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2013年6月 3日 (月)

したたかな敗者たち/近藤紘一

Photo  今、目前で形骸と化しつつある、一人の青年が送り得た人生を想った。のどかな田園での、単調だが平和な生活、壮健な肉体を力いっぱい使っての労働、そして村の祭り、娘たちとの踊り──すべてが、彼には可能だった。子供時分、近所のワル共といたずらに精を出していた頃、自分が、人生の最も希望に満ちた時期に、こんなにみじめで孤独な死に方をするとは、夢にも想像していなかったはずだ。
 青年にレンズを向け、二、三十秒ごとにシャッターを押した。なぜ自分はこんなことをするのか、と思いながら、ほとんど機械的に押し続けた。明らかに、職業意識からではなかった。いいにくいことだが、やはり、好奇心もあったように思う。自分の行為の酷薄さを十分に承知しながら、とりたてて後めたさは覚えなかった。もう今さら、私がどんな感情を彼に抱こうと、どんな行為を試みようと、結果は同じことなのだ。

1978年から始まった第三次インドシナ戦争(ベトナム・カンボジア戦争)の取材をしたとき、

著者は、重傷者の収容所で、死にゆく人々を目の当たりにする。

そこは重傷者の収容所でもあり、死体の置き場でもあった。

ときおり、横なぐりの雨が降りこむ吹きさらしの床に、かつて人間であったものの残骸、あるいはこれからその残骸になろうとしている物体が、延々と並べられている。

そこに二十歳前後の青年が横たわっていた。

看護士にその容体を尋ねると「五分以内です」との答え。

著者は機械的にカメラのシャッターを押し続けながら、なんともいえぬ葛藤に襲われたという。

そして、一方では何もできない無力な自分の姿がある。

本書では、このような戦場で著者が遭遇した様々な出来事とそこで感じた感情が率直に語られている。

ジャーナリストとして戦争の悲惨さや大国の横暴を訴えるという姿勢ではなく、むしろ敗者に寄り添うような形で、現場の出来事をそのまま伝えるという姿勢である。

そしてそれがかえって戦争の悲惨さと非人間性を強く訴えかける。

ジャーナリストの中には、自分こそ正義だと言わんばかりに大上段に構えて訴えかける人がいる。

でも、その訴えている本人はそんなに立派な人間なのか?

そんなことを考えると、何となく違和感を感じることがある。

それに比べると、著者の率直な語り口は共感を持てる。

死にゆく若者に「好奇心」からシャッターを押し続けたと言える著者の中に、むしろ等身大の人間の姿が見えてくる。

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