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2013年7月の31件の記事

2013年7月31日 (水)

文明崩壊(下)/ジャレド・ダイアモンド

Photo  わたしたちの住む社会は、現在、持続不能に至る道を進んでいて、ここまで概説してきた十二の問題のどれもが、今後数十年のうちにわたしたちのライフスタイルのくびきとなりうる。五十年以下の導火線を付けた時限爆弾のようなものだ。(中略)
「今日の世界がかかえている最も重要な環境問題、人口問題をひとつ挙げるとすれば、それは何か?」という質問がよく聞かれる。簡潔な答えを返すなら、「最も重要な問題をひとつあげるとすれば、それは、問題を順位付けして、ひとつに絞ろうとするわれわれの誤った姿勢だ!」ということになるだろう。この答えは、本質的に正しい。十二の問題のどれかひとつでも未解決のまま残されたら、わたしたちは甚大な被害を受けることになるし、すべての問題は相互に作用し合っているからだ。十一の問題が解決され、最後のひとつが解決されなかったとすると、そのひとつがどの問題であったとしても、わたしたちは依然窮地に立たされている。全部を解決するしかないのだ。

著者は、過去及び現在の社会が直面する特に深刻な環境問題は、12のグループに分けられると主張する。

(1)自然の棲息環境、(2)野生の食料資源、(3)生物の多様性、(4)土壌、(5)エネルギー、(6)水資源の枯渇、(7)光合成の限界、(8)有毒科学物質、(9)外来種の増加、(10)大気の変動、(11)人口の増加、(12)廃棄物の増加、である

12のうち4つ、(5)エネルギー、(7)光合成の限界、(8)有毒化学物質、(10)大気の変動、は近年になって深刻化したものだ。

(1)~(4)は、天然資源の破壊もしくは枯渇の問題

(5)~(7)は、天然資源の限界の問題

(8)~(10)は、わたしたちが生み出した、もしくは発見した有害な物質の問題

(11)と(12)は、人口の問題に関連している。

そして重要なことは、12の問題のどれかひとつでも未解決のまま残されたら、わたしたちは甚大な被害を受けることになるということ。

現実を見つめると、私たちは大変な時代に生きているということになる。

2013年7月30日 (火)

文明崩壊(上)/ジャレド・ダイアモンド

Photo  過去の人々は、絶滅や追放に値するほど無知無能な環境の管理者ではなく、かといって、今日のわたしたちにも解決できない問題をみごと解決した全能で良心的な環境保護主義者でもない。わたしたちと同じような人々、わたしたちが直面しているのとおおむね似通った問題と相対してきた人々なのだ。わたしたちの行動の成否を左右するのと似たような条件に、彼らも成否を左右されてきた。もちろん、わたしたちが今対峙させられている状況と過去の人々が置かれた状況のあいだには違いがあるが、共通点もじゅうぶんに多く、したがって過去から学べることも多い。

歴史から学ぶ場合の基本的なスタンスは何だろう?

それは歴史は繰り返すということ。

過去起こったことは、時代が変わった今も、起こり得るのだということ。

その意味で、栄華を誇った文明がどうして崩壊したのか、このテーマで歴史をみる意義は大きい。

本書では、イースター島、ピトケアン島、ヘンダーソン島、アナサジ族、古典期低地マヤ、ノルウェー領グリーンランド、これら6つの社会が崩壊に至った過程について述べている。

そこにたくさんの教訓が含まれている。

本書で述べられている潜在的な要因は5つ。

環境被害、気候変動、近隣の敵対集団、友好的な取引相手、環境問題への社会の対応、である。

でも、これら5つの要因、

考えてみたら、今の日本が直面している問題でもある。

その意味で、日本も決して例外ではないと言えよう。

歴史から学ぶ意義は大きい。

2013年7月29日 (月)

裸の王様/ビートたけし

Photo  いざ自分が、ある程度そこまで来たような自覚があると、「誰が見るんだ、これ」ということになる。そうすると、もう一人の自分が見ることになるわけ。ある種の二重人格になるようなもんだ。
 これは芸能論ともつながってくる。舞台でも何でも、しっかりしている人というのは、この「もう一人」を持っていることになるんだ。それがいないのでは、仕方が無い。ビートきよしさんには、その「もう一人の自分」はいない。
 おいらが舞台で漫才をやってる時には、もう一人のビートたけしが客席で見ている。それがいなくてはいけない。半分は客席にいるんだけど、舞台上の自分は全身で乗っているように見せる。
 それを客席の自分には、「ああ、乗っているな」と思わせるんだよ。だから、きよしさんみたいに、「客に受けてうれしいな」とシンプルに喜んでいる人とは、幸せ度が全然違うと思う。
 きよしさんは100%「貰った」人。おいらの方は、半身は客席なんだから、50%しか貰っていない。
 だから辛いねえ、と思うし、そんなに面白くない。

売れ続ける芸人は自分を客観視できるという。

まるで二重人格、または、幽体離脱しているような体験、

目の前の漫才にのめり込んでいるように見えても、実際にはそれを客席から冷静に見つめているもう一人の自分がいる、という体験である。

たけしにはこれがあった。

しかし、相方のビートきよしにはそれがなかった、という。

これだけが成功と失敗を分けるわけではないだろうが、成功し続けるための重要な要素であることは間違いない。

いきなり売れるようになったと思ったら、すぐに消えていくお笑い芸人が多い。

おそらく売れた自分を客と一緒になって喜びそれで終わってしまっているのだろう。

100%喜びを味わってしまっているんだから。そこから先があるはずがない。

後は飽きられるだけ。

50%だけ喜び、後の50%は残しておかないと後がなくなってしまう。

自分を客観視する、ということ。

成功し続けるための、お笑いの世界に限らず、すべての世界で共通に言えることではないだろうか。

2013年7月28日 (日)

人民は弱し、官吏は強し/星新一

Photo  星は最後にこう語り終えた。
「・・・・・・阿片事件の発端から結審まずの、このおびただしい犠牲の上に築かれたものに、何かあるでしょうか。そこには、ただ一つの教訓があるだけです。我々が持っている現在の文明には、まだ大きな欠陥があるという教訓が。このような取扱いをされても、政府にはなんの損害補償をも要求できないのですから、国民とはあわれな存在と言わなければならない」
 星はここで少しうつむき、ため息をついた。過去を回想し、現状を思い、さらに暗さをます未来をなげく感情を、押さえることができなかったのだ。十年前ごろには黒々としていた頭髪も、いまは真っ白になっていた。それから、かすれた声で言い加えた。
「人民は弱し、官吏は強し」

本書はショートショートの第一人者、星新一氏がその父親、星一を描いたもの。

明治、大正にかけて製薬会社を立ち上げた星。

日本で初めてモルヒネの精製に成功するなど事業は飛躍的に発展する。

しかし、星の自由な物の考え方は、官僚たちの反感を買う。

官僚のあらゆる嫌がらせを受けながら、星は最後まで屈服することなく腐敗した官僚と戦い続ける。

そして度重なる訴訟。

星は官僚、同業他社、マスコミ、すべてを敵に回して戦う。

最後には無罪を勝ち取ったものの、その訴訟費用は膨大なものとなり、会社の体力を奪っていく。

上記は、星が株主総会で語ったもの。

最後に言った「人民は弱し、官吏は強し」という言葉。

官僚と戦い続けた星の精一杯の言葉の抵抗だったのではないだろうか。

2013年7月27日 (土)

半落ち/横山秀夫

Photo_2「私は、息子を病気で亡くし、妻を手にかけてしまいました。それでもこうして生き恥を晒しているのは、こんな私でも、まだ必要としてくれている人がいると信じているからです。そのことを教えてくれた人がいたからです。だからあと一年……一年だけ……」
 人間五十年──。
 植村は仕切り板に手のひらを押し当てた。
「わかりません。あなたが何を言いたいのか。誰が何を教えてくれたんです?」
「言えません。守りたいんです、その人だけは……」
「しかし」
 梶の顔がスッと近づいた。
「植村さん、あなたには守りたい人がいませんか」

この小説、以前映画で見たことがあったため、読んでみた。

現職警察官である梶が、アルツハイマーを患う妻を殺害し自首してきた。

動機も経過も素直に明かす梶だが、殺害から自首までの2日間の行動だけは頑として語ろうとしない。

このような状態を警察では「半落ち」という。

梶が完全に落ちないのはなぜなのか?

