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2013年6月の30件の記事

2013年6月30日 (日)

仕事と勉強を両立させる時間術/佐藤孝幸

Photo メモは受動的な行為のため、「自分で考える」ということをしなくなりがち。
1日のメモは最高3つまでにし、本当に必要なことだけ残すようにしよう。
そうしないと、情報感度がどんどん落ちていく。

時間は誰にも同じように一日24時間与えられている。

そして、この時間を有効に使えるか否かによって、その人の人生が決まってくるといっても過言ではない。

それだけに、いかに時間を有効に使うかは、すべての人のテーマだと言ってもよいだろう。

著者はここでメモを取ることによる時間の無駄を指摘している。

メモ魔と言われる人がいる。

そういう人はメモを一日20も30もとる。

そういう人は「メモを取ることにより、頭の中に余裕が生まれ、創造的な仕事ができるようになる」と言う。

それに対して、メモを全く取らない人もいる。

そういう人は「大事なことはメモを取らなくても覚えているもの。メモをとるとその機能が衰退してしまう」という。

どちらも一理ある。

また、仕事のできる人にも両方のタイプがあるのもまた事実。

著者は、「メモを取るのはよいが、それは一日3つまでにすべし」と言う。

つまり、何もかもメモしていると、情報の質に強弱をつけるのが下手になってしまい、身の回りはメモがあふれかえり、本当に重要な情報が埋もれてしまうからだと。

これもまた一理ある。

要は、これらのことを踏まえた上で、自分にもっともあったスタイルを身につけることではないだろうか。

物事に絶対はないのだから。

2013年6月29日 (土)

欲望のメディア/猪瀬直樹

Photo  わたしは教育者としての経験から、〝一枚の画が一万語に勝る〟ことを知っている」
 もしテレビのネットワークが張りめぐらされていれば、一人の教師がアメリカ全土の人間に知識を授けることができるし、伝染病が蔓延した場合は予防接種を呼び掛けることができる。しかも適当な条件さえ整えば、外国においてもそれが可能になるはずだ。(中略)
 ムントは日本地図を指して、説明を加えた。「日本では東京の大放送局と二十二カ所の中継局によってそのサーヴィスを提供することができます。この二十二カ所の中継局や公共の大型受信機が日本の各都市ならびに地域に設置されれば、マッカーサー将軍下の占領軍は、これらの広大な地域の国民に対し、自由の教訓と民主主義の概念を映像によって送り届けることができるのであります」

本書はテレビがどのようにして生まれ普及していったのか、その歴史をたどっている。

上記は、アメリカの上院議員カール・ムントのワシントンの上院議会での演説の一部。

時の権力者たちはテレビを利用とした。

ヒトラーはテレビを使って増幅された自己像を国民の前に投影させようとした。
そしてアメリカの日本における占領政策の一環としてテレビは日本で普及していった。

やがて皇太子と美智子妃の御成婚や力道山の活躍等を経て一家に一台という時代を迎える。

普及しその図体が大きくなれば、その質が問題になる。

大宅壮一〝一億総白痴化論〟に代表される様々な批判にもさらされる。

今はネットの普及等により、その力は弱まったと見られているが、それでもその影響力は絶大である。

このテレビというメディア、今後どのような形に変わっていくのだろう。

2013年6月28日 (金)

さかのぼり日本史⑦戦国/小和田哲男

Photo  経済というのはとにかく「流れる」ことが重要です。水が高きから低きに流れることによってエネルギーが生まれるように、経済には常にダイナミックな流れが必要なのです。停滞してはダメです。ゆえに、人やモノをできるだけ動かそうとして、信長はこれらの政策を打ち出しました。いわば「開放経済政策」です。これらはすべて守りではなく攻めの発想であり、どれも当時の常識の反対側から発想されている点が、面白いところです。

戦国時代は、百以上の群雄が割拠したといわれる。

当時において、最終局面まで勝ち残った武将は、間違いなく経済戦略にも優れていた。

戦国時代もお金が大きなポイントとなって武将たちの勝ち負けを決めたのである。

たとえば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。

この三人とも、今で言えば卓越した起業家であり、会社経営者だった。

単なる肉体派・武闘派ではなかったから、彼らは競争に勝ち抜くことができた。

現在の政治を見ても、安倍政権がうまくいっているのも、経済政策に優れているからに他ならない。

例えば、上記の信長の例。

できるだけ多くの商人が集う、活気ある町づくりをしたい、と考えた信長が、商業振興策としてさらに行ったのが、街道の整備だった。

当時の道路というのは、おおむね細くて、曲がりくねっていて、歩きにくいのが当たり前だった。

それを信長は道幅を広げ、まっすぐに直し、通行しやすくしようとした。

当時の常識からすると、これはまったく驚くべき試みだった。

というのも、そのころの領主は敵が領内に入り込むことを極度に恐れて、道幅はできるだけ細くし、曲がりくねらせ、川にはわざと橋をかけなかったから。

道を広くしたりまっすぐにしたりすることは、敵に攻め込んでくださいと言っているようなものだと考えていた。

つまり、できるだけ自分の土地をオープンにして、たくさんの人を呼び込もうとした信長の発想は、通常の逆をいっていたわけだ。

これが信長が天才と言われた所以であろう。

信長は、街道の整備をすることにより、人とモノの流れをスムーズにし、経済を活性化させた。

信長の政策は、今で言えば規制緩和にあたる。

アベノミクスがうまくいくかどうかも、どれだけ既得権者の抵抗を打破し、規制緩和をし、ヒト・モノ・カネの流れをスムーズにできるかどうかにかかっている。

2013年6月27日 (木)

さかのぼり日本史⑥江戸/磯田道史

Photo  一つ指摘しておきたいのは、松前奉行が「民命」という言葉を用いて人命尊重の考えを示しているように、身分制度に縛られた当時の世の中で、「民の生命や財産を守る」という価値観が社会のすみずみまで共有されていた―― という事実です。
 幕府のこうした価値観を如実に表す逸話があります。幕末、徳川幕府は長崎に西洋医学の病院を建てました。その用地として一人の貧しい農民に土地の譲渡を頼んだところ、幕府の申し出にもかかわらず、農民は頑かたくなに拒否しました。これに対して幕府は強制的に土地を奪うどころか、その農民の言い分を認めて別の土地をあたることにしたというのです。今日であっても、国家・政府の目的に公共性があれば、土地収用はなされます。しかし、幕府はそうしなかった。徳川二百年の歴史がつくりあげてきた、民の生命財産を尊重する価値観が、こうした出来事から垣間見えるのです。

日本は世界でもっとも安全な国といっても良い。

落とした財布が世界で一番もどってくるのは日本。

日本では自動販売機が盗まれない。

日本人はこれを当たり前と考えているが、世界の中でこんな国は珍しい。

そしてこのような「民の生命や財産を守る」という価値観は、上記のエピソードが示す通り、江戸時代260年の歴史の中で培われていったといって良い。

少なくとも戦国時代までの日本はそんなことはなかった。

これほど長い間、徳川幕府が泰平の世を保ったことは世界でも類がない。

ただ、江戸時代は何もせずに平和であったわけではない。

内乱、自然災害、侵略、いくつも危機や分岐点があった。

しかし、その時代の人々は、そのたびに必死になり知恵を出して、それらを乗り越えてきた。

とするならば、江戸時代の人々の姿には、きっと、われわれが学ぶべきところが多くあるはずだ。

歴史を学ぶ意味はこんなところにあるのではないだろうか。

2013年6月26日 (水)

さかのぼり日本史⑤幕末/三谷博

Photo  天皇と近代政治とを結びつける、その組み合わせの妙が重要な意味をもっていました。王政復古により天皇を挙国一致の中心にかつぎだし、それによって西洋諸国による侵略を防ぎうる体制を築く。このような合意が十数年も続いた政争のなかで徐々に形成され、それによって明治維新という日本史上もっとも大きな変革が実現されたわけです。

現在の日本の出発点に維新がある。

徳川幕府が倒れて天皇を中心とする明治日本ができた。

キーワードは王政復古である。

幕末の人々は共通して、西洋に対する危機意識をもち、連邦国家の日本が一つの国としてまとまる必要、つまり「挙国一致」を目指していた。

彼らは日本を救うための核を求めた。

「王政復古」はその模索の結果だった。

幕府を否定し、新たな政治システムを構築するにあたり「復古」の文言を使用するのは、現在から見れば違和感がある。

しかし、神武天皇の創業時代にさかのぼり、公家も武家も存在しなかった時代に立ち返るというのが、王政復古の真意だった。

つまり、幕府だけではなく、平安時代から続く摂関制も、さらに律令制さえも排除して、身分の上下の別なく、人びとが対等な立場で公議を尽くし、これからの日本の政治を運営していくのだという、非常に高邁な政治理念をうたったもの、それが王政復古の大号令だった。

幕末では、天皇の名を出すことによってそれまで発言出来なかった人々が発言しやすくなった。

自分も国づくりに参加できるという、非常にポジティブな面が優越していたように見える。

天皇の下に結集すれば国づくりに参加できる。

自分も公的な役割が果たせる。

そうした新時代のビジョンが当時の人びとに大きな希望を与え、勇気づけたことは間違いない。

極論すれば日本が一つになるために「王政復古」を利用したといってもよい。

新しい体制を構築する場合、何か「核」になるものが必要となる。

日本は今、岐路に立っている。

今の日本で「核」になるものは何だろう?

