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2013年6月22日 (土)

さかのぼり日本史①戦後/五百旗頭真

Photo  敗戦後の日本にとって、戦争とは侵略戦争か自衛戦争の二つしかなく、それ以外の戦争には考えも及びませんでした。日本人の心の辞書には、それ以外の戦争は載っていなかった。世界の安全を守るための戦争、あるいは国際平和協力、国際貢献のための実力行使という想定自体は、未知のものでした。
 他国と争わず、他国どうしの戦いにも関わらないという姿勢が「平和主義的な振る舞い」であり、それが国際的にも称賛を受けるのだと、日本人の大多数はきわめて素朴に思っていました。その認識は、第二次世界大戦の敗戦国として国際的にはまだ「更生中」と言える時期、そして未だ貧しい敗戦国であった時代には、ある程度妥当だったかもしれません。しかし、すでに経済大国となり、サミット(先進国首脳会議)のメンバーとなっていた日本が数十年前の終戦当時と同じ国際認識のままで済むわけがないのは、ある意味当然のことです。

今、憲法論議が盛んになってきている。

特に問題になっているのは憲法第9条の戦争放棄の条文について。

憲法第9条の改正を求める人たちの中の大部分は、決して好戦的なわけではない。

むしろ平和を愛する人たちである。

問題は戦争放棄をうたっておりながら、実際には自衛隊という戦力を保持しているということ。

これは条文をそのまま素直に読めば違憲である。

ただ、それを解釈によってごまかしている。

これをいつまで続けるのか、ということである。

そして、第9条そのものが時代に合わなくなってしまっている。

だったら、現実論に立って改正すべきではないか、というもの。

この第9条が国民的にも大きな議論の対象になった出来事は、1991年の湾岸戦争であろう。

「日本はカネだけ出して血は流さないのか」とよく言われたものだ。

それを如実に示した「事件」があった。

戦後、クウェートはアメリカのワシントン・ポスト紙などに謝意を表した全面広告を打ち、クウェート解放に貢献した国々の国旗を掲載した。

ところが、そこに日本の国旗はなかった。

また、アメリカの首都ワシントンでは、第二次大戦終結のとき以来という軍事パレードが行われ、各国の駐米大使が招かれたが、 駐米日本大使に招待状は届かなかった。

総額130億ドルの資金協力などを行ったにもかかわらず、なお、日本は軽侮の対象にとどまった。

これは、日本の政治外交政策における「敗北」としか言いようがない。

この「敗北」が、日本人に大きなショックを与え、日本の国際的な評価や責任を考えるうえで、大きな画期となった。

当時、憲法の規定に照らし合わせて考えれば、自衛隊を海外に出すこと、すなわち海外派兵はきわめて難しいと、政府も、そして大多数の国民も思っていた。

それにもかかわらず、日本外交は国際社会から激しい非難を受けた。

もともと、戦争の放棄と戦力の不保持を謳った日本国憲法は、連合国の占領下でつくられたもの。

しかし、時代は変わった。

時代が変わって憲法が制度疲労を起こしているのであれば、変えるべきだろう。

日本人は、敗戦直後にセットされた認識を、戦後68年経った今も変えられずにいる。

ここに大きな問題を感じる。

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