調査を進める内、梶がこの2日間の間に新宿歌舞伎町に行っていたということが判明する。

歌舞伎町という言葉から、多くの人はよからぬことを想像する。

メンツを重んじる警察はこのことを隠蔽しようとする。

しかし、真実は全く別のところにあった、

梶は、数年前に命を失った息子の臓器を提供した相手である、歌舞伎町のラーメン屋で働くひとりの若者に会いにいっていたのだ・・・といった形で物語は展開していく。

中でも、梶が語った「あなたには守りたい人がいませんか」という言葉。

いろんな意味で考えさせられる言葉である。

2013年7月26日 (金)

スティーブ・ジョブズⅡ/ウォルター・アイザックソン

Photo  シンプルなものが良いとなぜ感じるのでしょうか? 我々は、物理的なモノに対し、それが自分の支配下にあると感じる必要があるからです。複雑さを整理し、秩序をもたらせば、人を尊重する製品にできます。シンプルさというのは、見た目だけの問題ではないのです。ミニマリズムでもなければ、ごちゃごちゃしていないということでもありません。複雑さの深層まで掘り進める必要があります。本当にシンプルなものを作るためには、本当に深いところまで掘り下げなければならないのです。たとえば、ネジをなくそうと考えたのでは、えらく入り組んで複雑な製品ができてしまうかもしれません。もっと深い部分でシンプルさを実現すべきなのです。対象のあらゆる面を理解する、それがどう作られるのかも理解する。つまり製品の本質を深く理解しなければ、不可欠ではない部分を削ることはできません。

ジョブズはシンプルさについて上記のように語っている。

アップルの商品の特徴を一言で表すなら、そのキーワードは「シンプルさ」であろう。

商品の開発プロジェクトの中でも、それは徹底されていた。

プロジェクトがスタートすると、ジョブズは毎日のようにかかわった。

ここでもジョブズが要求したのは「シンプルにしろ!」だった。

曲でも機能でも3クリック以内でたどり着けなければならないし、どこをクリックすべきか直感的にわからなければならない。

どうすればたどり着けるかわからない、あるいは4クリック以上必要なら、強烈な叱責が待っている。

アップルがユーザーから何を求められているかを察知し、それを形にするために全体を統制する。

一切の妥協を許さない。

そこからiMacやiPod、iPhone、iPadなどが生まれ、アップルは独特なデザインで他社と差別化し、ジョブズ復帰後、快進撃を続けた。

簡単にできることではない。

これをやってのけたところにジョブズが天才だと言われる所以があるのであろう。

2013年7月25日 (木)

スティーブ・ジョブズⅠ/ウォルター・アイザックソン

Photo  スカリーは最後の抵抗をつぶやく──やはり友だちとして、社外からアドバイスをするにとどめたほうがいいのではないか、と。
「そう言うとスティーブはじっと足元を見つめ、重苦しい時間が流れました。そして、そのあと何日も私にまとわりつく問いを発したのです。『一生、砂糖水を売り続ける気かい? それとも世界を変えるチャンスに賭けてみるかい?』と」
 お腹をズンと殴られたような気がした。首を縦にふる以外、道はなかった。
「必ず自分が思うとおりにしてしまうスティーブの能力は驚異的です。相手を見極め、どう言えばその人を動かせるのかを把握するのです。彼と付き合って4ヵ月でしたが、ノーと言えなかったのはあのときがはじめてでした」

ジョブズが亡くなってもう1年9ヶ月が過ぎた。

あれからアップルは迷走を続けている。

革新的な商品を次々と出して世界を熱狂させたアップルの姿は今はない。

逆に言えば、いかにジョブズが類まれな人物であったかを示している。

本書は、そのジョブズの伝記だが、読み進めていくにつれ、ジョブズという人物は決して模範的な人物ではなかったということがよく分かる。

ジョブズは上司としても人間としてもモデルになるような人物ではない。

わかりやすくて皆がまねしたいと思うような人物でもない。

ある時には部下をコテンパンにこき下ろし、まるで狂気に憑かれているように、周囲の人間を怒らせ、絶望させる。

しかし、同時に強い感化力を持った人物でもある。

上記のジョン・スカリーをスカウトしたときのエピソードなと、まさにそう。

当時ペプシコーラのマーケティング部門を率いていたスカリーに語った「一生、砂糖水を売り続ける気かい? それとも世界を変えるチャンスに賭けてみるかい?」という殺し文句。

こんな挑発的な言葉、普通の人には言えない。

しかし、この強烈な個性が周囲を次々に感化し動かしていく。

そして、彼の個性と情熱と製品は全体がひとつのシステムであるかのように絡み合っていく。

それを具現化したのがiPod、iPhone、ipad等である。

こんな人物を「天才」というのだろう。

2013年7月24日 (水)

プロの課題設定力/清水久三子

Photo  「変化が予測不能な時代」は、現在も続いています。この時代は、「どうすればいいか」を判断することが難しい。それに、ビジネスや組織は巨大化し、複雑化し、さらにスピードが求められるようになってきているので、経営者がすべてを判断して、決定することが不可能になってきています。
 だから、現場レベルにも、課題設定力が求められるようになってきたのです。

課題設定とは「現状」と「あるべき姿」を正確に把握し、「現状」を「あるべき姿」になることを阻む優先順位の高い「問題」を見極め、「現状」を「あるべき姿」に近づける方法を考えること。

このようなスキル、一昔前は経営者が持っていればそれでよかった。

かつて、ビジネスの現場における役割分担は単純かつ明確だった。

会社が利益を出すための目標設定をするのは経営者の役割。

設定された目標を達成するため、実行手段を模索して設定するのは中間管理職の役割。

さらに決められた実行手段を駆使して、設定された目標を達成するために実際に動くのが現場層の役割、と。

つまり経営者がWhatを考え、中間管理職がHowを考え、現場がDo、つまり実行し、中間管理職がCheckする。

ところが、今は現場が一人でWhat、How、Do、Checkのサイクルを回すことが求められるようになった。

つまり、「変化が予測不能な時代」は経営者の判断を待っていたのではスピードが遅すぎる。

チャンスを逃してしまう。

顧客と接している現場が自分で課題設定し、仮説、検証を繰り返しながら課題を解決していくことによって初めて変化対応が可能になる、ということである。

しかし、本書で求められているスキルはかなり高度なもの。

このレベルのスキルを持っている社員は何パーセント位いるのだろう。

特に私が普段接している中小企業の社員に至っては皆無に近い。

大変な時代になってきたものだ。

2013年7月23日 (火)

壁を突破できる社長できない社長

Photo  いくら優秀な個人でも、一人で出来ることには限界があり、またいくら優秀な個人を集めても、「組織化」がうまくいかなければ集団としての力を発揮することは出来ない。企業が組織として拡大再生産を実現するためには、この「組織力」に対する深い理解、つまりロジカルな業務分担(機能連関)を設計する力に加えて、「配置の妙」「組み合わせの妙」を実現する〝人間に対する深い洞察力〟が必要となるのである。

企業経営をしようとすれば、様々な〝壁〟に直面する。

企業の成長に〝壁〟はつきものだ。

しかも、その〝壁〟には終わりがなく、起業家の前に絶え間なく立ちはだかる。
一つの壁を乗り越えると、また違う壁が立ちはだかる。

そのたびに起業家は七転八倒しながら、その壁を乗り越えなければいけない。

つまり、企業経営とは〝壁〟を乗り越えるという行為の繰り返しと言っても過言ではない。

本書は多くの起業家に、どのようにして〝壁〟を乗り越えたかをインタビューする形で記されている。

中でも個人的に一番印象に残ったのが〝組織化の壁〟についてである。

仕事柄、多くの中小企業経営者と接するのだが、中小企業がある規模に達すると、壁に直面する。

人数で言えば、30名を超えたあたりからである。

それまで創業者の個人的な力で成長してきた企業が、個人の力で経営することの限界に直面する。

このとき、この壁を乗り越えることのできる経営者の共通項を一つあげるとしたら、それは〝組織化〟であろう。

社長の権限を委譲し、役割分担を明確にする。

社長が頑張らなくても回っていく仕組みを作り上げる。

今まで社長個人が個々の社員と向き合っていたものを、組織としてまとめていくために、社長と現場社員の間に中間管理職を置く。

ただ、一言で中間管理職といっても、現場のベテラン社員がそのまま移行できるのかというと、そうでもない。

現場社員として優秀な人材と、管理職として優秀な人材とは、求められる能力がまったく違うからだ。

いかに社長の右腕となるような優秀な管理職を育てることができるか。

これが中小企業から次のステップに移行できるかどうかのカギではないだろうか。

2013年7月22日 (月)

