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2013年6月24日 (月)

さかのぼり日本史③昭和~明治/御厨貴

Photo  議会制民主主義においては「数が力」というのはまごうことなき事実です。しかし、数をたのんで党勢拡大を図ったことで、原自身は清廉潔白な政治家だったにもかかわらず、利権に絡む誘惑に負けてしまう党員をコントロールすることができなくなってしまっていたのです。
 原は、確かに卓越したリーダーでした。しかし自らをコントロールすることはできても、肥大化した組織をコントロールするためにはなにが必要かという点においては、あまりに無自覚でした。

現代の政治を考える上で、その歴史を振り返ることは意味深い。

そして振り返れば振り返るほど、同じことを繰り返しているという事実に突き当たる。

例えば、1918年発足の、原敬内閣。

当時主流であった藩閥政治に対してNOを突き付け、政党政治を実現しようとしていたのが原敬だった。

当時、山県有朋は長州出身者を中心に、政官界に山県閥と呼ばれるグループを組織して隠然たる力を保持していた。

山県は長州をはじめとする明治維新に大きな役割を演じた藩の出身者を引き立てて藩閥を組織する。

そして 藩閥は選挙によって選ばれた議員によって構成される衆議院とは無関係に、いわば身内ともいえる藩閥の有力者を回り持ちのように首相の座に据え、それを軸に貴族院、枢密院、官僚機構、さらには軍部をも掌握するというシステムを構築していく。

それにNOを突き付けたのが原敬であった。

原は、爵位を持たず、衆議院に議席を持つ、初めての首相だった。

原は、無爵で、衆議院に議席を持つ与党党首であり、藩閥に属さない初めての首相ということで「平民宰相」と呼ばれ、国民の期待が大きく膨らんだ。

原が首相となる以前の政党を主体とした内閣は、多くの場合藩閥のコントロールを免れえない状況にあった。

これに対して原は、なんとか議会を中心として政党政治を日本に定着させようと、周到な準備を行ったうえで、細心の注意を払いつつ、藩閥勢力の力を削いでいこうと策を講じる。

原の積極政策に見られる強引な政治手法は、政友会の党勢拡大と政権基盤の充実には結びついたが、一方では、利益誘導型政治につきものともいえる政治腐敗をまねく。

政策論争不在の、党利党略による政争という政治土壌を醸成することになっていく。

政治家は自らの理想とする政党政治を実現するために、安定多数を求める。

そのために利益誘導型政治により党勢拡大を図る。

つまり藩閥打倒という大目標達成のため、結果として党利党略をむき出しにせざるを得なかったところに、政党の限界、あるいは宿命と言えるようなものを感じる。

1921年11月4日、東京駅乗車口で原は暗殺される。

犯行に及んだ青年は、政治腐敗や原が普選法に反対したことに対する憤りを動機として語っている。

藩閥の横暴を否定して国民本位の政治を目指したはずの原が、今度は国民から政党横暴と非難されるパラドックス。

高邁な理念を掲げて登場したリーダーが、その理念実現のために勢力拡大を図りやがて腐敗していくというパラドキシカルな現象。

これは日本で、いや世界で、繰り返し行われていることではないだろうか。

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