というのは通常単発的で、対処方法も単純だ。個人の意思で、個人の利益のために行っているので、その個人に厳しいペナルティを科して思い知らせればいい。虫に対して殺虫剤を撒くのと同じことだ。
一方、日本の違法行為の多くは「カビ型」だ。個人の利益ではなく、組織の利益が目的で、組織の中の一定のポストに就くと、好むと好まざるとにかかわらず、そういう違法行為に手を染めざるを得ないというところに特徴がある。多くの場合、違法行為が継続的・恒常的に行われ、拡がりを持っている。その背景に何らかの構造的な要因があるからだ。
日本の違法行為は「カビ型」だとはよく言ったものだ。
ということは、対症療法ではだめだということ。
それをやるとモグラたたき状態になる。
根本問題を解決しないかぎり、ますます広がっていくかもしれない。
カビ型違法行為に対する対処方法はムシ型とは異なる。
カビに対して殺虫剤を撒いても意味がない。
カビを局所的につまんでゴミ箱に捨てても、また生えてくる。
カビを退治しようと思えば、まず、カビがどこまで広がっているのか、カビの広がり全体を明らかにして、すべて取り除く。
その上で、なぜカビが生えたのか。「汚れ」が原因なのか、「湿気」が原因なのか、その原因を突き止めて取り除く。
それによってカビをなくすことができる。
ところが日本では、違法行為が明らかになると、それだけを局所的に取り上げて叩くというムシ型と同じような対応をしてきた。
これでは問題は根本的に解決できない。
場合によっては、ムシ型の方法を行っていると、かえってカビが拡散してしまって、その毒を全体にまき散らすことになる。
著者は、そもそもコンプライアンスを「法令遵守」ととらえるところからが間違いだという。
コンプライアンスの本来の意味は「社会の要請に応えること」
ただ、アメリカのような多民族国家では、「社会の要請に応えること」イコール「法令遵守」となったという背景がある。
この考え方を日本にそのまま持ってきてもうまくいくはずがない。
もし日本でコンプライアンスを徹底しようとするのであれば、その背景となっている環境要因に目を向けることが必要。
その事業活動を取り巻く環境、例えば法令に基づく制度、業界の構造、社会構造等。
そういったものが背景になって、長期間にわたって違法行為がシステム化し、恒常化するような状況になっている時がある。
その場合、そういう環境自体に対しても問題意識を持って、環境をなんとかして変えていくという努力をすることが必要。
そうでなければ、本当の意味で組織が「社会の要請に応えていく」というコンプライアンスを実現することはできない。
それにしても、多くの人はコンプライアンスの意味を「法令遵守」と、とらえているのではないだろうか。
ここからすでにボタンのかけ違えが始まっているということである。
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