そんなことを考えさせられた。

2013年6月25日 (火)

さかのぼり日本史④明治/佐々木克

Photo 伊藤博文は、優秀な行政の専門家を育て、官僚を重用することによって効率的に国家を運営し、日本の近代化を達成しようとしました。この方針が正しかったことは、明治日本が短期間で近代化を達成した事実が証明しています。これは近代官僚制のプラスの面です。しかし、官僚たちはしだいに、自らの力に酔って特権意識をもつようになり、次いで自分たちの保護者である薩長藩閥政府のほうに傾いて自己保身をはかるようになっていきました。これは、明らかにマイナスの面です。 しかも、近代化を達成したあとも、政府と官僚は離れようとしませんでした。両者がたがいに距離をおいて自立することが理想的なのですが、それを実現することはできませんでした。この点が、近年の政府と官僚をめぐる問題にかかわっていると思います。
 
 

日本の近代化は、官僚の働き抜きには考えられない。

「官僚」という言葉は明治中期以降に用いられている通称で、公文書では用いられていない。

「官」は政府・役所の意味で、「僚」は役人とその仲間を意味する。

官僚がその権力を確固たるものにしたのは伊藤博文の働きによる。

明治政府は近代国家の証である憲法を制定し、立憲君主制国家に生まれ変わる時期を迎える。

このとき伊藤博文は、この新国家を支え発展させるためには不可欠な官僚を保障し、かつ安定的に供給できるような体制をつくろうと考える。

そして自ら起草した大日本帝国憲法にその制度的基幹部分を盛り込み、これが近代官僚の基点になる。

このとき伊藤が構想し望んだ官僚とは、行政の専門家としての官僚だった。

議会や政党に左右されることなく、しっかりと国家を支えていく行政の専門家集団をつくりだそうとした。

帝国憲法を発布した翌1890年に、商法と民法の一部、そして地方行政にかかわる府県制・郡制という国家の基本法が公布されたが、これを作ったのが官僚である。

強い使命感と強烈な自負の念、そして過剰ともいえるエリート意識が同居した官僚というものが、ここに登場する。

政府が官僚を大事にし、重用した結果、官僚たちは「法律をつくったのは自分たちだ、国家の運営に自分たちの力は欠かせないのだ」と自信をもった。

そして特権意識を持つようになる。

確かに日本の近代化に官僚は大きな力を発揮した。

明治日本は、列強のアジア進出という危機的な状況のなかで、近代化を速やかに進めなければならず、そのようなとき、官僚と官僚組織は大きな力となる。

その後も日本は幾度か危機的な状況に陥るが、官僚の力によって何とか乗り越えることができた。

たとえば、内務省は太平洋戦争後のGHQ指令によって解体された。

しかし有能な官僚が残った。

その彼らが戦後復興期や高度成長期に果たした役割は重く大きなものだった。

その意味では、官僚なしでは現在の日本はなかったかもしれない。

しかし問題はそれによって官僚がエリート意識をもつようになったこと。

そして国家や官僚機構ではなく、自分と、所属している組織を守ろうとする意識が強くなっていったこと。

結果として、縦割りの強い組織になり、そのような組織が並んでゆく。

組織は時間がたてば老朽化していく。

時代と共に変革していかなければならない。

今、官僚の間違ったエリート意識の弊害が至るところにあらわれてきている。

政府と官僚が適正な関係にあれば、「官僚依存」とか「脱官僚」などという言葉はでで来ない。

今、日本はある意味、国家的危機に直面している。

今こそ、政治家も、官僚も、国民も意識変革をしなければならない局面に立っているのではないだろうか。

2013年6月24日 (月)

さかのぼり日本史③昭和~明治/御厨貴

Photo  議会制民主主義においては「数が力」というのはまごうことなき事実です。しかし、数をたのんで党勢拡大を図ったことで、原自身は清廉潔白な政治家だったにもかかわらず、利権に絡む誘惑に負けてしまう党員をコントロールすることができなくなってしまっていたのです。
 原は、確かに卓越したリーダーでした。しかし自らをコントロールすることはできても、肥大化した組織をコントロールするためにはなにが必要かという点においては、あまりに無自覚でした。

現代の政治を考える上で、その歴史を振り返ることは意味深い。

そして振り返れば振り返るほど、同じことを繰り返しているという事実に突き当たる。

例えば、1918年発足の、原敬内閣。

当時主流であった藩閥政治に対してNOを突き付け、政党政治を実現しようとしていたのが原敬だった。

当時、山県有朋は長州出身者を中心に、政官界に山県閥と呼ばれるグループを組織して隠然たる力を保持していた。

山県は長州をはじめとする明治維新に大きな役割を演じた藩の出身者を引き立てて藩閥を組織する。

そして 藩閥は選挙によって選ばれた議員によって構成される衆議院とは無関係に、いわば身内ともいえる藩閥の有力者を回り持ちのように首相の座に据え、それを軸に貴族院、枢密院、官僚機構、さらには軍部をも掌握するというシステムを構築していく。

それにNOを突き付けたのが原敬であった。

原は、爵位を持たず、衆議院に議席を持つ、初めての首相だった。

原は、無爵で、衆議院に議席を持つ与党党首であり、藩閥に属さない初めての首相ということで「平民宰相」と呼ばれ、国民の期待が大きく膨らんだ。

原が首相となる以前の政党を主体とした内閣は、多くの場合藩閥のコントロールを免れえない状況にあった。

これに対して原は、なんとか議会を中心として政党政治を日本に定着させようと、周到な準備を行ったうえで、細心の注意を払いつつ、藩閥勢力の力を削いでいこうと策を講じる。

原の積極政策に見られる強引な政治手法は、政友会の党勢拡大と政権基盤の充実には結びついたが、一方では、利益誘導型政治につきものともいえる政治腐敗をまねく。

政策論争不在の、党利党略による政争という政治土壌を醸成することになっていく。

政治家は自らの理想とする政党政治を実現するために、安定多数を求める。

そのために利益誘導型政治により党勢拡大を図る。

つまり藩閥打倒という大目標達成のため、結果として党利党略をむき出しにせざるを得なかったところに、政党の限界、あるいは宿命と言えるようなものを感じる。

1921年11月4日、東京駅乗車口で原は暗殺される。

犯行に及んだ青年は、政治腐敗や原が普選法に反対したことに対する憤りを動機として語っている。

藩閥の横暴を否定して国民本位の政治を目指したはずの原が、今度は国民から政党横暴と非難されるパラドックス。

高邁な理念を掲げて登場したリーダーが、その理念実現のために勢力拡大を図りやがて腐敗していくというパラドキシカルな現象。

これは日本で、いや世界で、繰り返し行われていることではないだろうか。

2013年6月23日 (日)

さかのぼり日本史②昭和/加藤陽子

Photo  太平洋戦争中の一九四四年(昭和十九年)五月四日、時の東条英機首相(陸相・参謀総長兼任)が埼玉県にある陸軍航空士官学校を抜き打ちで視察したことがあります。その目的は、『東條内閣総理大臣機密記録』によれば、「士気振作、戦力増強に資する」ためでした。士官たちに気合いを入れるための視察でした。しかしその際、首相は一人の生徒に「敵機は何で墜とすか」と質問したのです。そして、生徒が機関砲でと答えると、首相は言下に訂正しました。「違う。敵機は精神力で墜とすのである」。