テレビが政治をダメにした/鈴木寛

Photo  1922年にアメリカのジャーナリスト、ウォルター・リップマン(1889~1974)が書いた『世論』の中で「世の中がマス化して、関係範囲が広くなってくると、複雑になってくる。要するに大衆民主主義になり普通選挙が始まると、人々は世の中が複雑で、分からないこと自体が不安になる。そのとき、分かった気になりたい。それが本当であれ本当でなかろうとどうでも良くて、分かった気になりたい。そうしたとき、世に流通しているステレオタイプというものを信じれば、分かった気になれる。そういう状況下で、ステレオタイプが蔓延する」というような指摘をしていますが、視聴率至上主義のテレビの特性がまさにこの指摘に当てはまります。論調の中で、ステレオタイプなYESとNOだけをテレビは取り上げて、視聴者も分かった気になってしまうのです。

テレビの本質は映像にある。

言葉で説明しようとすると複雑になってしまうものを、映像を見せることによってリアル感が生まれ、分かりやすくなり、インパクトが生まれる。

またそのようなものでなければ視聴率が取れない。

一方、政治家の役割とは、複雑な世の中の課題に優先順位を付けること。

多くの人の利害がからみ、多様で多岐にわたる選択肢がある複雑な課題の中から、この国にとって現在に必要な解決策の優先順位を提示し、進めていくことである。

白とも黒ともはっきりとしない優先順位になることだって往々にしてある。

多くの人間が関わり、この国を動かしているわけだから、そう簡単にはYES、NOではくくれないことばかり。

TPP、消費税、社会保障等、みんなそうである。

何かを決めれば、得をする人もいれば、損をする人もいる。

それでも矛盾や葛藤を抱えながら苦渋の決断をしなければならない。

本来ならば政治家が、どのような背景で、どのような議論を行ない、決断したのかを報道するべきなのだろうが、そのようなプロセスの部分は分かりにくいため、テレビの編集ではカットしてしまう。

つまり、本来の政治家の役割と視聴率至上主義のテレビの特性には相容れないものがあるということ。

本来、ジャーナリズムは、「こういう見方がある」「ああいう見方がある」と多様な視点を拾い上げていくことであろうが、特に日本のテレビにその機能は希薄である。

大事なことはそれを前提にテレビを観る必要があるということであろう。

でも多くの国民はそうではない。

逆に言えば、今の国民のレベルがテレビのレベルだと考えてもよいのかもしれない。

2013年7月21日 (日)

野村監督に教わったこと/山崎武司

Photo  キャンプ中のミーティングでも最初の1週間は野球の技術論は全くなくて、人間教育ばかりでした。その中で、僕の心にいちばん印象強く残っているのが、
《野球は生きるための手段。人生を生きることが大きな目標》
 という言葉です。
 言い方としては、
「野球を終わった後の人生のほうが長い。野球のことばかり考えていられる立場ではないぞ。今は野球でおまんま食わしてもらっているけど、野球以外のことも考えてやらなければ人生はうまくいかないぞ」
 とか、
「引退後のことを考えれば、日ごろの振る舞いも、生活も含めたすべてが変わってくるだろう。それを踏まえて行動しろ」
 とかいう表現になります。

時々元野球選手や元Jリーガーが事件を起こしたという記事が新聞に載る。

現役時代脚光を浴びていた人物が、今度は逆の意味で新聞を賑わしているのを見て、いやな気分になる。

野球選手の選手としての寿命は短い。

当然のことながら、選手時代よりも引退してからの人生の方が長い。

だとしたら、選手としての現役の時代、きちんと引退後の人生について考えるべきだろう。

野球選手は子供のときから野球しかしてきていない。

組織の中に入って揉まれてもいない。

野球界は実力の世界なので、力がある間は向かうところ敵なし、恐いものもなく、周りからはチヤホヤされる。

そのため、間違った方向に行きやすい。

人生は引退してからの方が長い。

そこで野村監督は、野球をやめてから間違った方向に行かないためにも、人間教育をするという。

このことを他の職業に当てはめると、次のキャリアのことを見据えながら、今目の前の仕事に全力で取り組むということではないだろうか。

特に変化の激しい今の時代は、今の仕事が永遠に存続すると言い切れないことが多い。

時代の変化とともに今のスキルが陳腐化してしまうということはよくあること。

その意味で、キャリアチェンジは、多くのビジネスマンにとって共通の課題ではないだろうか。

2013年7月20日 (土)

自分のアタマで考えよう/ちきりん

Photo  CNNがパニック映像を興奮気味に放映し、NHKが日本企業に所属する日本人正社員名を読み上げ続けている間、BBCでは早々にテロの背景分析を行なう討論番組がはじまっていました。(中略)
 これはちきりんには大きな衝撃でした。イギリス人がBBCしか見ず、アメリカ人がCNNしか見ず、日本人がNHKしか見ないのであれば、それぞれの国の人に世界はまったく異なって見えるのだろうと思えたからです。私たちはひとつの大事件を目にして、こんなにも違う世界を見ているのだと感覚的に理解できたことは、そのときの私には、テロ事件と同じくらい衝撃的なことでした。

ここで著者は、ニューヨークで9・11テロが起こった時、各国のテレビ局の伝え方が全くちがっていたことを述べている。

まずCNNは、現場の混乱の様子をリアルに伝えていた。

ものすごい量の埃と突風が吹き荒れる路上で「オー・マイ・ゴッド」と叫び続けるニューヨーカーたち。

「逃げろ!」「また来た!」「ビルが倒れるぞ!」などの怒声、悲鳴、叫び声。

CNNはパニックになった街の様子を延々と映し出していた。

悲痛な臨場感に溢れる映像の連続で、CNNを見ていると現地の混乱した様子が手にとるように伝わってきた。

一方、BBCではテロの背景分析を行なう討論番組がはじまっていた。

丸テーブルを囲んで、アラブ政治や国際関係に詳しい専門家や、アルカイダを含めた中東のテロ組織に詳しいジャーナリスト達が議論を始めていた。

では、そのころNHKはなにを報道していたでのか?

NHKがひたすら報道していたのは、飛行機が激突し崩壊したワールドトレードセンターにオフィスを構えていた日本の金融機関の社員名。

つまり、同じ9・11という事件が起こっても、国によって、また、放送局によって伝え方は全く異なっていたということ。

中でも日本の放送局の報道の姿勢には違和感を感じる。

事件のことをリアルに伝えるでもなく、客観的に背景分析をするでもなく、ただただ自国の国民の安否情報を伝える。

確かに、9・11に限らず、海外で事件や事故が起こったとき、日本の放送局は全体の被害者の人数を伝えた後、「その中に日本人は・・・・・・」というフレーズが必ず入る。

この報道機関のレベルがそのまま国民のレベルを表しているとしたら、ガックリしてしまう。

2013年7月19日 (金)

国民の教養/三橋貴明

Photo  要は、デフレのときには利下げおよびマネタリーベースの拡大を行い、インフレになれば利上げやマネタリーベースの回収を実施すればいいというだけの話だ。というよりも、これこそが国民から「通貨発行」の権限を与えられた政府(および中央銀行)の義務なのである。あるいは政府にとっての経済の「目的」と言えよう。
 現在の日本政府は、この「義務」を完全に忘失してしまっている。結果、我が国の経済は延々とデフレから脱却できず、雇用環境は悪化し、若者が失業率の上昇に苦しんでいる。
 政府が義務を果たさないというのであれば、結局のところ日本国民が常識、あるいは教養として、知識を持たなければならないのだ。

