世界でも珍しい「謝罪会見」という光景/マッド・アマノ
スイスのシンドラー社のエレベーター事故の時も、「とにかく謝れ、ひと言謝ればいいんだ」の大コールだった。しかし、同社はすぐに謝罪はしなかった。欧米ならそれは当たり前のこと。原因不明の段階での謝罪は現実的ではないし、科学的ではない。たとえば飛行機事故などの場合、操作ミスとか機械の故障ならいざ知らず、人知を超えた気候のせいということもあり得る。事故原因が不明の段階での「とりあえず謝罪」はナンセンスだ。
謝罪会見というのは日本独特のものらしい。
アメリカでも遺族に哀悼の意を伝えることはある。
「お気の毒に」とか「同情します」と。
しかし、これは謝罪とは違う。
ましてや、日本のようにテレビのを通じて公的に謝罪会見を開くことはないという。
不祥事を起こしたら社会的に制裁を受けさせればいいという考え方だ。
そして原因究明をし、二度と同じ過ちを繰りかえさないようにする。
これは極めて合理的な考え方である。
ところが日本は違う。
たとえば、企業が不祥事を起こしたら場合、「社長出てこい」となる。
そして社長はテレビを通じて公に謝罪をする。
しかし、その謝り方が横柄であったりすると、「何だ、あの謝り方は」「反省が足りない」となる。
マスコミもそれを増長させるようにバッシングをする。
いかにしおらしく、反省した態度をするかが問題となるのであって、真摯に謝っている姿勢さえ示せば、今度は「あれだけ謝っているのだから」と、世間は同情し味方をしてくれる。
それによって多くの人は溜飲を下げ、幕引きとなる。
ところが肝心な原因究明はどっかにいってしまう。
そして同じことを繰り返す。
今や当たり前となった謝罪会見。
日本人のメンタリティーを最も象徴する光景ではないだろうか。
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