東条首相のおそるべき精神主義をあらわすエピソードである。

この発言があった時期は1944年5月。

すでに日本の敗色が濃厚になっていた。

中部太平洋でギルバート諸島・マーシャル諸島の日本軍守備隊を全滅させたアメリカ軍が、西太平洋でもニューギニアを制圧し、トラック諸島も攻略して北上態勢に入り、サイパン島を含むマリアナ諸島へと今まさに迫りつつあった時期にあたる。

つまり日米の国力の差が明らかになり、絶望的な状況に陥っていたとき。

実際、開戦時に真珠湾などで大損害を受けたアメリカが、態勢を急速に立て直して43年に本格的な反攻を開始して以後、太平洋における戦いは終始、アメリカ軍の科学・技術力と物量が日本軍を圧倒する形で進められた。

合理的に考えれば、もはや敗戦を受け入れるしかない。

ところがここで出てきた言葉が「精神力」である。

一国の首相の言葉だけにゾッとするものがある。

この精神主義が日米開戦を踏み切らせ、更に終戦の時期をずるずると引き延ばしたのだろう。

それによってどれだけの人命が失われたことか。

ただ、この精神構造、戦時中に限ったことではない。

今に至るまで、いたるところでこの精神主義が頭をもたげる。

何か大切な局面で物事を判断しようとする場合、できる限り情報を収集し、分析した上で合理性を追求するべきだが、それをせずに「あとは強い気持ちでこの難局を乗り越える」としてしまう。

これは勇ましく聞こえるが、一種の思考停止状態である。

今、体罰やパワハラが社会的な問題になっているが、これも日本人の精神構造と無関係ではないような気がする。

2013年6月22日 (土)

さかのぼり日本史①戦後/五百旗頭真

Photo  敗戦後の日本にとって、戦争とは侵略戦争か自衛戦争の二つしかなく、それ以外の戦争には考えも及びませんでした。日本人の心の辞書には、それ以外の戦争は載っていなかった。世界の安全を守るための戦争、あるいは国際平和協力、国際貢献のための実力行使という想定自体は、未知のものでした。
 他国と争わず、他国どうしの戦いにも関わらないという姿勢が「平和主義的な振る舞い」であり、それが国際的にも称賛を受けるのだと、日本人の大多数はきわめて素朴に思っていました。その認識は、第二次世界大戦の敗戦国として国際的にはまだ「更生中」と言える時期、そして未だ貧しい敗戦国であった時代には、ある程度妥当だったかもしれません。しかし、すでに経済大国となり、サミット(先進国首脳会議)のメンバーとなっていた日本が数十年前の終戦当時と同じ国際認識のままで済むわけがないのは、ある意味当然のことです。

今、憲法論議が盛んになってきている。

特に問題になっているのは憲法第9条の戦争放棄の条文について。

憲法第9条の改正を求める人たちの中の大部分は、決して好戦的なわけではない。

むしろ平和を愛する人たちである。

問題は戦争放棄をうたっておりながら、実際には自衛隊という戦力を保持しているということ。

これは条文をそのまま素直に読めば違憲である。

ただ、それを解釈によってごまかしている。

これをいつまで続けるのか、ということである。

そして、第9条そのものが時代に合わなくなってしまっている。

だったら、現実論に立って改正すべきではないか、というもの。

この第9条が国民的にも大きな議論の対象になった出来事は、1991年の湾岸戦争であろう。

「日本はカネだけ出して血は流さないのか」とよく言われたものだ。

それを如実に示した「事件」があった。

戦後、クウェートはアメリカのワシントン・ポスト紙などに謝意を表した全面広告を打ち、クウェート解放に貢献した国々の国旗を掲載した。

ところが、そこに日本の国旗はなかった。

また、アメリカの首都ワシントンでは、第二次大戦終結のとき以来という軍事パレードが行われ、各国の駐米大使が招かれたが、 駐米日本大使に招待状は届かなかった。

総額130億ドルの資金協力などを行ったにもかかわらず、なお、日本は軽侮の対象にとどまった。

これは、日本の政治外交政策における「敗北」としか言いようがない。

この「敗北」が、日本人に大きなショックを与え、日本の国際的な評価や責任を考えるうえで、大きな画期となった。

当時、憲法の規定に照らし合わせて考えれば、自衛隊を海外に出すこと、すなわち海外派兵はきわめて難しいと、政府も、そして大多数の国民も思っていた。

それにもかかわらず、日本外交は国際社会から激しい非難を受けた。

もともと、戦争の放棄と戦力の不保持を謳った日本国憲法は、連合国の占領下でつくられたもの。

しかし、時代は変わった。

時代が変わって憲法が制度疲労を起こしているのであれば、変えるべきだろう。

日本人は、敗戦直後にセットされた認識を、戦後68年経った今も変えられずにいる。

ここに大きな問題を感じる。

2013年6月21日 (金)

イノベーション・オブ・ライフ/クレイトン・M・クリステンセン

Photo  報酬は間違いなく衛生要因だ。これをしっかり理解しておく必要がある。報酬をどんなに工夫したところで、せいぜい社員が報酬のせいで同僚や会社に不満をもたなくなる程度でしかない。これはハーズバーグの研究が与えてくれる、重要な洞察だ。仕事の衛生要因をただちに改善しても、仕事を突然好きになるわけではない。せいぜい、 嫌いではなくなるのが関の山だ。「仕事に不満がある」の反対は、「仕事に満足している」ではなく、「仕事に不満がない」だ。この二つはけっして同じことではない。安全で快適な職場環境、上司や同僚との良好な関係、家族を養えるだけの給料といった衛生要因に配慮するのは大切だ。これらが満たされなければ、あなたは仕事に不満をもつようになる。だがそれだけで、仕事を心から好きになれるわけではない。ただ嫌いではなくなるだけだ。

本書の著者、クレイトン・クリステンセン教授は、毎年ハーバード・ビジネススクールで受けもつ講義の最終日に、ビジネスや戦略ではなく、どうすれば幸せで充実した人生を送れるかについて、学生たちと話し合う機会をもっている。

きっかけは、自分の同級生や教え子に、卒業後数十年経って再会して話を聞くと、彼らが必ずしも幸せな人生を歩んではいないという事実を知ったことによる。

職業人として成功を収めながらも、明らかに不幸せな人たちが多くいた。

社会的成功という仮面の陰で、多くの人が仕事を楽しんでいなかった。

離婚や不幸な結婚生活の話もよく聞いた。

ここ何年か子どもたちと口もきかず、大陸の両端に分かれて住んでいるという同級生もいた。

卒業以来、三度めの結婚をしようとしている女性もいた。

優秀であるがゆえに失敗してしまう既存企業と同じで、才能にあふれた、達成動機の高い若者たちが、優秀であるがゆえに不幸な人生を歩んでしまう―教授はそんな同級生や教え子を、数え切れないほど見てきた。

この人生のジレンマを乗り越える手助けをするために、本書は書かれた。

著者は以下の3点の論点について、自らの主張を展開する。

1. 幸せで成功するキャリアの気づき方とは?

2. 幸せの拠り所となる家族との関係のありかた、築き方とは?

3. 誠実な人生を送り、罪人にならずにいるには?

人は何のために働くのだろうか?

単純に考えれば、お金を得るためだろう。

では人はお金を得さえすれば満足できるのだろうか?

仕事を楽しめるのだろうか?