「国民の教養」とはよくいったもので、いかに日本国民がマインドコントロールされているかを暗示している。

マスコミは「日本は破綻する! 国債や円は暴落する!」と繰り返している。

日本破綻論や国債暴落論、円暴落論を唱えている人々は何か勘違いをしているのではないか。

通貨は日本銀行が発行した借用証書にすぎない。

日本紙幣には「日本銀行券」とちゃんと書いてある。

そして、日本政府および日銀は国民経済の成長のために、この借用証書の量を調整する義務を負っている。

つまりインフレの時には、金融の引き締めを行い、逆にデフレの時には金融緩和を行うこと。

そのため、日銀および日本政府は、単純に「限界のインフレ率」を設定し、円を供給すればよい。

他の言葉で言えば輪転機を回してどんどんお金を刷ること。

「限界のインフレ率」に達した後は利上げを行い、日銀が手持ちの国債を金融市場で売却し、マネタリーベースを回収すればいい。

安倍政権になり黒田日銀総裁に変わってやっとまともな金融政策が行われるようになった。

後はこれを続けることだろう。

今回の参議院選も国民の教養が問われているのではないだろうか。

2013年7月18日 (木)

「1秒!」で財務諸表を読む方法/小宮一慶

Photo  私が1秒だけ、どこかの会社の貸借対照表を見せてくれると言われたら、どこを見るでしょうか。図を見て分かりますか? それはズバリ、短期的な負債の返済能力です。
 企業はたいていの場合、「流動負債」を返済できなくなって倒産します。流動負債とは、1年以内に返済義務のある負債です。その流動負債を返済するための資金繰りがつかなくなると倒産に直結するのです。

本書のタイトルを見ると、いかにも簡単に企業の状態を見抜くテクニックが書かれているような印象を持つが、それは最初の数ページだけ。

後は、かなりむずかしい内容が並ぶ。

何れにしても、タイトルの通り、もし1秒しか財務諸表を見る時間がないとしたら、やはりこの部分であろう。

つまり、流動負債をまかなうだけの流動資産があれば、まず、当面は大丈夫というふうに考えるわけだ。

貸借対照表には、流動資産の合計と、流動負債の合計が普通は記載されている。

だから、その部分さえ見れば、一瞬でその判断はできる。

逆に言えば、企業は黒字であっても、借金を返済できなければ倒産するということ。

6ヶ月以内に手形不渡りを2回出すと銀行取引停止の処分を受け、信用の低下につながり、会社自体は存続しても事実上の倒産といわれることになる。

他にも重要な指標として、売上高、利益率、自己資本比率、ROA、ROE、キャッシュフロー等があるが、それぞれの指標が何を意味しているのか、知っておく必要はあるだろう。

2013年7月17日 (水)

あの戦争は何だったのか/保阪正康

Photo  私はこれまで、太平洋戦争中に戦争指導者たちが行ってきた「大本営政府連絡会議」を始め、様々な会議の資料をずいぶん当ってきた。しかし、一度として「この戦争は何のために続けているのか」という素朴な疑問に答えた資料、あるいは疑問を発する資料さえ目にしたことがない。
 彼らが専ら会議で論じているのは、「アメリカがA地点を攻めてきたから、今度は日本の師団をこちらのB地点に動かし戦わせよう」といった、まるで将棋の駒を動かすようなことばかりであった。それで二言目には、「日本人は皇国の精神に則り……」と精神論に逃げ込んでいってしまう。物量の圧倒的な差が歴然としてくるにつれ、彼らは現実逃避の世界に陥っていくしかなかった。
 資料に目を通していて痛感した。軍事指導者たちは〝戦争〟しているだけなのだと。おかしな美学に酔い、一人悦に入ってしまっているだけなのだ。兵士たちはそれぞれの戦闘地域で飢えや病いで死んでいるのに、である。

本書は「あの戦争はなんだったのか?」という著者の素朴な疑問から書かれている。

本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。

歴史を語ろうとすると、必ず「侵略の歴史を前提にしろ」とか「自虐史観で語るな」などといった声が湧き上がる。

戦争が良いか悪いかの善悪二元論で語りたがる人がいる。

日本人はやたらレッテルを張りたがる。

しかし戦争というのは、善いとか悪いとか単純な二元論だけで済まされる代物ではない。

あの戦争にはどういう意味があったのか、何のために310万人もの日本人が死んだのか、事実を事実としてきちんと見据えなければならない。

そして、著者が多くの資料や体験者のインタビューを積み重ねてきてわかったことは、当時、誰一人「この戦争は何のために続けているのか」という素朴な疑問に答えられるひとはいなかったという事実。

これはひどい。

「何のために」という目的を持たない組織は必ず内向きになる。

足の引っ張り合いが常態化する。

例えば、「大本営発表」

どうしてあのような虚偽の発表が行われたのか?

それは「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いが原因。

戦争の後半になると、両軍お互いの意地の張り合いが、目に付くようになっていく。

バカげたことに、それぞれが自分たちの情報を隠しあってしまう。

大本営「陸軍報道部」と「海軍報道部」が競い合って国民によい戦果を報告しようと躍起になる。

やがてそれがエスカレートしていき、悪い情報は隠蔽されてしまう。

そして虚偽の情報が流されるようになっていく。

「大本営発表」のウソは、この時期からより肥大化が始まる。

まさに組織の末期症状である。

「日本は太平洋戦争において、本当はアメリカと戦っていたのではない。陸軍と海軍が戦っていた、その合い間にアメリカと戦っていた」などと揶揄されてしまう所以である。

「あの戦争は何だったのか?」

これは歴史家が語ればよいのではない。

平和を求める一人一人が、自分の中に何らかの答えを持つべきではないだろうか。

2013年7月16日 (火)

アメリカは日本経済の復活を知っている/浜田宏一

Photo  医学にたとえてみよう。他の国では、さまざまな動物実験や臨床実験が重ねられ、その結果として多くのことが判明している。それにしたがって治療法、すなわち政策が決められるのだ。
 しかし日本では、古い知識に凝り固まっている医者が、最新の研究結果をまったく利用しようとせずに治療法を決めている。そして、「金利が下がると日本銀行が不利になる」、あるいは「税金が下がると財務省の権限が少なくなる」などという不純な思惑のもと、中央銀行や経済官庁の利害によって、経済学者が何世紀もかけて積み上げてきた経済政策の論理が歪められてしまっているのだ。

本書は安倍首相のブレーンをつとめる著者の痛烈な日銀批判が中心となっている。

特に前日銀総裁、白川氏に対しては、かつての教え子だったということもあり、手厳しい。

著者によると経済学には様々な学派があるが、その中で常識となっているのは「不況の時にはマネーの供給量を増やせ」ということ。

だから、リーマンショックの時、各国は揃って金融緩和を行った。

ただ一つ、日本だけがそれをしなかった。

その結果、どうなったか?

円はドルに対して30パーセントも高くなった。

一方、韓国のウォンはドルに対して30パーセントも安い。

多くの日本の輸出企業は、韓国製品との競争において60パーセントものハンディを背負うことになった。

60パーセントものハンディを背負わされては、産業政策や生産性向上の努力では、絶対に太刀打ちできない。

その後エルピーダが破綻する。

円高によって破綻したのだといえる。

円高を放置してきたのは、それを止めることができたにもかかわらず無策だった日銀だ。

エルピーダは日銀に潰された。

更に、20年もの間デフレに苦しむ日本の不況は、ほぼすべてが日銀の金融政策に由来するものであると著者は断言する。

白川総裁は、アダム・スミスから数えても200年あまり、経済学の権威たちが営々と築き上げてきた、いわば「水は高いところから低いところに流れる」といった普遍の法則を無視している。

世界孤高の「日銀流理論」を振りかざし、円高を招き、マネーの動きを阻害し、株安をつくり、失業や倒産を生み出している。

年間3万人を超える自殺者も金融政策とまったく無関係ではない。

そう断言する。

「金融政策だけではデフレも円高も阻めない」これが、日銀や日本のマスコミ、更に多くの日本の経済学者の主張だったが、これこそまさにマインドコントロールである。

日本国民は彼らにマインドコントロールされていたといって良い。

それが証明されたのは昨年の衆議院解散からの経済の動き。

昨年、衆議院が解散されると、自由民主党総裁の安倍晋三氏が2パーセントのインフレ目標を提唱し、デフレ脱却を訴えた。

すると、1ドル79円台だった円はすぐに82円台に、日経平均株価も2週間で最大900円近く値上がりした。

そしてその流れは一部調整局面はあったものの、今も続いている。

この政策、今後も続けてほしいものである。

その意味では今回の衆議院選は重要だ。

2013年7月15日 (月)

