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2013年5月25日 (土)

評価と贈与の経済学/内田樹、岡田斗司夫

Photo 「イワシ化する社会」っていうのは「脳化する社会」というのとおなじことだと思うんですよ。みんなが頭で考えて、脳だけで判断するから、その選択が自分の生きる力を高めるか、生き延びる可能性を高めるかということを吟味しないで、ふらふらマジョリティについてゆく。だから、ふつうならそんな極端なところまで行く前に気がつくはずの、極端に反生命的なことをして、「心が折れ」たりする。身体から送られてくる「こっちに行ったほうがいいよ、そういうことしないほうがいいよ」という生命についての情報を無視して、頭だけで考えているからだと思う。

本書は二人の対談形式になっている。

対談の中で二人は、新しい共同体のありかたを探っていく。

貨幣も、情報も、評価も、動いているところに集まってくる。

ならば、私たちはどのような動きをする集団を形成すればいいのか、と。

ここで、今の社会を読み解く鍵となるのが「イワシ化する社会」というもの。

イワシは小さい魚だから、普段は巨大な群れになって泳いでいる。

どこにも中心がいないのに、うまくまとまっている。

自由に泳いでいる。

これは見事に、いまの日本人なのではないか、と。

そのときの流行りとか、その場限りの流れだけがあって、価値の中心みたいなものがなくなっているんではないか。

イワシ的にシステム全体がなんとかうまく動いているおかげでまとまっているように見えるが、突発的になにかが起きたら容易にバラバラになる。

「イワシ化する社会」とはこんなイメージである。

確かに当たっている部分がある。

特に、日本人はみんな考えているようで考えていない。

それは思考と身体性が分離してしまっているからではないか。

心技体という言葉があるように、元々思考するとは身体性抜きには考えられないもの。

自分の身体に刻み込まれた記憶と頭で考えたことを同化させその化学反応によって新しいアイデアや考えが生まれる。

ところが、今の日本人は頭だけで考えている。

これは合理的であるようで全く合理的でない。

どこかで落とし穴に落ちてしまう。

そんなモロさや危うさが今の日本社会にある。

これは同感できる部分である。

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