ここで著者はハーズバーグ博士の「衛生要因と動機づけ要因理論」を用いて、そのことを説明している。

ハーズバーグによれば、仕事の満足感が連続的に変化していく――つまり一方の極の非常に満足度の高い状態から、その対極のまったく満足していない状態までが、連続的につながっている――という一般的な前提は、人間の心の働きを正確に表していないという。

満足と不満足は、実は一つの連続体の対極に位置するのではなく、別々の独立した尺度なのだ。

たとえば自分の仕事が好きでもあり、嫌いでもあるという人がいてもおかしくない。

この理論は、衛生要因と動機づけ要因という、二種類の要因を区別する。

仕事には、少しでも欠ければ不満につながる要因がある。

これを衛生要因と呼ぶ。

ステータス、報酬、職の安定、作業条件、企業方針、管理方法などがこれにあたる。

たとえば、部下を自分のいいように使う上司がいないことや、快適な職場環境は重要だ。

人は衛生要因が満たされないと、不満を感じる。

仕事に不満を感じないようにするには、満たされていない衛生要因に働きかけ、改善する必要がある。

しかし、それによって満足感が高まり、やる気がでるわけではない。

単に不満がなくなるだけである。

この理論のおもしろいところは、報酬が動機づけ要因ではなく、衛生要因に含まれる点だ。

つまり社員にインセンティブや報酬を与えれば、社員はやる気を出して働くというのは間違っているということ。

報酬を上げれば、ある程度の不満は解消するだろうが、やる気を出して働くかどうかは別次元の話だということ。

不満の解消イコール満足ではないのである。

バブル崩壊後、大企業を中心に導入が進んだ成果主義が失敗したのも、このことの理解不足によるところが大きい。

つまり、馬の鼻先にニンジンをぶら下げれば、馬は必死に走るだろう、という仮説に基づいた賃金制度をつくってしまったことによる。

成果を上げた社員には多額な報酬を与え、そうでない社員の報酬を下げた結果、社員はやる気を出すどころか、疲弊していった。

別名「馬ニンジン方式」の賃金制度はことごとく失敗した。

そして著者は何を自分の仕事とするかは衛生要因ではなく、動機づけ要因(責任感、達成感等々)で選ぶべし、と主張する。

日本はこれから超高齢化社会を迎える。

60歳で定年退職し、あとは年金をもらって悠々自適に暮らすというライフスタイルのモデルは崩壊するのは明らか。

場合によっては一生仕事をしなければならなくなるかもしれない。

今後、人生における仕事の比重が益々増してくるであろう。

ということは、幸せな職業生活を送らなければ、幸せな人生も送れないということ。

仕事にお金以外の何を求めるのか?

このことを、ひとり一人が真剣に考える時がきているのではないだろうか。

2013年6月20日 (木)

イノベーションのジレンマ/クレイトン・クリステンセン

Photo  失敗の構造の最後の要素、安定した企業が、破壊的技術に積極的に投資するのは合理的でないと判断することには、三つの根拠がある。第一に、破壊的製品のほうがシンプルで低価格、利益率も低いのが通常であること。第二に、破壊的技術が最初に商品化されるのは、一般に、新しい市場や小規模な市場であること。第三に、大手企業にとって最も収益性の高い顧客は、通常、破壊的技術を利用した製品を求めず、また当初は使えないこと。概して、破壊的技術は、最初は市場で最も収益性の低い顧客に受け入れられる。そのため、最高の顧客の意見に耳を傾け、収益性と成長率を高める新製品を見いだすことを慣行としている企業は、破壊的技術に投資するころには、すでに手遅れである場合がほとんどだ。

本書はイノベーションがなぜ起きないかを述べている。

イノベーションの方法を書いてある本はたくさんあるが、イノベーションがなぜ起きないかを科学的に証明しているのは本書だけではないだろうか。

特に本書で問題になっているのは、成功した企業がなぜ破壊的イノベーションを採用できないのか、ということ。

多くのトップ企業は、過去の成功体験に基づいた合理的で正当な企業戦略を展開する。

ところが技術が持続的になっている企業は破壊的なイノベーションを採用できない。

なぜなら技術を培ってきた社員がいるし、それまで巨額の投資を積み重ねてきているので、一気に仕組みを変えることができないから。

だが、それゆえに破壊的イノベーションには対処できず、市場の主導権を失ってしまう。

ソニーがそうだったし、マイクロソフトもそうなろうとしている。

ジョブズ氏亡き後のアップル社も今後そうなるかもしれない。

昨今のトップ企業の盛衰を見ていると、まさに本書で述べているようなことが現実に起きているのだということを実感する。

2013年6月19日 (水)

なぜ人は砂漠で溺死するのか?/高木徹也

Photo  読者諸兄は、こんな気持ちのいい瞬間を経験したことはないだろうか。満腹かつアルコールをきこしめした状態で、すこぶる愉快な気分で風呂にどぶんと浸かると、ふーっと眠くなるような至福の瞬間を……。あれは眠気に襲われているのではない。 実は、気絶しかけているのだ。食事後の副交感神経の優位と、アルコールと、入浴と。そのトリプルパンチで、脳への血流が急激に減少し、脳に血が足りない状態に陥っているだけ。医学用語で、「一過性脳虚血」という症状である。すっと意識が遠のくのは、一瞬、自分が死に近づいているのだと考えたほうがいい。

人間は意外な死因で、意外な場所で死んでいる。

例えば、風呂で溺死する人。

そのメカニズムはこのようなもの。

日々の生活のリズムとして、日本人は夕食の後で入浴することが多い。

これは、かなり危険な行動なのだという。

私たちの日々の行動は自律神経、つまり交感神経と副交感神経の微妙なバランスのうえに成り立っている。

日中は交感神経が活発になるからエネルギッシュに活動でき、夜は逆に副交感神経が働くことでリラックスできる。

医学的にいえば、交感神経は血管を収縮させ、脈を速くさせて血圧をあげようとする働きをし、副交感神経は血管を拡張させ、脈を遅くさせて血圧を下げようとする働きをする。

そしてアルコールには血管を拡張させる働きがある。

実際には副交感神経が働いていないのに、あたかも副交感神経が働いているのと同じ状態にしてしまう。

すると、それとバランスを取ろうとして、今度は交感神経の働きが活発になる。

血管が広がったせいで下がってしまった血圧をもう一度あげるために、まずは血管を収縮しようとする。

しかしアルコールの働きで、血管は拡張したまま戻らない。

そこで交感神経は、今度は脈拍を速めることで、血管に一定量の血液を送り出そうとする。

血管が広がって血流が緩やかになってしまった分を、脈拍の速さで補おうとするのだ。

その結果、私たちの脈は速まり、通常よりも激しい動悸を感じる。

一方、入浴もまた私たちの自律神経の働きに大きな作用をする。

お湯は自分の体温より温度が高いため、血管は体の外側からの温熱効果によって拡張する。

と同時に、日本人に好まれる42℃程度の熱めのお湯に入った場合は、交感神経もにわかに活発に働き出す。

その結果、ここでもやはり広がった血管に対抗するように、血流量を増やそうとして脈拍が速まる。

では、食事、飲酒、入浴を立て続けに行った場合はどうなるか。

まず、食事を終えた時点で、本人の体内では副交感神経の働きが優位になっており、血管が拡張し、脈拍は遅くなり、血圧も下がる。

そこにアルコールが入って血管はさらに拡張し、それに反して、心臓だけが少しドキドキした状態になる。

その状態で風呂に入ると、血管はさらに拡張する。

著者に言わせると、これほどの危険行為はないという。

私自身、食事、飲食、入浴のパターンを毎日繰り返し行っているわけだから、毎日身体に相当な負担をかけていることになる。

しかし、わかっていてもやめられないのが現実なのだが。

2013年6月18日 (火)

人は見た目が9割/竹内一郎

9  私たちの周りにあふれていることば以外の膨大な情報――。それを研究しているのが、心理学の「ノンバーバル・コミュニケーション」と呼ばれる領域である。最近は、言葉よりも、言葉以外の要素の方がより多くの情報を伝達していることが分かってきた。アメリカの心理学者アルバート・マレービアン博士は人が他人から受けとる情報(感情や態度など)の割合について次のような実験結果を発表している。

 ○顔の表情 五五%
 ○声の質(高低)、大きさ、テンポ 三八%
 ○話す言葉の内容 七%

 話す言葉の内容は七%に過ぎない。残りの九三%は、顔の表情や声の質だというのである。実際には、身だしなみや仕草も大きく影響するだろう。
 ついついコミュニケーションの「主役」は言葉だと思われがちだが、それは大間違いである。演劇やマンガを主戦場としている私は、人は能力や性格もひっくるめて「見た目が九割」といっても差し支えないのではないかと考えている。