内閣総理大臣増補版/舛添要一

Photo  私は、ギリシア悲劇とシェークスピアが政治学の最大のテキストであると信じている。そこに書かれてあるのは「生身の人間」である。そして、人間とは、また人間関係というのは、ギリシアの昔から変わっていないことを知る。
 私が驚くのは、古典も歴史の書物もまったく読まない政治家があまりにも多いことだ。ジョン・スチュワート・ミル、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー、ヴォルテール、トーマス・ホッブズ、イマニュエル・カント、ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲル……、これら政治学の古典さえも読んでいないとしたら、フランスやイギリスでは政治家以前に市民としても認められない。政治家は人一倍の勉強家でなければ務まらないのである。
 大戦略は、歴史の追体験の中からしか生まれないし、歴史の追体験は読書によってしかできない。したがって、読書をしない人間は指導者にはなれないし、またなってはいけないのだ。

本書は総理大臣の資質について様々な角度から論じている。

著者は総理大臣に求められる要素として次のものをあげている。

普遍的素養として、ヴィジョン提示力、歴史と哲学の素養、人心掌握力、組織力、経験。

今日的素養として、危機の認識と危機管理力、カリスマ性、テレビポリティクス、国際性、IT適応力、が必要とされる、と。

そして最近の政治家の問題として、本を読まなくなったことを指摘している。

確かに、今の政治家の言動を見ていると、軽くなったという印象だ。

言っていることがコロコロ変わるし、そこから信念のようなものが伝わってこない。

今、参議院の選挙期間中だが、政党の代表者の話を聞いても、非常に軽い。

特に野党の党首の話を聞いていると、奇をてらった無責任な発言が目立ち、こんな人たちに日本を任せたらとんでもないことになってしまう、とすら感じてしまう。

著者は「読書をしない人間は指導者にはなれないし、またなってはいけない」と言っている。

全く同感だ。

2013年7月14日 (日)

心ののぞき方/山崎世美子

Photo  山道に置き去りにされた浮気亭主は四時間かけてスリッパ姿で山を下り、民家から奥さんに電話で助けを求めました。
「許してください、もう絶対に浮気はしない!」とあやまる彼に、奥さんはスパッと「離婚しましょう」と宣言。
「本当にスッキリしました」と晴れ晴れした顔で語る彼女を見て、おとなしそうなこの人のどこにそんなエネルギーがひそんでいたのかと、あらためて女のすごさを感じたものです。「最初から離婚するつもりなら、何もここまでやらなくても……」と思うのは男の感覚。
 夫には何人もの女と浮気され、しかも自分の子供まで邪険にされ、彼女の「女としてのプライド」「母としてのプライド」はズタズタにされたのです。
 傷ついたプライドを回復するには、これくらいの復讐は当然と考えるのが女心というもの。気持ちはエスカレートし、「自分のプライドが傷つけられたのだから、何をしてもいい」とまで思い込むのです。

女こそプライドの生き物、男にプライドを傷つけられたときの女ほど、恐ろしいものはない、というのが、探偵として2万人以上の女性と接してきた著者の実感だという。

男と女とはプライドのもちかたが違う。

男は、女にプライドを傷つけられてもそれほど逆上しない。

なぜなら、男のプライドは、「社会」に対して向けられているものだから。

たとえば、会社から不本意な形でリストラされたり、派閥抗争で追い落とされたり、自分の力が認められなかったりすると、男はプライドをかけて立ち上がる。

いわゆる〝男のメンツ〟というやつ。

社会に対しての責任感も強い。

一方、女は世間や会社から自分がどう見られようと、それほど気にしない。

だから、女のプライドを傷つけることほど怖いことはない。

ひとたび男から女としてのプライドを傷つけられると、女の復讐心は一気に燃え上がる。

歯止めが効かなくなり、残酷さを発揮する。

これが男と女の違いだという。

それにしても本書に記されている様々なエピソード。

「女は怖い」というのが実感だ。

2013年7月13日 (土)

とてつもない日本/麻生太郎

Photo  ――自分は技術屋のトップだが、最初の現場説明の際、集合時間の八時少し前に行ったところ、日本から派遣された技術者はすでに全員作業服を着て並んでいた。我々インドの技術者は、全員揃うのにそれから十分以上かかった。日本の技術者は誰一人文句も言わず、きちんと立っていた。自分が全員揃ったと報告すると、「八時集合ということは八時から作業ができるようにするのが当たり前だ」といわれた。(中略)
 我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない。むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ。労働に関する自分たちの価値観が根底から覆された。日本の文化そのものが最大のプレゼントだった。今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバサダー(最高の大使)」と呼んでいる――。

上記抜き書きは、麻生氏がインドで日本のODAをつかって建設された地下鉄視察をしたとき、日本の技術者たちとともに働いたインド人技術者のリーダーから聞いた話し。

彼によると日本人から一番影響を受けたのは、働くことに対する価値観と働く姿勢だという。

日本人にとって、集合時間が8時であれば、その10分前くらいには現地に行くのは当たり前のこと。

しかし、インド人にとってはそれはすごいことだという。

この話しを読んで考えさせられたのは、まだまだ日本人が自覚していない日本人の良いところが多くあるのではないかということ。

日本は敗戦後は一度も戦争をすることなく平和と安定を維持し、数十年に及ぶ努力の結果、世界史上でも希に見る経済的繁栄を実現した。

これなどもっと評価されても良いだろう。

にもかかわらず、新聞を開けば、やれ格差社会だ、少子化だ、教育崩壊だと大騒ぎ。

テレビをつければ凄惨な殺人事件ばかりが報じられている。

新聞やテレビを見ていると、日本にはもう明日がないような気がしてくる。

でも、日本は本当にそんなに駄目な国なのだろうか。

日本人はもっと日本という国に誇りを持って良いのではないだろうか。

2013年7月12日 (金)

知らないと恥をかく世界の大問題4/池上彰

Photo  海外で自衛隊がどう見られているかを実感することが、私もありました。2011年11月のこと。ソマリア沖の海賊から日本の船を護衛するため、アデン湾で活動中の海上自衛隊の様子を取材しました。護衛艦には、接近してくる不審船に対して、マイクを使って警告する装置がついています。英語やアラビア語などでの呼びかけ文が録音されているのですが、英語の文章を見て、驚きました。「This is Japan Navy(こちらは日本海軍である)」と書いてあったからです。思わず自衛隊員に、「こんな言い方していいんですか?」と尋ねると、「This is The Self-defense Force(こちらは自衛隊である)と言っても、海賊には通用しませんから」との答えでした。そりゃそうですね。でも、ひと昔前なら国会で大問題にされたでしょうに、時代の変化を実感しました。

憲法改正の議論が盛んだが、その中心になるのが9条の問題である。

憲法9条は「戦争の放棄」を定めている。

日本は「戦力」を保持しないと書いてある。

では、自衛隊は「戦力」ではないのか。

自衛隊は憲法違反の存在ではないかどうか、過去にしばしば論議されてきた。

しかし、議論を待つまでもなく、自衛隊は明らかに軍隊である。

現に海外では「軍隊」として認識されている。

つまり日本は憲法違反の状態を放置しているということ。

それを解釈で乗り切っているわけだが、これは解釈というより詭弁に近い。

過去に地方裁判所レベルでは、自衛隊が憲法違反の存在であるという判決が下されている

高等裁判所レベルでは、自衛隊については「高度な政治判断」に関わるものであり、司法判断にはなじまない、という論法で違憲判断を避けている。

つまり曖昧のまま放置しているということ。

しかし、自衛隊が憲法違反の存在であるかどうかがいつまでも論議されているようでは、自衛隊員の士気に関わる。

また、自衛隊が海外に出ると、「軍」として扱われる。

国内では「軍隊ではない」と言い、国外では「軍隊」として処遇される。

こんなごまかし、いい加減にやめたてもらいたい。

2013年7月11日 (木)

商品企画できない社員はいらない/太田昌宏

Photo 「アイデアは居酒屋で出る!」と喝破した企画マンがいました。私の経験からも納得できる言葉です。
 メーカー勤務時代、アイデア会議は泊まりがけですることもあったのですが、夕食時に少しお酒を飲みながら話していると昼間のアイデア会議の続きが始まり、思わぬアイデアで盛り上がったことがあります。
 日常の仕事では、読み、書き、計算といった言語や数理的能力、相手を説得する論理的能力など、左脳を使うことが多いですが、アイデア会議は直観・ひらめき、イメージ認識を司る右脳によく働いてもらわないといけません。
 組織で仕事をする場合、左脳がフル回転で働いていますので、アルコールが少し入ってリラックスした方が、より右脳が働くようになるのでしょう。

刺激的なタイトルだが、企業が社員に求めるものが昔とは変わってきているということは確かなことのようだ。

一昔前、社員は上から言われたことに従順に従っていればよかった。

そして、それができる社員が良い社員だと思われていた。

だから、どんな社員が欲しいかと聞くと、「素直な社員」をあげる経営者が多かった。

今もこれが全く否定されるわけではないのだろうが、このような社員ばかりでは企業は激しい競争を勝ち抜くことはできなくなった。

今は、少々とんがっていても、様々なアイデアを形にし新しい商品やサービスを生み出す企画力のある社員が必要とされるようになってきている。

それも商品開発部といった一定の部門の社員だけでなく、すべての社員がそのような資質を持つことが求められている。

しかし、このような社員を求めているのであれば、企業もやるべきことがある。

それは部門や上下の壁を乗り越え、自由闊達に議論しアイデアを出せるような企業風土をつくることである。

何か変わった提案するとすぐにつぶされたり、失敗することに不寛容な組織からは優れたアイデアは生まれてこない。

上記のようにアルコールの力を借りるのもいいかもしれないが、一番いいのは、アルコールなしで自由奔放にアイデアを交換できる風土をつくることである。

人事コンサルタントとして、いろいろな会社にかかわらせていただいているが、成長している会社は、自らの守備範囲を決めず、自由闊達に意見を言い合う雰囲気を持っている。

お互いに信頼しているため、安心感があるのだと思う。

2013年7月10日 (水)

スタンフォードの自分を変える教室/ケリー・マクゴニガル

Photo  意志力とはつまり、この「やる力」「やらない力」「望む力」という3つの力を駆使して目標を達成する(そしてトラブルを回避する)力のことです。これから見ていくように、私たち人類は幸運にも、こうした能力を備えた脳を授かることができました。実際、この3つの力──「やる力」「やらない力」「望む力」──こそが、人間とは何かを定義するものとさえ言えるかもしれません。

もし意志の力を強めることができれば、多くの問題は解決するだろう。

勉強ができないのも、スポーツでいい成績を残せないのも、人生の目標を達成できないのも、多くの場合、意志力と密接な関連がある。

では、そもそも意志力とは何だろう?

著者は意志力とは「やる力」「やらない力」「望む力」という3つの力を駆使して目標を達成する力だ、という。

たいていの人にとって、意志力が試される典型的なケースは、誘惑に打ち勝つことであろう。

例えばダイエット。

多くの人がダイエットに失敗するのは、目の前にある食べ物の誘惑に打ち勝てないから。

そんな場面で問われるのは、「やらない力」である。

しかし、意志力はノーと言うだけがすべてではない。

例えば、明日こそやろうと思いながら、ずっと先延ばしにしていることがよくある。

そういうことも、意志の力が強ければ今すぐやることができる。

そんな場面で問われるのは「やる力」。

面倒だなと思いながらも、自分のやるべきことをやる力である。

「やる力」と「やらない力」は、自己コントロールのふたつの側面を表しているが、意志力はそのふたつだけでは成り立たない。

ノーと言うべきときにノーと言い、イエスと言うべきときにイエスと言うためには、もうひとつの力、すなわち、自分がほんとうに望んでいることを思い出す力が必要。

誘惑に負けそうになったり、物事を先延ばしにしたくなったとき、どうやって踏みとどまれるか?

このような自制心を発揮するには、肝心なときに自分にとって大事なモチベーションを思い出す必要がある。

これが「望む力」。

本書はこの「やる力」「やらない力」「望む力」を高めるための様々なエクササイズを紹介している。

実行するのに困難なエクササイズもあるが、中には簡単に実行できそうなものもある。

例えば、呼吸法。

それは、呼吸のペースを1分間に4回から6回までに抑えること。

少し辛抱強く練習すればたいして難しくはない。

呼吸のペースを遅くすると前頭前皮質が活性化し、心拍変動も上昇する。

これが、脳と体をストレス状態から自制心を発揮できる状態に切り替えるのに役立つ。

このテクニックを数分間試すうちに、気分が落ち着いてコントロールが利くようになり、欲求や問題に対処する余裕が生まれるという。

これなどすぐに実行できそうだ。

2013年7月 9日 (火)

日本人を操る8つの言葉/デュラン・れい子

Photo  日本では流暢に話すことがいいと思われているが、それは違う。日本人の英語は、いつまでたってもジャパニーズ・イングリッシュなのだ。とくに発音において、生っ粋のイギリス人やアメリカ人と同じようにしゃべろうと思う必要はない。
 それよりも大切なのは、自分が相手に伝えたいことを持つこと。
 その伝えたいことが相手にとって重要であったり驚きであったりすれば、どんなブロークンなジャパニーズ・イングリッシュであっても、相手は耳を傾けようとするだろう。それでこそ、その人の人間性を初めて理解してもらえるというわけである。
 その基本が哲学、そうフランス人は考える。「ディべート」という言葉が、最近日本でもよく使われるようだが、そういう物事を論理的に考え、相手を説得する能力が哲学の時間に養われるのだと、私はつくづく思ったものである。

企業の海外進出に伴いグローバル人材の必要性が叫ばれるようになってから、英語熱が高まっている。

中には楽天やユニクロのように英語にを社内の公用語にする企業も現れてきた。

このこと自体は間違っているとは言えないのだが、問題はそれによって本質的な部分を見失ってきていないかということ。

英語はあくまで相手とコミュニケーションをとるための道具であり手段。

著者もいっているように、肝心なことは「どう伝えるか」ではなく「何を伝えるか」の部分。

この議論があまりなされていないところに大きな問題がある。

以前読んだ本に、海外に進出する企業が本当に求めているのは、「グローバル人材」ではなく「グローバルリーダー」だと書いてあったことを印象深く覚えている。

要するに中身が大事だということである。

2013年7月 8日 (月)

ファーガソンの薫陶/田邊雅之

4344022513 「彼はユナイテッドのスタッフを完璧に把握している。実際、自分がクラブに来た頃に働いていた、20年も前にいた職員の名前も今でも全部覚えているんだ。
 そればかりじゃない。彼は取材や遠征、チャリティーイベントなんかでも膨大な数の人に会う。会ったのは後にも先にも一回きりで、周りのスタッフが全員名前を忘れているような相手でも、パッと名前を思い出してファーストネームで話しかけることができるんだ。あれには本当にたまげるよ」
 ファーガソンの記憶力の良さは、若手選手の発掘や育成にも活かされる。マンUの一員に名を連ねる人間であるならば、それが10代前半の少年であっても名前を覚えてしまうのである。
 この効果は計り知れないものがある。名前を呼んでもらった人間は「あのファーガソンが覚えていてくれた」と感動し、自然と好意を抱くようになるからだ。自分の〝シンパ〟を地道に増やしてきたことが、類まれな長期政権を支える一つの要因になっていることは間違いない。