マレービアン博士の説によると、「話す言葉の内容」が相手に及ぼす影響は全体の7%ということ。

だから相手に影響力を持とうとするならば「見た目」が大事だと。

特に漫画家であり、舞台演出家である著者は、登場人物の表情や態度、声のトーン、目の動き、衣装等で、言葉で説明できない部分を説明するという。

もし、言葉ですべてを説明しようとすると、言葉があまりにも多くなってしまい、舞台が成り立たなくなってしまう。

例えば「私は悲しい」「あなたを信用していない」「彼のことが気になる」といったことをすべて台詞で説明するようでは、その演劇は出来の良いものにはならないのだと。

本書では漫画や舞台の演出で、どのようにノンバーバル・コミュニケーションのスキルを用いているがを述べている。

読んでみると、ナルホドと思える部分が多くある。

そしてこれは私たちの日常のコミュニケーションのスキルとしても充分に活用できるものでもある。

確かに私たちはコミュニケーションを考える場合、あまりにも「話す言葉の内容」に偏りすぎているようだ。

2013年6月17日 (月)

事故がなくならない理由/芳賀繁

Photo  スロビックらの研究グループは1970年代後半の研究で、一般人と専門家に30種類のリスク源(ハザード)について、そのリスクの大きさを主観的に見積もってもらった。その結果、専門家が評価したリスクの大きさは、各リスク源の年間死亡者数にほぼ比例する(相関係数0.97)のに対し、女性、大学生、ビジネスマンの回答者グループでは、どのグループも0.50~0.62の相関しかなかった。
 典型的な違いは原子力発電所で、専門家が30種類のリスク源の中の20位に評価したのに対し、女性と大学生は1位、ビジネスマンで8位の高さだった。総じて、専門家のリスク評価は、「被害の大きさ被害の発生確率」に基づいているのに対し、一般人のリスク評価の基準は、もっぱら被害が生じたときの被害の大きさに依存しているようである。

専門家の意見と国民の意見が異なることは度々ある。

専門家は客観的なデータによって判断するのに対し、国民は印象度によって判断するからである。

特に、原発やBSE等、衝撃的な映像があり、マスコミで大きく取り上げられる問題については、国民は総じてリスクを高めに考える。

たとえば、ヤコブ病にかかると、視覚異常、歩行障害から始まり、認知症が進行し、脳が海綿のようになって死に至る。

だれもが決してかかりたくない怖い病気である。

しかし、BSE(狂牛病)にかかった肉を食べたために感染した可能性がある変異型ヤコブ病の患者は世界に224人しか確認されておらず、そのうちイギリスとフランス以外で発見され た患者は24人に過ぎない。

日本人では、イギリスに滞在していた人が一人感染した可能性があるといわれている。

要するにきわめてまれな病気なのである。

ところが2003年にアメリカで一頭の牛がBSEに感染していることが判明して、日本はすぐにアメリカからの牛肉輸入を停止した。

その後、生後20か月以下の若い牛の、脳や脊髄などの「特定危険部位」を除いた部分の輸入が認め られたが、この決定については、消費者団体やマスコミから、「アメリカの要求に屈して国民の健康を危険にさらした」との激しい批判があった。

たとえBSEに感染した牛の肉を食べても、そう簡単にヤコブ病になりはしないのだが、悲惨な病気の実態を映像などで見た人は、あんな恐ろしい病気の原因になるかもしれない肉を輸入するのは、非常に大きなリスクと感じるのだろう。

一方、日本では2011年に大腸菌O157やO111などによる食中毒で11人が死亡し、フグの毒で毎年約50人の中毒患者が発生し、そのうち数名が死亡しているという。

つまり客観的なデータによれば大腸菌O157等の方がよほどリスクが高く、対策が求められるのに、これについてはあまり話題にならない。

特にマスコミは視聴率の取れる話題をどうしても優先的に報道するので、世論を間違った方向に誘導する傾向がある。

また、それによって世論が形成される。

そうすると政治家はそれを無視するわけにはいかなくなり、政治をも動かすことになる。

国は最適なリスク対策を取れなくなる。

リスクということを考えた場合、これほどのリスクはない。

これについては、やはり日本のマスコミ報道に多くの問題があると言わざるを得ない。

2013年6月16日 (日)

変な人の書いた世の中のしくみ/斎藤一人

Photo  普通の人は、「過去は変えられないけど、未来は変えられる」って言うんです。でも私は、「過去は変えられるけど、未来は変えられない」って言うの。
 なぜかっていうと、今日、不幸な人は明日も不幸なの。明後日もその次も不幸なの。だって不幸を探すから。それで、しあわせになるためにはどうするかっていうと、自分の過去を振り返って、「~だから不幸だった」を「~だからよかった」に変えるんです。「~があったからこそ、今のしあわせがある」って。

全国高額納税者番付トップ10の常連である斎藤氏。

本書はこの著者の人生論のようなもの。

特にしあわせについて、何度も繰り返し述べている。

「しあわせになるのは権利ではなく義務」

「条件つきのしあわせはダメ」

「人がしあわせになるというのは、しあわせになるという意志」

・・・等々。

著者はしあわせとは考え方の問題だと述べている。

だから、過去あった事実は変えられないが、過去の意味は変えることができる。

過去の意味を変えることができれば、現在の自分がしあわせだと感じることができる。

今の自分がしあわせだと感じるならば、人をしあわせにすることができる。

これが大事なんだ、と。

単純だが、つい忘れてしまいがちな視点である。

2013年6月15日 (土)

カーネギーのすごい!心理術/内藤誼人

9784862551429  カーネギーは『人を動かす』で、議論は避けろと言っている。
「議論に勝つことは不可能だ。もし負ければ負けたのだし、たとえ勝ったにしても、やはり負けているのだ。なぜかといえば――仮に相手を徹底的にやっつけたとして、その結果はどうなる?――やっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。」(中略)
 ミシガン州立大学のキャロリン・シャンツが「言い争いの解決法」を研究したところ、最も成功するのは「妥協する」で 77%だった。ちなみに「反論する」のは44%。
 つまらないところで議論するより、折り合ってしまったほうが物事ははるかに解決する。相手を懐柔して要求を呑ませる工夫をするほうが、はるかにクレバーだ。

本書はカーネギーの著書『人を動かす』を心理学者である著者の視点で説き明かしたもの。

ここでは、議論することのマイナス面について述べている。

正論を言うことは大事なことだ。

しかし、正論を言えば、なんでもかんでも、それが通るかと言えば、世の中それほど単純ではない。

むしろ正論を主張することによって、相手との関係がギクシャクしてしまった例は掃いて捨てるほどある。

もし相手と良好な関係を築きたいと考えるならば、議論することはあまり好ましい方法ではない。

例え、議論に勝ったとしても、相手との間にしこりは残る。

その後、何もなかったかのように元通りの関係を続けるのは難しい。

また、正論が必ずしも万人に受け入れられるとは限らない。

つい最近も、橋下市長の発言が国内外で問題になった。

言っている内容をよく吟味してみると、ある意味正論を言っている。

ただし、「これを言っちゃおしまいでしょう」という内容。

この発言を特に海外は決して受け入れないであろう。

やはり橋下市長に必要なのは「正論」ではなく「知恵」だったのではないだろうか。

カーネギーの『人を動かす』は、1937年刊なので、今から70年以上も前の本。

この本が、いまだに読み継がれているというのは、それだけ本質的な部分が書かれているからであろう。

2013年6月14日 (金)

トップ3%の会社だけが知っている儲かるしくみ/石原明

Photo  これは私が以前、知り合いの社長から教わったことです。
「教育とは、同じ人間に同じ話を400回言えるかどうか」
 当時、私は営業部長をしていて、部下が60人いたのですが、彼らの仕事のしかたを教えるときに「何回言ったらわかるんだ!」と、毎日のように怒っていました。
 あるとき、その社長さんに、そのことをポロッと話したら、こんなふうに言われたのです。
「石原君、教育というのは、同じ人間に同じ話を400回言えるかだよ」

「何回言ったらわかるんだ」

人を教える立場の人は必ず言いたくなるもの。

しかし、教育は、言ってみれば「思い込ませること」である。

人間の脳細胞はすばらしい可能性を秘めていますが、まず思考のしかたを植えつけないかぎりは動き出さないという欠点がある。

つまり「良い思考のクセをつける」ことが教育とも言える。

クセというのは、繰り返し、繰り返し言っていくうちに、身についてくるもの。

つまり相手から嫌がられようが、しつこいと言われようが、倦まず弛まず同じことを言い続ける。

ここに教育の本質がある。

これは学校教育であろうと、企業の社員教育であろうと同じこと。

言い換えれば、組織を変えるとは、「社長と社員のどちらの意志が強いか」の戦いだとも言える。

そこで勝利できない社長は、組織を変えられない。

確かに成功した経営者の話を聞くと、同じことをしつこいくらいに何度も何度も社員に言っている。

どろくさい話だが、教育にはこのしつこさが大事だと言えよう。

2013年6月13日 (木)