プロサッカーチームの監督ほど非情な世界はない。

結果を出さなければ、ファンから野次られ、マスコミからはたたかれる。

契約期間中であっても解雇されることなど日常茶飯事。

まして名門人気チームの監督となればそのプレッシャーは相当なものだろう。

ところが、ファーガソンは26年間、名門マンチェスター・ユナイテッドを率いてきた。

結果も出し続けてきた。

プレミアリーグ優勝12回、FAカップ優勝5回、チャンピオンズリーグ優勝2回など、輝かしい成績を残している。

競争の激しいこの世界では異例である。

どこにその秘訣があったのか。

非情に興味深い。

ヨーロッパのトップクラブを率いる監督は、2つのタイプに大別することができる。

円滑な人間関係を築くことを重視する〝調整型〟と、強烈なカリスマ性で組織をまとめていく〝カリスマリーダー型〟だ。

ファーガソンは後者のタイプだと言われている。

マンチェスターユナイテッドといえば、スター軍団である。

能力の高さと引き換えに、エゴの強さも人並み外れている選手たちに、チームに対する忠誠心を持たせ、まとめ上げるのは相当なカリスマ性がなければ不可能である。

しかし、カリスマ性だけで、すべてを説明するのは間違っている。

スーパースター軍団をまとめあげるには、カリスマ性だけでなく、選手をなだめすかしながらうまく気分を乗せていく調整能力も必要になるはずだ。

ファーガソンは選手だけでなくスタッフ一人一人の名前も完璧に覚え、タイミングよく声をかけるという。

また「戦力外」とされた選手に対する配慮も忘れない。

多くの場合、用済みとなった選手は一方的にクラブから解雇通知をつきつけられ、二束三文で適当なクラブへ叩き売られると相場が決まっている。

だがファーガソンはそのようなやり方をよしとしない。

彼はまず選手に「君は戦力外になった」というクラブ側の決断を包み隠さず伝えながら、相手の意向を聞く。

そして相手が移籍に合意した場合には、給料面はもとより、家族のことまで考えながら転職先を探すという。

だからファーガソンには敵も多い代わりに、味方や信奉者も多い。

このようなところがファーガソンがマンUという名門スター軍団を率いて結果を出し続けてきた秘訣だったのではないだろうか。

2013年7月 7日 (日)

医者に殺されない47の心得/近藤誠

47  「このぐらいからは治療したほうがいいよ」という高血圧の基準が、たいした根拠もなくどんどん下がっているんです。長い間、最高血圧の基準は160㎜Hgだったのが、2000年に140に、2008年のメタボ検診ではついに、130にまで引き下げられています。
 50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値ですから、たいてい高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで「治療」するハメになる。
 その結果、薬品業界はホクホクです。1988年には降圧剤の売り上げがおよそ2千億円だったのが、2008年には1兆円を超えて、20年間で売り上げが6倍に伸びています。血圧商法、大成功ですね。

日本人位医者の好きな民族はいないといわれる。

ちょっと風邪をひいた位でも医者にいって、注射をうってもらったり薬をもらったりする。

でも、風邪の原因はウイルスなので、基本的には休養を十分にとって体力を回復させる以外にない。

高血圧症については、順次基準が引き下げられているが、その基準に当てはめると、50歳以上の人の半分以上が患者になってしまう。

実は私自身、2年前、目眩がして病院にいったところ、血圧を下げる必要があると言われ、降圧剤を飲むように言われた。

確かに薬を飲むと血圧は下がるのだが、かえって身体がシャキッとしなくなる。

身体全体からエネルギーがなくなってしまうような変な気分になり、結局、薬を飲むのはやめた。

おそらくあのまま薬を飲み続けていたら、一生飲み続けることになっただろう。

結局、医者に行くのも行かないのも、自分で決めればそれでよいのではないだろうか。

他からとやかく言われる筋合いはないと思う。

2013年7月 6日 (土)

知っておきたい日本人のアイデンティティ/瓜生中

Photo  また、このようなムラ社会は年功序列型社会でもあった。抜きん出た働きがなくても、年齢に応じてそれなりの役職が与えられ、その役職は年とともに重みを増してくる。そして、子どもも成長して孫もでき、隠居しても氏子総代や檀家総代などの名誉ある役割が用意されていた。狭いムラ社会の中ではあるが、そこで暮らす人々の人生は決められたレールの上を走ってさえいれば、意外に満ち足りたものだったのではないだろうか。つまり、ムラは外に目を向けなければ、それなりに納得の行く人生を送ることのできる社会、いわば自己完結型社会とでもいうべきものだった。

日本人のアイデンティティを考える場合、いくつかのキーワードがある。

そして、その中の一つに「ムラ社会」がある。

日本は農村、山村、漁村を問わず、ムラには整然とした秩序があり、厳しい掟もあった。

そして、年齢や性別に応じた役割分担も厳格に定められていた。

人々はこの掟に従い、自分に課せられた役割を淡々とこなすことによって、大過なく過ごすことができた。

そして、そうした日々の暮らしの積み重ねによって人生を大過なく過ごすことができたのである。

ムラの暮らしは因習に縛られた窮屈なものだったが、それさえ我慢すれば、自分で人生設計をしなくても、生まれたときから人生の設計図が用意されていた。

はじめから決められたレールが敷かれた人生で、そのレールの上を走れば、そうそう脱線することもなかった。

仮に脱線してもムラの人々が助けてくれた。

つまりムラ社会とは、「人生丸投げのシステム」である。

だから、当時の日本人にとって最も怖かったのは「村八分」である。

村八分になると、自分の人生に責任を持ち、自分の力で人生を切り開いていかなければならなかった。

当時の日本人はこれを最も恐れた。

ムラ社会が生んだものの一つに年功序列のシステムがある。

年功序列は種々の問題はあるにせよ、多くの日本人にとって居心地の良いシステムだったのではないだろうか。

だから、企業もそのシステムを採用したのだろう。

しかし、近年のグローバリゼーションの波に押されて、この居心地の良いシステムも変革を迫られてきている。

年功序列のシステムを維持するためには、三つの要件がある。

第一に、企業の業績が右肩上がりに上がっていくということ。

第二に、高年齢者よりも若年者の方が多いということ。

第三に、企業は何十年も永続するということ。

今、これらの三つとも崩れようとしている。

もはや、年功序列を維持することは不可能である。

しかし、日本人が新たなシステムに馴染むには相当な時間を要するであろう。

なにしろ、年功序列には数百年の歴史があるのだから。

2013年7月 5日 (金)

執事のダンドリ手帳/新井直之

9784844371939  海外からバカンスで来日されたお客様を数週間お世話させて頂いた時のことです。
 滞在最終日、空港に向かう1時間前にふと「お土産にカルピスウォーターが欲しいんだ。500本くらい用意できないかな?」と、お客様がおっしゃいました。
 富豪と呼ばれるようなお客様になると、お付き合いされる方々も普通の人ではありません。ですので、大抵の日本のお土産などすでにご存知なのです。
 そのため、かえってカルピスウォーターのような飲み物や駄菓子などの「日本に行かないと買えないちょっとしたもの」がお土産に喜ばれるのだと言います。
 とは言え、出発の準備もあるので今から調達に出かけることができません。
 しかも、家を出れば空港までたったの2時間。
 いったい、どうすればいいのか?
 そんな時にダンドリの力が発揮されます。

英国の映画を見ていると、貴族やお金持ちの家に執事という職務の人たちが登場することがよくある。

ただ、日本人にとって執事という仕事はなじみが薄い。

執事は具体的にどんな仕事をしているのかと言うと、基本的には何でも屋だと言ってよい。

世間で「お金持ち」と言われるような人たちの要望に最大限応えることが執事の仕事である。

本書はそのノウハウをまとめたものだが、普通の仕事をする人たちにも参考になることは多い。

例えば、上司から無理な仕事を命じられるということはよくあること。

組織の中で働いている者の宿命で、無謀な業務命令であっても、結果を出さなければならない。

ここでは、著者が「お土産にカルピスウォーター500本くらい用意できないか」と言われた時の例が載っている。

このとき、著者がまず考えたのは、「どこでなら、最も効率よく買うことができるだろうか?」ということ。

すると、まずはスーパーやコンビニなどに商品を卸している問屋さんが一番だろうということになる。

そこでいくつかの卸業者に電話をかけてみるが、「個人のお客様にはお売りできません」と断られる。

そこで、2つ目の案。

「卸業者以外で、大量に仕入れる店を見つける」。

在庫を比較的大量に持っていて、個人でも買うことができる場所ということで思いついたのが「ドン・キホーテ」。

さっそく電話したところ、在庫が足りない。

残った3つ目の選択肢は「空港までの道の途中で買い集める」というもの。

空港までの道のりで、立ち寄れそうなコンビニをリストアップし、コンビニに寄るたび、10~20本くらいを買い集めながら、何とか「500本」の収集に成功したとのこと。

ここで言っていることは、上司やお客様から無謀とも思えるような要求をされたとき、パニックに陥らないで、対策をいくつか考え、優先順位をつけ、順番に実行すればよいということ。