対中戦略/近藤大介

Photo  アメリカという世界唯一の超大国は、日本と60年以上に及ぶ同盟関係にある〝兄貴分〟なので、いつも日本の見方になり、日本を守ってくれる--多くの日本人はそのように信じているのではないか。これは大いなる錯覚というものだ。
 「アメリカは過去も現在も未来も、自国の国益に合致する場合にのみ、日本を助けるに過ぎない。かつ東アジアで圧倒的に重視しているのは、日本ではなく中国である」
 これはアメリカ国務省の元高官が、以前、私に教えてくれた名言だ。

中国との尖閣諸島の問題が先鋭化する度に、アメリカが守ってくれるかどうかが、議論の対象になる。

日米安保があるから守ってくれるに違いない、と多くの日本人は思っている。

確かにそのとおりなのだろうが、アメリカはあくまで自国の国益に合致する場合のみ日本を助けるのだ、ということを覚えておく必要がある。

そして、アメリカが重視しているのは日本ではなく中国であるということはしっかりと認識しておく必要があるのだろう。

歴史をひもとけば、アメリカの中国重視政策は、いまに始まったものではない。

アメリカは、イギリスとの独立戦争が集結した1784年に、早くも中国との交易を開始している。

以後、アメリカ商船の中国ラッシュが始まる。

19世紀前半には、アメリカにとって中国は、既にイギリスに次ぐ第二の貿易相手国にのし上がっている。

1937年に日中戦争が始まると、アメリカは中国から銀を大量に買い続け、戦費を下支えし、その上7000万ドルも供与し、279機もの戦闘機を与えている。

つまりアメリカは常に最重要だった中国の権益を侵すなと言っている。

そして日本がこのことを突っぱねたことから太平洋戦争に突入した。

確かに言われてみれば、その通りなのである。

このように振り返ってみると、日米安保があるからと、安心している場合ではないと著者が言うことがよく分かる。

著者は、出版社の駐在員として、中国で3年に及ぶ徹底した現地取材をしている。

それだけに日本に住んでいたのではわからない「中国の現状」をリアルに教えてくれる。

もっと日本は戦略的に動く必要があるということであろう。

2013年6月12日 (水)

パール判事の日本無罪論/田中正明

Photo  「一九五〇年のイギリスの国際事情調査局の発表によると、東京裁判は結論だけで、理由も証拠もないと書いてある。ニュルンベルグにおいては、裁判が終わって三カ月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由書とその内容を発表した。しかるに東京裁判は判決が終わって四年になるのに、その発表がない。他の判事は全部有罪と決定し、わたくし一人は無罪と判定した。わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠もなんら明確にしていないのである。おそらく明確にできないのではないか。だから東京裁判の判決の全文はいまだに発表されていない。これでは感情によって裁いたといわれてもなんら抗弁できまい。要するに彼らは、日本が侵略戦争を行なったということを、歴史にとどめることによって、自己のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去十八年間のいっさ いを罪悪であると烙印することが目的であったにちがいない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にするときがきた。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。……これが諸君の子孫に負うところの義務である」

これはパール判事が1952年、広島弁護士会において演説した内容。

ここでパール判事は東京裁判は結論だけで何の根拠もないと語っている。

戦勝国が敗戦国を一方的に根拠もなく、見せしめのために裁いた裁判であった、と。

パール判事は彼らは全員無罪である、と主張する。

もし、日本のやったことが犯罪とされるなら、西欧諸国が当時東半球の諸領土において所有している権益は、すべて武力をもって、暴力的侵略行為によって獲得されたものであり、これらの緒戦争のうち、正当な戦争とみなされるべき判断の基準に合致するものは、おそらく一つもない、と。

国際法に拠らず、事後法によって行われた東京裁判を戦勝国による、リンチと何ら変わらない復讐と言っている。

パール判事は、日本に同情して無罪を主張したのではなく、あくまで法の精神に則って、真実を真実と認め、これに対する正しき法を適用したにすぎない。

特にここで有罪とされたA級裁判の問題はいまだに引きずっており、様々な問題の火種となっている。

歴史をきちんと検証しなかったことのつけが回ってきているといってもよいだろう。

2013年6月11日 (火)

人生を成功に導く質問力/谷原誠

Photo  正しい自問自答のフォームを身につけている人はまず、「思ったような結果は得られなかったが、良かった点もあるはずだ」というふうに自己肯定から入ります。それをじっくり検証した後に、「では、うまくいかなった理由はどこか? 改善できる点はないか?」について熟考していきます。長所を伸ばすことと、短所を改善することを同時に進めているので、短期間でバランスよく自分を高めることができます。

質問には他者に対するものと自分自身に対するものがある。

自分自身に対する質問を自問自答という。

人が成長するためには、自分自身を深く見つめる必要がある。

そのためには自分に質問すること、即ち、自問自答を繰り返す必要がある。

自問自答力を持っている人は、「なぜ、自分には運が足りないのか?」まで深く掘り下げ、運が向くようあらゆる努力をしていくもの。

成功者には、自責のみがあり、他責はありえない。

注意したいのは、自問自答は、あくまでも自分を高め、よりよい方向に導くために行っていることをつねに意識すること。

なぜなら、一歩間違えると、自問自答は自分を責めることになってしまうから。

間違った自問自答のフォームを身につけている人は、「なぜ、こんなことができないんだ」「あそこもここも悪かった」「準備が足りなかった」と自己否定を繰り返してしまう。

最終的に行き着くのは、「自分はなんてダメな人間なんだ」という心境。

これでは自信を喪失し、ますますものごとがよい方向に進まなくなる。

そうならないためには、自問自答をする場合、自己肯定から入ること。

これによって、自問自答がマイナス方向に進むことを回避することができる。

大事なポイントだ。

2013年6月10日 (月)

時間の習俗/松本清張

Photo  鳥飼重太郎の博多の住まいは、八畳と六畳の二間だけの狭い家である。趣味といえば、濡れ縁の上に五つか六つの鉢植を並べている程度だ。五十二歳の老刑事は、一人娘を嫁入らせたあと、この家に妻と二人きりで暮らしていた。

久しぶりに松本清張の小説を読んでみた。

本筋とは関係ないのだが、ある一節が妙に印象に残った。

それは、この小説に登場する一刑事が「五十二歳の老刑事」と描かれていた部分。

「へぇ~」である。

この小説が出版されたのは1962年。

今から50年前、この当時は「五十二歳」は「老人」という認識だったのだろうか。

確かに平均寿命が80歳位になった現在、52歳を老人とは誰も言わない。

50代になっても第一線で活躍している人がほとんどである。

時代は変わったものだ。

2013年6月 9日 (日)

会社では教えてくれない仕事のルール/長井亮

Photo 「うーん何食べようか……。あ、〝本日のおすすめ〟って何ですか? それください」と、日常よく見かける光景です。
 一般的な感覚から言えば、お店のおすすめなんだから間違いないだろうと思います。もちろん味もいいのかもしれませんが、おすすめに頼っていては社会人に必要な「意思決定力」を磨けません。(中略)
 ちょっとずつでいいので、自分の意思を持って決めるようにしましょう。 居酒屋で安易におすすめを頼むのではなく、あらかじめ「今日は○○を食べよう」というような気持ちを持ったうえで行くとか「○○ありますか?」とこちらから聞くくらいの気持ちでいると、少しずつ「意思決定力」が養えると思います。

この事例は誰もが経験することである。

つい選ぶのが面倒くさくなって、相手任せにしてしまう。

ところが、このことの積み重ねが、意思決定力を退化させてしまっている、というのである。

特に今の世の中、情報量が膨大になった反動で、相手側が「おすすめ」の商品を選んでくれることが多い。

いわゆるビッグデータの活用というもので、今後これがますます増えてくるであろう。

膨大なデータの中で、人間の行動をパターン化し、それに基づいて選んでくれるので精度としては高いものがあるのだが、反面、人間の決める力を退化させるという面を持っている。

つまり、今の世の中の便利な仕組みをあえて使わず、自らの意思で選ぶという経験をするということが必要な時代になってきているということ。

そして、これをしなければ、ゆくゆくは「意思決定力」の退化した人間になってしまうということを知っておく必要があるのではないだろうか。

2013年6月 8日 (土)

桶川ストーカー殺人事件―遺言/清水潔

Photo 「もうだめだ、殺される」と詩織さんが島田さんに言い遺した言葉に、どれほどの思いが込められていたのか。自分の命がかかった最後の頼みの綱を切られた絶望の深さは、私には想像もつかない。そんな日々を送り、そして殺された二十一歳の女性がいたのだ。その事実を、警察は隠そうとしている。

本書の著者、清水氏は当時FOCUSの記者だった。

週刊誌の記者と大手新聞社の記者とは警察の扱いが全然違う。

というか、警察は週刊誌の記者をそもそも記者として認めていない。

大手新聞社の記者は記者クラブに入れるが、週刊誌の記者は記者クラブに入れない。

逆に言えば、大手新聞社は警察の流す情報をそのまま流すということ。

もし、警察が嘘をついていたとしても、その嘘を垂れ流すだけ。

事実、この事件は当初「通り魔事件」と報道されていた。

ブランド好きの男関係のルーズな女が通り魔に殺された、とマスコミは興味本位で報道した。

事件の真相を隠そうとする警察の思うつぼである。

しかし、事実はまったく違った。

それどころか、警察が猪野詩織さんを殺したといってもよい。

桶川ストーカー殺人事件の真相は週刊誌の記者だからこそ暴けたと言ってよい。

ひとりの週刊誌記者が、殺人犯を捜し当て、警察の腐敗を暴いた。

まさに「あっぱれ」という他ない。

同時にマスコミの流す情報を鵜呑みにすることの怖さを実感させられる。

2013年6月 7日 (金)

世界を歩いて考えよう!/ちきりん

Photo  たとえば中国には、反日・抗日運動関連の博物館や記念館がたくさんあります。1937年に北京郊外の盧溝橋近くで起きた日本軍と中国の国民革命軍との銃撃戦(盧溝橋事件)は、日中戦争の発端となりました。この橋の近くに1987年にオープンした「中国人民抗日戦争記念館」があります。(中略)
 ここの展示内容は「日本人がいかに残虐だったか」というものばかりで、日本人としては心痛むものばかりなのですが、それらを観ながらも私には「なぜこの記念館はこんなに立派なの?」ということがずっと頭にひっかかっていました。しかし最後の展示室に入った時、その理由がわかりました。そこには巨大な写真パネルがあり、満足そうな笑みを浮かべて握手する田中角栄首相(当時)と毛沢東主席(当時)が映っていたからです。おそらく1972年の日中国交樹立時の写真でしょう。
 「あー、なるほど!」と思いました。抗日記念館の最終展示室に毛沢東氏と握手する田中角栄氏の写真を展示する意味は、「過去の記録はきちんと残しておく必要があるが、国交回復の時点で我々は和解したのだ」という中国側の意思表示です。その写真をみた瞬間に私は、この記念館の建設に使われた資金の一部は、日本から提供されたのだろうと思いました。それほどまでにこの建物は、当時の中国の建物と比べて立派すぎたのです。

著者がこの「中国人民抗日戦争記念館」訪れたのは1990年代の前半だったという。

天安門事件が起こった数年後である。

中国はまだ今ほど経済発展してなかった。

日中の関係も今ほど険悪なものではなかった。

当時、抗日記念館の最終展示室に毛沢東氏と握手する田中角栄氏の写真を展示されていた、という。

著者は、この写真を展示する意味は、「過去の記録はきちんと残しておく必要があるが、国交回復の時点で我々は和解したのだ」という中国側の意思表示ではないかと言っている。

ナルホド、中国にもこんな時代があったのだ、と考えさせられた。

中国は天安門事件後、学校で反日教育を行うようになる。

当時の未来思考から、時計の針を逆戻りさせた形だ。

抗日記念館もリニューアルされたという。

それにしても抗日記念館の最終展示室の写真は今はどうなっているのだろう。

確かめてみたいものだ。

2013年6月 6日 (木)

Tweet & Shout/津田大介

Sweet_shout  震災後から4カ月となる2011年7月、プレジデント社から『スペンド・シフト』という邦訳本が発売された。これは、9・11やリーマンショックを経て、米国の消費者のマインドが、他者に見せびらかすブランドから「丈夫で長く使える」「作り手との絆を感じられる」「自分らしさをカスタマイズできる」「共有できる」といった特徴を兼ね備えた商品に転換し始めていることを定量的な社会調査で明らかにした本だ。この本によれば、多くの社会不安を経たことで、従来の消費者とは異なる「希望」「信頼」「未来」にお金を払う人が増えてきている、という。この本は、震災前の米国で書かれているが、震災後の日本では非常に大きなリアリティを持って読むことができる。

インターネットが日常に根付いた情報環境の変化は、コンテンツ産業に大きな変化をもたらした。

クリエイターが既存の仕組みや資本に頼らず、自らプロモーションを行い、生み出した作品をリスナーや読者、視聴者などの消費者に届けるところまで構築できるようになった。

これは、クリエーターが多くのしがらみや、他者や資本への依存から解放されるということ。

そんな中、起こったのが東日本大震災。

震災以後、音楽に求められるものは明らかに変化した。

アーティストの中に、積極的にSNSを活用する者が現れた。

CDにパッケージするというプロセスを省略し、告知をSNS上でおこなうことで、アーティストが「今」抱えている感情を込めた作品を、リアルタイムでファンが共有するという現象が現れるようになってきた。

これはコンテンツ産業以外でも同様のことが言える。

東日本大震災は不幸な出来事だが、これが多くの人の価値観を変え、ビジネスの仕組みを変え、新しき方向性を模索する転機になるとすれば、この経験は無駄にはならないのではないだろうか。

2013年6月 5日 (水)

僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか/荻上チキ

Photo 「心でっかち」な人というのは、なんでもかんでも、「個人の心」に議論を還元しがち。そして、その思考法からはじき出される結論は、いつも決まって次のようなものです。
「みんなが今よりもキリッとすればいいのだ」
「政治家がしっかり仕事をするようになれば社会はよくなる」とか、「みんなが優しくなればいじめはなくなる」「問題の重要さにみんなが気づけば前に進む」といった具合に、なんでも気持ちの問題で済ませようとする議論は多くあります。どれも同語反復にしか見えない、意味のない議論です。

著者が言うには、議論を行う際に、邪魔になりがちな「思考の癖」というのが存在しているという。

それは「頭でっかち」と「心でっかち」という問題。

これは、思想的な違いというよりも、思考法の違いとも捉えられる話。

「頭でっかち」というものは、わかりやすい。

「社会は理性でコントロールできる」

「自分好みの仕様に、構造を作り替えることで、社会はうまくいく」

といった身体性を抜きにした、実態や効果を無視してしまった発想。

では「心でっかち」とは、どんなものか?

「心でっかち」というのは、玉川大学脳科学研究所の社会心理学者・山岸俊男氏が作った言葉で、「個人の内面ばかり」に焦点を当てる思考の癖のことを指す。

なんでも「心の問題」で片付けてしまう発想。

でも、この思考特性は、旧日本軍の精神論からずっと続いているような気がする。

今でも、スポーツや企業経営の世界では、このことばかりを強調する人がいる。

この「心でっかち」の人、自らの思考の浅さや発想の貧弱さを「心の問題」すり替え、逃げているだけのような気がする。

確かに人間には「心」がある。

しかし、このことばかりを強調することにより思考停止状態に陥ること。

これが一番怖い。

2013年6月 4日 (火)

人間の建設/小林秀雄、岡潔

Photo  各人一人一人、個性はみな違います。それでいて、いいものには普遍的に共感する。個性はみなちがっているが、他の個性に共感するという普遍的な働きをもっている。それが個人の本質だと思いますが、そういう不思議な事実は厳然としてある。それがほんとうの意味の個人の尊厳と思うのですけれども、個人のものを正しく出そうと思ったら、そっくりそのままでないと、出しようがないと思います。一人一人みな違うから、不思議だと思います。漱石は何を読んでも漱石の個になる。芥川の書く人間は、やはり芥川の個をはなれていない。それがいわゆる個性というもので、全く似たところがない。そういういろいろな個性に共感がもてるというのは、不思議ですが、そうなっていると思います。個性的なものを出してくればくるほど、共感がもちやすいのです。