多くの人はこうした場面に出会うと慌ててしまう。

「急にカルピスウォーター500本なんて無理だ」と、ここで思考がストップしてしまう。

あるいは、「そうだ! コンビニならあるかもしれない」と思いついた瞬間に、それがベストの策だと思い込んでしまう。

その作戦が失敗したら、万策尽きてパニックに陥ってしまう。

重要なのは、トラブルが起きた時に急いで動こうとするのではなく、非常事態だからこそ落ち着いて一呼吸置くこと。

そして、対策をいくつか考えてみて、順次実行していくこと。

そうすれば、問題を解決することができる。

言われて見ればその通りだが、実際にその場面に遭遇するとパニクってしまう人が多いのではないだろうか。

2013年7月 4日 (木)

「教えないから人が育つ」/天下伺朗

Photo  普通は業績上げたいって思いますよね。経営者も、働いている人も……。業績を上げたい、給料をもっとたくさんもらいたい、などということは全部〝量〟を求めている……つまり目標レベルのことです。高度成長の時代なら、そう考えて取り組んだら、たしかにいい結果が手に入ったでしょう。ところが、厳しい世の中になってきたら結果だけを追い求めると、結果が手に入らないという現象が起こっていますね。

本書は、トヨタカーディーラーの中で、顧客満足度12年間連続No.1のネッツトヨタ南国の社長、横田英毅氏に元ソニー上席常務で工学博士の天外伺朗氏がインタビューする形で記されている。

横田氏の経営に対する考え方をよく表していることの一つに「目標よりも目的」というものがある。

「量よりも質」と言い換えてもよい。

質というのは「目的」と関係がある。

例えば働いている人の人間力を高める。

自己実現を目指すことによって成長していく集団を作る。

お客様満足度を高める。

これらはすべて「質」の問題。

「何のために」という「目的」につながる。

これらは、多くの企業がやっていることとは全く逆の発想である。

世の中のほとんどの企業は目標ばかりを考えている。

どうやって目標を達成し売上を伸ばすか、と量を求める。

しかし、その結果、本質的な部分を見失ってしまう。

高度成長期の場合、売上を伸ばそうと思って頑張れば、売上は伸びた。

しかし、今は逆の現象が起こっている。

つまり、売ろうとすればするほど、顧客が離れてゆき売上は減少する。

横田社長は、売上の目標達成のことは一切言わないという。

車の販売会社ではこれは異例である。

そして、ただひたすら社員の人間力を高め、顧客満足を追求する。

結果として、売上が伸びる。

考えてみたら、経営の王道といえることなのだが、これを実行するのは難しい。

2013年7月 3日 (水)

MAKERS/クリス・アンダーソン

Makers  では、メイカームーブメントとは正確にはなにを指しているのだろう? それには、伝統工芸からハイテク電子機器まで、さまざまなもの作りの活動が含まれるが、大半は昔から存在しているものだ。しかし、少なくとも本書でいう「メイカーズ」には、これまでとは違う点がある。まず、メイカーズはデジタルツールを利用して画面上でデザインし、デスクトップの工作機械でもの作りを行う。次に、ウェブ世代のメイカーズは当たり前に自分の作品をオンラインでシェアする。もの作りのプロセスにウェブ文化とのコラボレーションを持ち込むことで、メイカーズは、これまでのDIYには見られなかったほどの大きな規模で、一緒になってなにかを作り上げている。

今モノ作りの世界で革命が起きている。

その火付け役は3Dプリンター。

21世紀の製造業は、アイデアとラップトップさえあれば誰もが自宅で始められる。
これからは、デザインをいよいよ製品化するときには、大企業に頼み込んで自分の特許をライセンスしてもらう必要はない。

自分で製品を作れるからだ。

また、デジタルなデザインファイルならロボットが製造できるため、設備費用を9割以上も節約できる。

これは特に先進国にとって朗報である。

これまでメーカーは大量の安い人件費を求めて、製造の拠点を中国に置いていた。

しかし、もし少ない人数で同じ量もしくはより多くの仕事ができるなら、人は少ない方が合理的だ。

いまでは、発明や斬新なデザインを思いついたら、3Dプリンタのような高機能の卓上デジタル工作機器を使って、自分で作ることもできる。

未来の起業家や発明家は、アイデアを製品にしてもらうために、大企業のお情けを乞う必要はない。

いまや、モノはスクリーン上でデザインされ、デジタルファイルとしてオンライン上でシェアされる。

これまで工場で行われてきたことが、個人のデスクトップや工房でも行われるようになりつつある。

ウェブの世界で起こったツールの民主化が、モノ作りの世界でも始まった。

メイカーズの革命が、世界の産業構造を変えようとしている。

今は3Dプリンターは高額だが、やがては、今のレーザープリンターやインクジェットプリンターのように汎用化されるであろう。

そうなったら、これまでとは全く違ったモノ作りの世界が訪れるのではないだろうか。

2013年7月 2日 (火)

会話がとぎれない!話し方66のルール/野口敏

Photo 身近な人がネガティブな気持ちを語り出したら、まずは、その気持ちを受け止めてあげてください。
「僕は、この仕事に向いてないんじゃないかなと思うんですよ」
と言われたら、
「向いてない気がするの?」
こんなふうに、相手の気持ちをわかってあげる言葉を送ります。
そうすれば、彼は自信がなくなった話と、その不安を吐き出すでしょう。

会話はキャッチボールだと言う。

キャッチボールなので、相手の投げる球はしっかりと受け止めなければならない。

また投げるときにも、相手が捕りやすい球を投げる必要がある。

これがキャッチボールという意味。

しかし、これがなかなかできない。

まず相手の投げる球をしっかりと捕っていない。

つまり相手の投げかける言葉やその裏に隠されている気持ちを受け止めていない。

これだと会話が続かない。

当たり前のことなのだが、これがなかなかできない。

本書にはこのような会話を続けるための基本的なポイントについて記されている。

著者が言っているのは、会話を続けるのはスキルだということ。

スキルであれば、練習すれば誰もが身につけることができるということである。

2013年7月 1日 (月)

わかりあえないことから/平田オリザ

Photo  いま、日本社会は、社会全体が、「異文化理解能力」と、日本型の「同調圧力」のダブルバインドにあっている。
 一つの小さな家庭の中でも、ダブルバインドが繰り返されれば、それが統合失調症や引きこもりの原因となる。だとすれば、社会全体がダブルバインドの状態にあるいまの日本で、ニートや引きこもりが増えるのは当然ではないか。いや、そのような個別具体の現象面だけではなく、日本社会全体が内向きになっているとされる理由も、おそらくはここにある。
 日本社会全体が、コミュニケーション能力に関するダブルバインドが原因で、内向きになり、引きこもってしまっている。

ダブルバインドとは、簡単に言えば二つの矛盾したコマンドが強制されている状態を言う。

たとえば、「我が社は、社員の自主性を重んじる」と常日頃言われ、あるいは、何かの案件について相談に行くと「そんなことも自分で判断できんのか! いちいち相談に来るな」と言われながら、いったん事故が起こると、「重要な案件は、なんでもきちんと上司に報告しろ。なんで相談しなかったんだ」と怒られる。

このような偏ったコミュニケーションが続く状態を、心理学用語でダブルバインドと呼ぶ。

現在、表向き、企業が新入社員に要求するコミュニケーション能力は、「異文化理解能力」である。

異なる文化、異なる価値観を持った人に対しても、きちんと自分の主張を伝えることができる。

文化的な背景の違う人の意見も、その背景を理解し、時間をかけて説得・納得し、妥協点を見いだすことができる。

そして、そのような能力を以て、グローバルな経済環境でも、存分に力を発揮できる。

非常に難易度の高い能力である。

しかし、実は、日本企業は現場での職務の中で、無意識にもう一つの能力を社員に要求する。

それは、いわゆる「空気を読む能力」である。

つまり「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見は言わない」「和を乱さない」といった日本社会における従来型のコミュニケーション能力だ。

しかも、何より始末に悪いのは、これを要求している側が、その矛盾に気がついていない点だ。

指摘されてみれば確かにそうで、ウツを訴える社員が年々増えているのも、このような背景があるのかもしれない

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