本書は日本の近代批評の確立者であり、保守文化人の代表者であった小林秀雄と日本が生んだ世紀の数学者、岡潔との対談。

その対談の内容は、学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ等、多岐にわたる。

よくこれほど広範な話題について深く語れるものだと、ただただ感服してしまう。

ここで二人は個性と共感について語っている。

個性はみなちがっているが、他の個性に共感するという普遍的な働きをもっている、と。

夏目漱石の個性があり、芥川龍之介の個性がある。

個性的であるが故に共感できる。

個性とはそっくりそのまま自分を出すことであり、無理してつくりだすものではない。

そして、そっくりそのままの自分を出しているので私たちは共感できるのだと。

でも、個性ということが言われだしたのは、いつごろからだろうか。

少なくとも漱石や芥川の生きた時代には、個性ということはそれほど言われなかっただろう。

ところが近年になって個性的であれ、ということが叫ばれ始めて、みんなが個性をだそうとするようになった。

それによってかえって個性が失われてしまった。

それは元々個性というものが、ありのままの自分を出すことにより自然と形成されるものであり、無理してつくりあげるものでないため。

そういうことではないだろうか。

確かに漱石や芥川は誰が見ても個性的であり、なおかつ共感できるが、それに比べ、近年の作家にはそれほどの個性は感じられない。

パラドキシカルだが、本質をついている。

2013年6月 3日 (月)

したたかな敗者たち/近藤紘一

Photo  今、目前で形骸と化しつつある、一人の青年が送り得た人生を想った。のどかな田園での、単調だが平和な生活、壮健な肉体を力いっぱい使っての労働、そして村の祭り、娘たちとの踊り──すべてが、彼には可能だった。子供時分、近所のワル共といたずらに精を出していた頃、自分が、人生の最も希望に満ちた時期に、こんなにみじめで孤独な死に方をするとは、夢にも想像していなかったはずだ。
 青年にレンズを向け、二、三十秒ごとにシャッターを押した。なぜ自分はこんなことをするのか、と思いながら、ほとんど機械的に押し続けた。明らかに、職業意識からではなかった。いいにくいことだが、やはり、好奇心もあったように思う。自分の行為の酷薄さを十分に承知しながら、とりたてて後めたさは覚えなかった。もう今さら、私がどんな感情を彼に抱こうと、どんな行為を試みようと、結果は同じことなのだ。

1978年から始まった第三次インドシナ戦争(ベトナム・カンボジア戦争)の取材をしたとき、

著者は、重傷者の収容所で、死にゆく人々を目の当たりにする。

そこは重傷者の収容所でもあり、死体の置き場でもあった。

ときおり、横なぐりの雨が降りこむ吹きさらしの床に、かつて人間であったものの残骸、あるいはこれからその残骸になろうとしている物体が、延々と並べられている。

そこに二十歳前後の青年が横たわっていた。

看護士にその容体を尋ねると「五分以内です」との答え。

著者は機械的にカメラのシャッターを押し続けながら、なんともいえぬ葛藤に襲われたという。

そして、一方では何もできない無力な自分の姿がある。

本書では、このような戦場で著者が遭遇した様々な出来事とそこで感じた感情が率直に語られている。

ジャーナリストとして戦争の悲惨さや大国の横暴を訴えるという姿勢ではなく、むしろ敗者に寄り添うような形で、現場の出来事をそのまま伝えるという姿勢である。

そしてそれがかえって戦争の悲惨さと非人間性を強く訴えかける。

ジャーナリストの中には、自分こそ正義だと言わんばかりに大上段に構えて訴えかける人がいる。

でも、その訴えている本人はそんなに立派な人間なのか?

そんなことを考えると、何となく違和感を感じることがある。

それに比べると、著者の率直な語り口は共感を持てる。

死にゆく若者に「好奇心」からシャッターを押し続けたと言える著者の中に、むしろ等身大の人間の姿が見えてくる。

2013年6月 2日 (日)

日本語教室/井上ひさし

Photo 「黒い目のきれいな女の子」――これはぼくが考えた文例ですが、幾通りもの意味があります。ちょっと例をあげてみましょう。

 黒い目がきれいな「女の子」
 黒い目の「きれいな女の子」
 黒い目のきれいな女の「子」
 黒い、目のきれいな女の子
 きれいな女の「目の黒い子」
 目のきれいな女の「色の黒い子」

 まだまだありますから、暇な折にみなさん考えてみて下さい。
 というわけで、日本語の順番はあいまいでいい加減です。

本書は井上ひさし氏が、母校・上智大学で行った伝説の連続講義を完全再現したもの。

日本と日本語について様々な角度で語っている。

ここで井上氏は、日本語の曖昧さについて語っている。

日本語は読み方によってどちらともとれるようになっている、と。

例えば、大江健三郎がノーベル賞を受賞した時の講演は「あいまいな日本の私」という題だった。

しかし、この講演のタイトルの意味についてよくよく考えてみると、

「あいまい」は「日本」にかかるのか「私」にかかるのかわからない。

そこを、大江氏はねらったのだろう、と。

そのほかにも例えば、

「新聞で汚れた国の大掃除」という、ある年の新聞週間の標語について、

おそらく言いたいのは、新聞というメディアの力によって、国の腐敗した政治や体制を正しい方向に持っていこう、ということを言っているのだろうが、

「新聞紙によって汚れた国」を大掃除しましょうというふうにも読める。

言葉についてのプロであるはずの新聞社でさえもこのザマ。

言葉はどのようにしてつくられるのだろう。

まず何らかの実体がある、それを人に伝える手段として言葉がつくられる。

ところが実体そのものが曖昧だと、どうなのだろう。

言葉も曖昧にならざるを得ない。

また曖昧さを好む国民性があったらどうだろう。

やはり、どちらにもとれるような曖昧な言葉を好むことになるだろう。

つまり日本語の曖昧さは、日本人の曖昧さを体現している、ともいえる。

卵が先か鶏が先か、の議論ではないけれど、

どちらが先かということでなく、両者相まって、曖昧な日本人と日本語が生まれたといえるのではないだろうか。

でも、日本人が世界に出て行ったとき、この曖昧さが障害になっている事実も多く出てきている。

やはり変えるべきところは変える必要があるのだろう。

2013年6月 1日 (土)

お金と人生の真実/本田健

Photo  お金に、あなたのすばらしい人生を邪魔させないでください。家族、友人、子供、両親との間にお金を介在させると、せっかくの愛情が台無しになってしまいます。
 つまるところ、人生は思い出でできています。そのために、お金と時間を使ってください。将来が不安なために今あるお金を使わないという生き方は、寂しすぎます。

お金が好きか嫌いかは別にして、多くの人はお金の問題で苦しむ。

今問題になっている消費税も、年金も、アベノミクスも、すべてお金に関わる問題である。

「こんなことをやりたい」「あんなところに行ってみたい」と思っても、すべてお金の問題が立ちふさがる。

生きている限り、お金と無関係な生き方をすることは不可能である。

その意味では、お金とどのようにつきあっていくのか?は大きな問題だ。

著者はお金とのつきあい方には三つあると言ってる。

第一は、お金の奴隷になるという生き方。

お金の奴隷になっている人は、思ったよりたくさんいる。

お金のために仕事にしがみついている人。

お金のことでパートナーを批判したり、攻撃する人。

お金のために、夢をあきらめた人。

みんなお金の奴隷になってしまった人たち。

第二に、お金の主人になるという生き方。

お金の主人になっている人は、たくさんお金を稼いだり、資産を築くことで、自分は偉いと勘違いしてしまっている人。

お金があれば、何でもできると考え、まわりの人を屈服させたり、わがままを言ってもいいと信じている。

第三に、お金と友人になるという生き方。

お金と友人になっている人は、お金を楽しんで稼ぎ、楽しんで使える人。

健康的につきあっている人にとって、お金は、やりたいことを応援してくれる親友になる。

イメージでいうと、ホテルのコンシェルジュデスクのような存在で、理想の人生をつくる協力をしてくれる。

自分の望みを叶えてくれる心強い応援団で、しかも、一瞬で行動してくれる。

そして、多くの人にとって、お金と友人になる生き方がもっとも幸せな生き方となるだろう。

少なくとも、お金に自分を人生を邪魔されたくないものだ。

でも、そのためには、ある程度お金を稼がなければならないのだが。

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